第17話「看板娘の憂い」
第17話「看板娘の憂い」
セルウァーが仕事に向かって、半月が経とうとしていた。
セルウァーは未だに帰って来ないところが連絡もない状態だった。
「ニーナちゃん、最近元気ないよな」
「お前もそう思うか」
それは常連客の弁である。
酒場【ウルグス・ウィーヌム】は通常通りに営業していた。この半月、客足はうなぎ登りに上昇していた。それは偏にニーナの功績と呼んでもいいだろう。
ニーナの噂は瞬く間にこの街に広がり、一目ニーナの姿を見ようと客が押し寄せたのだ。そして、大抵の人々はニーナの可憐な容姿と丁寧な接客で心を掴まれて、すぐさまリピーターになったのだった。
まったく現金な奴らである。
「ニーナ、料理が上がった。これ頼む」
「はい!」
もちろん、ここの店主もニーナの元気のなさに気が付いていた。その元気がない理由がセルウァーにあることも当然の様に分かっていた。
テッラ夫妻も、ここまでセルウァーが帰って来ないとは思っていなかったのだ。
どうしたものか。
テッラはホールで働くニーナの姿を見て、そう頭を悩ませてしまう。
「ニーナちゃん、無理してるわよね」
「だろうな。セルウァーの奴、一体何をしてるんだか」
テッラの妻であるドミナも心配そうに、ニーナのことを眺めていた。
「取りあえず、ドミナはニーナのフォローを頼むよ」
「ええ、任せて」
さてと、ニーナのことどうしたものかな。
テッラは料理を作りながら、そう考えていたのだった。
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閉店作業を終えたテッラは、厨房に戻った。
厨房に戻ると、アモルが真剣な表情でフライパンに向かっていた。
作業台の上には、アモルが作ったであろうオムレツが並べられていた。その形は少し歪だが綺麗に焼き上がっている。初めて料理をした時に比べるとかなり上達したと言えよう。
やっぱり、アモルは容量がいいんだな。
テッラはそんな感想を抱きながら、アモルに近寄った。
「アモル、ずいぶんとオムレツ上手くなったじゃないか。これなら、セルウァーだって大喜びで何個も食べてくれるだろうな。って言っても、あいつなら、アモルが作ったものなら何でもたくさん食べそうだけどな。それが例え泥団子でも」
「さすがにそれは言い過ぎですよ」
そう言ってアモルは寂しそうに微笑んだ。
「やっぱり、寂しいか?」
「えっ⁉ 別にそう言う訳じゃ……」
「アモル、寂しい時は寂しいって言っていいんだぞ」
テッラが優しくそう問いかければ、アモルは遠慮がちに呟いた。
「正直に言えば寂しいです。あの河原で救って頂いてからずっと隣にはセルウァーさんがいたので心細いです」
「そうだと思うさ。アモルにとってはここは知らない土地なんだし、心細くなるのは仕方がないさ。しかし、セルウァーの奴は本当にどこに行ったんだろうな?」
まさか、ここまで帰って来ないとは思わなかったしな。
テッラがそう思っていると、店の入り口が開く音がした。
おかしいな、看板はもう下げたはずなんだがな。
「すみません、もう閉店の時間なんですが……」
「超お急ぎ便で、テッラ・ウィンクルム様に荷物が届いています。なので、サインを頂けますか」
「ああ、はい構いませんよ」
テッラはそう頷きながら、配達員が差し出した用紙にサインした。そして、荷物を見て差出人の名を見て固まった。
だって、そこにはセルウァー・モッリスの名が記されていたのだから。
テッラは慌ててその包みを開けると、まず初めに目に入ったのが一枚の紙だった。
その紙には一言こう書かれていた。
『この荷物をアモルに渡してくれ』
なるほどな。さすがにアモルの名を使えなかったから、あくまでオレの名を使って荷物を送って来たのか。
とっとと、考え事をしてる前にこの荷物をアモルに届けてやらなきゃな。
再びアモルの所に戻ると、アモルは使った調理器具を洗っている所だった。
「アモル、ちょっといいか」
「はっはい」
アモルは水道を止めて、手を拭くとこちらに駆けよって来た。
「どうしたんですか? テッラさん」
「セルウァーからアモル宛てに荷物が届いたんだ」
「セルウァーさんからですか⁉」
「ああ、これがそうなんだ」
テッラは驚いているアモルに、その包みを渡した。アモルはアモルでその包みを大切そうに抱えると、その中身を取り出した。
包みの中には一つの小さめの箱と、メッセージカードが入っていた。
アモルはメッセージカードを読むと、眸に涙を浮かべていた。そして、その箱の中には二つの指輪が入っていた。
その指輪はシンプルなストレートな指輪だった。そして、指輪の裏にはS&Aと彫られていた。
アモルは、それが自身とセルウァーのことを示していることにすぐに気が付いた。
この前のことは夢じゃなかったんだ。
セルウァーがここを発つ前の日、アモルはセルウァーにプロポーズをされていた。
アモルはそれを夢だと思っていた。だって、奴隷のわたしがそんなことを願うのはおかしいと思っていたから。
けど、それが夢じゃなかったことを目の前のモノが証明していた。
「ふぇ……」
アモルの眸からは次から次へと雫が零れていく。
「夢……じゃなかったんだ。セルウァーさんは本当に……」
「セルウァーさん」
アモルは大切そうにその箱とメッセージカードを胸の前で抱きしめていた。
そんなアモルの姿を見て、テッラはも安心したように微笑んだ。
セルウァーが送ったのは、二つの指輪と、『帰って来たら結婚しよう』と書かれたメッセージカードだった。
これでセルウァーは絶対にここに帰って来なければいけない理由が出来たわけだ。
今の今まで何となくで傭兵をやっていた感じがして、いつも危なっかしいとテッラは感じていたが、これならいつもよりは安心だな。
「どうして、アモルちゃんが泣いているの?」
いくら待っても厨房から戻って来ないテッラとアモルの様子が気になって来たドミナが、そんなアモルの様子を見て、不思議そうに首を傾げていた。
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「ニーナ、次の料理上がるぞ」
「はい!」
次の日から、ニーナの様子は見違えるように元気になった。
「ニーナちゃん、ここ最近元気なかったみたいだけど、元気になったんだ」
ニーナがお待ちのテーブルに料理を運ぶと、常連客になり始めた若い近衛団の団員がニーナにそう声をかけていた。
「はい! ご心配をおかけしてしまってすいませんでした。ですけど、もう大丈夫です!」
ニーナがそう言って微笑むと、その若い団員の青年は惚けたような表情をニーナに向けていた。そして、その表情を向けているのはその青年だけではなかった。この酒場にいるほとんどの客が、ニーナにその表情を向けていたのだ。
「何だか嬢ちゃんの輝きが前より一層に増してんじゃないのか」
ホールで動き回るニーナを見てそう呟いたのは、ガイアスだった。ガイアスはいつもの様にカウンター席に腰を掛けて、酒を飲んでいた。
「女の子は恋をすると変わるって言うからね」
「何だ、嬢ちゃんは恋をしてるのか」
「そうね。けど、恋とも違うか。もうあの子には婚約者がいるからね」
「ほう。この街に来てすぐさまアイドルになっちまったあの嬢ちゃんが。一体、どこの奴が射止めたんだか」
ドミナはくすりと笑うと、悪戯が成功したみたいにその名を答えた。
ガイアスもその名を聞いた瞬間は、少し呆けてしまうが次第にその口元は笑みの形に結ばれ、「かっかっか」と笑った。
「あの若造がか。生意気な気もするが、年が経つのは早いってことなのかね」
そんなことを言っているが、ガイアスは実に楽しそうに酒を飲んでいた。
「ニーナ、また上がるぞ」
「はい!」
ニーナは次から次へと仕事をこなして行っている。その姿はここに来て一番輝いていると、ドミナは感じていた。
そして、それは厨房にいたテッラも感じていることだった。
あんな危なっかしい小僧だった奴が、いつの間に大人になったのか。
鍋を振りながら、そんなことを考えてしまう。
ふとホールの方に視線をやれば、笑顔を振りまいている。その笑顔は今までみたいに陰りがなく、あれが本来のニーナの姿なんだとテッラには感じられた。
こりゃあ、また今日も一層に忙しくなるだろうな。
テッラは今日の夜の仕込みをどうするのかを考え始めるのだった。
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「アモル、もう上がっていいぞ」
「はい!」
テッラのその一言で、アモルの今日の仕事が終わりを告げた。
「今日もお疲れさん。だいぶ慣れてきたな。お客さんもアモルが接客した方が嬉しそうだしな」
「そんなことないですよ」
アモルはそう言って「えへへ」と微笑んだ。
「それで一つ気になったんだが、セルウァーが送って来た指輪は付けないのか?」
今日の仕事中ずっと気になっていることだった。セルウァーはきっとアモルに変な男が寄ってこないように、あの指輪を送って来たんじゃないのかとテッラは考えていた。
「はい。やっぱり、初めてはセルウァーさんに付けてもらいたいですし、それにセルウァーさんと一緒に付けたいですから」
「そっか」
こりゃあ、あいつが帰ってくるまで一層目を光らさないといけないな。だって、目の前で微笑んでいるアモルの姿は、誰もが見惚れるほどに愛くるしい表情をしてたのだから。それを見れないセルウァーがもったいなくてしょうがない。
それからアモルはお風呂に入って、髪の毛を乾かすとベッドに入った。いつもはセルウァーの温もりがあったのに、今はないベッド。最初はとても寂しかったし心細かった。だけど、今は心から温かくてそんなことは気にならなかった。
セルウァーから贈られた指輪とメッセージカードは、アモルに与えられた机の上に飾ってあった。それを見る度に、セルウァーと自身の繋がりを実感できるからだ。
「セルウァー、早く帰って来てくださいね」
世界で誰よりも大好きで、愛してます。
心の中でそっとアモルは呟くと、両目を閉じて夢の世界に旅立っていった。
そのアモルの寝顔は穏やかでとても幸せ王な寝顔だった。
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