033 シザキ・ゼンジは違和感を覚える
短いアラーム音が鳴り響く。
三回。それが三度。
シザキは目を覚まし、室内を見回す。
空中に黒い球型のドローンと、白いワンピース姿の少女が壁際にいるのが見える。
「おはよう、オーブ……とマカベ・トーコ」
しわがれた声を喉の奥からひり出す。
そうすると、ああ今日も生きていると感じる。
いつかの朝と似ていると感じた。
だが、違うのはこの部屋に少女が存在しているという事……。
むくりと体を起こすと、少女がこちらを向いた。
どこか起伏の乏しい表情である。眠る前は、怒ったり悲しんだり、とにかくころころとよく変化していたのが、今は魂が抜けてしまったようにボーっとしてしまっていた。
「どうした?」
「…………」
違和感を覚えて声をかけるが、依然として少女は黙ったままだった。
シザキは小首をかしげる。
さらに何かしゃべろうとすると、オーブが遮るように割って入ってきた。
「おはようございマス、シザキ・ゼンジ。朝のメディカルチェックを行いマス。10秒以内に所定の位置に立ってクダサイ」
「あ、ああ……」
シザキははベッド脇に両足を降ろし、半径1メートルほどの青い円が描かれている床の上に立つ。顔を上げ、少女を見ると……なんと相手もこちらを見つめていた。だが、すぐにお互い視線をそらす。
「……では、スキャンを開始しマス」
オーブの中の青い光が数字に変わり、カウントダウンが始まる。
そして、いつも通りに3Dスキャンが行われ、青い光の円が地面から頭の先までを通過していった。
「スキャン完了。身体面に異常なし。精神面にもほぼ、異常なし。……最終チェック。夢は見ましたカ?」
「いや、見ていない」
即答する。
これもいつも通りだった。
「OK。では着替えて、食堂に移動してクダサイ」
シザキは眠る前の胸の違和感が、ほぼ消えているのに気が付いた。
少女を見ても、もう何の動揺も生まれない。
眠っている間に精神安定剤が良い仕事をしてくれたようだ。シザキはそう思い、胸に手を当てる。
脱ぐために寝間着の襟に手をかけたが、ふと見ると、少女が顔を赤くしてそっぽを向いているのが見えた。
「……? どうした?」
「…………」
訊くが、少女は何も答えない。
シザキはそれ以上気にするのは無意味だと判断し、勝手に着替えを開始した。
壁のハッチを開き、中に収められている作業着と武器を確認する。どれもきっちりとメンテナンスを終え、ピカピカに磨き上げられている。
シザキはすばやくそれらを身に着けていく。
黒のつなぎ。その上に、黒い結束バンドを巻きつけ、各所のホルスターにナイフや銃を納めていく。
その間、少女はずっと真横を向いていた。
何を考えているのかわからない。だが、シザキは淡々と身支度を済ます。
五分ほどですべてが終わり、部屋を出ることにする。
振り返ると、少女は無言でついてきていた。
食堂に着く。
しばらくして五時の鐘が鳴る。
少女は無表情のまま、部屋の隅に佇み続けていた。
昨夜の、夕食の時には……すぐ側で穴の空くほどこちらを眺めていた。けれど今は全く関心を示していないに等しい。せっかく忘れていたのに……シザキはふいにそのことを思い出してしまった。
とっとと薬を飲み、気持ちを落ち着かせることにする。
精神安定剤と、マルチサプリメントのカラフルな錠剤を一つずつ。
* * *
「本日はS級のナイトメアが多数確認されており、現地の警戒レベルがかなり上がっていマス。主に装甲列車からの砲撃が主な任務となるでしょう。では総員、点呼をとった後、乗車してクダサイ」
ホームに並んでいると、いつもとは違ったオーブの指示があった。
シザキを含めた作業員30名は点呼をとった後に、くすんだ砂色の電車に乗り込む。
少女は何も言わないまま、シザキの後をついてきた。
5時15分。
ホームのベルが鳴り、ドアが閉まる。車両が少しずつ動き出し、高架化した線路を走りはじめる。耳の奥を逆なでするようなモーター音。
300メートルほどを進むと、車内のオーブたちが一斉に青く発光しはじめる。
「フォーメーション、チェンジ。夢エネルギー粒子を取り込みマス」
半透明の歯車をモチーフとした装飾が壁面にまとわりつきながら、車体が急激に変形していく。内装が戦闘用の計器やモニターを配備した、ものものしい仕様へと変わっていった。
この光景にはさすがに少女も驚くだろうと予想したが、少女は意外にも一言も声を発することがなかった。
「マカベ……?」
さすがに疑問に思って、少女の名を呼ぶが、他の作業員が席に着き始めたのでシザキはそれを中断してしまった。
「本日は、K地区デス。総員、再度武器や測定器のチェックを行ってクダサイ」
着席しながら、シザキは指示通りに行動する。
だが、手や目を動かしながら、どこか少女のことばかりを考えてしまっていた。
おかしい。
昨日とはまったく様子が違う。いったい何があったのか。自分が寝ている間に、またエラーを起こし、自分の時代に戻っていたというのか? そしてそこではいったい何が。
ふと、そんな考えが浮かぶ。
ちらりと少女の顔を伺ってみても、何かを訴えるようなそぶりはなかった。
……気になる。
けれど、今はとてもそれどころではなく、シザキは仕事の方を集中しなければならなかった。
「では、重力反転。および上昇を開始しマス」
オーブのかけ声があり、車体がふわりと浮きあがる。
装甲列車はラベンダー色の空へと上昇していく。
そしてものすごい勢いで加速し、目的地へと発進した。
* * *
K地区に着くと、そこには地獄が広がっていた。
何十匹もの「恐竜」が跋扈している。
すべてがS級サイズのナイトメアだった。これはたしかに骨が折れる作業になりそうだと、シザキは眉をしかめる。
「まるで、恐竜映画みたい……」
声がした。それは今日初めて聞く少女の声だった。
シザキの肩越しに、興味深そうにモニターを覗き込んでいる。
「こんなに……S級ナイトメアがたくさん出現しているのは、おそらく集団で同じような悪夢を見たせいだろうな」
「え?」
シザキがつぶやくと、ようやく会話らしい会話になった。
シザキはなぜかホッとする。
「君が言うように……これは恐竜映画が原因だ。以前にも似たようなことがあったからな。オーブの説明によれば……ある時期に、地上波で恐怖映画などが一斉に放送されるとこのような現象が起きるらしい。そしてその当日の夜に、同じような悪夢を大勢の人間が見る。それが寄り集まると、こうなるのだ」
少女はまた無言になった。
シザキは続ける。
「同じような夢が同時期に見られた場合、それはこの発電所の敷地内で融合する。毎日、ナイトメアを具現化させるために特殊な電磁波を照射しているのだが、その区画は日によって変わる。……この場所はそうとう悪夢を見た人間が多かったようだな」
そう言って、ちらりと少女の顔を盗み見る。
少女はモニターを見つめたままだった。
「そう。そういう原因が、あるんだ……。きっとすごく、怖い恐竜映画だったのね。あれを全部やっつけるのが、今日のわたしの仕事?」
そこでようやく少女はシザキの方を向く。
シザキは軽く首を横に振った。
「いや……。君の出番は、おそらくほとんどない。この装甲列車からの砲撃が主となるだろう」
「そう……」
S級がこれだけいると、外に出て戦うことはあまりない。
シザキは少女に説明しながら、モニター上のナイトメアたちの位置をそれとなく把握していた。
そうこうしているうちにオーブの指示が下る。
「総員、攻撃を開始してクダサイ」
左右の辺が湾曲した、H型のレバーが操作盤から突出する。それを掴み、すばやく照準を合わせる。シザキは親指の位置にあったスイッチを押すと、エネルギー弾を発射させた。
幾筋もの光の帯が、各砲身から飛び出す。そこここであがる爆炎。そして破壊されていく街。ナイトメアたちは次々と爆散していった。
誰も声をあげない。
機内は無音である。外は轟音、爆音、騒音であふれているはずなのに、ここだけが妙に落ち着いている。
少女が体を小刻みに震わせていた。
それを横目で見ながら、シザキはエネルギー弾のスイッチを何度も押す。
数があまりにも多いため、それは約一時間ほど続いた。
* * *
地上はもうもうと土煙があがった。
まるで霧に沈んでいるかのようだ。おぼろげなビル影を残したまま、街はようやく静けさを取り戻していく。
「半径10㎞圏内をクリア……夢エネルギーの回収をしに行きマス。作業員はここでしばらく待機していてクダサイ」
天井のハッチが開き、オーブたちが一斉に空へと飛び立っていく。
土煙の中からはピンク色をした夢エネルギーの丸い光が浮かび上がってきていた。
ひと段落したと、作業員の誰もが思った。
なごやかな空気が車内を満たしはじめていたその時、きらりと赤い光がモニター上で光る。
なんだとシザキが注視すると。
「なっ……」
30のオーブが空中で次々と爆散していった。
何が起こったのかすぐには解らなかった。だが、無残にもオーブたちが墜落していくと、敵襲があったのがとようやく認識できる。
モニター上に警告の黄文字が現われ、本部の指令が下る。
「総員、装甲列車を着陸させ、戦闘に備えよ」
オーブがいなくなってしまったため、シザキ達作業員はマニュアルで装甲列車を動かすことになった。
操作盤のタッチパネルを、役割を命じられた作業員だけが操作する。
ほどなくして機体は地面へと到達した。
敵からの攻撃は、まだない。だが警戒をするに越したことはなかった。
「シザキさん……オーブっていうの? あれが、みんな壊されちゃったけど……。な、何があったの?」
「わからん」
一人ずつ慎重に、作業員たちは装甲列車の外に出る。
銃を構えながらタラップを降りていく。
瓦礫の山がいたるところにある。そんなビルとビルの谷間を、作業員たちはオーブの助けもなく進んでいく。
シザキも透子をそばに引き連れながら、敵の影を探していた。
視界があまりに悪いので、独断で額当てと一体化したゴーグルをかける。すると――。
「いた」
夢エネルギー検知機能が作動し、廃墟のビルの陰に赤い二つの目を持った敵影を発見できた。
だが、どうも斃し損ねた恐竜というわけではなさそうである。
S級の15mサイズ。それは恐竜と同じだったが、その形は……どう考えても「ヒト」以外には見えないシロモノだった。二足歩行の人間らしきシルエットが霧の中で不気味に動いている。
「な……何だ、あれは……」
「シザキさん?」
少女がこちらを向いて怪訝な顔をする。瞬間、また赤い光がきらりと光った。
シザキはとっさに銃を持った腕を体の前に出して「何か」に備える。
「…………!」
ズバッと草が断ち切られるような音が発生。
見ると、声もなく、あちこちで作業員が倒れていた。
「ひいっ!」
少女の悲鳴が上がる。
シザキも無事では済まなかった。右手の先が、銃もろともすっぱりと切断されていた。
「これは、いったい……」
地面に倒れている同胞たちは皆、首と胴体が分離していた。あれは助からない。すぐに基地へ戻って手術をしても手遅れになるだろう。赤い光が光ったと思ったら、すでにこうなっていた。
これは「攻撃」に他ならない。
シザキはすぐに瓦礫の山の後ろに屈むと、敵から完全に身を隠した。こうでもしないと、同胞たちと同じ運命を辿ってしまう。
巨大な人影は、ふらふらと体を左右に揺らしながらこちらに近づいてきた。
「し、シザキさんっ……!」
少女が半泣きの状態で駆け寄ってくる。
凄惨なことが起きて、気がかなり動転しているようだ。ちらちらと巨大なナイトメアの方を見つつ、少女はシザキの傍らに膝をつく。
シザキは、少し考えた後、目の前にいる少女をそっと抱きしめた。
「えっ?」
ビクッと肩を跳ねさせて、こちらを見上げてくる。
そんな少女に、シザキはできるだけ冷静な声で告げる。
「あれは、かなり危険なナイトメアだ。S級であり、SS級でもある。あんな相手は私も見たことがない……おそらく、このまま戦闘していても生き残ることは難しいだろう」
「シザキ……さん?」
「君だけは大丈夫だ。どんなものからも傷つけられない。だから、先に言っておく。少しの間だけだったが……ありがとう。楽しかった」
「なっ……?」
そう言って、少女から身を離す。
笑った方がいいかと思って、無理に口角を上げてみた。が、それを見た少女は、喜ぶどころか怒りを露わにし、盛大にシザキの頬を張ってくる。
「マ……カベ・トーコ……?」
「ふざけんなっ! よく、わからないけど、諦めないでよっ! わたしが、わたしがついているじゃないっ!」
呆然と、少女を見つめる。
目に涙を浮かべ、顔をひどく紅潮させている。そして強く睨みつけられていた。その姿はまるで熱せられた鉄のようである。
「さあ、右手を出して!」
シザキは言われるままに切断された右手を差し出す。すると少女は瞳を赤く輝かせ、手の先をきつく包帯で巻いた状態にしてくれた。
「これでいいわ。じゃあ、行くわよっ! シザキさん」
「……あ、ああ」
少女の気迫に促されるように、シザキは立ち上がる。
すると少女は背中に六枚の赤い羽根を生やし、幾重にも透明な防御壁を周囲に展開していった。
そして――。
目の前に見たこともないほど、巨大な大砲を出現させたのだった。
今夜、もう一話更新します。




