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037 真壁透子は現実に向き合う

 夢は見なかった。

 いつもの明晰夢も。おぼろげな夢も。未来の世界の夢も……。


 こういうことはマラソン大会とか、体育祭とかでものすごく体力を使い切った日にしか起きないことだった。

 普段はなにかしらの夢をみるのだ。

 けれど、今日はいっさい見なかった。


 透子は呆然として起き上がる。

 朝の光。カーテン越しのその柔らかな光がパジャマ姿の自分を照らしている。


 身支度をして階下に降り、両親に挨拶する。

 体調はもう大丈夫そうだという事で、約束通り登校を許可してもらえた。何かあったらまたすぐに親に連絡を入れること、それを担任の先生方にも通達しておくことなどを双方で確認し合う。

 朝ごはんを食べ、家を出る。


 見慣れた銀色の自転車に乗る。

 もうかなり前のことのように思える。これに乗って、大地君と下校した日のことを。


「はあ、大地君……千明……」


 大きなため息をつきながら、透子は学校までの道のりを急いだ。



 * * *



 教室に入る。

 たくさんいる生徒の中に、透子はすぐに千明と大地君の姿を見つけた。

 二人とも、こちらをちらっと見た後すぐに気付かないふりをする。透子は呆気にとられたが、そうしているうちに千明が近づいてきた。


「おはよう、透子」

「おはよう。千明……」


 正面からじっと顔を見られる。どぎまぎしながら見返していると、千明はにこっと笑った。


「元気そうだね。また体調悪くなりそうだったら、すぐあたしに言うんだよ」

「うん、ありがとう……千明」

「しっかし大地君が透子に……か」

「え?」


 ちらりと大地君の方を見ながらつぶやく千明に、透子はどきっとする。


「いやね。昨日あれからいろいろ考えたんだけどさ、大地君が透子のお見舞いに行ってた、っていうのが……そもそもびっくりしてね」


 透子の席の近くにはあまり生徒はいなかったが、千明は念のため小声で話しかけてきた。


「わたしも毎日行ってたけどさー、不思議とバッティングしなかったよね。男子の方が早く部活が終わってたからかな?」

「わからない……わたし、寝てたから……」

「そう、だよね。で? 昨日だけだったの? そのキスされたっていうのは」

「え? う、うん……たぶん」

「その前からっていうことはない?」


 席に座ると、千明も前の席に座り、振り返りながら身を乗り出してくる。


「わからない。昨日以前にも、されてたかっていうのは……ちょっと……記憶にない」

「そう。でもまー寝ている間に同意なくするっていうのは、さすがの大地君でもないなー」

「うん……」


 透子は千明にそう言ってもらえてホッとした。

 もし、うらやましいと言われてたら少し、嫌だった。そういう気持ちもわからないでもないが、そこは友人としての気持ちを優先してほしかった。勝手だが、千明にそうした期待を透子は抱いていたのだ。


「じゃあ……昨日は、どうしてたの? 透子が気付いた後、もちろん大地君と話したんでしょ?」

「え、うん、まあ……ね、話したよ。少しだけ。で、謝られたんだけど……」

「謝られた?」

「うん。ごめんって」

「悪い事してるってのはわかってたんだ……」

「えっと……。あの、さ、千明。わたし、どうしたらいいと思う?」

「え?」


 耐え切れなくなって、透子はそう質問した。


「わたし、もうどうしたらいいのかわからなくって。こんな風になるなんて……わたし、考えてもみなかったし……それに正直ショックだった、っていうか……もう、自分の気持ちもよく、わからなくなっちゃって……」

「ごめん、透子。そうだよね……。あんまりいろいろズケズケと聞いちゃってごめんね……」


 バツが悪そうに、千明はそう謝ってくる。

 透子はあわてて首を振った。


「ち、違うの。むしろ聞いてもらって嬉しかったっていうか……。でも、ほんとに今悩んでるの。ねえ、わたし、これからどうしたらいいのかな?」

「そうだね……。うーん、やっぱり大地君がどうしてそんなことしたのかとか……訊かないことにははじまらないと思うけど……」

「やっぱり、そうだよね……」

「一回、二人で話してみたらいいんじゃないかな」


 ぽつりと、千明がそんなことを提案してくる。

 透子は耳を疑った。


「え? ど、どうやって? わたし、そんな勇気ないよ!」

「でも、訊かないと。ずっと悩むことしかできないでしょ」

「それは、そうだけど……」

「あたしがさ、呼び出してあげる! うん、今日の放課後とかさ。ね、話してみれば?」

「え? えええ?」

「嫌ならいいけど……」

「うーん」


 考え込んでいる間に、チャイムが鳴ってしまった。

 千明は「部活までに考えといて」と言って、自分の席に戻って行く。


 いったい、今のはどういう意味で言ったのだろう。

 千明の気持ちを考えると透子は憂鬱な気分になった。千明も、大地君を好きなはずなのに……。


 それに例え二人きりで話す機会ができたとしても、大地君はなんと説明してくるのかわからなかった。すべてをなかったことにしてと言ってくるかもしれない。いや、そもそも待ち合わせの場所にも来てくれないかもしれない。


 その間、千明はどうしているのか……。

 側にいてくれるのか。一人で大地君と話をしなければならないのか……。


 いろいろな不確定事項が多すぎて、透子はさらに頭を悩ませた。



 * * *



 全ての授業が終わり、部活の時間になる。

 今日も、同じ体育館男子と女子のバスケット部がそれぞれ練習をすることになっていた。

 ちらりと、透子は仕切りのネット越しに大地君を盗み見る。


 相手もなんとなくこちらを気にしているのがわかった。

 プレイがどことなくぎこちない。後半など、ミスをしているのがかなり目立っていた。


「千明……」


 透子はさらに千明を見てみる。

 彼女も、動揺しているのか、いまいちプレイに集中できていないようだった。

 自分なんか、もっとダメだった。あまりにダメダメなのと、病み上がりということで、今は壁際に立って見学している。


「はあ……どうしよ」


 試合中に転がってきたバスケットボールを拾って返しながら、透子はずーんと気持ちが沈んでいくのを感じていた。



 * * *



 そして、あっという間に部活が終了する。

 決断の時である。


「ありがとうございましたー!!」


 整列して、終わりの挨拶をし、片づけに入る。


「透子、透子……!」


 モップでフロアを拭いていると、小声で名を呼んでくる者がいた。千明だ。

 暗に目で大地君の方向を指し示してくる。

 黙っていると、イライラしたようにせっつかれた。


「だ・か・ら、例の件。どうするの?」

「えっ……? ええと、その……わ、わかったよ……」


 せっかく千明がお膳立てしてくれるというので、透子は頼んでみることにした。

 たしかに千明の言った通り、このまま話し合わないでいるならただ悩むことしかできない。どうなっても今よりは良くなると信じて、透子は話し合いの場を設けてみることにした。


「じゃあ……お願い、できる?」

「もっちろん!」


 千明は胸をどんと叩いて笑う。

 しかし、透子は一抹の不安があった。


「あの、千明……」

「何?」

「あの、千明も……側に、一緒にいてくれる?」

「え? そんなの、透子だけでいいでしょ。わたしは……たぶんお邪魔虫だろうし」


 お邪魔虫。その言葉に、透子は複雑な気持ちになる。

 千明は、どうやら自分の気持ちに蓋をしているようだった。あまつさえ、透子と大地君がくっつくように奔走しているそぶりすらある。どちらにしろ、透子は千明にそんな気持ちでいてほしくなかった。

 だから、強く否定する。


「そ、そんなことないよ! なんか、わたし一人じゃ心細いし、さ……できたら千明にも側にいてほしい」

「ええー? でも、それじゃ……。わ、わかった。じゃあ、近くに潜んでいるから。それならいいでしょ」

「え?」

「物陰に隠れて聞いててあげるから。ね?」

「うん……」


 一応の譲歩といったところだろうか。

 本来であれば同じ場所にいたくはないのかもしれない。透子と大地君が一緒にいたら、お互い気持ちを伝えあうといった出来事が起こるかもしれない。

 そんなことは……ないと透子も思いたかった。


 今はもう、かつての透子ではないのだ。

 未来の夢を見て、その世界のある人を好きになってしまった。そして、勝手にキスをしてきた大地君に幻滅してしまった。そんな透子に、今は成り下がってしまっている。


「じゃあ、行ってくるね」


 そう言って、千明は仕切りのネットをしまおうとしている大地君に駆け寄っていった。

 何やら手招きして耳打ちしている。

 近い。あの距離は自分だったらとてもドキドキしてしまう距離だ。千明も、きっと今、ドキドキしているに違いない、と透子は思った。


 大地君がうなづく。

 そして、二人ともこちらを見る。


 透子はいたたまれなくなって、またモップを動かし始めた。

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