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039 真壁透子は恋愛をあきらめる

「わかった。透子がホントに頭おかしくなっちゃった、ってとこまではわかった」


 一通り説明し終わると、千明はそうがっかりしたように言った。


「…………」


 ある意味、予想通りではある。

 にわかには信じてもらえないだろうことも、そして正気を疑われることも透子は覚悟していた。それでも透子には本当のことしか言えない。


「透子、冗談じゃなく……本気でそう言ってるなら、あたしもこれ冗談じゃないからね。マジで。また病院でちゃんと診てもらった方がいいよ、ホント」

「そう……だね。ホントに、どこかおかしくなってんのかもしれない。でも……夢の中の人に恋をしているのは本当、なんだよ……」

「あんたねえ……」


 千明は頭をぽりぽりと掻くと、透子の両肩にバンッと手を置いて言った。


「しっかりしなさいよ! 夢の中って……そんなの現実じゃないでしょ! しかも昏睡してた時に見てた夢って。また同じ夢なんて、見るかわからないし……てかそもそも、そんな人を好きになって何のメリットがあるの? 付き合うとか、将来結婚とか、そういう未来なんてないじゃない!」

「それは……そう、だけど……」


 たしかに、もう一度同じ夢を見て、あの未来に行って、またあの人に会えるという保証などどこにもなかった。

 千明の言う通りだった。

 たとえ付き合えたとしても、こんな自分たちに「未来」はない……。


 シザキはクローン人間で、恋愛感情が芽生えたとしてもそれを抱いたら抹消されてしまう存在だ。

 それに、自分はあの世界では精神体で、シザキと口づけすらできない存在だった。

 あれ以上の肉体的接触ができないのに、これからも側にいたいと思う意味はあるのだろうか。


「…………」


 透子は以前、シザキに恋愛についていろいろと説明していたことを思い出した。


 ――そういう『人じゃないもの』に対して……『友情』とか『恋愛感情』を抱く人もいるの。

 ――自分はあいにくそういった嗜好を持たない方の人間だけど……。

 ――『頭の中で想像した対象』にだけ欲情する人もいるみたい。脳内彼女とか……信じられないけどね。


 今まさに、そうした「理解できない」人間の部類に入っていると、透子は自覚した。

 もともとアニメのキャラとか、アイドルとか、そういうものに対して入れ込むタイプではなかった。好きになった男子だって、大地君が初めてだった。


 だから、そういう特殊な対象を好きになる人の事は今まで理解できなかったのだ。

 でも、そういう人たちと自分は今、「同じ」存在なのだと気付く。


「千明……。わたしのこと、おかしいって思ってるかもしれないけど……二次元のキャラとか、アイドルとか、その相手しか好きになれない人もいるじゃない? わたしも……単にそうなっただけだよ。千明には不毛に見えるかもしれない。でも、そういう人と、何も変わらないんだよ……」

「透子……。まあ、あたしもそういう趣味、多少はわかるけどさ……」


 千明もいっぱしに有名人の誰々が好き、と普段から口にすることがあった。だから、それと比較すると理解しきれない、とは言い切れなくなったのだろう。

 でも、千明は透子から離れると、一度地面を見つめた後に言った。


「もう一度訊くけど、本当に理由はそれだけなの? もしかして、あたしに遠慮して嘘ついてるんじゃない? 透子」

「え?」

「大地君にあんなことされたくらいで……ホントに諦めちゃうなんて。他の人を好きになったって言うけど……現実にいる人ならまだしも、そんな空想の話……今でっちあげたんじゃないかって思っちゃうよ。もしそうなら、あたし、マジで怒るからね!」

「あんなこと……された、くらいで?」


 透子は信じてもらえなかったことよりも、大地君にキスされたことを「あんなこと」と軽く見られたことの方がショックだった。


「千明……わたしにとってあれは……『あんなことくらい』で片づけられる問題じゃないんだよ……。大地君は、わたしより自分の欲望を優先した。わたしがどう思うかより……知らなければいいって……そういうの、どうしても許せなかったんだよ!」

「潔癖すぎ。好きだったんなら、普通ラッキーって思うとこじゃないの?」

「わたしは……思わない。ちゃんと向こうから好きとか、こっちからも好きとかお互いに伝え合ってから、なら……でも相手の気持ちを無視して突然あんなことするなんて……」


 言いながら、それはまた自分も同類だと思った。

 シザキにも勝手にキスまがいのことをしてしまった。そういうことをした自分をひどく嫌悪している。怒っているのは大地君にだけじゃない。きっとこっちの割合も大きい。だから、全てが許せなくなっていた。


「許せないんだよ……勝手にするなんて、わたしにはどうしても許せない!」


 はあはあと肩で息をしながら、叫ぶ。

 千明は半ば呆れているようだった。


「あたしは……さ、好きな人に勝手にキスされても嬉しいって気持ちにしかならんけどね。……たぶん。だって、相手は好きだから透子にキスしたくなったんでしょ? それを嬉しいと思わなくて、なんでその上怒ってんの? 大地君のことを好きだったんならさ、彼の気持ちを普通は優しく受け入れてあげるもんだよ」

「…………!」


 透子は愕然とした。

 たしかに、そうかもしれない。好きだったら、ここまで怒ってなかったかもしれない。ありがたいと思い、かつ嬉しいとさえ思っていただろう。驚きが、少なくとも怒りに変わることはなかった。

 それは、普段の状態だったらだ。

 いつでも相手の好意を欲していたのなら、そう思えていたはずだった。


 でも、今はそう思えていない。ということは……。


「やっぱりそのデタラメな話……さ、デタラメじゃないみたいだね。もう透子は大地君よりも……その夢の中の人の方が好きなんだよ。その人しか、好きじゃないんだよ。だから……大地君の気持ちを拒絶したんでしょ?」

「…………」

「あー。あたし……どうして透子に遠慮してたんだろー。ねえ、透子がもう誰を好きでもいいけどさ、大地君のこと好きじゃなくなったんなら、あたし、遠慮しないでいい? いいよね? あたし……大地君が透子にキスしたって聞いても、それだけ透子のことを好きだったんだーって、それしか思わなかったからさ」

「…………」


 透子は何も言えなくなった。

 千明や大地君のことを改めて考えさせられたからではない。シザキのことだけを考えてしまっていたからだ。


 どうして、自分は大地君を拒絶したのか。

 それはシザキの方しか好きじゃなくなっていたから。


 それは、千明の言う通りだ。でも……それだけじゃない。


 自分が勝手にキスしたシザキは……きっと今の自分と同じようにキスした相手を「拒絶していた」はずだ。

 自分のことを――。

 そのことに、透子は思い至ってしまった。


 絶対に、シザキは自分の気持ちを受け入れたりしない。

 そういう確信があった。

 好きだと伝えても、ありがとうとか、嬉しいとか、そんなことは絶対に思ってもらえない。迷惑だとか、不快だとか、そういうことしか感じてもらえないはずだ。


 そういうことを、心のどこかで薄々感じていた。だから、無意識のうちに同じようなことを大地君に……。


「わた……わたし……」


 そこまではっきりと思い至った瞬間、透子の両目からはボロボロと大粒の涙がこぼれ出した。


「透子?!」


 ただの……八つ当たりだった。

 自分がシザキに受け入れられなかったから、自分も他人からの好意を受け取らなかった、なんて……。なんて幼稚なことをしてしまったのだろう。

 たしかに大地君よりシザキを好きになっていた。でも、それだけじゃなかった。こんなに悲しい事実に気付きたくないだけだったなんて。


 透子は自分自身に打ちのめされていた。


「え? ちょ……透子?!」


 千明が心配そうにこちらを覗き込んでる。

 透子は、手で涙を拭って言った。


「千明。わたし、わたし……別に千明のためとか、そんなんじゃなかったんだよ。ホントだよ。本当に、大地君より、あの人が好きになってて……。でも、あの人はわたしのこと、絶対好きにはならない人で。でも、わたしは好きで……拒絶されてるってわかってても、諦められなかったの!」

「透子……」

「千明、こんなわたしは、やっぱり大地君の気持ちを受け入れられないよ。だから、あんなふうに断ったんだ。こんなわたしより、千明が好きになったほうが百倍いい……」

「…………」


 そう言って千明をそっと見ると、とても複雑な表情をしていた。

 小走りで駆け寄ってきたかと思うと、いきなり透子を抱きしめてくる。


「ち、千明?」

「わかった……。言いたいことは、なんとなくわかったよ。こんな……まだ、体調が良くなくて情緒不安定な時に……こっちも悪かったね。でも、あんたも難儀だねえ」

「……え?」

「ホンット、バカだよ。なんでそんな人……好きになっちゃったの。あたしと一緒で、ずっと……すぐ近くにいる大地君だけを好きでいりゃあ良かったのに……」

「そう、だね……。わたしも、なんであの人好きになっちゃったんだろ……」


 ……出会わなければ良かった。

 そう言いそうになって、でもその言葉は飲み込んだ。

 千明の肩に顎を置きながら透子はつぶやく。


「わたしは……さ、千明。大地君諦めるよ。それから……まだちょっと先のことはわからないけど、いつか夢の中の人も……諦める……」

「……ん」

「しばらく、いろいろお休みする……よ。ね、それで、いいよね? 千明……」

「……うん」

「ごめん。それと……ありがとう」

「うん」


 木枯らしが、体育館裏を吹きぬけていく。

 肌寒い曇天の下、透子はそうして千明にしばらく抱きしめられていた。

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