5話 悲劇は組合で
「一体どうなってんだぁー!」
俺の悲痛な叫びがこだまするのは、傭兵組合の事務所。
とにかく俺は怒りに満ちている。
この理不尽な話を聞いてくれ。
そう、悲劇は1時間前に始まった……。
――――――――――
「マスター、自分も一緒に行きたいっす」
アツル村から戻り一晩ギルドで休んだ俺は、報酬を貰う為に組合に出かけようとしていた。
解散手続きの事もある。1人でこっそり行こうとしたのだが、パトリシアに捕まったのだ。
「遊びじゃないんだ。パトリシアは留守番だ」
「行きたいっす、行きたいっす、行きたいっす!」
玩具をねだる子供のように、地団駄を踏むパトリシア。
だんだん踏む力が増しているのだろう、「メキッ」「バキッ」とギルドの床板が悲鳴を上げて俺を責め始める。
「お、落ち着けパトリシア」
「行きたいっす、行きたいっす、行きたいっす!」
とうとうパトリシアの足が光を帯びてくる。
あれだ。オークに風穴を開けた、あの光だ。
ま、まずい!
ギルドの床板ならまだいいが、下手したら俺の腹に風穴が空いてしまう。
「わ、分かった! 分かったから、落ち着け!」
「本当っすか。さすがマスターっす。大好きっす!」
癇癪から一転、嬉しそうに抱きついてくるパトリシア。こいつ、だんだんわがままになってないか?
くれぐれも俺に風穴開けたり、むやみに精気を吸わないでくれよ?
結局パトリシアの脅しに屈して、組合に連れて行く事になってしまった。
ギルドから歩く事30分。傭兵組合に到着する。
浮かれ切っているパトリシアは、ここに辿り着くまでの間も飛び跳ねたり走り回ったりと落ち着きがなかった。
馴染み深い、威圧感が漂う3階まである建物。
実は俺、組合にはギルド以上に通っている。
ちょっとしたツテがあるので、金が尽きた時はここで仕事を貰っているからだ。
扉を開けて中に入ると、屈強な傭兵の姿がチラホラと見える。
感嘆の声を上げているパトリシアを尻目に、正面奥に佇む依頼窓口にさっさと向かった。
「よう、ニケル。仕事が欲しいのか?」
窓口に座っているのはウエッツ。こいつが俺のツテであり、顔馴染みだ。
ウエッツはまだ30代後半ぐらいの年齢だが、スキンヘッドとその巨体故に、泣く子も黙らせる異様な貫禄がある。
今この組合にいる人間の中で1番強いんじゃないだろうか?
「今日は報酬を貰いに来た」
「報酬? なんか依頼渡してたか?」
俺は依頼書とオークの耳の入った包みを受付の机に並べる。
「ギルドの依頼だ。この依頼、ハイオークも居やがった。報酬の上乗せも頼む」
「蜥蜴の尻尾か……」
ウエッツはニヤリと笑うとオークの耳の鑑定を始める。
外見に似合わず、1つ1つ丁寧に包みを広げていく。
「あの嬢ちゃんはギルド員か?」
ウエッツが鑑定をしながらパトリシアの方に顎をクイっと向けると、釣られた俺も視線を向かわす。
見た目も行動も子供のように「凄いっす!」と、興奮冷めやらぬ姿は恥ずかしい限りだ。
「あぁ、残念ながらな。だけど、見てくれに反して最終破壊兵器みたいな奴だよ」
「ほぉ」
一瞬ウエッツの動きが止まったが、すぐに鑑定に戻っていた。
「……確かにハイオークだな。じゃあ報酬は……金貨1枚に銀貨83枚ってとこだ。どうする? 全部現金で持っていくか? それともギルドの通帳に入れるか?」
「現金で貰うさ。パトリシアと折半するから、出来れば全部銀貨で用意してくれ」
組合にはギルド毎に通帳が存在する。
言ってみればギルド専用の銀行みたいなものがあるのだが、今日解散するんだ。通帳に入れても意味がない。
そう言えば、通帳にはいくら入ってるんだろう?
抜け目のないシュロムの事だ。ほぼ0に近いだろう。
期待はするだけ無駄だな。
ドンっと、机の上に銀貨の入った革袋が置かれる。
「じゃあ、これにサインな」
受け取りのサインだ。
やけにニヤケてるウエッツが気になるが、サインしなきゃ報酬は貰えない。
書類にサインしてウエッツに渡す。
「確かに受け取ったぜ。これでお前も晴れてギルドマスターだな」
「――はぁ?」
何を言ってるんだ?
まるで今、俺がギルドマスターになったみたいじゃないか。
「ギルドマスターってのは、変更手続きの後、依頼を1つこなしてから正式に認定されるんだ。お前の事だ、知らなかっただろ?」
「なっ、じゃあ依頼を受けなかったら?」
「まだ、ギルドマスターではなかったな」
素早く受け取りの書類を奪おうとするが、ウエッツは華麗にかわして後ろの人間に渡してしまう。
「それ最速で上に回してくれ」
あぁ、大事な書類が遠ざかる……
恨みの目をウエッツに向けるが、俺は間違っていないと言わんばかりの顔つきだ。
「ウエッツ、嵌めたな?」
「何の事だ? どうせここに来たのもギルドの解散を考えてるんだろ? さっさと2階に行ってこい」
畜生。なんて楽しそうな顔をしてやがる。
ああ、そうさ解散するんだ。
今ギルドマスターになろうと関係ない。今すぐ解散だ!
「マスター、解散って何の事っすか?」
突然、背後からパトリシアの声が聞こえる。
しまった。
「あっ、いや、なんだろうな? ウエッツ、俺は2階に行くからな。こいつを任せた」
今は逃げるが勝ちだ。脱兎のごとく2階へと階段を駆け上がる。
ふぅ、危なかった。
しかしあれだな。ここの2階に来るのは随分と久しぶりだ。
この街での傭兵登録以来か。
組合の1階は依頼関係の受付。2階はギルドや傭兵登録などの事務関係の受付だ。
少し緊張しながら事務所の扉を開けると、1階の汗臭さとは別世界の落ち着いた香りが鼻をくすぐる。事務所らしい実に厳かな空間だ。
小綺麗な事務所の中には五人の事務員と二人のギルドマスターらしき男が手続きをしていた。
「ですからギルドとの示談が必要なんです」
「でも説明したじゃないですか。僕はもうあのギルドに戻って話すことなんて出来ません」
「残酷なようですが規則なので」
もう一人、ヤケに若い少女……いや、少年が込み入った話をしているようだ。
傭兵なんてしていれば、しがらみも付き纏うのだろう。
俺もさっさと解散手続きをしようと、受付を見渡して空いてる椅子に座る。対面するのは若い眼鏡をかけた女だ。
「ギルドの解散手続きをしたいんだが」
「ではあなたの名前とギルド名をこちらに書いて下さい」
眉一つ動かさずに書類を出す受付嬢。
外見は抜群なのに無愛想な姉ちゃんである。
女は愛嬌が大事だと思うよ?
差し出された紙に、『ニケル=ヴェスタ』と『蜥蜴の尻尾』の名を書き込む。
受付嬢は書き込まれた書類をチラ見すると、後ろの棚からファイルを取り出してきた。
「ギルド解散でしたね? 現在、蜥蜴の尻尾には、金貨957枚と銀貨31枚の借金があります。解散の場合その全てがギルドマスターである、ニケル=ヴェスタに移行されますがよろしいですか?」
「――はぁ?」
借金?
俺の聞き間違いじゃなければ確かにそう言った。
金貨957枚って、一つの家族が一生楽に遊んで暮らせる金額だぞ?
「ちょ、ちょっと待ってくれ。借金? それって俺が払うのか?」
「はい。ギルドマスターの責任になります」
「借金を作ったのは前マスターのシュロムだろっ?」
「本日付けでギルドマスターはニケル=ヴェスタに変更されています。それに伴い借金も移行しています」
突然の目の前が真っ暗になる。
冗談だろ?
「一体どうなってんだぁ!」
――――――――――
どうだいこの悲劇?
俺の怒りと悲しみを分かってくれるかい?
こうして俺は借金地獄に足を踏み入れた。
この世界のお金について
鉄貨 3円ぐらい
銅貨 30円ぐらい
銀貨 3,000円ぐらい
金貨 30万円ぐらい
です。