50話 五体投地
グランツは怒りを吐き出す場所を見出だせずにいた。
このまま竜の咆哮に殴り込みたい衝動に駆られるが、傷が癒えたとはいえティルテュやパトリシア、そして弟子であるウィブをこのまま置いていける男では無かった。
「僕もう疲れたから、ゆっくり休める所に行くね」
カルは回復薬をひと飲みすると、外へ出ていってしまう。
まるで後はよろしくと言わんばかりの行動は、更にグランツの神経を逆撫でしていた。
例え三人の命を救った恩人だとしても、ギルド内の至る所が壊れ休める状態ではないとしても、仲間と一緒にいるべきだと叫びたかった。
ギルドの絆は崩れ去った。グランツはそう感じ取っていた。
「……師匠。ギルドを抜けるんですか?」
重い空気の中、苛立つグランツに少し怯えながらもウィブが口を開く。
グランツは怒鳴り散らしそうになる感情をグッと押し込め、深く息を吐き出した。
「あぁ、辞める。俺はこのギルドを気に入っていた。ここで骨を埋めようと思える程にな。だがそう感じたのは上辺だけだったな。……ニケルもカルも……くそっ!」
荒れるグランツをティルテュは真正面から見据える。
「それでギルドを抜けてどうする気? 一人で竜の咆哮に復讐でもするつもりなの?」
「あぁ、奴らを一人でも多く地獄に落としてやる」
「……師匠」
「馬鹿じゃないの? 少し冷静になったらどうなの?」
痛々しいグランツの表情にウィブが俯くと、ティルテュの叱責が飛ぶ。
その強い口調に一瞬怯むグランツ。
「それって貴方の自己満足でしょ? 残されたウィブやパティが喜ぶとでも思ってるの? アタシだって今直ぐにだって遣り返したいわよ。ウィブやパティを傷つけた奴等を八つ裂きにしてやりたいわよ。アタシの大事な仲間を……パティを……ウィブを……」
ティルテュはパティをそっと抱き締める。体にまわされたティルテュの腕に、パティはそっと手を重ねた。
「ティルテュ殿……。ありがとうっす」
「それでも俺は――だからこそ俺は許せんのだ。竜の咆哮を、ニケルを、……自分を」
「グランツならニケルの事、もうちょっと分かってると思っていたのにね」
「分かる……だと?」
グランツは眉をひそめて怪訝な表情を露にした。
「ニケルはアタシの拳を避けた事がないわ。不思議に思った事は無いの? さっきだってそう。グランツに殴られた時、少しでも避けようとしてた?」
言われて先程の事を思い返す。
怒りを受け止める様に、身動ぎ一つせずに拳を受けたニケル。
グランツの頭は混乱し始める。
「ウィブ、パティ、恐怖で体が震える? それでも事の顛末を受け入れる気があるならついて来なさい。残念だけど身の安全は保証してあげれないけどね」
ウィブは震える身体に力を入れ、壊れた机に腕をかけゆっくりと立ち上がる。
「……行きます」
「自分も行くっすよ」
「分かったわ。グランツ、貴方の希望通り竜の咆哮に行くわよ。ただし、二人の安全が最優先。いい? 」
「……分かった」
そして身支度を整えると、竜の咆哮へと向かうのであった。
――――――――――
A級ギルド 竜の咆哮
その執務室にベルティ街のA級ギルドマスターが一堂に会していた。
竜の咆哮のギルドマスター、バウス=ゴードン。
三面六臂のギルドマスター、ヴリトラト=アズール。
太古の太陽のギルドマスター、クリシュナ=ザイクム。
そして付き従う猛者達。
ベルティ街における傭兵最高戦力が揃っていると言っても過言ではない顔触れ。
初老に届きそうな隻眼の男バウスは、ほくそ笑みながら床を眺めていた。
厳密には床ではない。男二人に押さえつけられたイースを、愉快そうに見下ろしていた。
「どうだ? その緊箍児は? 中々の出来だろう?」
その視線の先、イースの首もとには金属の首輪が付けられている。
とりわけ強度の高い代物だが特殊な物ではない。
獣人以外ならば、の話だが。
獣人のお家芸とも言える獣化とは、単純に筋力の増加である。獣化をすれば否応なしに首回りも肥大してしまう。その金属は筋肉が膨れ上がる際に、頸動脈を締め付け自滅へと導く代物。
単純な首輪一つでイースの獣化は封じられてしまっていた。
「手前ぇら、許さねぇからな!」
「ねぇ、パパ。あのキャンキャン吠える犬っコロの首を跳ねちゃダメなの?」
バウスに寄りかかる、まだ年端もいかない少女。
黒い髪を掻き上げ、つまらなそうに腰のナイフへと手を伸ばした。
「まぁ、まてクレア。殺してしまえばそこまでだ。こんな犬でも使い道はあるんだよ」
「はぁーい」
一際優しい顔で少女を宥めるバウス。
ヴリトラトもクリシュナもこんな悪趣味なモノを見たい訳ではない。
だが、呼ばれれば出向かざるを得ない程に、竜の咆哮は絶大な力を誇っていた。
「さて、話を戻すぞ。ヴリトラト、クリシュナ、白金の狼のA級昇格に俺は反対する。首輪のついた犬にA級は務まらんだろ。お前らも異論は無いな?」
「……異論は御座らん」
「構いません」
イースの殺意に満ちた顔もモノともせず、バウスは大きく笑い出す。
「かっはっはっ。話にあった蜥蜴の尻尾だが、希望通りお前のギルドを後見ギルドと認めてやる。哀れな畜生への餞別だ」
「話が終わりならさっさとこれを外しやがれ!」
イースは激しく暴れるが、二人の男が乱暴に床に抑え込む。
「そうそう、ダルクェム。お前今日挨拶に行ったんだろ? 蜥蜴の尻尾ってのはいいギルドだったか?」
「はい。とても素晴らしいギルドでしたよ。ですが残念ながら人数が半減したのでE級ギルドに逆戻りかも知れませんけどね」
イーストリアは耳を疑った。
人数が半減?
ダルクェムの残虐性はこの街では有名だ。
その言葉が意味する事を理解した時、イーストリアは自分の血液が沸騰しそうな感覚に陥った。
「ダルクェム、手前ぇ何しやがった!」
「ふっふっ、ちょっと傭兵界のルールを教えてあげただけですよ。女二人と優男は……覚える前に死んじゃいましたけどね」
「手前ぇ――!!」
イースは力の限り暴れるが、抑えを解く事は叶わない。
獣化を封じられ頭を打ち付けられて尚、悲痛な叫びは止む事は無かった。
嘲笑いながら眺めるバウスやクレアを尻目に、ヴリトラトとクリシュナは腰を上げる。
もはやこの場にいる事は苦痛でしかなかった。
「拙者はそろそろ」
ヴリトラトがそう言いかけた時にノック音が聞こえ、一人の傭兵が中の様子を一瞥した後にバウスの元へと進む。
「マスター、蜥蜴の尻尾のギルドマスターが来ましたよ。丸腰で来たようです。ボディチェックは済ませましたが、如何します?」
「丸腰だと? ふん、命乞いか……。ここに連れて来い」
バウスは顎に手をやり整った髭を弄ぶ。
追い込んだギルドが取る道は二通りしかない。
復讐に出るか、命乞いをするか。
バウスとしては復讐の方を望んでいた。
その為にイーストリアに後見の立場を譲ったのだ。
何より力及ばず復讐すら叶わない絶望の表情を見るのが好きなのだ。
――つまらん。
それはバウスだけでなく、ダルクェムも抱いた思いだ。
部屋を出るタイミングを逸したヴリトラトとクリシュナは、一先ず腰を椅子に深く掛けなおす。
喚き散らすイーストリアの口に猿轡がかまされると、間をおかずに一人の青年が部屋に入って来た。
「う――、うっ――」
イーストリアが必死に声を出そうとするが、呻き声にしかならない。
青年はイーストリアをちらと見てから、床に両膝を突き、両手を置いて頭を下げる。
「今回は過去の事を知らずとは言え、此方のギルドを蔑ろにして申し訳ありませんでした」
青年の行動にイーストリアは目を見開き、怒りと悔しさのあまり涙を垂れ流し始める。
「お前が蜥蜴の尻尾のギルドマスターか。お前の所の先代、シュロムには色々世話してやったんだ。その時のツケ、金貨300枚が未だに支払われちゃいないが、俺にだって慈悲はある。毎月金貨10枚を持って来い。それで手打ちだ。後見は白金の狼にくれてやる」
バウスは興醒めだと言わんばかりに、そう吐き捨てた。
「パパ、コイツは首切っちゃってもいいの?」
「クレア、また今度活きがいいのを用意してあげるから我慢しなさい。おい、契約書を用意しろ。あー、そういやお前なんて名前だ?」
五体投地の格好のまま青年は静かに答える。
「ニケル=ヴェスタです」
その言葉に反応したのはヴリトラトだった。
「……ニケル……ヴェスタ?」
その名前が記憶と合致すると、突然立ち上がり「す、済まぬが、拙者これにて失礼する」と断りを入れて、慌てて部下を連れて部屋を出て行ってしまう。
クリシュナはそれに続こうとしたのだが、バウスの舌打ちに立ち上がる事は出来なかった。
一人の傭兵が契約書を用意すると、青年は床の上でサインを書き入れる。
それを手渡されたバウスは確認して、懐に仕舞いこんだ。
「これで終いにしてやる。いいか、毎月1の日に金貨10枚だ。遅れたらどうなるかは分かってるだろうな? 分かったらさっさと消えろ」
威嚇するかの様に投げ込まれたナイフは、手をつく青年の指と指の間に突き刺さる。
大人の中指程の刃のついたナイフ。
それを一目見て、青年はゆっくりと立ち上がる。
「……ありがとうございました」
お辞儀をして顔を上げた青年に、ダルクェムは違和感を感じた。いや、青年が入って来てから感じていたものを理解した。
この男は微塵も恐怖を感じていない。
用が済んだはずなのに、立ち去ろうとしない青年。
それどころか青年はバウスを見据え、ゆっくりと口を開く。
「手打ちが終わったんだ。次はこっちの話だな。うちのギルドで暴れてくれたらしいな? こっちの筋を一応受け取ってくれた礼だ、金貨2,000枚で勘弁してやる。もっともうちのギルド員に手を出した奴は好きにさせて貰うがな」
突然変わる青年の態度に、ダルクェムを除く誰もが耳を疑った。
立場を弁えない挑発する態度に、バウスの身体は前のめりになる。
「あ? なんだお前? 自分で何言ってるのか分かってるのか?」
「いや、理解して無いのはアンタだろ? 俺の仲間を傷つけといて、後は知りませんなんて通用しないだろ?」
生かす価値もない男だ。つまらん時間を使ったと、バウスは剣の柄に手を掛けているダルクェムに目配せする。
――それは一瞬。
瞬きよりも早くダルクェムの剣は青年の首へと一筋の線を描いていた。
部屋に飛び散る血飛沫。
音も無く跳ね飛ばされた首が静かに転がる。
誰も状況を把握出来ていなかった。
頭の無い身体は青年が軽く押すと、抵抗なく後ろに倒れる。
「で、どうするんだ? 全滅がお望みか?」
そしてニケルは剣先をバウスに向けるのだった。