閑話 ウィブ=タリアトス
美少女と見間違われるほどの、整った中性的な顔立ち。
少年の名前はウィブ=タリアトス。
E級ギルド蜥蜴の尻尾に入ったばかりの、料理人兼傭兵見習いである。
彼の隣にいるのは、元A級傭兵のグランツ。料理人兼、彼の傭兵の師匠になる予定の男だ。
ウィブは小さな頃から傭兵に憧れていた。
5歳年上の姉に「あんたに傭兵なんて無理よ。私が料理を教えてあげる。そっちの道に進みなさい」と将来を勝手に決められてしまう。
姉に逆らえなかったウィブは稽古用の木剣を取り上げられ、代わりに小さな包丁を渡された。料理漬けの日々が始まったのである。
永遠に続くとも思われた地獄の特訓は、突如終わりを告げた。姉がその腕を買われて、王都の一流料理店に勤める為に家を出たのだ。
再び木剣を手に、傭兵に成るための訓練が再開される。
それから2年。17歳の時にE級ギルド猿の尻に入り、ウィブは念願の傭兵になった。
しかし、『猿の尻』に入って現実を知る事になる。
毎日のようにウィブのお尻を触ってくるマスター。周りのギルド員から稽古と称して打ち込まれる痣は、日に日に増えていく。
夢見た傭兵生活を遠くに感じながらもウィブは耐え、何とか迎えた初依頼。
日頃の稽古の痛みで体が悲鳴をあげていたが、ようやく辿り着いた傭兵デビュー。
討伐の魔物は危険度Fのコボルト。
普段通りの実力なら楽に倒せる筈の魔物だった。
だが、思うように動かない身体に焦りが付きまとい、結局ウィブはコボルトを取り逃がしてしまう。
その晩、依頼失敗をマスターに報告に行くと。
「おい、ウィブ。どうやらお前には傭兵は向いていない。ギルドを辞めるか? まぁ、娼男としてならギルドに置いてやってもいいがな」
実に気持ちの悪い顔で、ウィブの身体に手が伸びる。
吐き気がこみ上げる感触。
気が付けばマスターを突き飛ばし、ギルドから飛び出していた。
「もう、あのギルドには戻れない」
それでも傭兵の夢を諦めきれないウィブは、組合で新しいギルドを探し始める。
だが、ここでも猿の尻の呪縛がウィブに付きまとう。
彼の傭兵履歴の書類には、「戦力外の為ギルドを解雇」の文字が追加されていたのだ。E級ギルドで戦力外通告を受けることは、傭兵として戦力外通告を受けるにも等しい。
その呪縛は予想以上に大きく、新たなギルドの面接に行っても門前払いをされる日々。
組合で事情を話しても、「戦力外の文言を取るには、そのギルドとの示談が必要だ」と言われてしまう。
そんなウィブに、救いの手を差し伸べたのがシェフリアだった。
「ねぇ、ウィブ君。ウィブ君は料理が得意って言ってましたよね? もし良ければ料理人としてギルドを探して見ませんか? もちろん、ウィブ君が傭兵希望である事は、ちゃんと相手ギルドに伝えます。そこからもう一度、傭兵として頑張ってみてはどうですか?」
「ぜ、是非お願いします」
やっと開けた道。
ギルド専用料理人の話は知っていたし、初めて姉に感謝したのもこの時だった。
それから何日かすると、シェフリアから一報が入って来た。
「ウィブ君。蜥蜴の尻尾……F級ギルドですが料理人を募集しています。良かったら受けてみませんか?」
最底辺の級だが、ウィブはお似合いかもしれないと思っていた。
F級ギルドで料理人を募集するなど変な話ではあるが、彼は選り好み出来る立場にはいない。
早く新天地を見つけなければ、あのマスターの顔がちらついてしまう。
「ちなみにそのギルドのメンバーはどんな感じなんですか?」
「蜥蜴の尻尾は男性のギルドマスターに、女性二人のギルド員のいる、若いギルドですよ」
若干シェフリアの顔がひきつって見えたのは、気のせいだと心にしまい込む。
若いギルドではありがちだが、ギルド内恋愛で揉めてるなんてことはよく聞く話だ。
もしそうだとすると……。
想像すると前のギルドよりはマシに感じるが、躊躇してしまう。
だが今のところ他にアテはない。
「分かりました。面接日時を教えて下さい」
シェフリアからメモを受けとり、宿に戻ると考え込んでしまう。
そんなに焦らなくてもいいんじゃないのか?
親身に話を聞いてくれたシェフリア。断るのは失礼じゃないのか?
2つの思いが交差する。
考えがまとまらないまま、迎えてしまった面接の日。
メモに書いてあるギルドに向かうものの、重い足取りに時間が進んでいく。
蜥蜴の尻尾にたどり着いた頃には、面接の時間をとうに過ぎていた。
「ここか」
到着したギルドは、F級には似つかわしくない、そこそこ大きな建物。
「ふぅー」と大きく深呼吸をしてから覚悟を決めて扉をノックする。
「すいません」
扉を開け中に入ると、何故か緊迫した空気がヒシヒシと伝わってくる。
黒髪の青年がギルドマスターだろう。何とも緩い空気を持った人だ。
他には銀髪の少女に青髪の美人。
そしてウィブの視線が止まる。
シェフリアさんに、あれっ……この人もしかしてグランツさん?
怪我をして引退したと聞いていたA級ギルドの傭兵。
その赤髪と赤褐色の肌は、彼が憧れた双剣使いのグランツであった。
彼の姉が熱狂的なファンであったが、その影響でウィブも憧れ、傭兵を目指すきっかけにもなった人物だ。
思わずウィブの顔が赤くなる。
遅れてきたことを謝り挨拶すると、黒髪の青年はテーブルの上の料理を食べろと言ってきた。
グランツが作ったものなんだろうと推測する。
憧れの人が作った手料理を口にする栄誉。手を震わせながら、惜しむように一口噛み締める。
(……グランツさん、不味いです)
とにかく味付けが間違った方向に進みまくっている。典型的なダメなパターンだった。
黒髪の青年が意見を求めてくるので、なるべく穏便にすむように言葉を選んで述べるウィブ。
グランツの機嫌は損ねていないのを見て、ホッと安堵する。
黒髪の青年は次に、同じものをグランツと一緒に美味しく作れと言って来た。
ウィブには美味しく作れる自信がある。何せ青春時代の全てを、料理浸けの毎日に仕立てあげられたのだから。
面接の結果はグランツと揃って合格。しかも憧れのグランツが彼を鍛えてくれるというオマケ付き。
ウィブの目には、ここに誘ってくれたシェフリアが、女神に見えた程だった。
その夜の歓迎会。ウィブは幸せを感じていた。
憧れの人がいる。パトリシアもティルテュも毒舌とはいえ、根はいい人だった。
二人はニケルに気がある様だが、泥々した感じはしない。ニケルが上手くかわしているからだろうか?
ウィブは本当にいいギルドに入れたんだと思っていた。
ニケルとシェフリアの言葉を聞くまでは……。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そして今……
「グ、グランツさん……」
「……いいか、アレを常識だと思うな。異常だと思え」
「は、はい」
僅か15m先では危険度Cの筈のヘルハウンドが、ティルテュさんとパトリシアさんに蹂躙されている。
とてもじゃ無いけどE級ギルド員の出来るレベルじゃない。
二人が軽く拳を振るうだけで、紙屑の如く吹き飛んでいくヘルハウンド達。
それを見ていると、僕でも簡単に出来そうに思えてくるから不思議だ。
その二人が打ち洩らしたヘルハウンドを、僕達の所まで来ないように捌いていくニケルさん。
「……化け物だな」
「ですね。ティルテュさんもパトリシアさんも凄いです」
「いや、あの二人も凄いが、俺が言ってるのはニケルだ」
僕の眼には、ティルテュさんとパトリシアさんの方が凄く見えるんですけど。
ニケルさんの動きは、のっそりと見える。
そりゃヘルハウンドを軽々と倒してるんだから、凄いんだとは思うけど。
「ニケルさんですか?」
「あぁ。ウィブにはのらりくらりとした動きに見えるんだろ? だがな、あれは全てを見切り最小限の動きをこなせる者がなせる技だな。俺の全盛期でも、あの動きは無理だ」
「えっ?」
グランツさんの言葉だ、多分冗談なんかじゃないんだろう。改めてニケルさんの動きを見ても……さっぱり凄さが分からない。
また1匹、また1匹とヘルハウンドが倒れ、気が付けば40匹はいただろう集団は肉の塊と化していた。
「ふぃーっ、終わった終わった」
「パティ、アタシは14匹よ!」
「じ、自分も14匹っす。……マスター、もう魔力が無いっす」
今にも倒れそうなパトリシアさん。この二人はこんな依頼で、どちらが多く倒すかを競いあっていたのだろうか?
ニケルさんが視線を向けると、狼狽えるティルテュさん。
「ア、アタシは嫌よ」
「まぁ、今日はグランツもウィブもいるしな。ウィブに逝って貰うか?」
ニヤニヤしているニケルさん。一体何の話をしてるんだろう?
「自分、マスターがいいっす」
「パティ、二人にも慣れて貰わないと困るだろ?」
「うー」
「ニケル。この為にグランツとウィブを呼んだでしょ?」
「えっ、何の話? じゃあティルテュ逝っとく?」
「遠慮するわ」
僕に向かってニケルさんが手招きしている。
「はい。何でしょうか?」
「ちょっとパティを支えてやってくれ」
「は、はい」
なるほど。多分パトリシアさんは動けないほどに疲れているんだろう。
おぶって帰る人間が必要だったんですね?
「パトリシアさん、大丈夫ですか?」
パトリシアさんの身体を支えようとすると、ニケルさんの声が響く。
「パティ、いいぞ」
やけに楽しそうな声。
「ウィブ殿。いただきますっす」
「えっ?」
突然パトリシアさんの唇が押し当てられる?
えっ? ぼ、僕のファーストキスが……。
なんだろう、身体の芯から吸いとられる様な快感。眠ってしまいそうだ。
僕はパトリシアさんの唇が離されると、そのまま倒れてしまう。
身体に力が入らない。頭が朦朧として、胃の中から今朝食べたものが逆流してくる。
意識が遠ざかる中、グランツさんの声が聞こえてきた。
「説明はあるんだろうな?」
「あっはっはっはっ」
ニケルさんの笑い声が遠ざかっていく。
あぁ、僕は入るギルドを間違えた……かな?
『蜥蜴の尻尾』の双剣使いであり「傭兵界の食の救世主」ウィブ=タリアトス。
そう呼ばれる様になるのは、まだ少し先の話……