閑話 カルの追憶~後編~
生死の狭間をさまようズエールに手をかざして回復魔法をかけると、出血が収まり傷口が癒えていく。
回復魔法は余り得意じゃないから、2度、3度と連発しておいた。
イシュタリスがいてくれればこんな怪我は直ぐに治るのに。
しばらくすると、ズエールの呼吸が落ち着いてきた。
完治には程遠いけど、とりあえずもう大丈夫だろう。
横で見ていたアイツも「良かったぁ」と安堵の声を漏らしていた。
僕は改めて新参者に視線を向ける。
よく見れば瞳孔は大きく開き、瞬き一つしていない。
その目は視界の片隅に入り込む光すら逃さ無い、獰猛な獣を連想させた。
不意に言葉が漏れる。
「君のその強さはなんなんだよ?」
「俺? 俺は別に強くは無いですよ?」
あれほどの戦いを見せつけておいて……やはりコイツは僕を馬鹿にしている。
「別に力は強くないし、速くも動けないですしねぇ。ただ、マスターには理想の動きだって褒められたかな? まぁ、そうとしか動けないんですけどね」
「――そうとしか動けない?」
「ほら、急に世界がゆっくり動くじゃないですか? 特に戦闘の時なんかは。結局、速く動けないからこう攻撃しようとか、こう避けようって必死なだけなんですって。身体の動きをちょっと間違えるだけで死んじゃいますから。うーん、なんか上手く言えないですよ」
締まりの無い顔で答える言葉に鳥肌が立つ。
……聞いた事がある。
脳内で不必要な情報を切って処理すべき情報のみを優先させる事で、時間の流れを緩やかに感じることが出来ると。
でもそれは、ほんの一握りの者の極限の集中力がなせる業だと。
気の抜けたような奴が簡単に言ってくれるが、それがどれ程の意味を持つのか。
例えば強化魔法で身体能力を上げても、人間の反応速度は然程変わらない。思考が追い付かないからだ。
だから達人と言われる人間は、技を身体に染み込ませる事で、意思なき動きを体現している。
だけど、もし本人の意思で時間の流れを緩く、いや思考を加速させることが出来るのならば……。
「本気で言ってるの?」
「おぁっ!? ちょっ、何するんですか?」
話しかけながら氷弾を撃ち出したのに、驚きながらも避けられてしまった。
これだけの至近距離。魔法障壁で防ぐならともかく、避けれる人間なんているはずも無いと思っていた。
だがコイツは、間違いなく見て反応していた。
もう疑いようがない。
僕はようやくギュネスさんの言った特別の意味を理解した。
――見ている世界が違うんだ。
ギルドに到着するとズエールは簡単な報告を済ませて治療室へ、僕はギュネスさんから詳細報告の為に呼び出されていた。
「あらかたはズエールから聞いた、ズエールの指示を無視してニケルを後方待機させたのは本当か?」
「本当です」
嘘をつこうと思えばいくらでも付く事は出来る。
僕が要請しても自分から戦闘を拒否したと言えば、責任はアイツに行く。
憎たらしい相手を貶める事が出来るチャンスなのに、僕は自らの非を認めていた。
「わざわざ依頼前に正規ギルド員がかかっていると言った俺の失策か……。だが、まぁいい。依頼は無事達成したんだ。約束通り正規ギルド員として認める。以後こんな事は無いようにしてくれよ?」
「ギュネスさん……その話は無かった事にして下さい」
本来なら喜ぶべき事なのに、今の僕には素直に受け入れる事が出来なかった。
依頼の達成はアイツのお陰だ。
そのおこぼれを貰う気にはなれなかった。
「いいのか? 正規のギルド員になりたいって日頃から言ってたのはカルだろ? ニケルの活躍があったにせよ、お前は正規のギルド員の実力を持っている。反対する奴はいないぞ?」
「僕にはまだ早いみたいです。その代わりギュネスさんにお願いが……」
一度言葉を区切って、力強く言葉を発する。
「これからの依頼、アイツと組ませてくれませんか?」
「……分かった。マスターには言っておくよ」
「ありがとうございます」
僕の言葉に苦笑いを浮かべるギュネスさん。
僕はというと、自分でも不思議なくらいに心は穏やかだった。
そのまま部屋を出ようとすると、背後から呟きが聞こえる。
「最高の剣士と最高の魔術師か。将来が楽しみだな」
微かに漏れ出す声に振り向くと、ギュネスさんは笑みを浮かべていた。
「どうだった? ギュネスさん怒ってた?」
「ふん。依頼は達成したんだ。怒ってるわけないだろ?」
僕が部屋から出ると、アイツが扉の前で待っていた。
馴れ馴れしい言葉が妙に照れ臭くて、そっぽを向いてしまう。
「良かった。ズエールさんが怪我しちゃったから怒られるかと思ってたよ」
「ふん。今からズエールに謝りに行くよ。あー、後ギュネスさんから伝言だ。次の依頼もキミと僕は一緒だそうだ」
「カルさんとか。よろしくね」
「あー、もう。キミにさん付けされると気持ち悪いんだ。僕の事はカルって呼べばいい。分かったね……ニケル君」
何故か自分で敬称をつけるなと言いながら、ニケルと呼び捨てには出来なかった。
僕は緩む口元を悟られない様に踵を返し、頭を掻きながら足早にその場を離れて行く。
後ろから「分かったよ、カル」と言われ、不思議と込み上げる笑いを堪えながら。
その後の依頼ではニケル君と僕は常に一緒に組まされる様になる。
「ニケル君。そこ邪魔」
「うぉっ。カルさぁ、ちゃんと言葉で言ってくれれば分かるからね? 一々氷弾出す必要無いよね?」
「ニケル君の老化防止を手伝ってるだけだよ?」
まぁ、いつもこんな感じ。
言い争いはしょっちゅうしていけど、遠慮の要らない相手ってものがどれだけ心を楽にするかを知った。
そして暫くするとイシュちゃんとも組む事が増えていった。
「カルさぁ、ニケルと組んでから変わったよね?」
「僕が? 変わらないよ?」
「我儘なのは前と同じだけど、人との接し方っていうのかな? 何か丸くなった。大体、私の事イシュタリスって呼んでたのに、いつの間にかイシュちゃんになってるし」
昔からイシュちゃんって呼んでたと思うんだけど、そうだったかな?
ニケル君と出会って1年。ある依頼の途中で立ち寄った村で、青髪の少女を助ける事になる。
地域紛争に巻き込まれ、焼け落ちた村。
ニケル君は行く当ての無い少女を、捨て猫を拾うみたいに迎え入れた。
ニケル君が体術を、僕が無詠唱魔法を教えると、戦う術を覚えた少女はメキメキと頭角を現す。
それから少女は天魔の見習いに認められる。
気が付けば四人で依頼に出る事が当たり前になっていった……。
「カルしゃん嬉しそうな顔でしゅね?」
ノース君の話し声で、思い出に浸っていたことを自覚する。
気づかない内に口元が緩んでいた。
「うん。ちょっと昔を思い出しててね。そろそろ訓練を再開しようか?」
「はいでしゅ」
元気に飛び起きるノース君。
僕はその姿を見ながら再び微笑んだ。