008 シザキ・ゼンジは人間らしくありたい
あれはいつの頃だったか。
思い出すために記憶チップ内のデータを検索する。
そう、たしか17年前――。
夢エネルギー発電所内ではその頃、「夢見る人」の上位種である、「明晰夢の天使」という存在が現れはじめていた。
開所当初からごく稀に目撃されてはいたが、その年あたりから急に頻出しだしていた。
明晰夢の天使と共闘すると、効率よく夢エネルギーが得られる――。
その事実が明るみになると、発電所の回収班や滞留者たちはこぞってそれと遭遇しようとし、また捜索にも力が入れられはじめた。
かつてはシザキも、そのやっきになっていた者の内の一人だった。
本部から明晰夢の天使との「共闘」を推奨されていたこともある。
この仕事に就いた時からずっと、シザキは何回も明晰夢の天使と遭遇することができていた。
そのほとんどは5回程度しか連続出現しない低頻出者だったが、17年前に会った者だけは違った。
それは、若い女だった。
通算出現回数は56回。
現実世界では、事故による昏睡状態で「常に長く眠っている人間」だった。
「彼女」は感情がとても豊かで、魅力的な人間だった。回収班だけでなく、滞留者たちとも多く交流し、この世界のナイトメアの討伐にも多大に貢献してくれていた。
シザキは「彼女」と接することで人間の奥深さを知った。
クローン人間であるシザキにとって、毎日同じことをする生活は、何の不満も疑問も抱かないものだった。けれど、「彼女」と出会ってからは変わった。「人間らしさ」に興味を持ったシザキは、何かに突き動かされるように「彼女」のマネをし始めたのだ。
その行動は、若干今も、無意識のうちに続けていることだった。
あてどもなく思案にふけってみたり、実際に行動に移してみたり……。
そうすることで、少しでも人間に近づけやしないかと試みている。
それに意味などはない。所詮はクローンだ。なりきれないということは、わかりきっている。
けれど、やらずにはいられない。
「彼女」が消えてしまった喪失感を埋めるためには、そうする他なかった。
あの眼帯をつけた滞留者も、思えばよく「彼女」に関わっていたような気がする。
彼も「彼女」から何かを得た者のひとりにすぎないのだろうが……そのくらい、あの女性は皆の記憶に残るような稀有な人物だった。
今はもう、その記憶もほとんどない。
不必要と思われる記憶がすべて消去させられてしまったからだ。
こんな思いはもう二度としたくない。
また自分の中身がひどく変わるような出来事があったらと思うと、無性に怖かった。だから、できるだけ明晰夢の天使を避けるようにしていた。
今回も、できればすぐに消える天使であってほしい――。
そうでなければ、困る。
困ると言うよりは、やはり「怖い」。
この「怖ろしい」という感情すら、あの「彼女」に教わったことだった。
これ以上、妙なことを憶えたくはない。そしてもし、それを教えてくれた相手がまたいなくなってしまったら……どうなるのか。
「あっ、おじいさん……! 目、覚めたのね?」
気が付くと、手術が終わったあとだった。
視線をあちこちに移動させると、どうやら自分は医療用ベットの上に寝かされているらしいことがわかった。
例の少女が相変わらず心配げな顔をして、こちらを覗き込んでいる。
この部屋は基地の四階にある、手術室や療養室のあるフロアだった。
見慣れた天井。見慣れた白いベッド。
部屋には、シザキの他にも何人もの怪我人が寝かされていた。
ぼんやりとした視界でそれらを眺めつつ、シザキはつぶやく。
「今回の回収作業は……難易度が高かったようだな」
「……?」
見上げると、シザキ専属の「オーブ」が頭上に浮かんでいた。
オーブはシザキの声に反応し、青いランプを光らせる。
「本日の任務は完了しましタ。達成率、67%……シザキ・ゼンジ、今日より三日間、治療に専念してクダサイ。回復次第、継続任務に参加のこと」
「……了解」
オーブからの伝達を受けてうなづく。
そして、ようやく、側にいる少女の視線をきちんと受け止めた。
「なんだ、まだいたのか」
「何? いちゃ悪い? ホントに助かるか、心配だったんだから!」
開口一番そう告げると、少女は涙目で憤慨してきた。
少し乱暴な言い方だったかもしれない。
「このとおり命拾いをした……。もう、君が心配する必要はない」
フォローを入れると、少女は呆れたように言った。
「はあ……。それはまあ、見ればわかるけど。とにかく助かって良かったわ。てっきり大手術になるかと思ってたのに……意外と早く終わったし。あなたが起きたのも早かったわ。やっぱすごいのね。ほんとにここは未来なんだ……」
どうやら少女は医療技術の進歩に驚かされているらしい。
それはそうだろう。なにせ彼女はかなり昔の時代から召喚されてきたのだから。
「それで? まだ私に用か?」
こちらからは特に話すことがないので、話を打ち切るように言う。すると、少女はまた頬を膨らませた。
「ちょっと! なんでわたしをそんなに邪険にするのよ。あのね……まあいいわ。いろいろ訊いたらすぐに帰ってあげるから。まず、あなたの名前! まだ訊いてなかったから、教えて」
「…………」
黙っていると、少女は難しい顔をして首を振った。
「あーはいはい……わかった。じゃあ、周りの人が言ってたことを思い出してみるわね……。たしか、シザキ・ゼンジ……とかって言ってなかったっけ」
「……ああ、そうだ」
少女に言い当てられて、シザキはしぶしぶそう答えた。
「名乗るつもりは、なかったのだがな……」
先ほども、改札前ですぐに別れるつもりだった。なのに、まさかこのような状況になるとは……予想だにしていなかった。己の不覚を嘆くようにつぶやくと、少女はまた怒りだす。
「もうっ、なんで? なんでわたしをそこまで嫌うのよっ。避けられるし、会いたくないとかまで言われるし……! もう散々だわ! 意味わかんないっ」
たしかに、少女にとってシザキの一連の行動は、理不尽といえるものだろう。理由も告げず、冷たい態度をとり続けていたのだから。
少し傷つけ過ぎてしまったか、とシザキは内省する。
「済まない。その……君の気分を、害するつもりはなかった。私は別に君自身を嫌っているわけではない」
「えっ……そう、なの? じゃあなんで? そんな風に言われると何かこっちも悪い気がしてくるわ。なんでなのか気になるけど……きっとなにか理由があるのね? えっと……だったら、無理を言ってごめんなさい。あの、ほんとに……」
少女はそう言いながら、きょろきょろと周りを見渡す。
シザキは不思議に思って訊く。
「どうした?」
「あ、ええと……椅子がないなあって思って。さっきから座りたかったんだけど……」
「疲れたのか」
「え? いえ……うーん、疲れとかはないんだけどさ、なんか立ちっぱなしっていうのも居心地悪くて」
「そうか? ここでは……誰かが見舞いにくるということはないからな。もともとそんなものは置いていない」
「……そう。なんだか寂しいところね」
「寂しい?」
意外なことを言われて、シザキは首をかしげる。
「そうよ。誰のお見舞いもないなんて。他のベッドに寝ている人たちも、友達とか家族とか恋人はいないの?」
「そんなものは、ない。やつらも私と同じ、発電所で造られたクローンだからな」
「そんな。そんなの……やっぱり寂しいわ」
「…………」
寂しい、という言葉の意味をシザキは考える。
誰も見舞いに来ないのは寂しい。では……その反対はなんなのか。
「ここでは、それが普通だ」
「そう……そうね。きっとそれがここでは普通、なんでしょう。でも今あなたは『わたし』っていう見舞い客がひとりいるじゃない?」
「だったら、何だっていうんだ」
「だったら……少なくとも寂しいって状況じゃないと思うわ。誰も来ないよりは、マシよ」
そうでしょ? とでも同意を求めてくるように少女は笑いかける。
シザキは半ば呆気にとられていた。
「あっ、そうだ! わたしもまだ名乗ってなかったわね。わたしの名前は……」
急に明るく名乗ろうとしてきた少女に、シザキは思わず制止の声をかける。
「待て。いい。聞きたくない」
「ええっ! なっ、なんでよ!」
「三回目もあるかどうか……わからないからだ。もう会うことはないかもしれん。だったら不要だ」
「そんな! 三回目も……あ、あるかもしれないじゃない!」
「そんなにしょっちゅう、君は夢を見るのか?」
「……ええ。明晰夢はいっつも、どこでだって見れるわ。だから……ってこれ前も一回話したと思うけど。もしかして忘れちゃった? 大丈夫?」
「私はこんな見た目だが……ボケてはいない。その、そういうことではなくてだな……」
「いいの! また夢を見てここに来るかもしれないじゃない! それに……」
「なんだ?」
言いよどんだ少女は、なぜか少し顔を赤くしている。
しばらく待ってみたが、少女はそれ以上何も言わなかった。いい加減諦めてくれたかとホッとして、またシザキが体を休めようとすると……。
「わたしの名前は、マカベ・トーコ」
ふいうちで名乗ってきた。
「なっ……!」
「憶えておいてね。シザキさん」
開いた口がふさがらない。こんな反応をする日が来ようとは、シザキは自分で自分の様子に驚いていた。すぐに少女に向かって抗議する。
「だから、私は聞きたくないと言っただろう!」
「なっ、何よ。いいじゃない。わたしだって知っておいて欲しかったんだから! あなたの名前だけ訊いて、わたしだけ言わないってのは不公平よ! なによ、文句ある?」
「ああ、文句というか……とにかく私はだな、とある理由で明晰夢の天使とはできるだけ関わらないようにしていたんだ。君が何を気にしているのかは知らんが、もう私のことは放っておいてくれないか。ありがとう、もう十分だ。これからは君の自由にしてくれていい。私たち夢エネルギー発電所の人間に出会っても今後の協力は一切……」
「そんなっ、そんなの! だから、これはわたしの自由だって言ってるでしょ! これは、わたしの夢でもあるんだからっ!」
先ほどエレベーター内で言われた言葉を、繰り返して叫ぶ。
その大声に、遠くにいたフロアスタッフたちが急いで集まってきてしまった。
「あの。もう少しお静かにしていただけませんか? あまり騒ぐようですと、退所していただきますよ」
「あ……えっとその……す、すみません」
少女が小さく肩をすぼめると、白衣の集団たちは納得したのかすぐに去っていった。
「はあーあ……怒られちゃった。もう、あなたのせいよ?」
少女は苦笑いしながらこちらに向き直る。
「何? 今のはどう考えても、君のせいだろう」
「……もう、どっちでもいいわ。それより、ねえ、こうして出会ったのも何かの縁だしさ、またこの夢を見たら会いに来てもいい? あなたに。いいでしょ?」
「……なぜ」
「なぜって……この世界がどうなっているのか、またあなたから教えてもらいたいからよ」
「なぜ、私なんだ?」
「知らない人に訊いたって、またさっきみたいになるだけかもしれないでしょ? だったらあなたの方が安心よ。あなたはわたしを、助けてくれたし……。あ、あと、今朝はわたしが協力してあげたんだから、あなただってわたしに協力してくれたっていいでしょ。もうこの夢を見ないんならそれでもいいけど……また見たなら、お願いしたいの。ね?」
「…………」
いろいろな言葉で頼み込んでくるが、シザキは少女の言葉に頷かない。
「わたしは……あなたがたとえクローン人間でも、あなたのこと……」
「…………?」
最後に何かを言いかけたが、少女はそれっきり黙ってしまった。そしてゆっくりと消えていく。あたりはまた、無音に近い静けさを取り戻す。
きっと少女は夢から覚めたのだろう。「もう一度」……があるかはわからない。
「ようやく、消えてくれたか」
ホッと胸を撫で下ろし、シザキはまた目を閉じる。
全身の力を抜き、体力回復に努める。だが……妙に落ち着かない。
「…………?」
シザキは試しに、「寂しい」の意味の反対の言葉を考えてみることにした。