49話 吸い込まれる拳
生きているのか?
そう思える惨状だった。
ティルテュの背中は赤く染まり、裂傷が幾つも刻まれている。その隙間から見えるウィブの手足は不自然な方向を向いていた。
1番酷いのはパティ。
誰か分からないほどに切り刻まれた姿。
その光景を前に、俺の体は動く事を一切拒否していた。
「ちょっとニケル君、これどうなってるの? ――ティルちゃん!?」
傷ついたティルテュを見て、駆け寄り手をかざすカル。
「ニケル君、回復薬を持って来て! 魔力が足りないよ! ――ニケル君!」
「あ、あぁ」
動けずにいた俺はカルの呼び掛けで正気に戻り、懐から回復薬を取り出す。
カルは受け取るとすぐに飲み干して、再度手を広げた。
三人の傷がゆっくりと癒えているのだが、いつものカルの魔法ではない。
いつかのグランツに義手や義足を着けた時と同じ様な精密な魔法。
膨大な魔力を消費してるのだろう。カルは次々に回復薬を要求してくる。
背後から「退いてくれ!」と叫びに似た声が聞こえた。
グランツだ。
息を切らしてこちらに駆け寄り、見たこともない苦悶の面持ちでその場に両膝をついた。
俺やグランツには何も出来ない……。
カルに任せる他無かった。
――遡ること40分前
入り口を蹴破り、ギルドになだれ込む幾人もの傭兵。
ティルテュは冷静にパティとウィブの前に出て、乱入者に一瞥をくれる。
「お邪魔しますよ」
「……あなた達、竜の咆哮の人間ね? 残念だけどニケルはいないわ。お引き取り願えるかしら」
「それは残念ですね。……実は今しがた白金の狼から私共のギルドに使いが来ましてね、蜥蜴の尻尾には手を出すなと言うんですよ。我がマスターはとてもご立腹でして、傭兵界のルールを教えてこいと言われて来たのですよ」
ダルクェムが指を鳴らすと、机を蹴飛ばし、椅子に斬りかかる傭兵達。
「何するっすか! 止めるっすよ!」
パトリシアが止めようと両手を広げると、音もなく近づき、小さな身体を蹴りあげるダルクェム。
「パトリシアさん!」
「おっと、お前さんは寝てな」
鳩尾に拳を入れられたウィブもその場に蹲る。
「あんたら! 許さないわよ!」
ティルテュは怒りを露にするが、相手はA級ギルド員。ティルテュでも二人を相手取るのが精一杯だった。
「やめるっすよ!」
パトリシアの叫びに耳を貸す者はいない。
いや、一人だけパトリシアに注目していた者がいる。新しいオモチャを見つけたダルクェムは、実に愉快そうな笑みを浮かべていた。
「面白いですね。結構な強さで蹴ったのですが、傷一つついていない。これだとどうですか?」
目にも止まらぬ一閃が襲いかかり、派手に吹き飛ばされるパトリシア。
だが傷ついた様子のないその姿に、ダルクェムの笑いは狂気を含み始める。
「いいですよ。貴方最高です」
倒れるパトリシアに何度も斬りかかるダルクェム。
服は裂けるが傷つかない体。
だが次第にその体にはミミズ貼れのような痕が浮かび始め、血が滲み出す。
痛みに顔を歪めるパトリシア。一度は集まった拳の光は、ゆっくりと衰えていく。
「くぅぅぅっ――! いい、その表情です! それが見たかったんですよぉ!」
「パティ!」
ティルテュがパトリシアを助けに向かおうとするが、回りの傭兵がそれを許さない。
隙が出来たと言わんばかりに、ティルテュにめり込む拳。
「ダルクェム君。お楽しみ中に悪いんだけど、野次馬が集まってきているのよ。そのくらいにしておきなさい」
もう1人のサブマスター、メイティアが話しかけてもダルクェムの耳には届かない。
パトリシアの全身が隈なく切り裂かれ、その呻き声が聞こえなくなって、ようやくナイフは降ろされた。
「はぁはぁ、メイティアさん、これ持って帰ってもいいですよねぇ?」
「……それ死んでるんじゃないの?」
「いいんですよ、死体を犯すのも興奮するんですよ」
「キミの趣味は理解出来ないわ。好きにしなさい」
ダルクェムがパトリシアの手を無造作に掴みあげ引き摺りだすと、よろよろと倒れ込むようにウィブがその腰を押さえる。
「は、離せ、パ、パトリシアさんを……離せ」
「……ゴミって喋るのですね」
ダルクェムは面倒そうにウィブの頭へとナイフの柄を叩きつける。そして倒れ込み無防備な手足の間接を踏み潰していった。
「ま、待ちなさいよ!」
ティルテュも立っているのがやっとの状態だった。
最後の力を振り絞るようにダルクェムへと突進する。
ダルクェムはナイフを構えるが、ティルテュの狙いは違う。
強引にパトリシアに抱きつき、二人を庇うようにウィブの上に覆い被さる。
「ちょっと邪魔ですよ」
ダルクェムの腕が微かに動くと、ティルテュの背中から鮮血が飛び散る。
数度切りつけると、メイティアが苛立ちの声を上げる。
「時間切れよ。さっ、もう帰りましょ。それとも三人共持って帰るつもりなの? 私は手伝わないわよ」
「……もういいですよ。興醒めしましたし。お前達、欲しかったら持って帰ってもいいですよ」
ダルクェムの言葉に回りの傭兵は苦笑いを浮かべる。
「そんな趣味はちょっと。せっかくの美人もこんな姿じゃ楽しめませんよ」
「違いない、あの少年も楽しめそうな顔してたのにねぇ」
下品な会話をしながらドアを蹴飛ばし出ていく傭兵達。
ダルクェムはつまらぬ顔をして立ち止まる。
「あぁ、マスターからの伝言を忘れてましたね。貴方の所のギルドマスターが裸で土下座して忠誠を誓うなら許す、と申してました。ちゃんと伝えましたからね」
誰も反応を示さない中、笑いを浮かべたダルクェムは去って行った。
――――――――――
かろうじて間に合ったと言うべきだろうか。カルの回復魔法により三人の命は助かった。
だが爪痕も大きい。
ウィブもパティも傷が癒えたとはいえ、死を間近に感じたのだ。精神的な傷は魔法でも癒すことは出来ない。
「ニケル君、まだ回復薬ある? さすがにちょっと疲れたよ」
カルはボロボロのベンチで横になると、頭を押さえる。
普段使わない回復薬を飲んでまでの強行。かなりの無理をしたのだろう。
「……竜の咆哮か?」
グランツの怒りに震えた声にティルテュが小さく頷く。
「くそっ!」
グランツが拳を振り上げるが、下ろす場所など無い。
震えるパティにそっと外套をかけると、か細い声で話しかけてきた。
「……じ、自分、マ、マスターに言われた通り、人にはパ、パトリシアパンチ使わなかったっすよ」
無理してはにかむ姿に言葉が詰まる。俺はパティを優しく抱き締める事しか出来なかった。
ティルテュに「すまなかった」とだけ言うと立ち上がる。
「ニケル、一緒に行くぞ」
「いや、いい。詫びを入れに行くのは俺一人で十分だろ?」
「詫び……だと?」
「竜の咆哮に一連の事を詫びてくる。イースには悪いが――」
グランツの拳がゆっくりと俺の頬に吸い込まれる。
派手に吹き飛ばされたが、不思議と痛みは感じない。
「どういうつもりだ? 詫びだと? 仲間がここまでやられて詫びだと?」
「……あぁ、だからこそだろ? 張り合って何になる? これ以上犠牲を増やさないのが先決じゃないのか? 俺は竜の咆哮に行く。皆は休んでいてくれ」
グランツは倒れかけの机を力の限り殴り付けると、俺を睨み付ける。
「本気で言ってるのか?」
「……あぁ」
「お前がそんな男だったとはな。――分かった、詫びに行くなり好きにしろ。だが俺は今日限りでギルドを脱退させてもらう。俺は俺なりにけじめをつける」
俺は何も言わずグランツの怒りの叫びを背に聞きながら、ギルドを後にした。