69話 それぞれの戦場〜ティルテュ〜
伝令の案内の下、街民救出の為に駆けていたティルテュ。しかし切迫した状況の中、その心の内は嫉妬に覆われていた。
ティルテュはいつも必死だった。
8年前、ニケル達に出会ってからずっと……。
一緒にいる為には強くなくてはいけない。
ついていけなければ見捨てられると、ありもしない強迫観念に苛まれていた。
だが無情にも鍛錬を積めば積むほどに、その差がどれだけ開いているのかを理解してしまう。
1年前、ギルドでようやくニケルを見つけた時、その場には少女がいた。
自分だけの宝物に手を出された感覚。
いや、出会った当初は自分の方が相応しいと思っていた。
だが現状、ニケルの横を歩いているのは自分では無い。パトリシアだ。
妊娠騒動以降、ニケルのパトリシアに向ける目が変わった。
慈しむような柔らかい視線。
女の勘とでも言おうか、あの作戦に不安を覚えた時に止めるべきだったと何度も後悔した。
だからといってパトリシアを憎むかと問われれば、そうではない。
妹のように可愛い存在だと思っているし、パトリシアならと託す思いも少なからずある。
嫉妬と諦め、二人が幸せならという思いがティルテュの心をかき乱していた。
「この先です」
伝令の声にティルテュは、今はそんな事を考えてる場合では無いと、再び自らの頰を叩く。
密集した住宅街から大通りに出ると、多数の魔物の死体が散乱していた。
余程の戦いがあった事が想像出来るのだが、不思議な事に人の死体も、怪我人さえもその場にはいなかった。
ティルテュは伝令に粘りつくような視線を投げかける。
「――他から応援が来たんじゃ無いの?」
「いえ、確かに伝令に走ってる最中に見たことの無い女性の傭兵と魔術士の二人組に援護は頼みましたが、他に応援の人出なんていませんよ!」
周りに散らばる魔物の死体は10体はあるだろう。
その二人組が余程の腕利きだったのか、考えにくいが街民が強かったのか……。
「解決してるならアタシは戻るわよ」
肩透かしを食らって苛立ちを覚えたティルテュが踵を返す。
警備隊も後に続こうとすると、微かに音が聞こえた。
魔物の雄叫びと爆発音。
おそらくは今話に出た二人組の傭兵が魔物と戦っているのだと、ティルテュは察した。
このまま知らぬ顔でニケルの所に戻ろうと思っていたティルテュだったが、警備隊や伝令の顔を見て諦めたように音の発信源へと走り出す。
次第にはっきりと聞こえ出す戦闘の響きは、その激しさを物語っていた。
街角に魔物と対峙する傭兵と街民らしき者の存在を確認する。
ティルテュはその状況を見て、拳を強く握りしめた。
魔物の数は10体程。
その中に恐ろしい存在がいた。
青白い肌に、濡羽色の髪。
体を覆い尽くす漆黒のマント。
人語を話し、魔法を駆使する危険度Aの魔物。
魅了や血液感染によって人を操り、対応が遅れれば街一つを破滅させると伝承にも記されている。
吸血鬼
見る限り戦況はかなり押されていた。
豪華な鎧を着込んだ男が前衛で魔物を抑え、鎖鎌を巧みに使う女傭兵と多様な魔法を駆使する女魔術士が援護をしている。
ティルテュは女魔術士の顔を知っていた。
話した記憶はあまりないが、魔術士組合の人間でカルの連絡役としてギルドに出入りしていた。
たしかアンジェリカという名前だったと、ティルテュは思い出す。
「助太刀するわ」
割り込むように、ティルテュと警備隊は吸血鬼の周りにいる魔犬に襲いかかる。
だが野生のものとは違っていた。警備隊の槍や剣を避け、隙を狙って喉元に喰いつこうとしてくる。
手応えのあったのは2匹だけ。
まるで陣形を取るかの如く、吸血鬼の前に立ち並ぶ。
「クックッ、また私の愛玩具が増えますねぇ」
吸血鬼は舌舐めずりし、微笑を浮かべる。
ティルテュはその気味悪さに鳥肌が立ってしまった。
「おぇーっ、気持ち悪ぃんだよ、この腐れチ○ポ! テメェ、そのイチモツ切り取ってやるからなぁ!」
ティルテュの後ろから下品な言葉が叫ばれている。
鎖鎌を持った女傭兵だ。
「おい、ティルテュ、一気に行くぞ!」
ティルテュは突然名前を呼ばれて振り返り、女傭兵を見て大きく目を見開く。
亜麻色の長い髪を靡かせ、いやらしい笑みを浮かべる顔は一瞬誰だか分からなかった。
普段綺麗に束ねられた髪は乱れ、トレードマークの眼鏡もかけていない。
口調も顔付きも違う。
「……シェフ……リア?」
「あぁん? あったり前だろっ? 俺がシェフリア以外の何に見えるってんだ?」
ティルテュは震えていた。
面影はあるが別人だ。豹変なんて可愛いものじゃ無い。
「あのさ、あなたのギルドの人なんでしょ? ホント、この人どうにかしてよ! 下品な言葉を聞いてるだけで頭が痛くなるわよ!」
アンジェリカから辛辣な言葉がかけられると、更に追い討ちをかける人物がティルテュの前に跪く。
「おぉ、ティルテュさん。ご無事でなにより。心配で居てもたってもおれず、ずっと探していたのですよ。貴方の騎士がようやく、こうして参上しました」
豪華な兜の奥にある顔は、懲りずにティルテュを指名してくる依頼主、とある商家の若旦那であった。
若旦那はティルテュの手を取り、キスをしようとして殴られる。
兜の上からとはいえ、電撃を纏ったティルテュの拳の貫通力は相当なものだ。
「ちょ、ちょっと、どうなってるのよ!」
ティルテュは混乱の極みにあった。
吸血鬼に、別人のようなシェフリア、魔物と戦っていた街民とは若旦那であり、探していたと言う。
冷静になって話を纏めたいティルテュだが、今は戦闘中。
現在も警備隊が必死に戦っている最中でのやり取りである。
「あー、もうっ! 話は後から聞くわ。アンジェリカだっけ? 援護をお願い。シェフリア、行くわよ!」
シェフリアは「へっ、任せときな」と言って鎖分銅を生き物のように動かし始める。
「ごめん、前に出るわ! 魔犬を牽制して!」
「はっ!」
魔犬を警備隊に任せて、ティルテュは吸血鬼に向かって踏み込む。
縮地を彷彿させる瞬間移動のような一歩で懐に飛び込むと、炎を纏った拳が突き出された。
吸血鬼は避けようとするのだが、シェフリアの鎖鎌が回避行動の邪魔をする。
鳩尾に繰り出された一撃は、吸血鬼の腹を焼き焦がしていく。
「グオォー、こ、この雌豚がぁ!」
吸血鬼が後退りながら踏み止まると、金色の瞳孔が開かれ一陣の風が吹き抜ける。
その瞬間――警備隊の様子が変わっていた。
「不味いわよ! アイツの魅了は男専用なの! 私の魔法じゃ解除出来ないわ!」
アンジェリカの声にティルテュが振り向くと、警備隊は虚ろな視線を泳がしていた。
「クックック。ほら言ったでしょ、私の愛玩具が増えますって。お前達、この醜い雌豚共を切り裂きなさい!」
吸血鬼の命令で、警備隊はティルテュに刃を構える。
「お前達、目を覚まさんか!」
唯一魅了されなかった若旦那が声を荒げる。
「ほぉ、私の魅了に耐えますか。面白い。直々に私の細胞を入れてあげましょうかねぇ」
「無駄だ。愛の前に魅了など消え去るのみ!」
追い込まれた状態だが、ティルテュは別の意味で頭が痛くなるのを感じていた。
ジリジリと警備隊が寄って来ると、ティルテュは躊躇する。
相手は魅了された味方。
――その時鈍い音が連続して聞こえ出す。
シェフリアの鎖分銅が警備隊の頭を掠めていったのだ。
「おらっ! 腐れチ○ポ野郎共! 邪魔するなら捥ぐぞ!」
シェフリアがキラリと光る鎌を握りしめると、警備隊は「ひぃっ!」と内股になり手で股間を守ろうとする。
今まさに切り落とされんとするほどの殺気が放たれたのだ。
警備隊はハッと我に返る。
ティルテュは内心、こんな事で解ける魅了なのか――と思ったが追求はしなかった。
「残念だったなぁ、オイ。 手前ぇはケツから手ぇ突っ込んで尻子玉抜き取ってやるからなぁ」
シェフリアの迫力に、今度は吸血鬼が尻を抑える。
そんなやりとりを見ながらティルテュとアンジェリカはアイコンタクトを行い、頷き合う。
アンジェリカは浄化魔法を唱え始め、ティルテュは拳に目一杯の魔力を溜める。
「くっ、き、今日の所はみ、見逃してやろう! が、魔犬よ、あ、後は任せたぞ」
「誰が見逃すのよ! はぁーっ!」
ティルテュの拳が吸血鬼の頰で爆ぜり吹き飛ばすと、追撃でアンジェリカの浄化の光が降り注ぐ。
「グァァァア――!!」
プスプスと煙を上げ、焦げていく吸血鬼。
光が収まる頃には灰だけが残っていた。
魔犬はと言うと……洗脳が解けたのか、シェフリアに腹を見せ降参のポーズをとっている。
ティルテュも初めて見る光景に苦笑するしかなかった。
ゆっくりと近づくティルテュとアンジェリカ。
手を伸ばせば届く距離まで歩み寄ると、ガッチリと握手を交わす。
「「あなた(だけでもマトモな人)がいて良かったわ!」」
二人が微笑み合うと、何処からか不気味な声が響き渡る。
『覚えていろよお前ら、いつか必ず復讐して――ペギャ』
シェフリアは灰になった場所で何かを踏んだ。
そして無造作に掴み上げた手には小さな蝙蝠がいた。
「へぇ、吸血鬼って本当にこうやって復活するんだな。おっ、生意気にも小せぇのを生やしてるじゃねぇか……捥ぐか」
シェフリアが鎌を舐めると、蝙蝠は握られたまま翼をバタつかせる。
『ちょっ、いやっ、ほ、本当に、い、いやぁ――!』
何が行われたかは分からない。
ただ男性陣がキュッと内腿を引きつらせ、蝙蝠が燃え尽きたように動かなくなったのは間違いない。
シェフリアは満足したのか、手に持っていた蝙蝠をポイと投げ捨てた。
「ティルテュさん、怪我はありませんか!」
駆けつけた若旦那に蹴りを撃ち出すティルテュ。
「ちょっと、貴方、迷惑なのよ! さっさと富裕層区域に逃げなさいよ」
「何をおっしゃる。これでも私は商家とはいえ王位継承権323位の男、エドワール=コンバック=ムスタミア14世ですよ。街の危機に逃げたりは出来ません。それに愛しの姫だけに戦わせるなぞ末代までの――ぷべっ」
甘く囁きながらティルテュを抱きしめようとしたエドワールは、その顔面に強打を受け倒れる。
しかしエドワールはムクリと起き上がった。
「はっはっは。ティルテュさんの一撃は生を感じさせてくれますね。ご褒美ですか?」
ティルテュに悪寒が走る。
もうこれは相手にしてはいけないと、真理に辿り着いた瞬間であった。
「で、シェフリア……でいいのよね。貴方どうなってるの? それが本性なの?」
「あー、説明が面倒だな、ちょっと待て」
シェフリアは頭を掻くと、胸元から眼鏡を取り出し、服で一撫でしたあと、顔に装着する。
表情がみるみる変わると、突然顔を手で覆い隠しうずくまるシェフリア。
指の隙間からチラリとティルテュを見るとか細い声を出し始める。
「その、私、やっちゃいましたか?」
「はぁー。……自覚はあるの?」
ため息を吐くティルテュに、シェフリアは俯く。
二つ隣の国にとある傭兵がいた。
その傭兵の気性は荒く、珍しい武器である鎖鎌の使い手であった。
付けられた二つ名は『捥ぎ取りの魔女』
特に男傭兵に恐れられた女傭兵は、自分の中に二面性がある事に気付く。
荒々しい気性はレンズ越しの世界に入ることで身を潜め、過去を捨てたい女傭兵はこのベルティ街へと流れ着いた。
「す、すいません。ダメなんです。普段は眼鏡を外しても大丈夫なんですけど、疲れやストレスが溜まると誰かが出て来ちゃうんです」
死にそうな顔のシェフリアを見て、ティルテュは思う。
散々ニケルには美女の皮を被ったゴリラだの言われたが……シェフリアよりマシかなぁ、と。
気がつけばモヤモヤしていた気待ちも何処かに行っていた。
「さっ、行きましょ。まだ戦闘は続いてるわ」
ティルテュはシェフリアに手を差し出し体を持ち上げる。
そう、まだ戦いは終わってはいない。
ティルテュは遠くにある古代の巨人を見つめるのであった。
……彼女達は知らない。
一見馬鹿げたこの吸血鬼との戦いが、どれほど街の危機を救ったのかを。