050 真壁透子は抵抗する
数週間後、また透子はクライン・レビン症候群の発作を起こし、未来の世界に転移した。
ここはあの基地の中ではない。
発電所内の任意の場所だ。
発電所側に見つかる前に、透子は以前行った「滞留者たちのコロニー」へと向かった。
あそこには発電所側にハッキングされた監視カメラがある。
外にまでついているのかどうかはわからなかったが、透子は「夢見る力」で自分の周囲に光学迷彩の膜を張った。
あの眼帯男、ジョーが出てくるまで待ち伏せる。
幸い透子はこの世界では疲れることも、眠りたくなることも、腹が減ることもなかった。
五時間ほど待っていると、やがて中から数人の滞留者たちが現れた。
その中に、ジョーもいた。
彼らは手にしていた鳥型のドローンを飛ばすと、それが向かう先へと走り出していく。
「追わなきゃ……」
透子も姿を隠したまま後を追った。
しばらくついていくと、A級サイズのナイトメアが出現した。
滞留者たちは三メートルほどのカマキリのナイトメアに向かって、攻撃を加えていく。
透子はしばらくそれを見守った。
自分が行けばすぐに片付くだろうが、いきなり発電所の作業員が横から現れて、鉢合わせるとも限らない。
戦闘が無事に終わり、滞留者たちはピンク色の夢エネルギー粒子を回収していく。
ジョー以外の人間が、鳥型のドローンを呼び戻している。
今日の戦闘はこれで終わりのようだった。
帰路につこうとしているジョーを、少し離れたところから透子は呼び止める。
「ちょっと待って、ジョーさん」
「んん? なんだ、どこから声が……」
「ここです、ここ」
驚くジョーに、透子はちらりと姿を垣間見せる。
「お前は……シザキのじいさんといた天使じゃねえか!」
「ええ。マカベ・トーコです。えっと……今わけあって、姿を隠してます。だからまた、消えます」
そう言って、透子はまた光学迷彩の膜を周囲に張った。
「なんだ、なんでそんなことをしている。シザキのじいさんはどうした」
「シザキさんは……。死にました」
「なっ?」
透子の言葉に、ジョーは思わず目をむく。
「ど、どういうこった! なんで……」
「おい、ジョー、どうした」
「ジョーさん、何独り言、言ってるんです?」
他の滞留者たちが、妙な様子のジョーに不審な目を向けている。
ジョーは怒鳴るように言った。
「なんでもねえ! お前ら、ちょっと先に行っててくれ!」
「あ、ああ……」
「ジョーさん、一人でも強いけどさあ……でも気ぃ付けてくださいよ!」
「わかってる!」
他の滞留者たちが去っていくのを見届けると、ジョーは険しい顔をして、透子がいただろう場所を睨みつけてきた。
「ちゃんと話せ。いったい、どうしたってんだ?」
「ジョーさんたちのところに、監視カメラがあると思うんですけど……それが発電所側にハッキングされてたんです。それで……私とシザキさんのことがバレてしまって……。発電所側の新しく編成されたクローン人間さんたちに、襲撃……」
透子はそれ以上言葉にできなかった。
だが、ジョーは事情を察してくれたようだった。
「そうか。あいつは、死んだか。てか、ハッキングされてたのかよ……」
「ええ。わたしが……ジョーさんたちのところに、食料をもらいに行ったりしなければ……。でも、あれ以上何も食べなかったら、シザキさん……」
「嬢ちゃんは、悪くねえよ。そんなことよりなんで嬢ちゃんは今、姿を隠してんだ?」
透子は泣きたくなったが、我慢して言った。
「発電所の人たちに見つかったら……監禁されてしまうからです。新しいシザキさんのクローンと、またパートナー契約を結べって。でも……そんなの耐えられない!」
「おい、ちょっと待て。新しいじいさんのクローンって、どういうことだ」
透子はいままでのことを一から全部話した。
「なんて、こった! だから不幸になるって言っただろ!」
「そう、ですね……」
いまさらなことだが、全てを知ったジョーはやはりまたそんなことを言ってきた。
「不幸になるのは……嬢ちゃんだけじゃない」
「え?」
「あいつらのやり方は、俺らだって不幸にしてんだ。滞留者たちは、この土地にずっと昔から暮らしてきた者たちなんだ。不当に土地を奪われ、街を廃墟にされ、こんなホームレス同然の生活と、ナイトメアたちとの戦闘を余儀なくされてる……」
苦々しい顔つきで、ジョーは近くの岩を強く拳で叩く。
「国民の多くがこのシステムを望んだ。だから、ちっぽけな俺たちが逆らえるはずもなかったんだ。だが……それでも俺たちはやつらに抗ってきた。あいつらのいいようにされるまいと!」
透子はジョーの真剣な瞳を見つめた。
「わたしも……あの人たちのいいなりには、これ以上なりたくない。だって、死んだシザキさんが……浮かばれないし……」
「そうだな。それは、あいつも……アキラも望まないことのはずだ」
「誰?」
「ああ。十七年前に、あのじいさんのパートナーだった天使のことだ……」
透子と同じく、シザキに恋愛感情を抱いていたという女性……その人の名はアキラというようだ。透子は、今それを初めて知った。
女性なのに男性のような名前だ、と思った。
シザキは、その名前などをすっかり忘れている。今では教えてあげることもできないが、せめて透子だけは憶えていようと思った。
「アキラは……アキラも抗っていた。あのじいさんの感情を守るために……。普通そこまでするか? そこまでするっていうことは、それだけあのじいさんが、好きで、大切だったからだ……」
「わたしだって、シザキさんを好きな気持ちだったら……負けません! だから!」
「嬢ちゃん?」
透子はもう一度、光学迷彩を解く。
これを頼むときだけは、顔を合わせて言いたいと思った。
「ジョーさん、力を貸して下さい」
「なに?」
「わたしは……死んだシザキさんの想いを守りたいです。だから……発電所の人たちから『わたし』を守ってくれませんか。もう一度、新しいシザキさんに会ったら、きっとわたしはまた同じ間違いを犯してしまう。そうしたら、死んだシザキさんに顔向けできない! 現実世界でちょうど一年後に、わたしはこの世界には来れなくなります。それまで……どうかお願いします。無茶なお願いだとは思いますが……」
「ふっ、発電所と戦うってか。俺たちも巻き込んで?」
「はい。無理だったら、一人でも戦います。それか、逃げ続けます。そうしないと、きっと新しいシザキさんだって、苦しめることになるから……」
そう言うと、ジョーはいきなり高笑いをしはじめた。
「ははははははっ!! 新しいクローンの心配までしてやがんのか。ほんっと、ほんとどこまで優しい女なんだ、お前ぇは。でもそれが……アキラとお前の差なのかもな」
「え?」
「あいつは自分を犠牲にするところがあった。でも、嬢ちゃんは……自分のこともすごく大事にしてる。そうだろ?」
「どう、なんでしょう……」
透子は少し考えてから答えた。
「そう、かもしれない。だって、シザキさんは『わたし』を愛してくれたから。わたしは……そのシザキさんが愛した自分を大事にしなきゃいけないって、そう思って……。それに、新しいシザキさんも、過去のシザキさんだったんだから。だから……みんな、大事にしたい」
「わーったよ。どこまで協力できるかわかんねえけど、あいつのために……なんとかしてやる」
「本当ですか!」
「ああ、俺も……いなくなったあいつの想いを、大事にしたいからな」
「え?」
透子はすぐ聞き返したが、ジョーは「なんでもねえ」と返したきり、それ以上何も言わなかった。
* * *
その後、透子は監視カメラをすべて排除した滞留者のコロニーに身を寄せることになった。
クライン・レビン症候群の発作が起きるたびに、この施設に立ち寄り、彼らのためにその「夢見る力」を使った。
発電所の回収班と遭遇することもあったが、毎度どうにか逃げ切り、捕まったとしてもずっと誰かとパートナーを組むことを拒否していた。
もちろん、シザキの新しいクローン体とは一切顔を極力合わせることはしない。
そして、現実世界でようやく一年の時が過ぎた。
最後のそのときまで、透子は心の隅で「新しいシザキのクローン体」のことを案じていた。
きっと、ずっと、自分たちのことを考えていたはずだ。
自分と死んでしまったシザキが「恋人同士」だったことを。
基地では、薬物コントロールをちゃんと受けているはずである。だからそのせいで暴走することはないはずだが、それでも悩むときはあったのだろうと透子は思った。
透子は何をすることもできない。
せめて、自分がもうこの世界に来なくなることで悩まないでほしかった。
「じゃあ、ジョーさん。もう最後……みたいだから……」
「ああ、お疲れさん」
「本当に、今まで……ありがとうございました」
夜の闇の中、透子は誰もいないOIGE駅の改札前で、ジョーとの別れの時を迎える。
初めてジョーと会ったのもこの場所だった。
消えかけた体で、改札の向こうをちらりと見る。
透子がここにいるのに、誰も出てこなかった。
もう期限が来ているのがわかっているのだろう。影響はもう出ない。だからもう用はない、そう言われているような気がした。
「いろいろあったが、俺らの方も多少は助かったよ。こちらこそ、礼を言うぜ」
「ジョーさん……」
「ナイトメアが効率よく斃せたかんな。まあ、お前はもうこの時代へ来ねえと思うが……せいぜい祈っててくれよ」
「え?」
「未来は……変えようと思えば、変えられるんだからな。お前一人にどうにかできるかわかんねえけど……でも、もしかしたらお前の世界線では、こんな風にはならねえかもしれねえ」
「よく、わからないけど……そうだといいですね」
「ああ」
すうっと、手の先を見ると薄くなっている。
もうすぐ消える、と思った。
いろんな思い出も消えていくような、そんな錯覚がする。でも、きっと忘れない。そうぼんやりと思いながら、消える時を待つ。
そこに、小さな声がかかった。
「マカベ・トーコ」
見ると、改札の向こうにシザキ・ゼンジがいた。
あれは、新しいクローン人間の方のシザキだ。寝間着の姿で、立ち尽くしている。
わかっている。わかっているのに、透子はなぜか嬉しいと思ってしまった。
ジョーが思わず身構えるが、透子は手でそれを制す。
「ジョーさん、大丈夫」
「だが! いまさらあいつ、何を……」
「マカベ・トーコ。もう、行ってしまうのだな」
新しいシザキは微動だにもせず、そうつぶやく。
「うん」
透子は、そう言うと微笑んでみせた。
いろいろ言おうと思ったが、すんでのところで止める。
「元気で。シザキさん」
それだけを言った。
わずかに、相手の目が見開かれる。でも、それだけだった。
新しいシザキは、何かを悟ったかのように目を閉じると、もう一度顔を上げる。
「ああ、君も元気で。『トーコ』」
トーコ。
名前だけを呼ばれた。
透子はその呼び方に、死んでしまったシザキを思い出した。
新しいシザキの中に、死んでしまったシザキが……いた。
それを感じて、透子は思わず涙をあふれさせる。
心が、満たされていく。
だからもう、それ以上何も言わなかった。
足が、胴体が、消えていく。
二人の男性に見送られ、透子の姿は……消えていった。




