029 シザキ・ゼンジは寝顔を見られる
徐々に訪れる眠気。そして、弛緩していく肉体。
しかし、シザキは眠れなくなっていた。
横になってからずっと、マカベ・トーコが自分を見下ろし続けているのだ。
枕元からずっと離れない。
すでに数分が経過していた。そのあいだ、ずっと、ずっと、寝ている自分を見つめている……それはなんともシザキにとっては不可解な出来事だった。
なぜ、そのような状態が目を閉じているのにわかったのかというと、体内の「遠隔監視機能」をONにしていたからだ。
この機能は、オーブに内蔵されたカメラを通して、高所など自分が見えない位置を監視できるモノで、普段はナイトメアを探す時や、戦闘の時にだけ使われている。だが、シザキはなぜか今、この機能を用途外に使ってしまっていた。
それは、自分が眠った後、少女が何をするのか気になってしまったためだった。
その好奇心さえ生まれなければ、いつものようにすぐに眠りに落ちていた。そして、こんな光景も見ずに済んでいた。
シザキはそれを、今とても後悔している。
「…………」
いや、いまさらそう思っても遅い。
すでに事実として認識されてしまっているからだ。であれば――。
シザキはオーブを遠隔操作し、別のアングルへと切り替えてみた。
ぐるりと少女の後ろから回り込み、顔が見える前面へと移動させてみる。
ここまできたら、少女がどんな表情をしているかを確認したかった。貴重なデータだ。今後のコミュニケーションの一助となるかもしれない。
寝ている自分をみる少女の顔が、だんだんはっきり見えてくるようになる。
紅潮した頬。
胸を押さえる手。
そして……息を飲むような表情が、そこに映し出された。
「…………?」
シザキは、少女の様子を見て疑問が湧くのと同時にひどく狼狽した。
なぜ彼女がそのような状態でいるのかが、まったくわからない。
(わたし、今学者みたいな気持ちになってる)
前にそう言っていたのを思い出す。
なるほど。
学術的な興味……か。
きっと、クローン人間がどのように眠るのかが気になって、「観察」をしていたのだ。
それならば納得できる。
それだけなら、問題はない。
そう、何も問題はない。
ひとり納得し、シザキはもう一度眠ろうと少女から意識をそらす。
けれど……やはり眠れなかった。
まぶたは閉じているのに、頭はさっきより明瞭に冴えてきてしまっている。
これでは翌日の任務に支障が出てしまう。懸念はすれども、やはりどうすることもできない。
時間がもったいないので、シザキは仕方なく、先ほどのメディカルチェックでのことを思い返そうとした。
肉体面での異常はわかった。
しかし、精神面での異常、というのはいったいどういうことだったのだろう。
オーブは詳しく教えてくれなかったが、やや心に引っ掛かる言い方ではあった。
何が原因だったのだ……。
シザキは考えるが、まるで思い至らない。唯一、可能性としてあげられるとすれば……この少女だった。
少女と出会ってから、自分には少しずつ異変が生じはじめている。
胸の奥がすうっと寒くなったり、急に鼓動が激しくなったり……彼女の言動に驚かされたり、ハッとさせられることが多くなってきている。
てっきりそれは「価値観が違いすぎる相手だから」だと思っていた。
時代も年齢も性別も、何一つとして重なり合ってはいない、そういうかけ離れた相手だからこそ、多大な影響を受け、強い刺激もまた受けているのだと思っていた。
けれど――。
どうもそれだけでは、説明がつかないことが多い。
この違和感の正体は、別の理由が原因……なのかもしれない。
今はまだ、すべての解明はできていないが……それを差っ引いても、このまま異常な値が高まり続けるならば、いつかは実行しなければならないことだった。
このマカベ・トーコと縁を切ることを――。
しかし……と思い直す。
自分は、すでにこの少女と離れがたく……なってしまっている。
それは事実だ。
嘘であってほしいと思うことだったが、最悪なことにそれを自覚してしまってもいる……。
(自分に必要だと、そう判断したからだ)
滞留者の男に言い放った言葉を思い出す。
なぜ、と再び自分に問うてみても、やはりもっともらしい答えは出なかった。
あんなことをどうして、本人や、他の者がいる前で言ってしまったのだろうか。
考えても考えてもわからない。
そうした思考のるつぼに迷い込んでいると、突然シザキの見ている映像に変化が現れた。
「…………!?」
シザキは、思わず固まる。
少女がシザキの方へ近づいてきたからだ。
少女はおもむろに手袋に包まれた手を伸ばし、それをシザキの頭に載せてきた。そして触れるか触れないかの距離で、髪が撫でられる。
「…………」
シザキはそれに、なぜか極度の緊張をさせられた。
こんなことは初めてだった。
一度も経験したことはない。他人に頭を撫でられることなど……。
シザキは仰向けに寝たまま、極力、体を動かさないように努めた。
起きている、と少女に感付かれたくなかったのだ。
少女はきっと自分が寝ていると信じ込んでいる。その思いを、シザキは裏切りたくはなかった。
「…………」
どうしてこのようなことをしてくるのか、やはり解らない。
動揺と恐れと焦りのような感情が、シザキの心に濁流のように押し寄せてきていた。
髪に加わる感触はずっと止まらず、シザキはひたすらに耐え続ける。
少なくとも、研究者はモルモットにこのような触れ方はしないはずだ。このような余計なスキンシップは必要ないものである。なのになぜ、少女はこんなことをあえてしてきているのだろうか……。
何度も、そのか細い指が頭上を往復する。
学術的な興味だけでは、きっとこのような行為には及ばないはずだろう。
きっとこの少女は……そう、異常な状態なのだ。
こんな常識外れのことをしてきているのは、そんな異常な状態に陥っているからだ。そうシザキは乱暴に結論付ける。
「…………」
シザキは脳内の記憶チップから、試しに「ペット」という単語を検索してみた。
大昔の人間は動物を家庭で飼育し、それと触れ合うことで「癒し」を得ていたという。
癒し。
少女はおそらく、自らに癒しを求めているのだろう。
己の異常な状態から、心を鎮めるために。
いや……。違う。
もしかしたら逆かもしれない。
もしかしたら……限りなく小さな可能性ではあるが……少女は「シザキに」癒しを与えようとしていたのかもしれない。
ふとそんな妄想が脳内によぎる。
たしかに、元気のないペットを飼い主が撫でて励ますこともあるのだ。
少女が、シザキというクローン人間に癒しを与えようとしたのであれば……それはさらに異常な事態が起きているということになる。そのような行為をするのは、「学術的な興味」からも大きく逸脱していると言えた。
これでは……まるで……。
いや。
彼女からその言い訳を聞くまでは、まだ決めつけられない。どのような理由だったかを訊くまでは。
そしてシザキはそれを切実に今、「知りたい」と思った。
「……マカベ・トーコ」
ついに、耐え切れず目を見開く。
そしてゆっくりと少女と視線を合わせた。
「えっ……?」
こちらの変化に少女は目を丸くしている。
当たり前だろう。起きるはずがないと思っていた相手が、半ば不意打ちのようなタイミングで目覚めたのだから。
シザキは少女の反応を無視し、努めて冷静に訊ねた。
「何をしている?」
「えっ……あっ、あの……」
血液などという物質は今の彼女の構成要素の中にはないはずだが、なぜか首から上がひどく、赤く、染まっていく。
「ど、どうして……ね、寝てたんじゃ……?」
あまりにも動転しているので、シザキは若干申し訳ないような気分になった。
だが、心を鬼にして重ねて訊く。
「なぜ、私の髪を撫でていた。答えろ」
「えっ! お、起きて……? な、なんで……!」
あわあわと口元を押さえながら、少女が後ずさっていく。その手を、自分の髪に触れていたと思われる左手を、シザキはそっと掴んで引き留めた。
「……あっ! は、離し……てっ!」
「しばらく様子を見ていようと思っていたのだが、やはりこのままではどうにも落ち着かなくなってしまった。なぜああしていたのか、教えてくれないか? マカベ・トーコ」
「えっ……あ、あのっ……」
今にも泣き出しそうな、そんな切羽詰まった表情で少女はシザキを見つめ返している。
その顔が、なぜか「とても美しい」と感じた。
できればずっとこれを見続けていたい。
やがて、少女の小さな唇が、おずおずと何かを語ろうと開きはじめた。
「…………あ」
だがそこで、少女はまたエラーを起こし、静止してしまった。
「待……!」
呼び止めるが、すでに少女は現実世界へと旅立ってしまった後だった。時を止めた少女の手を、シザキはしぶしぶ放す。
「戻ってくるまで……理由は訊けない、か」
残念そうにそう言うと、シザキはまたベッドに身を投げた。




