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005 真壁透子は夢に落ちる

 自宅から、自転車を15分ほど走らせると学校に着く。

 都立ひばりヶ丘高校。

 正門にはそう書かれた古めかしい表札がかかっていた。もうすぐ創立60周年になるらしい。その門を通過すると、たくさんの生徒たちが校舎に向かって歩いている。透子を含め、「自転車組」はその合間を縫うように進んでいた。


「あ、おっはよー透子! 先行っくよー」

「あっ、千明! 待って……」


 クラスメイトの横川千明が、自転車のベルを鳴らしながら透子のすぐ脇を追い抜いていく。なにか急いでいるようで、声をかけてもスピードを落とさずに行ってしまった。

 彼女はいつも元気だ。

 透子と同じバスケ部所属なのだが、強烈な明るさでもってみんなのムードメイカーと化している。背中の中ほどまで伸びたポニーテールが、ペダルをこぐたびに勢いよく左右に揺れていた。


 その姿を見送りながら駐輪場に着くと、教室へと向かう。

 下駄箱まで来ると、なんとあの「大地君」がいた。透子は思わず立ち止まってしまう。


「あ……」


 まっすぐな黒髪、理知的な目元。高い背。

 どこかのアイドルグループにいてもおかしくないほどのルックスだ。

 彼はちょうど靴を履き替えており、ちらっと透子を見た。


「あ……あのっ、えっと……」


 声をかけようとしたが、他にも生徒がやってきてしまったのでなんとなく気恥ずかしくなってやめてしまった。


 大地陵介君。

 一年の時からずっと好きだった相手――。

 彼は、それ以上透子のことを気に留めずに行ってしまった。


「はあ……」


 胸の動悸を押さえつつ、ため息をつく。

 どうしていつも肝心なところで勇気がでないのだろう。

 うんざりしながら、透子は自分の上履きを棚から取り出した。



 * * *



 三階まで上り、教室の中に入ろうとすると、さっきの千明が声をかけてきた。


「ねえねえ、透子ー。今朝は大地君に挨拶できたぁ?」

「えっ? あっ、ちょっ……」


 誰かに今の会話を聞かれてやしなかったかと、とっさにあたりを見回す。

 すでに大地君は教室の後ろの方で友人と談笑していた。透子は千明の腕を引き寄せながらささやく。


「ちょっと! そんな話、今ここでしないでよ」

「いいじゃーん。みんな大地君狙ってるんだからさあ、誰がそんな話しようといまさら気にしないって」

「とにかく! それはまたあとで話しましょう」


 にやつく千明に呆れながら、透子はずんずん自分の席へと歩いていく。

 机の横にカバンをかけると、千明は追いかけてきて透子の前の席に座った。そこは別の男子の席だったが、今その主はいない。千明はくるりと後ろ向きに座って、口をすぼめてきた。


「ケチ~。いいじゃーん、恋バナしようよ、恋バナ!」

「あのねえ、わたしの純情をもてあそばないでくれる?」

「純情ォ~? 『劣情』……の間違いでしょ」


 劣情。たしかに普段から頭の中で、あれこれと妄想の限りは尽くしている。けれど、今までそれをこの友人に打ち明けたことはなかった。何でわかったのだろうと座りながら眉をひそめていると、すぐにカマをかけられていたのだと知る。


「えっ、あっ! れ、劣情なんて……別にわたしは!」

「ええ~? そんなカマトトぶらなくってもさぁ」

「千明じゃあるまいし、わたしはそんな変なこと考えてません!」

「あたしじゃあるまいしって……絶対、透子だって妄想してるはずだよ? 大地君と、あ-んなこととか、こーんなこととか……」

「ちょっ、だからやめてってば!」

「そんな興奮しないでよー。夢に見たりはするでしょ? あたしはさー」


 夢。

 今朝の夢のことを思い出す。

 たしかに最初は大地君が出てきた。でも、その後は……いつもとは違う夢だった。あのおじいさんは何だったんだろう。妙に現実感があった。未来……? でもあくまで夢の中だ。本当じゃないはず。だけど……。

 そこまで考えたところで、妄想の話を滔々と語っていた千明が顔を近づけてきた。


「ねえ、って聞いてる? ていうか透子、なんか顔色悪くない? 大丈夫?」

「あ、うん。ちょっと寝不足というか……あはは」

「寝不足?」

「うん。なんか変な夢、見てさぁ……。寝覚めがあんまり良くなかったっていうか」

「あ、それってもしかして大地君出てきたから?」

「えっ……うーん、実は……最初はたしかに出てきたんだけどさ、その後が……」

「なんだ! やっぱり見てるんじゃん! なになに? エロいことでもしてたわけ?」

「だーかーらー! もう、ホントに怒るよ!」


 そう言ったところでキンコーンと始業のベルが鳴った。

 入り口の引き戸が開き、担任の教師が入ってくる。山田という名だったが、禿げているので「タコ田」というあだ名がつけられていた。タコ……透子はそれでまた、今朝の夢を思い出す。


「またあとでねー」


 そう言って、千明が自分の席へと戻って行く。

 透子の脇の通路を大地君が通っていった。右斜め前の席に座る。

 綺麗なうなじ。細い首。広いけど、薄い背中。そして黒々とした髪。そんなひとつひとつの容姿をうっとりしながら観察する。


 真逆だな、と思った。


 そう、あの夢の中のおじいさんは……大地君とは真逆だった。

 深いしわのある顔。太い首。そして、がっしりとした肩。どこをとっても鍛え抜かれていそうな体。年齢は最低でも60はいってそうだったが、あの歳であんな体型の人はテレビでもあまり見たことがなかった。そして、綺麗で長い白髪……。


「じゃあ、出欠とるぞー」


 タコ田がそう言って出席簿を開く。

 自分の知っている老人というのは、タコ田のように禿げているか、腰が曲がっているか、背筋が伸びていてもひょろひょろとした体つきの人間だった。

 だからとても衝撃を受けた。


 どうしてあんな夢を見たのだろう。

 まったくもって謎だった。潜在意識が具現化するのが夢だという。でも、あんな人に会いたいとずっと望んでいたわけではない。

 透子は枯れ専でもないし、マッチョが好きというわけでもなかった。だからとても不思議だった。


 今はなぜか、とても気になってしまっている。

 朝泣いていたのも謎だ。

 そして――もう会えないと言われたことが妙に引っかかっていた。


「上谷ー……木村ー……」


 タコ田が次々と名前を読み上げる。

 やがて大地君の番がきて、いつもの爽やかで青年らしい声があがった。


「大地ー」

「はい!」


 ……本当に、真逆だ。

 あのおじいさんは低くてしわがれた声だった。多少、ドスの利いた声であったかもしれない。まるっきり、正反対の声。

 透子が好きなのは大地君だ。

 なのになんで……夢の中であんな老人にドキドキしてしまったのだろう。


 ただの夢なのに。

 嘘なのに。作り物なのに。なぜ、忘れられないのか。


「真壁ー……真壁? 真壁透子ー」

「はっ、はいっ!」


 何度も呼ばれていたらしく、透子はハッとして顔を上げた。

 クラス中の視線が透子に向いている。もちろん大地君も。透子は一気に真っ赤になった。


「おい、どうしたボーっとして。せっかく文科省が朝練をなくしてくれたんだから。朝までしっかり寝とくんだぞー?」


 担任がからかい半分に、そんな注意をしてくる。

 透子は小さな声でもう一度「はい」と言うと、恥ずかしくて顔を伏せた。


 そう。朝練は学業に支障をきたすということで、日本では西暦2040年から完全に廃止されるようになっていた。透子が高校に入った年からがそうだ。だから、朝はゆっくり寝られるのだが、そのかわり夜遅くまで塾に行ったり、夜更かしするような学生も出てきていた。


 自分はその部類ではないのだが、そう見られたのだろう。現に注意力散漫になっていた。透子はおとなしく従っておくフリをする。


 明晰夢を見られるようになったのは、だいたい中学に上がったぐらいの頃からだった。

 それは透子のストレス解消にも一役買っていた。

 明晰夢を見た翌朝は、なんとなく眠気が強く、目が完全に覚めていないような感覚になるが、願望を叶られる魅力には代えられなかった。


 今朝もそうだ。

 やはり完全に熟睡できていなかったためか、脳が休めていない。

 頭がやや重く感じる。


 ちらりと窓際の席を見ると、千明が心配そうにこちらを見ていた。

 軽く微笑んでみせ、安心させる。

 千明はその間にタコ田に呼ばれていた。


「横川ー」

「はいっ!」


 出欠確認がすべて終わり、そのまま、数学の授業が開始される。


「ううっ……」


 急に強烈な眠気が襲ってくる。

 透子は必死にまぶたを持ち上げていたが、すぐに維持できなくなった。

 額を押さえ、めまいと闘う。だが、それもだんだんと全身の力が抜けていくような感覚になる。かと思えば、さらにバランスを失ってしまった。

 透子はついに椅子から転げ落ちてしまった。


「きゃああっ!」


 ガタンという椅子が動く音と共に、誰かの悲鳴があがる。


「真壁さん? おい、大丈夫か?」


 うっすらと目を開けると、斜め前の席の大地君の顔が目の前にあった。

 心配そうに上から覗きこまれている。

 だが、それも透子はずっとは見ていられなくなかった。


「おい、どうした? ちょっと、誰か保健室の先生を呼んできてくれ!」


 担任の緊迫した声がする。ざわつく教室。

 透子はそれらの音を聞きながら、また夢の世界へと落ちていった。

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