4話 煩かった罰だ
着込みに手間取るパトリシアを置いて、先に外に飛び出る。空がようやく白み始めているがまだ辺りは薄暗い。
「ブォフォォォ」
オークの鳴き声だ。
耳を頼りに声のする方向に走り出すと、徐々に村の中心から外れてくる。
村の外、木々に囲まれた畑の真ん中に豚の魔物はいた。うごめく影は4つ。
「ふーっ」っと呼吸を整え剣を構える。
畑に顔を突っ込み、農作物を貪るオーク達。
オークは力こそ強いが、手足が短く動きが遅い。各々が離れているから囲まれる心配もない。
各個撃破だな。
少し離れた位置にいる1匹に狙いを定めて、畑に組み伏している首筋に一閃。
オークの肉は分厚い。剣を深く打ち込めば、肉に挟まれててしまうので、剣先で切り裂く。
血が噴き出し「ボェブフォ」と絶叫し、のた打ち回るオーク。
この1匹は直に死ぬだろう。
残りの3匹も仲間の悲鳴でこっちに気づいたようだ。臨戦態勢に入っている。
一気にカタを付けてやる。
その時、近づいてきていた慌ただしい足音が止まる。
「やっと追いついたっす。こらー、オーク。大人しくするっす。自分が退治してやるっす」
急いで着込んだんだろう。革の胸当てと腰巻はズレ落ちそうだ。
それに……魔物に退治するから大人しくしろという奴も初めて見たぞ。
そんな事には気にもせず、オークを指さし、決めポーズをとっているパトリシア。
3匹のうち2匹がパトリシアを標的と定めて突進して行く。
ちっ、まずい。
こちらに向かっている1匹を、すれ違いざまに切りつける。焦りで深く切り込み過ぎた。抜けない剣を手放す。
パトリシアは「ていやぁ」とオンボロナイフを投げつけるが、オークの遥か手前でポトリと畑に落ちてしまった。
くっ、あの馬鹿。
「パトリシア、逃げろ!」
太ももに括ってあった長めのナイフを抜いて、パトリシアに向かう1匹の背中を後ろから突き刺す。
オークの分厚い脂肪に阻まれてナイフが抜けない。ちっ、腕が鈍ってるな。
仰け反ったオークに蹴りを入れ、残りの1匹を追う。
「さぁ、かかってくるっす」
「バ、バカ。逃げろっ」
オークを迎え撃とうとするパトリシア。
俺が追いつくよりパトリシアとオークの接触の方が早い。
剣もナイフもオークに突き刺さったままで、投げる武器がない。いくら動きが鈍いとはいえ、オークの突進は少女1人を殺すだけの威力がある。
「悶絶衝撃女豹拳っす」
パトリシアがふざけた技名を発したかと思うと――眩しい光が押し寄せ爆発音が聞こえる。
そして俺の横を弾丸のようなスピードで吹っ飛んでいくオーク。
えっ、なにこれ?
吹っ飛んでいくオークは、ナイフの刺さったオークを巻き込んで30m先の樹木に激突する。
樹木は大きな音を立て、ゆっくりと倒れるのだった。
「マスター、終了っすね」
「……えっ? ……あぁ。パトリシア、大丈夫か?」
「結構魔力を使ったっすけど大丈夫っす」
もう動いているオークはいない。
オークに突き刺さっている剣を回収し、30m先のオークにナイフを取りに向かう。
パトリシアの一撃を受けたオークを見ると、その腹には巨大な穴が空いている。
抉り取られたような大きな穴。
その穴は見事なまでに綺麗な切断面を残している。
この威力……あいつ化け物だ。城の城壁さえ簡単にぶち抜きそうだな。
パトリシアの機嫌を損ねれば、明日は我が身だ。これからはパトリシアさんとお呼びした方がいいのかもしれない。
「マスター、もう1匹っす」
背後からの言葉に振り向くと、パトリシアの近くには青いオークがいた。
普通のオークはくすんだ茶色をしている。
変種? いや、ハイオークだ。
ハイオークは上位種。危険度Dの魔物だが、さっきの戦いを見る限り、パトリシアなら楽勝だろう。
だが俺が見守る中、ハイオークに吹っ飛ばされるパトリシア。
思考が止まる。あれだけの強さを見せつけたのになんで?
考えるより早く、身体は走り出していた。
「ブェブェブェ」
ハイオークが俺に狙いをつけて、前に立ちはだかる。
「どけっ」
横に薙ぎ払われるこん棒を、半歩横にずれて避けると、ハイオークの左目にナイフを突き刺す。
「ブォエ」と怯んだ時には、後ろから足を切りつける。
巨体がガクンと倒れこむと、膝をついたハイオークの脳天に両手で斬撃を振り下ろした。
「ブォォグェォォォ」
多少返り血を浴びたが、拭うことも忘れてパトリシアに駆け寄る。
呼吸はしている。良かった、死んではいない。
グッタリしているが、目立った外傷も無い。
「パトリシア! おい、大丈夫か?」
「……大丈夫っす。魔力が切れただけっす」
ホッと胸を撫で下ろす。
よく分からんが、こいつは防御力も化け物級のようだ。
「マスター、魔力が尽きかけてるんで精気が欲しいっす」
「分かった吸え」
パトリシアの手を握ってやる。
この前の軽い倦怠感くらい安いものだ。
「じゃあ遠慮なく頂くっす」
言うや否や、顔を近づけるパトリシア。
唇には柔らかい感触。
――えっ? この前みたいに手から吸い取るんじゃないの? これって……
そんな思考も靄がかかる。
身体の芯からエネルギーが吸い取られていく感覚。
なんだろう、意外と気持ちいい。意識が朦朧としてる時に二度寝する様な心地好さ。
スッと唇が離されると、心地よさは何処へやら、極度の眩暈が襲来する。
天地が逆転して世界がまわり、胃のものが逆流しようとするのを必死に抑え込む。
「ごめんなさいっす。あんまりにもマスターの精気が美味しいんで、吸いすぎたっす」
元気一杯のパトリシアの声が聞こえるが、返事をする余裕もない。
俺は前のめりに倒れると、そのまま気を失った。
「――ですか? 大丈夫ですか?」
目を開けると初老の男。アーリッツ村長だ。
俺の隣ではパトリシアが寝ている。よく寝る女だ。
「……大丈夫です。ちょっと戦いに疲れて寝ていたようです」
戦いに疲れたんじゃなくて、パトリシアに精気を吸われたからなんだが、そんな事は言えない。
まだ全身がダルい。
身体を起こすと村の老人達が集まっているのが見える。
「オークは全部討伐しました。が、ハイオークの事は聞いてないですね」
村長は視線を逸らすと「私達には違いが分かりませんので」と、とぼけやがった。
ハイオークとは分からないかもしれないが、色違いがいる事は分かっていただろ?
「組合には報告させて貰います」
オーク5体で銀貨40枚なら妥当な所だが、ハイオーク1匹入るだけで相場は銀貨200枚近くまで跳ね上がる筈だ。
「ちょっ、ちょっと待って下さい。今の依頼金だけで、この村では精一杯なんです」
慌てた村長は必死に拝み込んでいるが、知った事じゃない。
危険度の高い魔物をわざと報告せずに依頼を出す事は、傭兵稼業にとっては大きなルール違反だ。
仮に本当に知らなかったとしても、依頼金の上乗せは常識。
俺はフラつきながらもオークの右耳を削いで廻る。魔物の右耳は討伐の証拠だ。もちろん、ハイオークが居た証拠にもなる。
「パトリシア、帰るぞ」
揺すって起こすと「ふぁぁあ。マスター、おはようっす」なんて言っている。
昨日会ったばかりだが、こいつの「おはようっす」を何回聞いただろうか?
「では組合から取り立てが来るので、お支払は早めにお願いします」
パトリシアを連れて長居は無用と村を出て行く。
後ろで村長の「人でなしー」との喚きが聞こえるが無視だ。
人が寝ようとした時に、時を考えずにニャンニャン煩かった罰だと思って欲しい。
「さっ、ギルドに戻って休むぞ」
「はいっす」
ニコニコ満足そうなパトリシア。思い残すことはないだろう。
そう。ギルドに戻って休んだら、組合で報酬を貰う。
そして晴れてギルド解散だ!