9話 俺の敗けだな
重くて暑くるしい………
寝苦しさに目を開けると、俺の上で寝そべる銀髪の生き物が見える。
またか。
昨日散々躾ておいたから服は着ているものの、自分のベッドで寝ると約束したはずなんだが……。
外はまだ薄暗い。
ぐっすりと眠っているパティを起こさないように、体をずらしてベッドから椅子へと移動する。
「ふぅー」
昨日の事を思い返すと思わずため息が出る。
今考えれば、どうしてあんな話を引き受けてしまったのだろう?
ギルドマスターの事、借金の事、未払いの報酬の代わりに依頼を受ける事。
普段の俺なら面倒過ぎて、聞く耳持たない話ばかりだ。
昨日だけじゃない……。パティと会ってからの俺の行動はらしくない。
「このまま……ほとぼりが冷めるまで隣の国にでも逃げるか」
口にしながら笑ってしまう。
それが出来ればとっくに隣の国に向かっていただろう。
ベッドで眠る銀髪の少女を見ていると、自分の馬鹿さ加減に笑ってしまう。
パティに愛着を持った俺の敗けだな……。
昼を過ぎると、ギルドにヘイテスとアネッサがやって来た。
二人の顔は少し青ざめて見える。
「……これが依頼だ」
四人でテーブルを囲むと、ヘイテスは依頼書を俺に見える様に差し出した。
ボブゴブリン討伐
マクサナ平原ベルティ街付近にてボブゴブリンの群れを確認。
現在被害は確認されていないが、至急討伐に向かわれたし。
尚、巣穴を突き止め殲滅するまでを依頼とする。
難易度 C
報酬 金貨9枚+討伐数による加算を行う
依頼者 ベルティ街長
発行日より10日以内に達成のこと
ベルティ街とは正にこの街の事で、マクサナ平原は歩いて行っても半日もかからない場所にある。
ボブゴブリンは危険度Eの魔物だし、一見すると難易度Cとは思えない依頼。
つまり付帯する何かがあるって事だ。
「他に情報はあるのか?」
「大まかな場所は聞いている……」
俺の視線を受けて、ヘイテスが言葉を濁す。
「……恐らく100匹程の群れだそうだ」
「――100か」
魔物自体が強くないとしても、数ってものは恐ろしい力になる。
何より100匹の群れという事が問題だ。
ゴブリンやボブゴブリンの群れは普通10~20匹程度。それが100ともなると、優秀な統率者がいることを示唆させる。
ただのボブゴブリンではあり得ない。
ハイゴブリンやゴブリンロードの存在も考えなくてはならない。
「アネッサも行くのか?」
「と、当然よ」
アネッサの顔がひきつり、その指先には震えが見えていた。
まっ、そうだろうな。
ゴブリンには雌が存在しない。
繁殖は他種族の雌によって行われるのだが、その他種族の中には人間も含まれている。
生物学的には解明されていないが、妊娠期間は雌の種族を問わず1ヶ月。捕まってしまえば、死ぬまでゴブリンの子を産み続ける地獄を見ることになる。
故に余程腕に自信がなければゴブリン討伐に女性は出向かない。
それでも毎年数件の被害が出ているのが現実だ。
ヘイテスはアネッサを大事にしていたはずだ。こんな依頼受ける奴じゃないと思ってたんだが。
「ヘイテス……」
そこで俺は言葉を飲み込んだ。
ヘイテスの顔が見たことも無いほどに歪んでいたからだ。
「……出発は今日の夕刻。必要なテントや食料は俺達が用意しておく。街の南門で落ち合おう」
「……分かった」
普通、討伐依頼といえば朝方に出発するのがほとんどだ。
やはり何か事情があるのだろう。
二人は準備に戻ったが、まだ夕刻までには時間がある。
「パティ、ちょっと組合まで行ってくる」
「自分も行くっすよ」
「もしかしたら俺がいない間にヘイテスやアネッサが来るかも知れない。留守番を頼む」
「うー。分かったっす」
行きたいのに我慢しているパティの頭を軽く撫で、組合へと向かった。
「ウエッツ」
「よう、ニケル。昨日の今日でここに顔出すなんてどうした? 雪が降っちまうぞ」
俺を見るなり本気とも取れる顔で冗談をかましてくるウエッツ。
昨日の事を思い出して殴りたくもなるが、怒りを抑えてヘイテスとアネッサの話を聞かせる。
組合に話すべき事では無いが、問題が起きた場合、役に立つ男なのも事実だ。
「……笑う道化師か」
「ウエッツは知ってるのか?」
「俺がこの街のギルドを知らない訳ないだろ? あそこの先代は優秀な傭兵だったんだが、息子に代替わりしてから悪い噂しか聞かねぇな」
ウエッツは組合職員を捕まえると、分厚いファイルを受け取り紙をめくり始める。
「組合からの依頼はそれなりに受けてはいるが、難易度Cの失敗率が二割を越えてるな。そして失敗後に必ずギルド員が戦力外通告されてる」
「責任を取らしてるって事か?」
「そうだろうな。しかも入って半年以内の奴等ばかりだ」
なるほどな。恐らくはギルドの規則に何かしらの細工をしているのだろう。
「今回の依頼はどう思う?」
「俺は直接その二人を知らないが、無謀にも程があるぞ。お前が絡んでなきゃ力ずくで辞めさせる所だ。少なくてもC級ギルド員四人以上であたる依頼だな」
「分かった。依頼の方は俺が何とかする。そのギルドの事は任せるぞ」
「任せとけ。お前が絡むんだ、依頼の心配はしちゃいねぇよ。ほらよ、笑う道化師には渡してはあるが依頼の情報だ。持ってけ」
ウエッツから依頼の情報を受け取ってギルドに戻ると、昨日買ってきたばかりの装備を身につけた、準備万端のパティが待ち構えていた。
分かってはいたが、行く気満々だな。
「マスター。自分、準備出来たっす」
「えーっと、パティも行くの?」
「何言ってるっすか? 自分は蜥蜴の尻尾の一員っす。ギルドの不始末に力を注ぐのは当たり前っす」
目を輝かせるパティに難易度Cだとか、ゴブリンの危険性を説いた所で無駄だろう。だってコイツ、変なところで頑固だもん。
「はぁ……。いいかパティ。今回の依頼はこの前の依頼よりも難度が高い。はっきり言えばパティの戦闘経験は素人みたいな物だ。俺の言う事が聞けないと連れていけないぞ」
「大丈夫っす。自分はマスターのいいなりっす。奴隷っす。パブロフの犬っす。白いものも黒く見えるっす」
パブロフの犬って条件反射の事なんだが……。
まぁ、言いたい事は分かった。
「いいか? 基本的に戦闘には加わるな。俺の指示があった時、目の前に魔物がいて近くに俺がいない時以外は戦闘禁止だ。守れるか?」
「だ、大丈夫っす」
「あと、パトリシアパンチは人に向けて絶対に撃っちゃいけない。魔物に使う時でもオークと戦った時の10分の1の力でしか使っちゃいけない。出来るか?」
「うぅぅー。頑張るっす」
頻繁に魔力切れをおこされては、こっちの身が持たないからな。
「次に」
「まだあるっすか!?」
「これが最後だ。ヤバいと思ったらどんな状況でも逃げろ、生き延びろ。俺が逃げろと言った時も同様だ。これは今回だけじゃない。これからパティが傭兵であり続ける限り、必ず守らなきゃいけないことだ。出来るか?」
パティら力強く頷くと、短く「はいっす!」と答えた。
その真剣な面持ちを確認すると、パティの肩を叩いて用意してくれた荷物を持ち上げる。
「じゃ、行くか」
「行くっす!」
南門に着く頃には日は傾き、空が燈色に染まりつつあった。
人々の行き来の少なくなった門の辺りを見渡すと、既にヘイテスとアネッサは待っていた。隣には道具をのせた一頭の痩せた馬の姿もある。
「待たせたな」
「大丈夫だ。……その娘も連れて行くのか?」
ヘイテスは怪訝そうにパティに視線を移す。
まっ、もっともな意見だ。
本来アネッサですら行くのはどうかと思う依頼だ。パティなんて場違いもいいところだ。
「まっ、俺が責任持つさ。アネッサがこの依頼に出ないなら、俺も安心してパティを置いて行けるんだけどな」
「わ、私は……行くわよ」
「自分も行くっす」
パティはもちろん、アネッサの決意も固いようだ。
「……分かった。先ずはマクサナ平原の入り口まで進む。ここからだと2時間も歩けば着くだろう。日は落ちているだろうが、そこで野営をして依頼に備える」
「野営っすか! ヘイテス殿、了解っす」
野営という言葉に舞い上がるパティ。
そういや、野営に憧れてたな。
こうして俺達四人と馬一頭は、マクサナ平原へと出発するのだった。