従兄の彼
「ねえ、いつになったら、お父様にわたしたちのこと話してくれるの!?」
わたしのその声がキツイものだったとしても、それは仕方がないだろう。
というのも、わたしはいい加減うんざりしていたからだ。
いつまでも煮え切らない態度を取られるのに。
付き合ってもう6年。ゆくゆくは結婚の約束までしているというのに、いまだにお父様にわたしとの仲のことを話してくれないというのはどういうことか。
「あり得ないでしょ!」
わたしは続けた。
今いるのは、彼の家のリビング。
フローリングの上に大きめのラグが敷かれてあって、その上にわたしは座っていた。近くに、足の低い、透き通ったガラスのテーブルが置かれてあって、その向こう側に大画面の液晶テレビがある。窓から入って来る日は弱くて、それは梅雨時の天気のせいだった。
「本気でわたしとのこと考えてくれてるの? それとも……もしかして、単なる遊びなの?」
わたしは消え入りそうな声で言った。
そうして待った。
「そんなわけないだろ」
という答えを。
しかし、いつまで待ってもそんな答えは返って来ないで、代わりに返って来たのは、「ビシッ」「バシッ」という効果音だった。それはテレビから聞こえてくる。
あろうことか、彼はゲームをしているのだった。対戦格闘ゲームを。
わたしはテレビ画面の中で繰り広げられる死闘に目を向けたあと、おもむろに自分の隣に手を伸ばした。伸ばした先に、コントローラーを忙しく動かす彼の腕がある。わたしはその腕に触れないようにしてもっと手を伸ばしていき、腋の下を無言でくすぐった。
「う、うわ、なにすんだよ!」
彼の焦った声の一瞬あと、「ガッガッガッ」というこれまでより大きな効果音がテレビから響いて、やがて画面に浮かび上がる、「あなたの負け」の文字にわたしは満足した。
「悪は滅びるべし」
わたしが言うと、彼がこちらに仏頂面を向けた。
「こいつ倒せばクリアだったのに!」
「ゲームのクリアなんかよりも、わたしたちの前に立ちはだかる問題をクリアしようよ! それとも、問題を見ないふりするためにゲームの世界に逃避してるの?」
「なにが逃避だよ。たまの休みくらい、ゲームさせてくれてもいいだろ!」
「ひどい、わたしよりゲームの方が大事なのね……」
声を落とすわたしに、彼はふんと鼻をならすようにすると、
「そういう風に二択を迫る女は嫌われるって、この前テレビの番組で言ってたぞ」
言った。
「また、テレビの話! テレビ、テレビって、じゃあ、もうテレビと付き合ったらいいじゃんか!」
「どういうことだよ」
「質問に答えて」
「……たく、はいはい、分かったよ。ゲームよりサユリの方が好きだよ」
「そんなこと訊いてないでしょ!」
「ええっ! 今訊いてただろ」
「わたしが訊いたのは、わたしたちの仲をいつお父様に話してくれるのかってことよ」
「……話す必要あるのか?」
「あるに決まってるでしょ。このまま秘密にしておくわけにいかないじゃん」
「秘密?」
「そう、秘密よ。秘密の恋愛的な……あ、でも、それちょっと萌えるね」
「何が秘密だよ」
そこで彼は、はあ、とため息をついた。
わたしはムッとした。
「ため息をつきたいのはこっちだよ。カノジョの存在を隠すカレシってどういうの? そういうカレシを持つわたしの気持ちを考えたことあるんスか?」
「隠す?」
「そう」
「この状況で?」
彼は意味ありげに周りを見た。それから、
「近くに姉貴とお袋がいるのに?」
続けた。
それを聞いたわたしは、えへへ、と笑った。
彼の言葉通り、まず彼のお姉さんが少し離れたところで寝そべって、ファッション雑誌を読んでいる。それから、彼のお母さんはさっきからキッチンで夕飯の下ごしらえをしているようで、トントンという包丁の音が聞こえてきていた。つまり、全然隠れてなどいないわけだった。まる見えである。
わたしは、こほん、と咳払いをすると、
「とにかくね、お父様には言ってないわけでしょ」
訊いた。
「まあ、別に姉貴とお袋にも言ったわけじゃないけどな」
「ええっ! 言ってくれてるとばかり思ってた」
「言ったとしても、誰もオレの話なんか聞かないからなあ。今だって誰も聞いてないよ。姉貴は雑誌に夢中だし、お袋は料理に夢中だし」
「……いじめられてるの? ゴロウ」
「粗末には扱われてるなあ」
「可哀想に……わたしが大切にするからね」
「そうか、じゃあゲームやらせてくれ」
「ダメ」
「おい!」
「とりあえず、この場にいるお母様とお姉さまにわたしとのことを言おうか。それまでこのコントローラーの身柄は預かる!」
わたしは彼から黒色のゲームコントローラーをひったくった。
「ああっ! コンちゃん!」
彼が悲痛な声を上げる。
「わたしにもつけない愛称をゲームのコントローラーにつけてるなんて! 許せない! 悔しいっ!」
「コンちゃんを返せ!」
「ふふん。こちらの要求が通らない限り、命の保障はできないじぇ」
「何て汚いことを!」
「さあっ、はやくお二人にご報告しなさい!」
「オレは犯罪者には屈しない!」
「強情なヤツめ。コンちゃんとやらがどうなってもいいと言うのか!」
「よ、よせっ!」
「ハハハハハ」
「くそおおおお」
次の瞬間、
「うるせーー!! 静かにしろ、中坊ども!」
わたしと彼の小芝居を止める声が、近くからかけられた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
男らしい口調の声を上げたのは、とってもガーリーなお姉さんだ。
寝っ転がって雑誌を読んでいた人である。
さらさらのストレートヘアが室内の照明を受けて輝いている。すらりと伸びた手足は雪のように白く、顔立ちは美しく整っている。年はシックスティーン。
「三文芝居やりたいなら、外でやりな。わたしがいないところでね」
体を起こした美少女がキツイ目をして言う。綺麗な人はどんな顔をしても綺麗なんだという真理をわたしは確認した。
「いつかミキちゃんみたいになりたいなあって、わたしいっつも憧れてるんだあ」
わたしがゴロニャーンと猫なで声を出すと、
「ゴロウ、この可愛い子にアイスをあげて」
とゴロウのお姉ちゃんであるミキちゃんが真面目な顔で言った。
「ミキちゃん!」
「ん? なあに? 抹茶アイスはわたしのだからダメだよ」
「アイスよりも大事なお話があります」
わたしはずずいっとミキちゃんの前に膝を進めたあと、
「弟さんをわたしにください!」
と大きな声で言って頭を下げた。
しばらくその姿勢でいると、「アイス、テーブルに置いとくぞ、サユリ」という声が頭の上から聞こえてきたが、無視した。そんな場合ではない。アイスが溶けてもしなければいけないことがある。ていうか、ちょっと溶けたほうがわたしは好き。
「ゴロウが欲しいの?」
わたしは肩に手が置かれるのを感じた。「欲しいの?」という言い方にちょっとドキリとする。乙女はあんまり使ってはいけない言葉だろう。しかし、もちろん、わたしは大きくうなずいた。
「他ならぬサユリちゃんの頼みだったら、仕方ない。あげよーじゃないか!」
「ほんと!?」
わたしはバッと頭を上げた。目の前に美しい微笑みがある。
わたしは、「ありがとう!」と言いざま、ミキちゃんに抱きついた。よしよし、と頭を撫でられるのを感じながら、
「あげる、あげないって、オレ自身の意志的なものは無いのか?」
というボヤキみたいなものを聞いたが無視した。
わたしはミキちゃんから体を離すと、すっくと立ち上がって、キッチンに向かって突撃した。
「おば様!」
「はい?」
ゴロウのお母さんが、エプロンで手を拭いながら振り返る。
「わたしにゴロウくんをください!」
「どうぞお持ちください」
「わたしいい娘になります。おば様を粗末にするようなことはけっして……え、いいの? おばさま?」
おばさんはミキちゃんに上品さをプラスしたような美人だ。その美人が微笑みながら、
「いたらぬ息子です。ご迷惑をおかけするでしょうが、それでもよろしければ、どうぞ」
そう言って、軽く頭を下げた。
「ありがとうございます!」
わたしは、再びリビングに戻ると、親指をグッとゴロウに向けて上げた。ゴロウは、人差し指をアイスに向けて下げた。わたしはちょっと溶けてきたアイスをそのままさらに溶けるに任せると、すうっと息を吸って、
「ゴロウの意志を聞きたいんだけど」
と切り出した。
「ていうか、お前結局、自分で言ってんじゃんか。その調子でオヤジにも言えよ」
「いや、その前に、ゴロウの気持ちはその……どうなのかなって……」
わたしの声はデクレッシェンド、だんだん小さくなっていった。今度は演技じゃない。
「気持ちってなにが?」
「やー……だから、そのー、わたしと付き合ってくれる気持ちがあるのかどうかっていうね……その、カレシとカノジョとして……」
わたしは視線を下に向けた。ガラスの小皿にバニラアイスが氷山みたいな形に盛られているのが見える。
「お前、何言ってんの?」
ゴロウは訳が分からないと言いたそうな声を出した。
わたしはがっかりした。それはもう半端なくがっかりした。わたしの気持ちは全然ゴロウに通じていなかったということがその声から分かるような気がしたからである。それも無理ないこと。わたしの愛の告白(的なセリフ)は、いっつも冗談的なものであって、ドラマやマンガみたいにほっぺたを赤らめてするでもなければ、泣きそうな目でするわけでもない。それで本気を感じ取ってくれというほうが無茶というもの。
しかもである。
しかも、わたしとゴロウの間には、ちょっと強い関係があって、それは兄妹よりは弱いのだけれど、幼なじみよりは強いもので、実はゴロウとはイトコ同士なのだった。お互いの父親同士が兄弟なのである。イトコと本気で付き合うなんてばかげてる、ってそんな風に考えられてもそれは仕方ないというか、その方が普通なのかもしれない。わたしはずっとゴロウのことが好きで、それは男の子として好きだったのだけど、彼の方ではわたしのことを単なる仲良しのイトコという風に考えていても、それはしょうがないことなのかもしれない。
――あ、泣きそうだ……。
目頭が熱くなるのをわたしは覚えた。
「何で今さらそんなこと聞くんだよ。オレもずっと前から好きだって言ってきたじゃん」
え、と思ってわたしは顔を上げた。
ゴロウがふてくされたような顔をしているのが見える。
「その『好き』って、女の子としての『好き』?」
わたしが念のため確認すると、
「当たり前だろ」
ぶっきらぼうな声が返された。
その声を聞いた途端、わたしの目から涙があふれた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
「泣くことないだろ」
わたしの目の前で、戸惑ったような声が上がる。
わたしは涙目をパチパチとしながら、
「だって、だって、好きだったんだもん。ずっと前から」
こみ上げる思いを言葉にして吐き出した。
「初めて告白した小学校1年のときからずうっと。ゴロウはオッケーって言ってくれてたけど、そのオッケーがどのオッケーか分かんないから。でもそれを真面目に聞いたら引かれるかもって思って聞けなくて、でもとりあえず冗談みたいに告白しておいて、もしもゴロウが他の子と付き合ったりしたら、オッケーしてくれたことを持ち出して、『オッケーって言ったくせに! うそつき!』とか言って、ゴロウを責めてやろうと思ってたんだ」
わたしはしゃくりあげながら言った。
そっと横から差し出されたティッシュ箱から、ティッシュを二三枚取ると、わたしは涙をぬぐったあとチーンと鼻をかんだ。
「大分、ぶっちゃけたなあ」
ティッシュ箱を持ちながらゴロウが言う。
「引いた?」とわたし。
「いや、引かないから。大丈夫。むしろ、それでこそ、サユリだ」
「……引いたんだ」
「いや、引いてないって」
「ウソだあ。だって、顔引きつってるもん! いつものゴロウはもうちょっとは優しい顔してるのに!」
「オレはどんな顔しててもイケメンだ!」
「ウザイこと言い出したよー。いつものゴロウじゃないよ。やっぱり、わたしのことで戸惑ってるんだ」
「今さらお前に戸惑うわけないだろ」
「……本当に?」
「おう、まかせろ!」
「無駄に爽やかになったよー。いつものゴロウじゃないよー」
「いつものオレだって言ってるだろ。とりあえずアイス食え」
「……食べさせて」
「はあ?」
「あーんして食べさせてくれたら、ゴロウのこと信じられるような気がしないでもない」
「全く脈絡がない上に、しないでもないってなんだよ。なにその自信の無さ」
「できないんだね。カノジョにあーんすることもできないんだ。やっぱりカレシになってくれるっていったのはウソだったんだあ」
わたしは、びえええええん、と泣いた。激しくウソ泣きした。すると、
「うるせえええええ!!」
すぐ隣から叫び声が上がった。
もちろん、ミキちゃんである。
「三文芝居やめろって言ってんでしょうが!」
そうして、ゴロウの頭を二回はたいた。
「なぜオレをなぐる?」
「女の子の頭なぐるわけにいかないでしょ」
わたしは、咳払いをすると、ミキちゃんに顔を向けた。
「あの……ミキちゃん」
「なに?」
「そういうわけでわたし本気なんですけど……引いてる?」
「なんで? 引いてないよ。それに本気だってことはずっと前から知ってたし」
「……え?」
「そんなの見てれば分かるよ」
わたしは首筋が火照るのを覚えた。これまでやっていた愛の告白が冗談ではなく本気であるということをミキちゃんには全部知られていたなんて! まさか、と思って、叔母さんに視線を向けたわたしは、包み込むような優しい微笑を見た。
「サユリちゃんだったら、嫁姑の関係を心配しなくていいから、楽だわ」
叔母さんが言う。
わたしは、数分前とは明らかに異なった世界にやってきたことを感じて、幸せで死にそうな気分だった。死んだことないけど。
「じゃあ、もういいな。オレ、ゲームに戻りたいんだけど。折角部活無い日なんだからさ」
「ええっ! このタイミングでゲームに戻るの? どういう神経通わしちゃってんのって話ですよ!」
「話は終わったろう。相思相愛のハッピーエンディングで」
「本人同士OKでもね、世間ってそういう甘いもんじゃないのよ、ゴロちゃん」
「ちゃんづけやめろ」
「なんでー? 可愛いからいいじゃん、ジロちゃん」
「誰だよ、そいつ!」
「とにかく叔父様にお許しいただけない限り、わたしたちの物語はネバーエンディング!」
「分かった分かった。じゃあ、それはオレが話すから。お前が我慢できれば」
「耐えるよ」
「うん。じゃあ、オレ、ゲームに戻るな。オヤジ帰ってくるまで」
「お相手しよう」
「……いや、いいよ」
「え! もういきなり二人の関係、倦怠期? 思えばもう6年付き合ってることになるわけだし。わたしに飽きたのね!」
「お前には飽きそうにないよ。面白すぎ」
「え、それ、『愛してる』って言う意味?」
「変な脳内変換するな!」
「じゃあ、なんでゲーム一緒にやらしてくんないのよお」
「お前強すぎるからだよ。格ゲー強い女ってなんだよ、それ!」
「一緒にやってたからじゃんか。元はと言えば、そっちが引っ張り込んだ世界でしょうが。わたしは、歴史シミュレーションが好きだったのに」
「それだっておかしいだろ。もっと可愛いもん好きになれよ」
「うん、だから、わたしゴロウのこと好きなんだ、てへ」
「うまくねえよ! 男に『可愛い』言うな!」
そこでわたしは殺気に気がついた。
見ると、一人の美少女が、全てを凍てつかせるような目でわたしたちを見ている。
「あんたらが付き合うのは勝手だけどね、わたしの前でうっとうしいじゃれあいを見せるんじゃない。サユリちゃん、嫁にとって世界で一番恐ろしい存在『小姑』を知らないの?」
わたしは、ごくりと息を飲んだ。
そうして、叔父様が帰ってくるまで一言もしゃべらないことを厳かに宣誓した。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
宣誓を守ったわたしは、叔父様が帰ってくるまで全然話さなかった。
わたしはとめどなくしゃべることも得意だが、黙っていることだってやろうと思えばやれないこともない。
「……しゃべらないサユリって不気味だなあ。なんか怒ってんのか、って話になる」
わたしは、ゴロウの言葉に対して、小首を傾げるようにして微笑してみせた。わたしの上品な微笑みに魅せられたのか、ゴロウは身を引くようにした。
7時前に叔父様が帰宅。
「お帰りなさいませ」
わたしは、玄関前で両膝をついて、叔父様をお迎えした。
「やあ、サユリちゃん。いらっしゃい」
「お疲れ様でございました。お鞄をお預かりいたします」
「ありがとう」
叔父様はわたしの奇行に慣れているのか、穏やかな応答をした。兄弟なので父と良く似ているが、叔父様の方が穏やかな感じ。叔母様も品が良い方だから、だとすると、ミキちゃんのあの性格は誰似なのだろうかと思った。
「お二人に反抗してるのね。ミキちゃん。反抗期なんか、はやらないからおやめなさい」
「サユリちゃん」
「なあに?」
「チョーシに乗んなよ」
「……はい」
手早く入浴を済ませた叔父様が、
「やあやあ、お待たせしたね」
そう言ってゆったりとした部屋着姿で帰って来て夕食ということになった。
卓を囲んで、わたしはドキドキした。
夕食の前にゴロウが話してくれるだろうと思ったからである。
「いただきまーす」
あれ?
普通に始まる夕飯。
わたしはゴロウの方を見ないようにした。この期に及んで催促などしたくない。
「サユリちゃんは、学校はどう? 楽しくやってますか?」
叔父様の質問に、わたしは学校のことを話した。話し始めると止まらなくなり、次から次へと話してしまって、テーブルの会話を独占することになった。わたしは、会話独占禁止法に引っかかってしまうことをおそれ、自主的に口を閉ざした。この法律に引っかかると、「ウザいヤツ」「ウルサいヤツ」「ウットウしいヤツ」という烙印を押されてしまう。
「ああ、そうだ、オヤジ」
隣の席のゴロウがお茶碗を片手にした状態で言う。
「ん?」とゴロウの方を向く叔父様に、
「オレさあ、サユリと付き合うから、結婚を前提にして」
ゴロウは、まるで日常の普通の話題ででもあるかのようにして言った。
叔父様が咳き込んだ。
わたしも咳き込んだ。
まさかゴロウがご飯を食べながら言うとは思ってもみなかった。食事が始まったからには、もうてっきり、食後のリラックスタイムにでも話すのかと思ってたのに。さすがゴロウだなあ、とわたしは感動した。感動しすぎて、若干胸が悪くなった。
「……結婚を前提にしてとは、また急なことだな」
叔父様が落ち着いた声で言う。
わたしは落ち着かなくなって、視線をちょっと下げた。お椀のなかに三分の一くらい残ったお味噌汁が、ほわほわと湯気を立てているのが見えた。
「それが急じゃないんだよ、オヤジ。実は、オレとサユリはもう6年も前に婚約してたんだ」
「ふむ」
「報告がちょっと遅れたけど、許してくれる?」
「……うーむ」
なにゆえ普通に付き合うという話ではなくて、結婚を前提にしてなんてことをゴロウが言ったのか、わたしには分からなかった。そういうことを中1が口にすると話全体が冗談ぽく聞こえるのではないかと心配だった。
食卓は、しーんと静かになった。
その沈黙の中、わたしはちらりと目を上げて、叔父様を見た。
叔父様は、腕を組んで目をつぶっている。
息子の言った言葉があまりに唐突すぎて、それをじっくりと考えているように見えた。
わたしは審判を待つ罪人のようにびくびくと叔父様の言葉を待つ。
有罪? 無罪?
叔父様の目がゆっくりと開いた。
その目がゴロウを見る。
「ゴロウ……」
「はい」
「……本気なのか?」
「おう」
「男が一度口にした言葉だ。守るつもりはあるんだろうな?」
「ある」
なんだかとっても張り詰めた雰囲気に、わたしは緊張してきた。叔父様は冗談をやる方じゃないので、ということは本気ということになって……ええっ! け、結婚? 結婚って……。わたしはゴロウを見た。彼の横顔には真剣味が漂っている。
叔母様を見ると、叔母様は叔父様とゴロウの会話を見守るようにしており、ミキちゃんを見ると、ミキちゃんは長い睫毛に縁取られた瞳でウインクしてきた。
「よし」
叔父様はうなずくと、今度はわたしの方を見た。常に穏やかな瞳に厳しい色があって、わたしはドキッとした。
「サユリちゃんはゴロウでいいんですか?」
その言葉に、わたしは無意識に反応していた。
「はい、好きなんです!」
静かな室内に、わたしの声が大きく響く。
その響きが消えると、叔父様の目がまた穏やかになって、その目に微笑が灯った。
「分かった。じゃあ、反対する理由はないよ」
その瞬間、パチパチパチという祝福の拍手が鳴った。
ミキちゃんが席から立ちあがって、手を打ち鳴らしている。
わたしは体から力が抜けていくのを感じた。
☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★
わたしは椅子の背もたれにへなへなと寄りかかった。
「大丈夫か?」
隣からかけられるゴロウの声に、
――大丈夫なわけないじゃんか!
と心の中で答える。
付き合いを許して欲しいというお願いだけでよかったのに、結婚を前提、なんていう話になって、わたしは戸惑うやら嬉しいやら嬉しいやら嬉しいやら、「でも、これ、本当に本気なのかなあ?」という不審の気持ちやらで、てんやわんやになった。
「本気なんでしょうか?」
なぜだか敬語になってわたしが訊くと、
「オレはな」
という平然とした声とともに、「お前は?」という声が返される。
「もちろん」
という声は一拍遅れてしまった。
ゴロウがじと目でこっちを見てくる。
「まさか冗談だったのか?」
「そ、そ、そんなことないよ」
「なぜどもる?」
「ど、どもってないし」
「いや、どもってるよ。完全にどもってる」
ゴロウは疑わしい視線を向けてきた。
わたしは見返した。
視線が交わるところに、火花が散る。
想い合う二人の間から生まれるのはピンクのハートでなくてはならないぞ、と思ったわたしは、えへっ、という感じでスマイルを作ってみた。しかし、効果は無かったらしい。なおもゴロウが言う。
「本当に冗談じゃないんだろうな?」
「違いますー」
「語尾を伸ばすな」
「その言い方、うちのお父さんみたい。『ハイ』は一度だけ?」
「ふざけるなよ」
「ほい」
「『ほい』ってなんだよ!」
「何怒ってるの?」
「いや、怒るだろ。普通に」
「なんでさ?」
ゴロウは箸を置くと、はあ、とため息をついた。
なんかわたしは呆れられてしまったらしい。
「どうしたの、愛しい人?」
「その愛を疑ってるんだよ」
「どうしてさ?」
「お前が冗談をやってるから」
「分かんないかなあ。冗談っぽくすることによって照れ隠しをする乙女心」
「オレ、乙女じゃないからな」
「いや、違うから。話がちょっと急すぎて」
「今さっきおれのこと好きって言っただろ」
「好きだけど、結婚ってことになると色々考えなきゃでしょ」
「6年前にそっちがプロポーズしてきたんだろうが。忘れたのか」
「あれはまだ、わたしが幼心の姫だった頃のことだから」
「なんだよ、そのキャラ!?」
「まあ、仮にだよ。仮に結婚を前提にするとしても――」
「仮ってなんだよ!」
「ちょっと、落ち着こうか、ゴロウくん」
「落ち着いていられるか! たった今オヤジに誓ったところなんだぞ、お前と結婚するって。嫌でも結婚してもらうからな」
「……とりあえず、茶碗置こうよ。どんな愛の告白よ」
ゴロウは茶碗を置かず、その代わりに箸を手にしてガツガツとご飯を食べると、もぐもぐして、それから茶碗と箸を置いた。
「でね、ゴロウ」
「んだよ?」
「仮に結婚を前提とするとしてもね、うちの親に挨拶してもらわないとさ」
わたしは言った。
結婚云々というか、そもそも付き合いを許してもらわないとどうしようもない。
「明日頼めるかな?」
「わりい。明日、部活だから」
「ええっ! 部活とわたしとどっちが大事なの!?」
「あー、そりゃ部活だな」
「怖いんでしょ?」
「ん?」
「うちのお父さんに殴られるのが」
「なんで殴られるんだよ?」
「『どこの馬の骨とも分からんヤツに娘はやれん!』的な」
「いや、オレ、おじさんの甥だからね。しかも、仮に馬の骨だったとしても、なぜ殴る?」
「なんかノリで」
「おじさん、そんな人じゃないだろ」
「ゴロウにうちのお父さんの何が分かるの!」
「結構分かると思うけどなあ……じゃあ、とりあえず、来週な。来週の土曜日はまた部活休みだから」
「え? ……えーと、まじで?」
「どっちなの? 行ったほうがいいの、よくないの?」
「いや、もちろん来てほしいけど」
ゴロウは、この間わたしたちを勝手にしゃべらせておいて夕飯を食べていた家族のうちで、叔母様に向かって、「なんか菓子折り用意しといて、お袋」と声をかけた。
叔母様は、「はいはい」とうなずいた。
「着て行く服は、学校の制服でいいよな?」
ゴロウが言う。
すかさず、ミキちゃんが、「髪はカットしてきなよね」と言った。
「オヤジが挨拶しに行ったときのこと教えてくんない。参考までに」
ゴロウが叔父様に言うと、叔父様は、「ううむ」と唸るような声を出した。そのそばで、叔母様が笑っている。
話が急展開すぎてわたしは自分で言い出したことながら、軽いパニックに陥っていた。もしかしたら、みんなで演技的なことをしているんじゃないのか、と疑いたくなる。あまりにとんとん拍子に話が進み過ぎて、まるでドラマのよう。
わたしは隣のゴロウの肩に手を当てると、軽く揺さぶるようにした。
「本当に本当に本気なの? ゴロウ」
ゴロウは呆れたような顔をすると、
「くどいなあ。本気だよ」
それから、何かを思いついたかのような顔になって、食卓を立った。
「サユリも立ってくんない」
言われるまま、わたしも立ち上がる。
ゴロウはわたしの片手を取ると、その手を押し戴くようにして、床に膝をついた。
「サユリ」
「はい」
ゴロウから見上げられる格好になって、わたしはどきどきした。
「オレと結婚してくれる? できる年になったら」
ゴロウの真剣な目が、まるでこの世の中にわたししかいないようにまっすぐに向けられている。
「はい」
そう言って、うなずくほか、わたしにできることは何もなかった。
(おしまい)