51話 壊滅
「いいかクトゥ、俺が許可を出すまで、ただ切れるだけの剣でいろ。特殊な力は何も要らない」
ニケルが小さく呟くと、魔剣は青白く光る事でそれに応えた。
部屋の空気がより一層張り詰められていく。
しかしダルクェムを斬られ、剣先を向けられたバウスは動揺をおくびにも出さない。
竜の咆哮のエース、クレア=ゴードン。
この街最強の傭兵こそ彼の自信の源であり、切札である。サブマスターを斬られようとも、負けるなどとは微塵も思っていなかった。
それに彼の手元には他にもカードが残っていた。
「――ダルクェムを斬ったぐらいで、勝ったつもりか?」
バウスが視線を投げかけた先で、イーストリアの首元に剣が押し当てられる。
「おい、クリシュナ。お前に見せ場をくれてやる。そいつを斬れ」
いきなりの指名に目を見開く金髪の男。
額からは冷汗が吹き出し、半開きの口からは掠れた声が漏れ出す。
「……私ですか?」
「お前もA級ギルドのマスターなら、つけ上がったルーキーの始末ぐらい俺の目の前でしてみせろ」
クリシュナは唖然とする。
仮にもA級ギルドを率いている身だ。ダルクェムと戦っても勝つ自信が彼にはあった。
だが先程の光景をどう思い返しても、目の前の青年に勝てるなどとは思えない。
青年の腕が動いたかと思うと、いつの間にか現れた剣がダルクェムの首を飛ばしていた。
その淀みない流れを見て、クリシュナは理解したのだ。
自分では相手にならない。つまりこれは死刑宣告に等しい。
真っ先に部屋を出たヴリトラトが正しかったのだと。
「わ、分かりました」
クリシュナは腰を上げると、後ろに控えるサブマスターの耳元で二言程声をかけ、剣を受け取った。
ニケルは剣先をバウスに向けたまま、視線をクリシュナに向ける。
――そして次の瞬間。
突如ニケルに背を向けたクリシュナは、イーストリアを押さえつけていた傭兵に斬りかかっていた。
クリシュナの袈裟斬りで一人、サブマスターの一文字を描く斬撃でもう一人を。
思い掛けない行動とはいえ、相手はA級ギルド員。
斬られはしたものの、身をよじってなんとか深手を避けていた。
だが、イーストリアはその隙を逃さない。
拘束が解かれると、ニケルの横に辿り着いていた。
キンっと渇いた金属音。イーストリアの首輪が斬られ、続いて後ろ手で縛っていたロープも床に落ちる。
「手前ぇ、どういうつもりだ! クリシュナ! 俺に逆らうつもりか!」
激昂したバウスが目の前のテーブルを蹴り上げると、それを合図に竜の咆哮の面々が武器を一斉に構える。ただ一人、クレアを除いて。
「ふーっ、バウスさん。強者に付くのも傭兵の常でしょう? 大体、先程の光景を見て戦いを挑もうって思えることが信じられません。そう思いませんかクレア嬢?」
クリシュナの言葉にバウスが横に振り向くと、クレアは震えていた。
初めて見るその姿に、バウスの背中に冷たい汗が流れる。
クレアは床の一点を見つめて頭を抱え、「私の方が強い、私の方が強い」と繰り返し呟くだけだ。
クリシュナはこのクレアの姿を見て覚悟を決めたのだ。
「……で、どうするんだ?」
「粋がるなよ小僧が!」
バウスは目の前の青年を睨みつける。
予定外の展開だが、室内にはメイティアを始めとするギルド員が十人以上いる。
最高戦力が使えなくなったとしても、有利な状況は変わらない。そう踏んだバウスは、「やれっ!」と声を張り上げた。
「私は中立の立場なので、身に降りかかる火の粉しか相手にしませんからね」
クリシュナは戯けた様に言うと、壁に背を向け剣と盾を構える。
「好きにしてくれ。イース、悪いが手出し無用だ」
「ちっ。アタイに命令するなよ」
そう言いつつもイーストリアは一歩後ろに下がった。
ニケルの顔がイーストリアに向けられると、一人の傭兵がニケルに飛び掛かり、追撃に構える二人組が胸の高さに上げた剣を突き出した。
刹那、飛び掛かかった傭兵は剣ごと腕を切り落とされ、ニケルに向けられた追撃は軌道を逸らされて、腕を失った傭兵の肉体へと突き刺さっていた。
メイティアは焦燥感に駆られていた。相手の実力が分からないからだ。
実力差がそれほど有るとは思えないのに、連携をとる間もなく一方的に仲間の数だけが減って行く。
かといって自分が得意とする広範囲魔法をギルド内で使う訳にもいかない。
メイティアは流れを変える為、普段使うことの少なくなった束縛魔法を唱え出した。
「地獄の業火に焼かれし蛇よ、その朽ちることの無い身で束縛せよ、火蛇縛」
魔法媒体である短剣を突き出すが、何も起こらない。
まるで手先から魔力が霧散したかの様に掻き消えてしまっていた。
「なっ!? なぜ?」
メイティアの疑問に答えたのは、ここに居ることがさも当然の様に、背中を壁に預けている一人の白髪の青年。
「ねぇ、この部屋全体に魔力無効がかかってるって気付かない? もうちょっと精密に魔力を練らないと、発現しないよ」
「なっ!? へ、部屋全体に魔力無効なんて聞いた事――」
魔力無効の魔法を使える魔術師はそういない。
しかも特定の個人では無く部屋一面に及ぼすとなれば、メイティアの理解の範疇を超えていた。目の前の現実が頭の片隅から記憶を掘り起こす。
―白髪?
――絶氷の白髪鬼?
頭に思い浮かんだのは、魔術の申し子と悪評高い男。
魔術士ギルドの最高峰の魔術師であり、気に入らぬ者は容赦無く叩き潰す、悪魔と恐れられる存在。
目の前の男は詠唱も無く、指先から恐ろしい速度で氷弾を撃ち竜の咆哮の猛者の眉間を撃ち抜いていた。魔力無効と言われたこの部屋でだ。
そして悪魔の指先がメイティアに向けられると、恥も外聞も無く這い蹲り命乞いを始めた。震えで歯がガチガチと鳴り、股からは暖かい液体が垂れ流される。
今までどんな依頼をこなしてきても、こんな恐怖を味わった事は無い。メイティアはまるで心臓を手掴みで握られている錯覚に陥っていた。
「ひっ、な、何でもいたします。ど、どうか、い、命だけは」
「ふーん。命ねぇ。君、恐怖耐性なさすぎだね。僕、怒ってるんだよね。分かる? だから――無理」
「ひいっ!」
氷弾が耳を掠めて撃ち込まれると、メイティアは床に崩れ落ちた。その身に恐怖感染の魔法を受けていた事にも気付かないままに。
既に竜の咆哮で無傷の者はバウスとクレアのみであった。
「で、どうするのニケル君? 苦しませながら殺すなら僕にいい方法があるよ?」
「……俺がケジメをつける」
ニケルが一歩前に踏み込むと、狼狽えたバウスはクレアに平手打ちを浴びせる。
「て、手前ぇ、何の為に俺が養女にしてやったと思ってるんだ! ぐ、愚図が! は、早くアイツらを始末しろ!」
「……パパ? 何で? 何で何で何で何で何で!! うぁぁ……いいぁぁああぁ――!」
クレアは自身の黒い髪を引き千切り、悲鳴にも似た叫びをあげると、腰のナイフを手に取りニケルへと襲いかかる。
とてもこの街最強の傭兵とは思えない、不様な動き。ナイフを突き出そうと僅かに手を引いた瞬間、甲高い金属音が鳴り響いた。
「な、なんで……?」
ナイフは跳ね飛ばされ、ニケルの持つ魔剣の柄がクレアの腹部にめり込んでいた。
クレアが倒れる様を見て、バウスは顔を青くして喚き散らす。
「て、手前ぇ等、わ、分かってんのか! う、うちは筆頭ギルド竜の咆哮なんだぞ!」
ニケルはバウスの言葉に耳を貸さず、傍まで歩み寄ると「クトゥ」と呟く。そして腰の引けたバウスの手の平を掴み取り、青白く光るクトゥで床ごと突き刺した。
「ぐぎゃぁあぁぁぁ」
床に縫い付けられた傷口からは、命を糧に燃えるような小さな青い炎がくすぶり始める。
「いいか? このギルドは今日で終わりだ。カル、契約書は作れるか?」
「大丈夫だよ。内容はどうするの?」
「竜の咆哮の解散と、ギルド通帳を蜥蜴の尻尾に譲渡。理由はうちのギルド破損への賠償金だな」
「ふーん。後は適当に付け加えておくね」
バウスが半狂乱で泣き喚く中、カルはその場にあった羊皮紙に契約書を認めていく。
「はい、これ」
ニケルは紙を受け取ると、バウスの髪を掴み上げ睨みをきかす。
「サインを書くなら楽にしてやる」
魔剣から解放されたバウスは、涙と鼻水でクチャクチャの顔で契約書にサインしていく。
そして書き上げたと同時に、体を赤く染めて白目を剥いた。
「……パパ。楽にしてあげたよ」
バウスの首にはナイフが突き立てられていた。
背後にいたのはクレアだった。
クレアは虚ろな笑いを浮かべると、そのまま意識を失い倒れる。
ニケルは歪んだ繋がりの果ての出来事だと、反応を示さなかった。
「カル、まだ息がある奴の治療を頼む」
「ええっ!? 今日はかなり無理してるんだからね! 貸しだよ貸し!」
ニケルは血の付いた契約書を大事に懐にしまい込むと、イースとクリシュナに向き合う。
「イース……色々迷惑かけたな。すまなかった」
「ふんっ。ウィブは無事なんだろうな?」
「あぁ」
「そっか……ニケル、これどうするんだ?」
部屋は血の匂いで充満している。
カルが治療しているとはいえ、息のある竜の咆哮の人間は、クレア、メイティアを含めて僅か四人。
「なぁ、クリシュナさん……でいいんだよね? 頼みがあるんだ」
ひとしきり要件を言ったニケルは、カル、イーストリアと共に去って行った。
クリシュナはニケルの言葉に呆然としていた。
事件を起こしたのは竜の咆哮の横暴を止めるべく立ち上がった太古の太陽である事。
行き場の無い生き残りは、太古の太陽が責任持って受け入れる事。
竜の咆哮ギルド内にある金は全て太古の太陽に渡すが、その大部分を不当な扱いを受けていたギルドに還元する事。
つまりニケル達は、後始末の全てを押し付けて出て行ってしまった。
確かに幾ばくかの金と優秀な人材確保にはなるが、クレアやメイティアなどは爆弾同然。現在ギルドにいない者達への説明も必要だ。
金にしても、配布する手間を考えるだけでも頭が痛くなる事案である。
クリシュナは、あの惨劇を見せられ、引き受けざるを得ない自分の不幸を噛みしめるのであった。




