閑話 グランツの決断
朝から深い溜息が漏れる。
昨日、真っ青な顔で組合から帰って来たニケルの話が原因だ。
まさか税金対策を全くしてなかったとは……。
無知にも程がある。
俺とティルテュで散々怒鳴り散らしたが、後のまつりだ。
みんなで話し合った結果、今回購入した魔道具等は処分せずに依頼で借金を返済していく事になったが、いくらD級に上がったとはいえ、返済には2、3年はかかるだろう。
お金に執着心のない奴等の集まりなのが救いか。
しかし不思議なもので、呆れはするがニケルは憎めない奴だ。
竜の咆哮の一件では色々あったが、このギルドの居心地の良さは奴あってのものなのだろう。
「師匠、稽古いいですか?」
昼食の片付けの終わったウィブが木剣片手に声をかけくる。
ウィブは俺の料理の師匠であり、剣の弟子。
傭兵を辞めそうな出来事はいくつかあったが、見た目に反して芯が強いのだろう。いつも真っ直ぐな視線で俺を見てくる。
はっきり言って俺の人生の中で一番可愛い存在だ。
……俺に衆道の気は無いぞ。
俺はテーブルにうつぶしてるニケルに目をやる。
「ニケル、少しは体を動かせ。少しは気が楽になるだろ? たまにはウィブの稽古相手をしたらどうだ?」
「分かった」
死んだ魚のような目だ。
よほど落ち込んで――いや、普段からそんな目だったか。
新しくなった裏庭も二階部分を張り出す事で、少々広くなっている。
邪魔な樹木も減り、稽古をするには充分な広さだ。
「ニケルさん、よろしくお願いします」
「ん、あぁ」
礼儀正しいウィブに対して、どこか意識が飛んでいるニケル。
だが稽古が始まってもウィブの木剣はニケルにかするどころか、木剣のぶつかり合う甲高い音さえ聞こえてこない。
ウィブも相当に腕を上げているのだが、全て見切られ紙一重で避けられてしまっている。
「ニケル、避けてるばかりじゃ稽古にならんだろ?」
「あぁ、そうか」
俺が声を発した直後には、ウィブの喉元に木剣が寸止めされていた。
やはりコイツはとんでもないな。
「はぁ、はぁ、あ、ありがとうございました」
「あぁ、うん。ウィブはちょっと身体の使い方が悪いかな?」
珍しくニケルがアドバイスをし始めた。
俺もどんな事を言いだすのか興味がある。
「身体の使い方ですか?」
「そうだなぁ、例えば頭の中でイメージする身体の動かし方ってのがあるだろ? それって意外と出来てないんだ。剣を上から下に振り下ろす動作って腕だけを使ってる訳じゃない。腕に意識はいくけれど、体全体を意識しないといけない。分かるかな?」
ニケルはそう言って剣を振り下ろすのだが、綺麗な姿勢とでも言うのだろうか、決して早くはないのに一連の動きに淀みが無い。
「大事なのは肚とか丹田なんて言われてるけど、要は自分の重心を感じる事。ほら、独楽って真ん中に針があればあるほど綺麗に長く回っているだろ? それと同じだよ」
「……重心ですか」
基本的な話の様に聞こえるが、出来る人間の方が少ない。
俺もニケル程には出来ていないだろう。
俺からも助言しようとすると、裏口からパトリシアがひょっこり顔を出し「グランツ殿、お客っすよ」と手招きをしてくる。
「ニケル、しばらくウィブを任しても大丈夫だな?」
「まぁ、しばらくなら」
俺が裏庭を後にして広間に戻ると、クリシュナがいた。
「いいギルドが建ちましたね。ふふっ、蜥蜴の尻尾の税金が払えなくて組合に借金した話、噂になってますよ」
「もうか? ったく組合の情報漏洩はどうなってるんだ。で、今日はニケルじゃ無くて俺に用事か?」
「えぇ――ここではなんですから少し場所を変えますか」
「……分かった」
クリシュナとはほぼ同時期に傭兵になった経緯もあり付き合いは長い。
だが俺が一度引退してからは疎遠になっていたし、先の竜の咆哮の件で会ったのが3年振りだ。
こんな昼間から酒の誘いでもないだろう。
ギルドを出ると、昔馴染みが多くある歓楽街へと案内される。
「久し振りに語りあかそう……って話じゃないな?」
「えぇ、ちょっと頼みごとをされまして、無下にも出来ずにこうした場を用意したんですよ。さっ、ここです」
見覚えのある酒場。
若い頃によく通った店ではあるが、今は昼間。営業している時間では無い。
クリシュナはゆっくりと扉を開くと、一歩後ろに下がる。
「あくまで私は頼まれただけなので、ここで失礼しますね」
「お前も相変わらずだな」
義理や人情よりも損得を優先させる男。
頼まれたことは正確にこなすが、それ以上の関わり合いを嫌う。昔から変わっていない。
中に入ると一人の顔見知りが座っていた。
まぁ、予測の範囲内だ。
「久し振りねグランツ」
「……久し振りだな。3年振りか?」
ダークブランドの短い髪。肉付きの良い身体に男と間違えられそうな高身長。細長く青い瞳は優しさを感じさせる。
A級ギルド理の黙示録のギルドマスターの娘であり……俺の相棒だった男の婚約者。
「復帰したらしいわね? おめでとうって言っておくわ」
「……要件はなんだ、タチアナ?」
タチアナは悪戯っぽく笑うと、口元を手で隠す。
「そんなに慌てないでよ。久し振りの再会でしょ?」
「俺もそれほど暇ではないんでな、話がなければ帰らせて貰うぞ」
俺が店から出ようとすると、背後から腕を回される。
「……理の黙示録はもうボロボロなのよ。あの時何人死んだか覚えてる? ……七人よ? 依頼の事だもの、グランツを恨んでる訳じゃ無いのよ。なんとかA級ギルドとして踏ん張っては来たけど、父さんももう限界。次を引き継げる人材もいないし、解散ね」
タチアナの手に力がこもるのが分かる。
赤い悪魔の依頼で主力だったギルド員が七人死んだ。
俺も引退し、理の黙示録の戦力が半減したのは間違いない。
とっくにA級ギルドの矜持は無くなっていた。
「……そうか」
「戻ってやる……とは言わないのね?」
俺はゆっくりとタチアナの手を解くと、振り返る。
「すまん。戻ることは出来ない」
「……薄情ね。貴方がずっと世話になったギルドでしょ?」
「すまん。他を当たってくれ」
沈黙の時が流れる。
「……じゃあファビアを返してよ」
タチアナの睨む目から一筋の涙が溢れる。
彼女の言葉に返事は出来なかった。
俺の相棒であり、理の黙示録を継ぐ筈だった男。
俺のせいで死んだ親友。
3年前、傭兵を辞めた時にも同じ事を言われた。
あの時は彼女の言葉を受け入れる事しか出来なかったが、今は違う。
俺は彼女に報いる身体がある。
それでも……。
「……ファビアは死んだ。生き返らせる事は出来ない」
「――!?」
タチアナから放たれた平手が俺の頰を打つ。
「タチアナ、ファビアは死んだんだ」
タチアナは再び手を振りかぶるが、そのまま力無くその場に座り込んでしまった。
「……分かってるわよ。だからこうして貴方にお願いに来てるのよ。どうして分かってくれないのよ」
タチアナと同じ目の高さまで腰を落とすと、無情な言葉を投げかける。
「俺が戻った所でどうにもならん。理の黙示録に俺の居場所はもうないんだ。ギルドは俺を受け入れられないだろう。酷な言い方だが、級を下げれば楽になるだろ? 取れる道はいくつもある」
そう、A級のプライドさえ捨てれば生き残る道はある。
俺が戻った所で3年間支えて来たギルド員達と確執を産むだけだ。
俺は泣き崩れるタチアナを残して店を出た。
「意外ですね。てっきり戻られるかと思ってましたよ」
店の前にはクリシュがいた。
帰ったものだと思っていたんだが。
「こんな所で油を売って暇なのか?」
「何言ってるんですか? 忙しいですよ。でもグランツが理の黙示録に戻る事になって、原因が私にあると蜥蜴の尻尾の皆さんに知れたらどうなります? 恨まれるでしょ? 忙しいなんて言ってる場合じゃ無いですよ」
コイツは俺が戻ると答えたら引き止めるつもりだったのか。
それなら最初から連れて来なければいいものを。
律儀な奴だ。
「なるほどな。どうやって引き止めるつもりだったんだ?」
「先程グランツが言ったそのままですよ。戻った所で何も変わらない、むしろ余計に悪くなると説得しましたよ。まっ、理の黙示録の方には手を回しておきますよ。うちも所帯が増えすぎたのでギルドが窮屈なんですよ。日頃から外に出たいと喚いてる連中を数人貸し出せば何とかなるでしょう」
クリシュナは「私は今からが商談ですので」と言って店の中に入っていった。
回りくどいやり方だが、アイツに任せておけば大丈夫だろう。
もしかしたらクリシュナは俺に理の黙示録との決別のチャンスをくれたのだろうか。
ギルドに戻るとニケルとパティがお菓子を摘んでいる。
「ニケル、稽古はどうした?」
「グランツおかえり。今はティルテュと交代中」
一体いつから交代したのか。
裏庭に行くとウィブがティルテュの体捌きを模倣している。
ゆっくり丁寧に教えているようだ。
「あっ、師匠おかえりなさい」
「あら、グランツ戻ってきたの? ウィブ、ゆっくりでいいから意識して動かすのよ」
ティルテュはタオルで汗を拭うと俺の肩を叩き「私は行くわね」と中に入っていった。
習ったことを丁寧に練習しているウィブを眺めていると、ギルドから「ちょっと、私の分が無いじゃない!」とティルテュの叫びが聞こえてくる。
「ウィブ、そろそろ休憩にしよう。菓子でも出さないと広間に傷が出来るぞ」
「あははは、そうですね。珈琲淹れてきます」
広間ではティルテュがニケルにヘッドロックをかましていた。
床や机を巻き込まない技で良かった。
ウィブが珈琲を淹れてくると、寝足りなさそうなカルも欠伸をしながら部屋から下りてくる。
騒がしい日常……。
手足を失ってからこのギルドに入るまで、こんな平穏を感じる事は無かった。
――理の黙示録を見捨てた俺が平穏?
自分勝手にも程がある。
だが俺は確信めいたものを感じている。
ここでなら……コイツらとならあの悪魔を打ち果たせると。




