72話 約束
回復薬を飲み干し、古代の巨人の眼前へと近づいたのだが、全くの無反応。
古代の巨人はゆっくりと前に進むだけだ。
「マスター、このままパトリシアパンチを打ってもいいっすよね?」
「あ、あぁ、多分大丈夫だろう」
近寄れば攻撃されたりするだろうと警戒していたのに……。
そりゃパトリシアパンチで破壊出来るかは分からないが、こんなにあっさりしていいのだろうか?
「やっぱり頭とか狙った方がいいっすよね?」
「攻撃するなら基本は頭かな? パティ登れるか?」
「大丈夫っすよ」
動きの鈍い古代の巨人。
20秒かけて一歩歩くってスピードなので、気をつけていれば振り落とされることはなさそうだ。
だからといって油断するわけにはいかない。体に触れた瞬間に古代の巨人が迎撃態勢になる可能性もある。
「じゃあ、先ず俺が登ってみる。俺が合図したらパティも登って来い」
「了解っす!」
クトゥを手に地面を蹴って古代の巨人の膝の関節部分に飛び乗る。
遠くで見る分には黒い金属で出来ていると思っていたのだが、足で感触を確かめると硬い木って感じがする。
木偶とは言い得て妙だと感心してしまう。
関節部の隙間から多数の太い紐のようなモノが蠢いているのだが、はっきり言って気持ちが悪い。
足が動く度に揺れはあるが、馬と比べると大した事はないな。
俺は膝から腰へと難なく駆け上る。
パティを呼んでも大丈夫だろう。
「おーい、パティ、大丈――」
目にも留まらぬ速さで何かが俺に衝突する。
咄嗟にクトゥで反応したものの、その衝撃は俺の身体を浮かし、勢いよく空中へと弾き出す。
「マスター!!」
クトゥを挟んだ目の前には、鱗に覆われた人型の何かがいた。
爬虫類のような眼孔と視線が絡み合う。
俺は地面に叩きつけられない様に身を翻し、不恰好ながらも着地した。
見たことの無い魔物。
動きからも、並みじゃない。
「困りましたね。私のオモチャを壊すつもりですか?」
――喋った!?
言語を話すとなると魔族か?
じっくりと見た顔と落ち着いた物腰に、ふと俺の脳裏にある男の面影が過ぎる。
「……エー……カー?」
「お久しぶりですね、ニケルさん。元気そうで何よりです」
気さくに話しかけてくるが、警戒を解けば一瞬で呑み込まれそうな威圧感がある。
「ふふっ、私はちょっと街を壊滅させたいだけです。黙って見ていてくれるなら貴方達を見逃してもいいのですが、どうです? なんでしたら私のお抱えとして雇ってもいいですよ?」
その声と語り口は見た目は違えど間違いなくエーカーだと確信させる。
様々な疑問が頭をよぎるが、それを聞いている余裕は無い。
俺はクトゥを構えて少しづつ間合いを詰める。
「俺としてはそうしたいが、あの街には壊れて欲しくないモノがたくさんあってな。……目的はなんだ?」
「目的ですか? それを言われると困りますね? そうですね……この世界は退屈だとは思いませんか? 私はそんな退屈な世の中を、ちょっと面白くしようとしてるだけですよ」
パティがいるのはエーカーの向こう。
合流したいのだが、その所作に全く隙が無い。
「どうせ引く気は無いのでしょ? まぁ、いいでしょう。楽しい余興の始まりですよ!」
エーカーが手が上がったかと思うと、身体が消える。あまりのスピードに見失いそうになるレベルだ。
俺の喉を狙う手刀を辛うじて避けると、身体を翻して位置を入れ替える。
「パティ! 行けっ!」
「――はいっす!」
そう叫ぶのがやっとだった。
間を置かず次々と繰り出される手刀。
エーカーの攻撃は速い上に予備動作がほとんどない。
防御だけで手一杯で、こっちから攻撃しようものなら均衡は一気に崩れてしまう。
「さすがニケルさんですね。私の良い準備運動になりそうですよ。あのお嬢さんにはオモチャと遊んでいて貰いましょうか」
背後で巨大な者が動く軋む音が響いてくるが、振り返る事は出来ない。
その隙に俺は殺されるだろう。
もうパティを信じるしか無いのだ。
ギリギリかわしていた猛攻が、徐々に俺の皮膚を切り裂くようになってきた。
最小の動き、最短の場所へと移動している筈なのに、残酷なまでに違う身体能力の差に加えて、攻撃の精度が上がってくる。
パティに襲いかかる古代の巨人に一瞬思考が取られるだけで、エーカーの爪は俺の肉を抉り取っていった。
「余所見は危険ですよ?」
余裕の笑みを見せるエーカー。
恐らくまだ全力では無い。
呼吸が苦しい。
致命傷とはいかないまでも、身体中が悲鳴を上げている。
横になれば楽になれるのだろう。
後ろから聞こえる地響きと揺れ。
パティが戦っている。
だから、倒れるわけにはいかない。
俺がここでエーカーを留めておかなければ、パティが危ない。
その思いだけで何とか持ちこたえていた。
突然エーカーが大きく間合いを取る。
一体何ごとかと注意深く警戒すると、俺の前にくっきりと影が映し出されていた。
後方で何かが光ってるって事だ。
――つまり!
俺がクトゥを構えたまま振り返ると、そこには古代の巨人の頭に飛びかかるパティの姿があった。
「約束の拳っす!」
パティの拳から発した光が古代の巨人を包み込む。
青い光が立ち上り空を貫くと、厚い雲が飛散していく。
激しい揺れと暴風。
衝撃が身体を持ち上げ吹き飛ばそうとするが、俺はクトゥを地面に突き刺して必死に堪えた。
風がその威力を弱めると、古代の巨人の姿は無く、僅かに残った腕先が支えを無くし音を立てて地面に落ちる。
俺は血眼になってパティを探していた。
――あれだ!
ようやく見つけた小さな身体は空に舞い上げられ、放物線を描いて地面に落下しようとしている。
どれだけ足に力を入れても、追いつかない。
俺の前方でパティは地面に打ち付けられた。
「パティ!」
激突の衝撃に耐えられる魔力は残っていたのか?
体の痛みも忘れて必死に駈け走る。
だが俺よりも先にパティに辿り着いたのはエーカーだった。
地面に伏せているパティの尻尾を掴み、乱暴に持ち上げ払うような動きをすると、尻尾は千切れその身体は投げ出された。
「エーカーーー!」
俺は鋭く踏み込み、クトゥを首元目掛けて払い抜く。
だが、鈍い音を立てエーカーの首元に少し食い込んだまま、クトゥは止まっていた。
鳩尾が焼けるように熱い。
胃から逆流してくる液体が口から溢れてくる。
――エーカーの貫手は俺の腹部を貫通していた。
「残念でしたね。もう少し剣に威力があったら私に致命傷を与える事が出来たのに。貴方の負けです。私のオモチャを壊した罰にしておきましょう。安心して下さい、寂しくないようにあの娘もすぐに後を追わせますよ」
視界が霞む。
腹の熱が身体中に回り力が抜けていくと、朦朧となった意識を繋ぎとめる事が出来なくなった……
――主。
気がつけば白い世界の中にいた。
痛みは消え、不思議とさっぱりとした気持ちになっている。
俺は……死んだのか?
ふと、目の前に褐色の女がいる事に気付く。
何処かで見た顔。
あぁ、そうだ。俺は彼女を知っている。
――クトゥだ。
少し寂しげな表情で、クトゥは近づいてきた。
「主、クトゥ、守る」
慈しむように、冷たい手を俺の頭から頰へと滑らせてくる。
そういえばパティも俺を守るって言ってくれたっけ。
んで、俺は何て答えたんだっけ?
「――主」
「――マスター」
不意にクトゥとパティの顔が重なると、胸が熱くなる。
約束したんだーー俺がパティを守るって!
現実に戻された俺は、両手と右足から押し込まれる命の鼓動を感じていた。
もはや指先一つ動かせないはずの身体が反応する。
クトゥを握りしめる手に力を込められる。
まだ、終わっちゃいない!
両腕に力を込めるほどクトゥは青白く刀身を輝かせ、エーカーの首元にめり込んでいく。
「――なぁっ、うがぇっ!」
「じゃあな、エーカー」
最後の力を振り絞ると、負荷が消えクトゥが振り抜かれる。
鮮血が飛び散り、エーカーの頭が視界から消えていった。
――もういいよな?
力は霧散していく。
俺は立っていることもままならず、地面に倒れ込んだ。
俺に覆い被さるエーカーの体。
邪魔なのだが、その腕は俺の腹に突き刺さったままだから仕方ない。
気になった右足に視線を落とすと、何かが巻きついていた。
青白く光るそれはパティの尻尾。
――パティとクトゥが力をくれたのか。
もう身体の感覚が無い。
目を閉じようとすると、右肩に小さな生き物がよじ登ってきた。
心配そうにこちらを窺っている、尻尾の切れた小さな蜥蜴。
俺は緩む口元を感じ、そのまま重たくなった瞼を閉じた。
酷い耳鳴りの中、言い争う声が聞こえる。
――悪いが眠たいんだ、静かにしてくれ。
「カル殿、早くっす!」
「えぇ、仲よさそうに寝てるんだよ? お楽しみの邪魔しちゃ悪いよ」
「笑えないっすよ! マスターが死んじゃうっす!」
「うーん。このまま治療すると突き刺さってるままくっつくかな? それはそれで面白いけど」
「カル殿!!」
「分かったって。じゃあ引き抜くから手を貸してよ」
誰かが俺のはらわたを引きずり出そうとしてくる。
痛みは無いのだが、なんとも言えない気持ち悪さだ。
妙にリアルな感覚を受けゆっくりと目を開けると、くしゃくしゃの顔で「マスター!」と抱きつくパティと、疲れ顔のカルがいた。
「……パティ? ――パティ!? お、お前蜥蜴になったんじゃ無いのか!?」
「あーあ、ニケル君。とうとう頭がおかしくなったんだね。流石に僕の魔法でも脳みそは治せなかったか」
パティが「マスター、マスター!」と抱きつく中、俺の体からポトリと落ちた小さな蜥蜴が逃げて行く。
……そっか、俺の勘違いか。
そして俺はパティの背中に手を回すと、パティのぬくもりに生を感じるのだった。