52話 振りかぶった拳
竜の咆哮のギルドを出て外の冷んやりとした風を感じると、頭の熱気が下がり冷静な思考が戻って来た。
さっきまでの出来事を断片的にしか思い出せない。
人間あれだね。怒りが限界を超えると記憶障害を起こすって本当だね。
「ねぇニケル君。グランツ君の事はどうするの?」
「うっ……やっぱりグランツ怒ってるよね。一緒に来た方が良かったかなぁ」
「ニケル君の悪い癖だよ。普段面倒臭がる割に、一人で何でもしようとするもん」
カルに痛い所を突かれる。
いやね、最初はこんな予定じゃなかったんだよ?
詫びだけ入れて、ギルドを襲った奴等だけ同じ目にあわせるつもりだったんだよ?
だけど無理。
目の前にパティやティルテュ、ウィブをあんな目に遭わせた奴がいたら、そりゃ頭に血がのぼるってものだ。
問題はグランツだ。
土下座したら許してくれないかな?
そんな悩みを抱えて歩いていると、突然イースが尻尾を揺らして駆け出して行く。
イースが豆粒程の大きさまで遠ざかると、その先から「うわっ」と叫びが聞こえる。
「……あれって」
近づくと、イースは男に覆い被さっていた。
ウィブだ。
その隣には少し気が抜けた様なティルテュとグランツ、パティがいた。
うーん、気まずい。
「ちょ、ちょっと、イーストリアさん!」
「うぅぅぅ、良かった。ウィブが無事で良かった」
そんな空気は御構い無しで、泣きながらウィブに抱きつき、その頰をペロペロと舐めるイース。
あー、うん。君達はさっさと宿にでもしけ込むといいよ。
そんな二人を尻目に、グランツは決まりが悪そうにそっぽを向く。
「詫びて……来たのか?」
「えっ? あっ、うん」
「身体中……血塗れだな」
「えっ、な、何でだろうね」
「怪我は……無いのか?」
「あっ、あー、大丈夫」
そんな俺とグランツの探り合う様な態度に、苛立ちを覚えたのはティルテュだった。
「あー、もう、何なのよあなた達は。昔付き合ってた恋人同士の再会なの? 男なら言いたい事をズバッと言いなさいよ!」
いや、分かってはいるんだけど、言葉が上手く出てこないんだよ。
やっぱり土下座かなぁ。
するとグランツは俺の前に立ち自分の頰を指でさし示してきた。
「ニケル。俺を殴れ。それで全部水に流してくれないか?」
「えっ? 俺がグランツを?」
予定外の展開だ。
いやね、殴って終わるんだったらありがたいよ?
でも「さらに倍返しだ!」とか言わないよね?
俺は深く息を吐くと「分かった」と言い、振りかぶった拳をグランツ目掛けて打ち出す。
ペチンと音が鳴り、見事クリーンヒットした……のだが。
「……あのな、ニケル。こういう時は本気で殴るのが筋だと思うぞ」
「えっ、俺、結構本気だったんだけど」
そりゃあね、ティルテュやパティみたいな攻撃力はないよ。でも全力とは言わないが、それなりの強さで殴ったつもりだ。
不意にグランツと視線が絡むと笑いがこみ上げて来る。
「く、くっくっくっく」
「はっ、ははははは」
俺とグランツの笑い声がこだまする。
ティルテュも呆れた顔付きながらも、口元は緩んでいた。
パティは「どうしたっすか?」と困惑し、カルは鼻で笑っていた。
ウィブは……それどころじゃないみたいだな。
気の済むまで笑うと、ウィブから離れないイースを宥めてギルドへ。
幸い各々の部屋は無事だった為に、そのまま広間の片付けは明日しようと解散した。
確かに今日一日でかなり疲れた。
風呂に入り、血を洗い流すと一気に眠気が襲って来る。
部屋に戻ろうとすると、薄暗い広間に人影が見えた。
ボロボロのベンチの上に膝を抱えて座っていたのは――パティだ。
「どうしたパティ? 寝れないのか?」
「……マスター」
少し虚ろな顔を見せるパティ。
隣に座ると、パティは小さく震えていた。
「怖かったか?」
「怖いっす」
無理もない。あそこまでされて恐怖を覚えないやつはいない。
パティはキュッと身を強張らせ、顔を膝に埋める。
「……自分、何にも守れなかったっす。ウィブ殿も、ティルテュ殿も、ギルドも守れなかったっす。ウィブ殿もティルテュ殿も自分を守るために死にかけたっす。いつか大事な人を失いそうで怖いっす」
「……パティ」
少し勘違いをしてたみたいだ。
パティが怖いのは傷付いたことじゃなかった。
大事な人を守る事が出来ない、その時に怯えている。
俺はパティの頭に優しく手を置いた。
「……じゃあ強くならないとな。もっともっと、みんなを守れるくらいに。まっ、それまでは俺が頑張るさ」
「……はいっす」
「さっ、今日はもう寝よう。明日からはギルドの復旧に大忙しだぞ」
「……はいっす」
パティは小さな声でそう呟くと顔を上げる。
そして上目遣いで恥ずかしそうに言葉を続けた。
「マスター、……今日は一緒に寝てもいいっすか?」
「んー、今日だけだぞ」
俺の返事に顔を綻ばせると、そのまま立ち上がるパティ。
俺も部屋に戻ろうとすると、後ろから強く抱きつかれた。
「マスター、自分、必ずマスターを守るっすから」
俺が後ろを振り向くと、パティは体を離し「約束っす」そう言って階段を登っていく。
俺は気恥ずかしくなりながら、後に続くのだった。
翌朝目覚めると、俺の横でパティは眠っていた。
布団に入るなり眠ってしまったので、別にやましい事はしてないぞ。
パティを起こさない様にゆっくりとベッドから降りると、散らかった机の上にある1枚の契約書を眺める。
蜥蜴の尻尾(以下甲)のギルド破壊について、竜の咆哮(以下乙)は下記を持ってその賠償とする。
⒈乙は甲にギルド通帳内の金額を全て譲渡する。
⒉乙は甲に関する被害に申し立てを行わない。
⒊乙は甲からの要望があった場合、第三者を立会人とし、話し合いの場を設ける。
⒋乙は甲から賠償後においても新たに露見した被害の報告を受けた場合、その要求に速やかに応じる。
⒌乙は上記を履行し、その全てに不服を申し立てない。
⒍尚、この契約完了を持って乙は解散とする。
……滅茶苦茶だ。
カルも書きたい放題に書いてるが、⒍で竜の咆哮が解散した時点で⒈以外は意味が無いんじゃ無いだろうか?
気になるのは竜の咆哮の通帳にいくら入っているかだ。
冷静に考えれば筆頭ギルドだ。少額って事は無いだろう。
ただあれだけアコギな事をしていたギルドだ。
情報が筒抜けになる組合通帳には黒い金は入っていないだろう。金の大半はギルドにあった可能性は高い。
はぁ、失敗した。
俺が頭を抱えていると、「はぁう、マスターおはようっす」と寝ぼけ眼を擦るパティ。
相変わらずの会話をしていると、「ご飯出来ましたよ」と広間からウィブの声が聞こえる。
その言葉に反応して、ギュルルと鳴る俺のお腹。目が合うパティと笑いあうと、広間へと降りて行った。
グランツが直したのであろう脚の短くなったテーブルには、サラダやパン、ベーコンや目玉焼き等の簡単な朝飯が用意されていた。
カルはまだ寝ているようで、俺とパティ、グランツ、ティルテュ、ウィブが席につく。
「「いただきます」」と食べ始めると、グランツが新聞を渡してくる。
「昨日の事が一面トップに載ってるぞ」
「なに!?」
新聞を受けとると確かに『竜の咆哮壊滅!』と、大きな見出しで書かれている。
パンを片手に読め進めれば、竜の咆哮の数々の悪行が事細かに書かれ、見るに耐えかねた太古の太陽、三面六臂及び竜の咆哮の一部のギルド員が粛清を行ったとされている。
太古の太陽のギルドマスター、クリシュナは竜の咆哮内にあった金貨、約13,000枚を被害にあったギルド及び団体に配布すると発表した。
――金貨13,000枚?
目眩がする。やはり俺は判断を誤った。
その1割でも手に入れていれば、借金はおろかギルドを新築する事だって出来たはずだ。
って言うか行動速すぎだよクリシュナさん。
昨晩の内に後始末から新聞社へのリークまで、全て行ったのだろう。
何気に三面六臂も巻き込んで。
俺は深い溜め息を吐きつつ、きっと通帳にも結構貯めてると自分に言い聞かせるのだった。