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7話 詞に流れゆく過去

少年は己の中にある神通力を知るべく、ついに修行を始める。

――どうかされたのですか?紅月くづきが巫女様

――っ!?火渡ひわたり……気が付いて、いつからだ!いつから気づいておった!

――もうずいぶんと前から後をつけていらっしゃった。

――あ、あー、むぅ……お、お前はあれじゃ!

――あれとは?

――いつまでたっても他人行儀なヤツじゃ!それに、その!

――その?

――なんでもないっ。そ、それよりもお前の子は……?

――あの月が満ちた頃にございますよ

――……そうか。のう、薙枯ながれ

――どうかされましたか?

――子が生まれると"炎魔"はどうなる?

――地照大御神より頂きし神通力、"炎魔"は子に移ることでしょう。

――やはり子をなさねば力は正しく移ろわぬか

――紅月が巫女様?どうかされましたか?

――ひ、ひ、火渡っ。火渡薙枯!お、お前は私の事をどう、どう!

――ふふっ。すこし落ち着いてください。

――な、な、なにがおかひい!?

――いえ、私は、紅月が巫女。いえまとい。貴女の事を……



 目が覚めると少し薄暗い自分の部屋。また夢を見た。

今度はどこかの屋敷で夜空の月を見ながら俺は酒を楽しんでいた。

そこへ紅月纏っていう巫女服を着た女性が、顔を真っ赤にしながらわたわたと慌てふためいているのを俺は嬉しそうに見ていた。

昨日、俺が巫女さんに感じたその感情と似ている反面、なんで紅月纏って女性の方にその感情を抱いているんだろうと俺は不思議に思う。

夢の中とはいえ、その感情を抱くのは巫女さんがよかったな。

……でもまてよ、夢の中の俺は子供がどうとか言ってなかったか?つまり、もう別の人が居るはずなのに、紅月纏って人に特別な感情を?

夢の中の俺、最低だな!


「っと、あくまで夢の中であって俺じゃねぇからいいか。さ、起きるか」


 カーテンの隙間から見えるのはわずかに白んだ空。

濃い藍色を薄くしていく夜明けの空気は、夏でもわずかに涼しさを覚える。

もう少しすれば家と家の間から顔を出す太陽に空は朝焼けに染まり、いつも通りの夏の暑さを運んできてくれるだろう。

家族は俺以外誰も起きていない朝、さっそく神社へ向かおうとして思い出す。

そういえば巫女さんからは絶対に太陽が出てから来るようにと言われていたんだっけ。

特に夜明け、夜と朝の境目は悪いことが起こりやすいらしい。

つまり、俺が神社で襲われたときの様な危険と出会う可能性があるんだそうだ。

早起きは三文の徳ってことわざも今ばかりは使えそうにないな。

さて、夜明けまで時間が余ってるけどどうするか。

俺は薄暗い中、電気もつけることなく2階にある自分の部屋からキッチンへ。

うちはオープンキッチンで、リビングに置いてあるテーブルが食卓となる。

いつもなら起きると兄貴が朝食を用意してくれてるんだけど、こんなに朝早くではテーブルもまっさら。何もない。


「朝飯、作るか」


 ご飯の炊き方とかよくわかってないから、電子レンジであっためるタイプのご飯を用意し、適当にベーコンエッグを作って一人テーブルに並べる。

流石にそれだけだと物足りないので、お湯で溶かすタイプの味噌汁。親父が晩酌で食べてるイカのカラスミを拝借。最後に麦茶を用意して完成


「うん、いただきます」


 窓の向こうが結構白んできた。

こんな朝食の取り方は今日が初めてだ。修行が気になって目が覚めちゃったような気がする。

いつもならもっと遅く起きるし、起きた頃には母さんも親父も仕事に行ってしまってる。兄貴が朝食を用意してくれてるし、第一こんな手抜きな朝食じゃない。

そんないつものではない朝食を手を付け始めると、ふと窓の向こうに視線を感じた。


「……なに見てんだよ」


 それは真っ白な犬だった。

うちの庭に入ってきて、湯気を立てる白いご飯を食べようとしている俺をお座りしながらじっと見ている。

サモエドっぽい毛並みだけど顔つきが日本種に近い気がする。犬種はよくわからないけどゴールデンレトリーバーのような大型犬だ。

この辺は住宅街で犬を飼ってる家なんてそこら中にあるが、そいつは見たことはない。

よく見れば首輪もしてないが、ふさふさの毛並みや目の柔らかさが野良犬でないこともわかる。


「逃げ出してきた犬か?」


 犬は答えない。じっと俺を見ている。

まぁ犬だしと思うも、誰かにじっと見られながらの食事は正直言って箸が進まない。

口にいれかけたご飯を置くと、仕方なくリビングから窓を開けて犬の方へと向かう。

逃げてくれれば御の字と思ったが、残念ながら俺が来るのを待ってるみたいだった。

窓を開け、言う。


「なんか用?」


 犬は一回だけ鳴いた。もちろん意味なんかわかんない。

こういう時にどこかのマンガで見た動物の言葉がわかる道具とか欲しいと思う。もちろんそんな便利な物はないし、うちはペットも飼ってないので犬の気持なんかわからない。

庭にいるその犬は特にそのあと吠える様子もなくおとなしい。やっぱり誰かに飼われている犬なんだろうか。まぁ無駄に吠えられるよりかはましか

動く気配もないのでどうしようかと困っていると、犬はすっと立ち上がり、歩き出し、ひょいとリビングに上がろうとしてきた。

俺はその前足二つをキャッチする。


「待て、なんで入ろうとしてんだよ」


 犬は暴れることなく俺を見ている。人には慣れているようだが一歩も引く気配はない。

俺はふと、後ろにてまだ湯気を立てている朝食を思い出し、まさかだけど食べたいのかコイツと思い至る。


「そのまま上がられると足に着いた土で汚れるだろ。お前、親父に怒られるぞ。あ、いや母さんの方か。怒られるの確実に俺だけど。どうしっかな。とりあえずちょっと待ってろ。今拭くものと食べれそうなもん用意してやるから」


 腹が減ってるんじゃ仕方ねぇやと犬に向かい言ってみると、犬はすっと体を引いてそこ場にお座りをする。なんでかわかんないけど通じた気がする。

適当にタオルを濡らし犬の足を拭いて窓からリビングへと入れてみる。

家の中に入ったその犬は、少しばかりリビングをきょろきょろと見回してから、器用に椅子を頭で引くとそこに乗り、俺の朝食をじっと見た。

こいつ、やっぱ食べたいのか。

俺も手を洗い直し、冷蔵庫を開けて食材チェック。


「んー、焼いて食えるもん…肉焼くか。犬って納豆食えるんだっけ?」


 ペットを飼っていないうちにドッグフードなる都合のいいものはない。

犬にとっての食事の知識はあんまりないが、そういや親友の一人が犬飼ってて、そんとき話に上がった気がする。と、記憶の掘り起こしをフル稼働させる。

肉は必ず火を通さなきゃダメ、レバー類はできるだけ避ける。ハムとか加工肉は駄目だった気がする。野菜は正直言って何が駄目なのか種類すげーあるらしいけど、キャベツとかさつまいもは大丈夫だったはずだ。芋は調理しないとだめだけど。当たり前だけどネギとか蒟蒻、ニンニクも使っちゃダメと。


「お前めんどくせぇな。何食えるんだよ」


 椅子に座ったままこっちを見てる犬に文句を言ってみると、なんのこと?とばかりに首を傾げてやがった。この野郎。

取り合ず適当に肉を切ってから焼いて、俺のと同じく電子レンジで温めるタイプのご飯。醤油とかも味付けしてないただの納豆。それからキャベツとかを適当にお皿に入れてテーブルに出す。問題ないはずだ。好みかどうかは全く分からんが。

最後に水を深めの皿に入れて出しておく。


「んじゃ、改めていただきます」


 こうして一人と一匹の奇妙な朝食が始まった。

ブルジョアみたいな犬じゃないらしく、出されたものはちゃんと食べている。それと犬にしては食い方が上品と言うか、テーブルにこぼすことはしていない。粘つく納豆あるのにすげえな。

当然犬なので会話できることもなく、俺も少しだけ冷めた朝食を食べる。

ご飯、みそ汁は市販品だから文句言ってもしょうがないけど、流石に料理し慣れてないのがよくわかる。一口入れたベーコンエッグだが、完全に塩コショウとかの調味料を入れ忘れていた。味が素朴感たっぷりだ。


「兄貴の様にはいかねぇなー。なぁ俺のご飯不味い?」


 犬は特に反応もなくただ黙って食べている。

俺もそれからは何も言うことなく箸を進める。聞こえてくるのは互いの食事の音と朝から騒がしく鳴き始める蝉の音。

犬と俺の食事が終わるころには太陽が顔を出し初め、朝焼けに空が染まっていた。


「ごちそうさまでした。ふぅ、腹ぁ膨れたぜ」


 言うほどご馳走ではなかったが日本の良き習慣を犬相手に行う。犬も合わせて頭を下げていた。

で、朝食は済んだけどそろそろ朝が早い親父と母さんが起きるはずだ。

流石に犬を家に上げて勝手に食事させたとなれば何言われるかわからないので、ささと食器を下げ、急いで洗い物を終える。

できれば使った食材の生ごみとかわからないよう処理したかったが、冷蔵庫の中身を完璧に把握している母さんならすぐにばれるかと思い至り諦める。言い訳は腹が減ってたので二人分食った。でいいか。

犬の足を拭いたタオルはささっと洗濯機に放り込んで、あとはたぶん大丈夫か。たぶんバレないだろう。


「あとはお前が帰ってくれれば……って、あれ?いねぇ」


 一通り処理してリビングに戻ると、犬の姿はどこにもない。

リビングの窓は締めた記憶はないので、俺がいろいろと後始末している間に勝手に帰ったのだろうか。まぁ犬に向かって勝手もなにもないけども。

せめて出てくよーとでも鳴いてくれればよかったのにと思いつつ俺は息をついた。

ふと朝食を片づけた後のテーブルに見慣れないものがあった。

丁度犬が食べていたあたりの所だ。


「札?」


 真四角のそれは"天照皇大神宮"と墨で書かれており、下には朱印が押されていた。

"天照皇大神宮"ってことは、天照大御神がいるはずの伊勢神宮のお札だ。

うちのリビングには神棚があって、似たようなものがあったはずだ。何かの拍子……犬の悪戯で落ちたか?と思い至り、神棚を見上げる。

が、そこにはいつも通りうちの札が置いてあった。

つまり、テーブルに置かれているこの札はうちのではないと。


「……犬ぅ、朝食の駄賃にしては結構なもん置いてってくれたな」


 いや、あの真っ白い犬が置いていったかどうかわからないし、朝食代としておいていったかどうかなんて全く分からないし、そもそも犬に人間の感覚的なもの求める事態可笑しいけど。

とりあえず、そう思うことにした。

まぁもしまた来ることがあればだけど、俺が母さんや親父よりも早起きして朝食を作る気になったらまた作ってやろうと思う。


「さてと、神社行くか!」


 狗との不思議な朝食を終えて巫女さんの言う通り太陽がしっかりと顔を出したのを確認すると、俺は家を出ることにした。

母さんや親父、兄貴は俺の早起きに驚き、同時に俺が勝手に食材使ったこと、あと食いすぎだと怒られた。まぁ、俺と犬の二人分だしな。

札の事は特に言うこともなくいつものようにビー玉をもって、いつもの神社への道をたどる。

今日から、修行。

そう、俺の神通力を抑える修行が始まる。


「おはよう」

「おう!おはようだぜ!」


 神社に着くといつもの縁側ではなく、巫女さんは社の前で待っていた。

木漏れ日の影の下ではない朝日を受けるその笑顔に、少し強気の様なものが見える。

その顔から修行に向かい気合が入っていることがよくわかる。やる気十分って感じだ。

修行と言うものの内容はまだわからないけど、そんな巫女さんを見ていると俺も頑張れる気がした。


「今日からやるんだよな修行」

「うん。ちゃんと準備できてるよ。と、その前にビー玉見せて」

「おう。つってももうほっとんど透明だぜ?」

「確かにもうほとんどお守りとしての効果ないね。これはもういいかな」

「あ、このまま持ってちゃダメ?」

「効果ないよ?」

「せっかく巫女さんにもらったし」

「いいよ。持ってて」

「ありがとう。で?修行ってなにやるの?」

「ついてきて」


 巫女さんはそう言うと久我守神社の社。立派とは言いがたい本殿へと向く。

そのまま賽銭箱の奥の扉の前に行くと、札がぶら下がるしめ縄をゆっくりと外し、扉に手を掛け、ゆっくりと開けていく。

木が軋む音が建物の古さを俺に教えてくれる。何年、いや何十年。もしかすると百年以上開けられていないだろう古い社。神社で遊ぶことはあってものぞき込むことすらしなかったその中に初めて足を踏み入れた。

朝日が差し込むその中は、すごく簡素だった。

そして手入れされていないことがよくわかるほどにボロボロだった。

明かりと取り入れる窓だけでなく、朽ちて壊れた隙間からも光は差し込み、床はところどころ穴が開いている。

長い間使われていないことがわかるように、舞い込んだ緑の葉が落ちていた。

そして、その正面。

巫女さんの向こうに見慣れないものがあり、俺はそれに目を奪われる。

おそらく桐で作られた真新しい台座と、その台座に置かれた銅鏡。

銅鏡の向こう側には壁に掛けられ、三メートルを超える奇麗な水墨画の掛け軸。

驚くほど大きな水墨画には、上下に白い犬の様な生き物が真ん中にある昔の街並みに向けて光を照らしているようだった。

朝、変な白い犬と朝食を一緒にとったせいか、余計に気になる。


「気になる?」

「銅鏡もそうだけど、すげぇ絵だな」

「この絵は天地光照狗神図てんちこうしょういぬがみず

「いぬがみ。神様?」

「そう。二つの大神様が光を降り注いでいる様子を描いてあるんだって。一人は天から光をあまねく照らしを、もう一人は地より光をあまねく照らす」

「狼?ニホンオカミ?」

「あーえっと、大きな神様って書いて大神」

「おお。大御神おおみかみってことか」

「うん」

「普通、掛け軸ってこういうとこに置いたままなだと劣化しない?もしかして、これ今日の為に用意した奴?」

「ううん。用意したのは銅鏡と桐の台座だけ。この天地光照狗神図はずーっと前に、紅月くづきっていう人が飾ってくれたの」

「紅月……」

「ん?どうしたの?」

「……なんでもない。珍しい名前だと思って」


 巫女さんから出たその名前には聞き覚えがあった。

夢の中。そう、今日見た夢だ。

月を見ていた俺に話しかけ、夢の中の俺が特別な感情抱いていた巫女さんと同じ巫女服の女性。紅月纏くづきまとい

同じ紅月という点、夢で見た巫女さんと地照大御神。火渡薙枯と俺。

これが全部偶然だって言うのはもう、あり得ない話だろう。

そして、そうなると、俺の中にあるはずの神通力はたぶん。


「さて、修行を始めようか」

「おう」


 その答えを言葉に出すことはしない。

たぶん、いや間違いなくこの修行でわかるはずだ。

同時に、巫女さんが絶対に名前を教え合えないその理由も。

夢の話は確信を得てから。そう、ちゃんと神通力がなんなのか見極めてからにしよう

上手く説明できないところはあるし、第一、まだ夢の話だ。


「そこに座って。あ、座布団いる?」

「欲しいかも」


 巫女さんがどこからか用意してくれた座布団に正座して座る。

その間に巫女さんは銅鏡を手に取ると、俺の前に座って銅鏡を向けてきた。

巫女さんの上半身ぐらいある大きな銅鏡は、古ぼけたと言えば悪いのかもしれないけど、かなり昔からある物みたいで、色の劣化や装飾の欠損がかなりある。

その反面、今俺を映し出している鏡の部分はこれでもかとばかりに磨かれており、現代技術で作ったものを張りくっつけたような印象を受ける。

その鏡には、座っている俺の姿がはっきりと映っていた。


「こんなものかな?」

「フツーの鏡みたいだ。銅鏡ってもっとこう鈍く滲んでるイメージ合ったけど」

「すごいでしょ」

「なんかすごい自慢げだね」

「私のお気に入りだからね」

「それで、俺、どうすりゃいいんだ?」

「まずは、君の神通力の本質を私が見極める」

「神通力の本質?」

「そう。神通力と言っても与えた神様によって様々あるの。私が他の神様の神通力を扱う為にはその本質をまず見極めなきゃいけない。神通力がもたらす効果や、神通力がどこから授けられたものなのか。銅鏡はそれらを形にして見せてくれるための物。君は今日からこの銅鏡に向かって祈りをささげることになるかな」

「祈り?何を祈ればいいんだ?」

「この久我守神社の主に向かい神通力の本質を見せてほしいと祈ることが君の修行」

「わかった」

「まずは弐拝、弐拍手、そして壱拝にて祈りをする」

「祈りって、どれくらいすればいい?」

「私がいいよって言うまで?」

「……長い?」

「長いかも。あ、でもお昼までには」

「ざっと三、四時間ぐらいか」

「それを大体十日ぐらい」

「毎日?」

「うん毎日」

「それと、何が見えても決して目を開けないこと。いい?」

「わかった」


 修行って言葉から滝修行みたいに、水に打たれて痛そうとか考えていたけど、話を聞く限り忍耐力の方かぁ、苦手な方だぁ。と心の中で愚痴をこぼす。

とはいえただじっと祈るだけ。それも十日ならなんとかなりそうだとも思う。

まずはって言ってたからこの続きもありそうではあるけど。


「早速やりますか巫女さん」

「それじゃ弐拝、弐拍手、壱拝」


 巫女さんに言われた通り頭を二回下げ、二回柏手を打ち、もう一度頭を下げる。

そして目を閉じて体を起こし、久我守神社の主へ祈りをささげる。

目を閉じた暗闇が広がる中、長い時間を祈り続けるのは大変な事だ。

俺はじっとしてると動きたくなる癖の様なものがある。けど、それは今は邪魔になるだけ。できるだけゆっくりと呼吸をして、できる限り体に力が入らないように気持ちを落としていく。

目を閉じて見える物を暗闇だけに変えると聞こえてくる自分の呼吸音と、鼓動している心臓の音。それ以外は何も聞こえない。それは自分の内側に入り込んだような感覚。これから自分の中に神通力を知ろうというのだからこの感覚は正しいもののはずだ。

ゆっくりと静かにそれを受け入れていく。

ふと、巫女さんの声が聞こえ始めた。



かむかぜのいせのくに さくすずいすずのはらの

そこついわねに おおみやばしらふとしきたて たかまのはらに



 奇麗で、まるで歌うように聞き心地いがいい。

心が落ち着き、声に聞き惚れた瞬間、目と閉じて暗闇に落ちていた視界が一変した。

驚いて目を開けそうになるけど、巫女さんの言葉を思い出し、その光景を受け入れる。

目にしたそれは金色。いや、金色の背景にいろいろなものが描かれていた。まるで永遠と続く金屏風を流し見している……なんて表現すればいいのか。絵巻物のように景色が変わっていくと言えばいいのか。

目まぐるしく流れていく金屏風には黄金の雲と幾重も重なる歴史の数々。色鮮やかで華やかでありながらもその裏側にある苦悩や絶望も描かれていた。

古都、神社、社、血と争い、神に飢饉と悪鬼羅刹。

あっという間に流れていく光景に目を奪われていると、ふと金屏風に描かれていた赤い太陽がゆっくり欠け落ちていく。同時に今まで見えていた金屏風の絵巻物が暗くなっていき、太陽が完全に欠け落ちると、また暗闇へと戻った。

あっという間の出来事に、俺は暗闇の中、それを呆然と見ているだけだった。



ひぎたかしりて しずまりまします

かけまくも あやにとうとき あまてらすすめおおみかみ



 巫女さんの声がもう一つ。同時に、しゃん、と鈴の音がした。

暗闇の中を見続ける俺はその音と同時に一人の男の子を見つけた。

みすぼらしいと言えば悪い言い方なんだろう。そこ男の子は俺ぐらいの年ごろなんだけど、すごく痩せて、衣服もボロボロ。血のにじむ手と足で座り込んでいる。

しばらくその子供を見ていると、一人の平安装束の女性が現れる。

その平安装束の女性は男の子と同じ年ごろの女の子を連れており、二人は意気投合。

ふと、平安装束の女性が暗闇に消えると同時に男の子と女の子は成人へと成長していた。男の方は刀を持ち、女の方は巫女装束。

それは夢で見た火渡薙枯ひわたりながれ紅月纏くづきまといだった。

巫女服の紅月纏を守るよう、火渡薙枯は忠誠を誓う。

その間には互いに想う気持ちが感じ取れた。



またのみなは つきさかきいずのみたまあまかざるむかつびめのみこと

またのみなは あまてらすおおひるめのみことの

おおみかどを いわいまつりて いわまくもかしこれど



 また巫女さんの声と、しゃん、と言う鈴の音。

ふと火渡薙枯と紅月纏の姿が消え、そこに、涙を流す巫女さんの姿があった。

その周りにはとんでもない数の骸骨。何十、何百、何千と折り重なる人の亡骸を嘆き悲しんでいた。それが飢饉や悪鬼によるものだということは容易に想像できる。

そこに、痩せて今にも死にそうな人たちが巫女さんに向かい助けを求める。

いや、助けを求めながら骸骨へと変わっていく。

祈りながら、絶望し、死んでいく。

泣き果てる先に巫女さんは立ち上がった。

目を閉じ、迷い、そして一つの扉を開くと、そこから三つの火を取り出した。

やがて巫女さんは二人の男と一人の女にそれぞれ火を手渡す。

夢で見た、藤原逸成ふじわらのいつなり、火渡薙枯、紅月纏の三人だ。

三人はその火を振りかざし、暗闇に明るさを取り戻していく。

それからしばらくは、平穏な日々が続いていく。

火渡薙枯、紅月纏、そして巫女さんは仲が良く笑い合うこともあり、とても幸せそうに見えた。

そこに一つの陰りが差し込む。



あまつひつぎしろしめすすめらみことの おおみよを

ときわにかきわに まもりたてまつりたまい

うつしきあおひとぐさをも めぐみさきわへたまへる



 巫女さんの声とともになる鈴の音で、次の光景が映し出される。

それは巫女さんの傍らで血みどろになって倒れ伏す火渡薙枯と紅月纏の姿。

倒れ伏した火渡薙枯は全身がずたずたになっており、背中から胸に突き刺さった一本の刀が命の終わりを伝えている。

紅月纏は体中血にまみれ、力なく巫女さんを見るその姿はもう―――。

泣きじゃくる巫女さんが、紅月纏を必死に生かそうと何度も何度も胸に手を当てて試みているけど、やがてそれはむなしく終わる。

悲痛な叫びだけが、聞こえてくる。

失いたくない。

別れたくない。

力が、足りない。

信仰の薄れた私では神通力が足りていない。

激しい悲しみ、そして激しい後悔。

巫女さんが俺に修行の話を出したときのことを思い出す。

神社、神様への信仰心が巫女さんの神通力の強さであるということを。

泣き崩れる巫女さんの前で静かに息を引き取る紅月纏。それは火渡薙枯の亡骸と共には闇に溶け、巫女さんは暗闇の中、一人きりとなった。

蝉の音をかき消さんばかりの悲しみの声がどこまでも響く。

その日から巫女さんの周りから蝉の声は消えてなくなった。

そして―――



ひろくあつきみめぐみに むくいたてまつると

たたえごとおえまつりて おろがみたてまつるさまを

たいらけくやすらけく きこしめせと かしこみかしこみまおす



 最後の光景は、久我守神社。

たった一人で神社の縁側に座り、葉の音を聞き続ける巫女さんの姿。

もう誰一人として巫女さんに声を掛ける人はいない。

仲の良かった火渡薙枯も、紅月纏もいない。

巫女さんが寂しげに座る久我守神社にはたまに人が来る。

何度か巫女さんから話しかけようとしてみるけど、その声は決して届かない。

いつしか巫女さんはずっと久我守神社の縁側に座っているだけとなった。誰が来てもわずかに目線を向けるだけ。寂しさを紛らわせるよう巫女さんはじっと目を閉じたまま葉の音を聞き続けている。

もう、人とかかわりを持つことはない。それは自分に言い聞かせるそのように。

神社が朽ち、自らも朽ち果てるのをただ静かに待つかの如く。

秋が過ぎて、

冬が通り、

春が訪れ、

夏が来る。

また秋が来れば季節は巡りを続けた。

それは恐ろしく長い時間。

何十、何百と巡りまわる季節。

時間と共に朽ち果てていく久我守神社。

忘れ去られたその神社で一人、取り残された巫女さんだけが変わらない。

それでも縁側に座り葉の音を聞き続ける。

どこまで、いつまで、巫女さんは葉の音に耳を傾けるのか。

いつまで、どこまで、巫女さんは一人なのか。

たまに通りがかるだけの人をわずかに見ては、そむけるように目をそらし、また葉の音を聞き続ける。何度も、何年も。何百年も、それは寂しくはないのか。

一人きりの巫女さんの姿を永遠かと思うほど見ていると、ふと季節の移り変わりが夏で止まる。緑鮮やかな木陰の下、じっと目を閉じていた巫女さんの目がふいに開く。

その視線が何かを捉え大きく驚き、そして長い間座っていた縁側から立ち上がる。

誰もが忘れ去るような永遠の時間を一人きりだった巫女さん。

伺うように足を踏み出し、恐る恐る一人の少年へと声をかけた。



――――それは、今から二年前の夏の事。



しゃん。と一つの音。

俺は、はっと目を覚ます。

目を開けたそこには俺に笑顔の巫女さんの姿があった。


「うん、今日はこのくらいにしよう。お疲れさま」


ふいに、俺は一気に胸が締め付けられるのを感じた。

あの光景で見たのは、決して俺の想像や妄想なんかじゃない。

あれは……あれは過去だ。


神通力の本質を知る。


この修行で神通力が一体なんであるかを知ることができるけど、同時に俺の体に宿っている神通力が一体どこから来ているのかを知ることもまた本質を知ることの一つ。

今見たあの光景。それが俺の中にある神通力がどこから来ているのかを示すものであるなら、この神通力は……巫女さんへとつながっている。

辿った軌跡のようなものは俺と巫女さんのつながりを示すと同時に、悲しみと、寂しさを知る。

想像なんかしていなかった。数百年の間、巫女さんはずっと一人きりだったなんて。

自分を知ってくれている人が自分の手で助けられないことを最後に、人との関わりが無くなってしまっていた。今までそんなふうには見えなかったのに。

今となっては……間違いない。巫女さんをこうして認識できているのは俺だけになってるはずだ。

俺が巫女さんと会えなくなって寂しいと感じたその二年なんかほんの一瞬に感じられるほど長い時間を、ずっと一人で巫女さんは過ごしていた。

なら、どうして巫女さんは今、笑顔でいられるんだ?

俺は巫女さんに会って、泣きじゃくって、怒ったりもしたのに。

巫女さんはどうして一言も寂しいと言わないんだ。

目に熱いものがこみ上げてくる。


「あ、あれ?君、大丈夫?」


 あ、あぁ、今は泣くわけにはいかない。

俺は天井を向いて、息を吐いてこみ上げていた切なさを押し込める。

巫女さんはたぶん、笑顔の中にその寂しさを隠しているんだろう。

そんな笑顔を向けてくれているのなら俺はそれに応えてあげたい。だから俺も笑顔でいたい。心にある切なさは、頼む、落ち着いてくれ。巫女さんには笑っていてほしいから。


「あー……おう。大丈夫」

「ちょっと元気ないけど、祈ってるの辛かった?」

「そんなことはなかった。あっという間だった。すごくあっという間。なのに、でも、長くも感じた」

「あっという間だけど長かったって、矛盾してない?」

「ま、ほら、なんつーか、ごい?語彙力が足んねー感じ?」

「難しい言葉知ってるね」

「それより、どうなの?巫女さんは俺の神通力、ちょっとはわかった?」

「ほんのちょっとね」

「マジ?本当?」

「ほんとだよ。とりあえずは火だと思うなー」

「思うなって、そんだけ?」

「今日の所は。言ったでしょ?十日ぐらいかけて把握するって」

「そっか。まぁそんな感じか」

「うん。そんな感じ」


 今のを十日。これも長いようで短いような、短いようで長いような。

今見た光景を修行の度に見るのなら俺としてはあっという間に感じるんだろうな。そう、あっという間に巫女さんの事を知っていく。あっという間に感情が高ぶり、あっという間に泣きだすかもしれない。

そして、これこそが俺の修行となる。

少しだけ、目を閉じて自問する。やり遂げられるか?いや、これから見ることになることになるその全てを、受け止められるか?

俺の神通力を知ると同時に巫女さんの事を知ることになるそれを俺の気持ちは受け止めてあげられるか?

……大丈夫だよな。巫女さんと一緒に居たいから。


「でもま、このくらいなら楽勝だぜ」

「言うね、君。頼もしい」

「まかせとけって」

「それじゃ、今日はこれでおしまい。出ようか」


 巫女さんに言われ、二人社の外へと出る。

高く上がった太陽がこれでもとばかりに照り付け、境内を包む緑の葉の音が聞こえ始める。社の外に出て初めてわかるのは、社の中が全くの別空間の様な雰囲気をしていたことだ。隔絶、遮断、そういったもので切り離されたような、ボロボロで穴だらけなのにそれは不思議に感じた。

修行の中で見た光景や、社の中の異空間な雰囲気にのまれている俺。

そんな俺を見た巫女さんは本殿の扉を締めると、わっと腕を広げ俺を視界いっぱいにするように抱え込んで来た。


「へっ?」

「てーりゃ!」

「ちょっ!巫女さん!?」

「我慢するっ。これも君の力を抑える為なんだから」

「撫でるのは違うだろっ」

「うん、違うっ」

「まったく、巫女さん嬉しそうな感じ?」

「そりゃもう!だって、君が修行に真剣になってくれてるし、私も何とか君の修行を手伝うことができそうだし、嬉しいよ?」

「……だからって撫でるのはどうなの?」

「嬉しさついで。いいからいいからー」


 もうこうなれば巫女さんが満足するまで撫でさせるかと諦めの心はすぐに出来上がる。髪の毛はぐしゃぐしゃになるがもうそこは我慢するしかない。

巫女さんの腕の中でおとなしく頭を撫でまわされる俺は、何百という巡った季節の間、巫女さんが誰一人と会話することなく孤独に暮らしていたことを思い出していた。

だからこそ、今日のお別れのその時まではこうして抱かれたままでいいか。


「ねぇ、今日はこれからどこ行くの?」

「午後は帰って食べたら寝る」

「遊ばないんだ」

「夜になったらクラスのみんなと星を見に行く予定……あれ、夜出ちゃだめだっけ?」

「今日の夜はね、ううん。今日の夜なら大丈夫そう。一人じゃないんだよね?」

「おう、クラスのみんなと一緒だ」

「今日は雲もないし、良い夜になりそう」

「巫女さん危険だけじゃなくてそういう天気的なのもわかるの?」

「あー…期待させるのも悪いんだけど、こっちは気分かな?」

「まぁ巫女さんが言うならそうなんでしょ」

「そうかもね」

「んじゃ俺はそろそろ帰ろっかなー?」

「また明日、できれば同じ時間に来てね?」

「おう」


 名残惜しそうに巫女さんがちょっとだけぎゅっと俺の体抱きしめてから離してくれる。とても満足そうな笑顔を向けられると、まだ抱かれていようかとも考えるが、あんまり甘えすぎるのも俺としては格好がつかない。


「またな巫女さん」

「うん、またね」


 再開を約束する別れの挨拶をかわし、手を振る巫女さんに手を振り返しながら神社を俺は後にする。

鳥居をくぐって石段を下りていき、巫女さんの姿が見えなくなると、俺は右手をぐっと握った。

よし、よし!と心の中で強く思う。それは修行における確かな手ごたえ。俺が望む、巫女さんと笑い合っていたいという気持ちが叶う可能性が大きく膨れがる感触。

強くありたい気持ち、巫女さんと一緒にいたい気持ち、そして今日の修行で感じた、巫女さんをもう一人にしたたくないと言う気持ちが全部手の届くところにある。

俺はできる、俺ならやれる。巫女さんとならそれは叶う。

そう心の中で強く思う気持ちが、力強く握った右手に現れていた。


「これなら俺は――――」


――――事はそう上手くはいかぬ


 ふと、どこからか声がして振り返る。

けれど神社を出た後の俺には、騒がしく鳴く蝉の音だけが聞こえていた。

お読みくださりありがとうございます。

次の投稿は8/29(火) 14時となります。

 ※8月中に完結とどこかで書いた記憶がありますが、その記憶は消しておいてください。

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