29話 それは困ります
「ど、どなたかと勘違いされているのでは?」
踵を返し奥に引っ込もうとすると、手を引っ張られる。
「ニケル君、僕だよ? カルだよ?」
「ひ、人違いです」
依頼は断ったでしょ? マケソンさん、早く連れて帰った方がいいですよ。
俺が手を振り払うと、カルは人差し指を此方に向ける。
――まずい。
指先に作られた氷弾が発出されるより早く首をひねるのだが、俺の頰に痛みが走る。
とっさに押さえた手の甲には赤い血がついていた。
「ほら、やっぱり。この距離で避けられるのニケル君だけだもん」
こ、こいつ。この傍若無人な振る舞い。何にも変わっちゃいない。
明らかに眉間を狙ったよね?
下手したら死んでる所だぞ。試すにせよ、他に狙うところがあるだろ?
警備兵さん、ここに無差別殺人犯がいます!
「カルさん、お知り合いですか?」
「うん。昔、同じギルドで一緒に組んでたんだ」
「というと、あのギルドですか」
「うん」
マケソンさんはカルに、依頼の折り合いがつかなかった事を説明している。
あの女は呼び捨てだったのに、カルはさん付け。魔術師組合で偉い立場にいるんだろうか?
「ニケル君はいつも暇だから大丈夫だよ」
「確かに募集人員は三名を予定していましたが、カルさんのお墨付きなら一人でも安心ですね。ささっ、話を進めましょうか」
再び椅子に戻るマケソンさん。グランツは口に手を当て笑いをこらえながら、「頑張れ、ニケル君」などと言っている。次の給金は20%カットだ。
「ちっ」と舌打ちしながら席に戻るこの姉ちゃんだけが、俺と同じ気持ちなのかもしれない。
そもそも俺が明日から空いてるとは、一言も言ってないんだが。
「ネリタスン遺跡の探索には、ここに居るアンジェリカ以下三名が向かいます。基本的な野営などの用意はこちらで整えますので」
話を進めていっているが、耳にはちっとも入ってこない。というより、この姉ちゃんと一緒に行くだけで、精神的疲労が溜まりそうだ。
「ニケル君が行くなら、僕も行くからね」
「えっ、カルさん。それは困ります」
俺も困ります。
マケソンさんは必死に説き伏せているが、まぁ、カルが折れることはないだろう。そういう奴だ。
俺は姉ちゃんの肘をつつき、ボソボソと質問する。
「ねぇ、カルって組合でも偉い人なの?」
「私は良く知らないけど、本部から派遣されてきたんだから偉いんじゃないの?」
ムスッとした表情だが、会話のキャッチボールはしてくれるようだ。
「私も聞いていい? 何が起こったのか分からなかったんだけど、さっきのあれ、魔法なのよね?」
「あぁ、あの氷弾の事? あいつの氷弾は、小さいし速いし、分からなくても仕方ないよ」
「でも呪文を唱えて無かったわよ」
「カルはいつも無詠唱だからな」
「無詠唱?」
大きな声で椅子から立ち上がる姉ちゃんことアンジェリカ。
そういえば無詠唱の魔術師って、ほとんどいないもんな。
特殊ではあるが、ティルテュも無詠唱だ。カルが教えたのだが、教えれば誰でも使える訳ではないらしい。
超感覚的才能がないと無理とか言ってたなぁ。
「おほん。では、ニケルさん。明日からカルさんとアンジェリカの護衛をよろしくお願いします」
「えっ?」
気がつけば依頼の契約は成立。俺とカル、アンジェリカで遺跡の探索に決まったらしい。
カルとアンジェリカと俺で探索とか無理だから。
そもそもカルが行くんなら護衛要らなくない?
「ちょっと待って下さい。納得出来ません。本部の人間は関係ないんじゃないですか?」
そーだそーだ。頑張れアンジェリカ!
「本部の方でもネリタスン遺跡の探索は、非常に優先度の高い案件で……」
マケソンさんは説得力のありそうな事を言っているが、さっきカルが言った「僕も行くからね」が全てだろう。
アンジェリカも上司のマケソンさんの言葉に、最後は従うしかなかった。
「では明日の朝、魔術師組合前集合でよろしくお願いします」
マケソンさんはアンジェリカを連れて出ていった。
目の前には椅子に座ったままのカルがいる。
「カルは一緒に行かなくていいのか?」
「うん。僕、ここに泊まるから」
……はぁ、何を言っても無駄か。
「ニケル。俺達は鍛冶屋に行ってくる。つもる話もあるだろ?」
グランツは変に気をきかせて、ウィブを連れて出ていってしまった。
これといった話も無いんだが、懐かしくないわけじゃない。
「カル、あの後魔術師組合に入ったのか?」
「うん。本当はどこかのギルドに入ろうかと思ってたけど、イシュちゃんが魔術師組合を紹介してくれたんだ」
イシュタリスか、懐かしいな。よくカルの面倒を見てたっけ。
昔はいつも、ティルテュを含めた四人で依頼に行ってたな。
「でもあれから皆には会ってないよ」
「ティルテュならうちのギルドに居るぞ。今は依頼に行ってるけど、1ヶ月もすれば帰って来るぞ」
「そうなんだ。ティルちゃんにも会いたいな」
昔の情景が頭をよぎる。
ティルテュが突っ込み、カルが魔法で分散された魔物を殲滅していく。俺とイシュタリスがサポートに回って、どんな依頼でもこなしてきた。
今思えば面倒な依頼の数々も、あの時は楽しくてしょうがなかったな。
「ニケル君はあの日の事、後悔してる?」
「……いや、後悔してないよ」
「そっか」
「そういえば、カルがここに来たのは偶然だよな?」
「違うよ? ウエッツ君に聞いてきたんだ」
事の発端はあのハゲか。
「ウエッツ君も変わらないよね」
「あぁ、あいつはいつも変わらないな」
昔話に花を咲かせていると、鍛冶屋に行っていたグランツとウィブが戻ってくる。
「ニケルさん、晩御飯の準備しちゃいますね」
「あぁ、頼むよ」
ウィブが厨房に入っていくと、グランツが椅子に腰掛ける。
どうやら晩飯はウィブが担当するようだ。
「このギルドで世話になっているグランツだ。確かカルだっけ?」
「そうだよ。グランツ君よろしくね」
「あぁ、よろしくな」
おっ、グランツ、カルの口調に渋い顔一つしないとは、人間出来てるな。
いや、パティ、ティルテュに慣れていれば大丈夫か。
「明日から依頼だろ? ニケルの事、よろしく頼むぞ」
「うん、任せといて」
あれっ? 俺がギルドマスターだよね?
何このグランツの貫禄。俺よりギルドマスターっぽくない?
グランツとカルが意気投合していると、ウィブが料理を持ってくる。
今日の晩飯はタンシチュー。匂いからして美味い。
カルもお気に召したようで「おかわり」と連呼していた。
「ねぇ、グランツ君の怪我はかなり前のだよね?」
「そうだな。もう3年になるかな」
「そっか、3年も経っちゃうと頭が認識しちゃってるからね。残念」
グランツが右肘を触りながら遠い目をしている。ウィブもいたたまれない表情だ。
「欠損回復は頭がその部位が無いと認識しちゃうと全く効かないからね」
「あぁん? カル、欠損部位の回復魔法覚えたのか?」
「うん。結構前に覚えたよ」
欠損部位の回復魔法を使える人間はほとんど居ない。
その魔法が使えるだけで、どこぞの大神官になれる程だ。
だが、奇跡とも言える欠損回復魔法はそれほど万能ではないらしい。
本人の頭で欠損部位を認識してしまうと、いくら魔法をかけてもその部位が戻る事はないそうだ。
グランツも右腕と右足が無い体だと、頭が認識してしまっているだろう。
「そうだな。あの時にカルに会っていたらな」
しんみりムードの中、ウィブは片付けを、グランツは明日の準備にとりかかっていった。
「僕、眠たくなってきた」
「はいはい。空いてる部屋に案内してやるよ」
カルを空き部屋に連れて行ってやると、ベットにダイブして眠ってしまった。この寝付きの速さは才能だな。
部屋から出ると珍しく、グランツが一人で酒を呑んでいる姿が見えた。
静かに階段を降り、隣の椅子に座る。
「すまなかったな。ああいう奴なんで勘弁してやってくれ。悪気はないんだ」
「大丈夫だ。だが、まぁ、俺も思う所がある。まっ、タラレバの話だ。……俺が赤い悪魔に右腕と右足を奪われた話はしたな。その時にな、他にも色々な物を失った」
酒に酔っている風には見えないが、珍しく饒舌なグランツ。
空のグラスに深い赤い色合いの葡萄酒が注がれる。グラスが俺の前に置かれると、手に取り飲み干す。
「当時の俺は天狗になっていたよ。A級ギルドのエースであり、周りからは国1番の双剣使いだと囃し立てられていた。赤い悪魔なんて魔物も俺が蹴散らしてやるってな。長年の相棒の忠告も聞かずに討伐に出向いたさ」
少しずつ飲むペースが上がっている。
だが人には吐き出したい夜もあるもんだ。
俺は黙って聞き役に徹していた。
「結果は惨敗。右腕と右足を失い、恥も外聞もかなぐり捨てて魔物に命乞いをしたよ。……長年の相棒の死体の前でな。アイツは嬉しそうに俺の傷口を焼いて止血すると『生き恥を晒して生きていけばいいよ』と、笑いながら去って行ったよ。……滑稽だろ? 命の危機が去って、初めて死ななかった事を後悔したんだ。復讐や仇を討つ力も失った俺は何故生きてるんだろうってな」
グランツは自嘲気味に笑うと大きく首を振った。
「忘れてくれ……柄にも無く喋り過ぎたようだ。……ニケルも明日は早いんだろ? ちゃんと起きろよ」
「あぁ。分かってる」
グランツが部屋に戻っても、俺はその場から離れられなかった。
懐かしい顔にあったからか、グランツの話を聞いたせいかは分からないが、感傷的な気分だ。
……あの日の事を思い出してしまう。
天魔最後の日の事を……
人物紹介 その11
名前 カル=ユーリス
種族 人間
性別 男
年齢 23歳
身長 172cm
体重 58kg
※白髪の魔術師。ゆったりとした喋りをする癖がある。本人は色々控えめなつもりらしいが、思い付いたら行動するタイプ。ありとあらゆる魔法を無詠唱で使う稀代の魔術師だが、実は魔力自体はそんなに高い保有量を持ち合わせていないらしい。