045 シザキ・ゼンジは生き延びるためにあがく
翌朝。
ベッドから起き上がると、傍らにはマカベ・トーコが裸のまま眠っていた。
シザキは少女の口元に唇を寄せる。
マスク越しに感触があった。
だが、まるで起きない。
シザキはこれからのことを思うと、暗澹たる気持ちになった。
再会したときには彼女に触れたくて仕方がなくなり、またそれしか考えられなくなっていたのだが……今はどうだ。
体力がごっそりと抜け落ちている。
重い体を引きずって、床の服を拾いにいく。
たまに水場で服や体を洗っているが、基地ほど充実した入浴施設はこの付近にはない。自分ではあまり気にならなかったが、他人ならばそれなりに臭く感じていたことだろう。
少女がそう感じていた可能性は……なかったと思いたい。
いや事実、嗅覚までは再現されていないだろうと踏んでいた。
昨日も行為の最中に気にしたそぶりはなかった。だからそれはないと断言できる。
内心胸をなでおろして服を着ると、また彼女に触れたくなった。
だが、これ以上は本当に自殺行為だった。
理性を働かせて、シザキは伸ばしたくなった手を抑える。
「私はここで死んでも本望だ。だが……トーコは違うだろうな」
きっと少女は、ひどく悲しむはずだ。
ならば、これからいったいどうすればいいのか。
まるで見当がつかない。
「ん……」
夢の中で寝るとはまた器用なものだと思うが、あれはおそらく眠ったのではなく「気絶」をしているだけだ。
何度か行為の最中に少女は果てていた。
それから、ようやく意識が回復したらしい。
「シザキ……さん? あの……」
こちらの姿を認めると、少女はシーツの中でモジモジしはじめた。
「なんだ? どうした」
「えっと……。もう、いいの?」
「…………」
おずおずとそんなことを言う。
シザキはその言葉で、一瞬にして背中が粟立った。だが、どうにかこらえる。
「それは……済まない。もう、限界だ」
「あ、そっ、そっか……。ご、ごめんなさい……」
「謝る必要は、ない。私も君に応えたいと思っている。だが……もう生きていくためのエネルギーがない。このままでは死ぬだろう」
「そんな……!」
少女はぐっと下唇を噛んで、強い意志を持った目で見つめてきた。
「シザキさん」
「なんだ……」
「食料を、もらいにいきましょう!」
「……なっ。だ、誰にだ」
「えっと……あの滞留者さんたちにです」
「…………」
シザキはその言葉に、ついと視線をそらした。
「無駄だ。そんなことできるわけがない……」
「そんなの、やってみなきゃわからないじゃないですか」
「わかる。私たちと彼らは敵対とまではいかないが、もともと相容れないもの同士だったのだ。彼らも彼らで生きていくのに必死だ。そんな余裕など……」
「そんなこと、絶対にない。人間は……そんなに薄情じゃないもの。本当に困っている人がいたら、助けたくなるはずよ。誠心誠意お願いすればきっと……」
「マカベ・トーコ、無理だ」
かたくなに拒否するが、少女も引き下がらない。
「じゃあ、諦めるの?」
「なに?」
「死んじゃってもいいっていうの? わたしが……あなたを看取らなきゃ……ならないっていうの?」
「トーコ、それは」
「諦めないで。わたしが力を貸すから。どんなに頑張っても無理で、それで死んじゃうなら、ちゃんと看取るわ。でもそうじゃないなら、わたしのために絶対に諦めないで!」
「…………」
シザキはしばらく言葉を失った後、笑った。
「ははっ、そうか。そうだな、済まない。そんな無様な死に方、君に見せるわけにはいかなかったな。わかった。ダメもとで頼みに行ってみよう」
「シザキさん!」
「まあダメならダメで、また考えがある」
「…………?」
一度彼らの残飯を漁りに行ったことがある。
それを少女に見られるのは辛いものがあったが、それでも約束した手前、なんでもやる覚悟を決める。
シザキは装備を身に着けると、彼らのコロニーへと向かった。
* * *
大通りから少し離れた場所に、地下へと続く入り口がある。
これは元地下鉄への階段だ。
少し入った先には、バリケードも組まれている。おそらくナイトメアたちが間違って入り込まないようにする工夫だ。
シザキはそこを丁寧に解体しながら、先へと進んだ。
「この奥に……滞留者たちがいるの?」
「ああ」
白いワンピースを身にまとった少女が、不思議そうに周囲を眺めている。
シザキはちらと少女を見ると、その服の下を想像した。
裸体が見れなくなったことをひどく残念に思った。だが今は、それを悠長に思い返しているときではない。
シザキは出来た穴を少女と共に通り抜けると、またバリケードを元に戻した。
薬を飲まないと性欲に振り回されてしまう。
まさかここまで戸惑うことになるとは、予想外だった。
下手をすれば、少女をひどく傷つけてしまうことになる……。
そうなりたくはなかったので、シザキは理性をフル稼働させた。
薄暗い通路を歩いていくと、二名の男が突き当りの角から現れる。
「ん? 物音がするから来てみれば……なんだお前! どうやって入ってきた。誰だ!」
「その恰好……もしかして発電所のクローン人間か。なんでここに……。あとそっちは、明晰夢の天使か?」
少女は羽をしまっていたが、月の上を歩くように半分浮いたような歩き方をしていたので、すぐに「明晰夢の天使」だとわかってしまったようだった。また、シザキも回収班の装備だったので、特定されてしまったらしい。
「俺たちを、奇襲しにきたのか? たしかに我々滞留者は発電所の敷地内から退去をうながされている……だが、強制執行は法律上許可されてないはずだ」
「そうだ。そんな法律はまだ制定されていない」
「何の用か知らないが、帰れ!」
「ここは俺たちの住処だ!」
彼らは銃を持っていたが、向けるとそれはそれで発電所の規約違反になるので攻撃はしてこなかった。
ただでかい図体を利用して通路を塞いでくる。
「あ、あのっ! わたしは、いいんです。でもこの人は……この人にだけは食料を、どうか分けてください。お願いします!」
少女が一歩進み出て、そう頼み込む。
シザキはじっとその背中を見守っていた。
「ああ? なんだ、食料って……なんで俺らが発電所のやつに?」
「どうせ俺らよりいいもん食ってんだろ。なら、戻って食えよ、戻れ」
「俺たちはな、夢エネルギーを売ったそのわずかな金で、発電所の外からわざわざ物資を送ってもらってるんだ。すっげー貴重なんだよ、それを……」
「待て待て。言うだけ無駄だ。とにかく俺らは通さない。だからさっさと帰ってくれ」
やはり、無駄だった。
それに男たちが言うようないいものなんて食べていない。誤解だ。
好みの食事など出ない。
生まれてから今まで、ずっと同じメニューだ。
栄養バランスはいいが、所詮はエネルギーを補給するだけのシロモノ。少女が作り出してくれた「タマゴカケゴハン」などとはくらべものにならない。それを……。
などとシザキは複雑な思いで男たちを見る。
「お願いします! この人……わ、わたしとずっと一緒にいたいって……そのために発電所に戻れなくなっちゃったんです。きっともう何日も食べてない……。だからお願いです。少しだけでも良いんです。食料を……食料を分けてください! お願いします!」
地面に膝を突き、いきなり土下座をしはじめる。
そんな少女の行動を、シザキはあわてて止めた。
「お、おい止めろ! そこまでする必要はない。止めるんだ、トーコ」
「いいえ、やめませんっ! だって、ここで引き下がったら……シザキさんが、シザキさんが……。お、お願いしますっ。なんでも……なんでもしますから! どうか食料を!」
ひたすら頭を下げ続ける少女に、男たちがニヤリと笑いはじめた。
「なんでも? なんでもするって言ったか、今? ははあ、だったらちょっと服でも脱いでもらおうかなあ? お嬢ちゃん」
「え……?」
「そうだ。それくらいしたら、食料管理してるやつに引き合わせてやってもいいぜ? まあ、そいつがどうするかは、またそいつ次第なんだけどなあ。ヒヒヒヒッ」
「お、お前ら……」
なんと卑劣なことを言うのかと、シザキが怒りで思わず腰の銃に手をかけそうになったとき……奥から見慣れた人物がやってきた。
「おい、そこで何やってるお前ら!」
「じょ、ジョーさん!」
「ジョー!」
それは眼帯をした、あの男だった。
仲間内からジョーと呼ばれていたので、なんとなくその名も思い出す。
たしか「彼女」と仲の良かった滞留者……だ。
ジョーはこちらをふと見ると、状況を一瞬で把握したようだった。
「へえ……じいさん、それに嬢ちゃんも……。無事会えたってわけか、オメデトウ。で? ここに何の用だ」
「それが……」
男の一人が眼帯男に耳打ちする。
するとジョーは眉をしかめるなり笑った。
「ははっ、ははははっ、ずいぶん厚かましいお願いだな、オイ。残飯では満足できなかったか? ええ? シザキのじいさんよぉ」
「…………」
見透かされていた。
シザキは己の行動を知られていたことに、ひどく恥ずかしくなった。




