41話 従属魔法
イースは雑魚には構ってられないとばかりに木々を蹴り、魔物の間をすり抜けて行く。
トップスピードに乗ったイースに魔物も反応出来ちゃいない。
まさに狩人。
後続と思われる魔物を振り切ると、森の中に岩場が見え、明らかに怪しいぽっかりと空いた穴が姿を現わす。内部に微かな光が見えることから人工的な明かりがあるのは間違いない。
つまり中に何者かがいるという事だ。
「あの中だ。皆んなの匂いがプンプンする」
イースは穴の前で立ち止まり、ようやく俺はおんぶから解放された。
しかし洞窟とは厄介だな。
このまま中に入った場合、追い抜いて来た魔物が戻って来れば挟み撃ちに合ってしまう。
距離を考えてもあまり猶予はない。
イースも先程の走りを見る限り、狭い場所より森や広い場所を得意とする戦闘スタイルだろう。
洞窟内がどうなっているかは分からないが、魔物が戻って来るまでに囚われた獣人達を助け出すというのは難しそうだ。
「どうする? 先ずは後続を潰すか?」
「悪いがアンタはここで戻って来る魔物の相手を頼む。アタイが皆んなを助け出してくるよ」
鼻を鳴らすイースは苦虫を噛み潰したような顔をしている。
俺には分からないが、匂いから緊急の何かを感じ取ったのかもしれない。
「分かった。村を壊滅まで追い込んだ奴等だ、油断するなよ」
「誰にモノ言ってるんだ? アタイは白金の狼のイーストリアだよ」
イースは一瞬表情を緩めると、再び眼光を鋭くして洞窟へと入って行った。
洞窟内では打撃音が聞こえ始め、俺はクトゥに手を掛けて洞窟の前で身構える。
意識を洞窟ばかりには向けられない。樹木の間から追い抜いてきた魔物の姿がチラホラと見え始める。
後続の魔物の数は10匹程度。
虚ろな目を泳がせ、俺を標的と見定め突進して来た。
真っ先に駆けて来る魔犬の胴を真っ二つに切り裂くと、オーガが振り落とす両手剣を手首ごと切り落とす。
ガーゴイルの羽を斬り、コカトリスの喉を突き刺す。
クトゥの一振り一振りで、魔物の屍が累々と積み上げられていく。
「――そこまでだ」
背後の声に視線を向けると、全身を青で纏め上げた華奢な男がいた。
その横には黒衣の騎士が、獣化の解かれたイースを引きずっている。
イースの顔には痛々しい痣があり、両手はダラリとぶら下がっていた。
「中々に腕は立つようだが、この女を殺されたく無ければ剣を捨てろ」
黒衣の騎士は剣をイースの首筋に当てる。
ふむ。剣を捨てなきゃイースは殺され、剣を捨てれば俺もイースも殺される不思議な二択だ。
だが捨てない訳にもいかない。
俺はクトゥを青い男の足元に投げる。
「そうだ、それでいい。お前が村の襲撃の時から魔物を倒していた奴だな? 中々見所がある。コイツら獣人の護衛だろ? どうだ、俺様の配下にならないか? なんならこの女をくれてやるぞ」
イースが青い男を睨み付けると、男の蹴りがイースの脇腹を襲う。
「――がっは」
「獣風情が調子に乗るんじゃねぇ。なぁ、どうだ? なぁに、安心しろ。俺がこの女には従属魔法をかけてやる。お前がなんでも好きに出来る愛玩具の出来上がりだ」
なるほど。従属魔法か。
魔物を操っている方法も従属魔法って事だな。
「悪いが信じられないな。従属魔法ってのは眉唾な噂だろ?」
「……いいだろう。今見せてやる」
俺が挑発すると青い男は黒衣の騎士を下がらせ、イースの肩を掴んで目を見開く。
イースの体がビクンと痙攣すると、その顔は恍惚なものへと変化していった。
素直に称賛しよう。凄いね従属魔法って。
「地に伏せろ」
男の指図にイースは素早く犬の伏せの様な格好をする。
「効果はご覧の通りだ。どうだ? 俺の配下にならないか?」
「いや、やめておく。お前のその言葉も従属魔法だろ?」
残念だったね。この前カルに飛竜の件の事で、魔物を操る魔法の事を聞いていたのだよ。
その中で聞いた従属魔法は3種類。
一つ目は相手を弱らせた状態で直接精神に及ぼすもの。イースにかけられたものがこれだろう。
二つ目は体の一部に魔法をかけることで、その一部の機能を従わすもの。形は違うが、俺の右腕のクトゥの刺青がこれにあたるらしい。
クトゥの場合は俺がクトゥの権利を所有してる証になるらしい。
そして三つ目は約束事を取り付けた時に、その言葉で相手を縛るもの。まさに今の会話だ。
多分だが、俺が安易に肯定的な返事をすると、従属関係が成立してしまうって恐ろしい代物だ。
もちろんカルに聞いていなくたって肯定的な返事はしてないよ。本当だよ。
「へぇ、知ってたのか。本当に残念だよ。だが武器も無い状態でどうする?」
「どうしようかねぇ?」
ふむ。この青い男は油断しまくっている。
俺はクトゥを手放している状態だし、イースの目はトロンとして操られている。
圧倒的優位が故に、黒衣の騎士もイースから剣を離している。
「やれ!」
青い男の一言で、周りにいた魔物が距離を詰め、一斉に襲いかかってくる。
「クトゥ、来い」
俺が小さな声で呟くと、青く光り脈打つクトゥが右手に現れる。
形勢逆転といきたい所だが、俺にも余裕があるわけじゃない。
クトゥの呼び出しは切り札だ。
切り札を切った以上、最速でイースの安全を確保しなければならない。
目の前のハイコボルトとゴルゴンを斬り裂いて、イースと青い男の間に体を入れ込む。
青い男は状況が理解出来ていない様だ。驚愕の表情を浮かべている。
ここぞとばかりに男の首筋目掛けて剣を走らせるが、間一髪黒衣の騎士の剣がそれを阻む。
くそっ、チャンスを逃したのは痛い。
俺はジリジリと後退しながらイースに近づいた。
「おい、イース。大丈夫か?」
従属魔法が解けるかなと、平手打ちを放ったのだが、イースの視線は宙を彷徨い恍惚の表情を浮かべているだけだ。
やはりあの青い男を殺さないと従属魔法は解けないのだろうか。
残りの魔物の数は少ないが、あの黒衣の騎士が邪魔だ。クトゥを弾く装備にあの一撃に反応する技量。操られている魔物達の比じゃない。
俺が少し腰を落とすと、突然背後から手が伸びてくる。
クトゥで斬りかかろうとして寸前でこらえる。
――イースだ。
一瞬の迷い。
俺はイースに後ろから羽交い締めにされてしまった。
女とはいえ獣人。物凄い力だ。
背中に押し当てられた柔らかい感触を楽しむ余裕すらない。
……悪いが少々イースを斬るしかない。
「はっはっは。まさか魔剣とはな。だがここまでだ。その余裕をかました面を引き裂いてやぶっー」
なんだ?
勝ち誇った青い男の顔が横一文字に切り裂かれると、途端にイースの力が弱まりその場に倒れ込んでしまった。
青い男を切り裂いたのは黒衣の騎士。
黒衣の騎士はそのまま魔物達を仕留めていく。
「なんのつもりだ?」
俺の問いに血を払い剣を鞘へと収める黒衣の騎士は、その黒い鉄仮面から赤い瞳をこちらへと向けてなきた。
「貴方と争わない事が最善だと判断したまでだ。貴方がそこの女の腕でも斬れば此方の戦局は不利になってしまう」
喉が潰れた様なしゃがれた声。男か女かの判断は難しい。
剣をしまったんだ、どうやらこれ以上争うつもりは無いらしい。
「で、見逃せって事か?」
「そうして貰えると助かるな」
ふむ。
まぁ、俺としてもこれ以上首を突っ込むのはごめんだ。薄情かもしれないが、俺には獣人の代弁者になるつもりは無い。
黒衣の騎士の相手をするのも面倒そうだ。
しかし戦う気がないのはいいが、相手は白旗を上げたんだ。一言文句を言うくらいはいいだろう。
「見逃すのはいいがここまでの事をしたんだ。はい、さようならって訳にはいかないだろ?」
「……何が望みだ? 金か? それとも獣人を拐った理由か?」
えっ? お金くれるの?
いかんいかん。緩みそうになる顔を必死に堪える。金に弱いと知られれば足元を見られてしまうからな。
「その両方だな。お前の目的はなんだ? やけに簡単にそこの男を見捨てたな」
「……私の依頼は上質な獣人の確保だ。隣の国では高値でも買いたい輩がいくらでもいる。従属魔法の実験はそのついでだ。実験が終われば要らないものは処分するだろ? 依頼主の名は出せないが、獣人の村には手の出しようがない凄腕の護衛がいると報告しておこう。その依頼主から獣人の村への襲撃がなくなる様に釘は刺しておく」
実験ねぇ。ここまで簡単に引き下がるんだ。獣人確保の方がついでって所か。
黒衣の騎士は足元に小さな袋を落とすと、五歩後ろに退る。
「その袋には魔石が入っている。売れば多少の金になるだろう。俺が出せる物はこんなものだ」
俺は袋を拾い上げて中身を確認する。
袋の中には小石程の色のついた半透明の石が三つ入っていた。
魔石に間違いないだろう。
魔石とはその名の通り魔力の蓄えることが出来る石だ。魔道具なんかに使われるのが一般的だが、米粒程の大きさの魔石が一般的で、小石程の大きさならば大きな魔道具に使用される貴重な物だ。
ありがたや、ありがたや。
「交渉成立だな」
「……ではこれにて失礼する」
黒衣の騎士は足早に去っていく。
俺は周りを伺いながら袋を懐に入れると、イースを介抱するのだった。