002 シザキ・ゼンジは悪夢と戦う
赤と青の光を混ぜたら、ちょうどあんな色になる。
小窓から見える空の上方は濃く、地平に近づくほどそれは薄くなっていた。その合間を、さらにピンク色の雲がゆっくりと流れていく。
今日も廃墟の街では、大小の「悪夢」たちが跋扈していた。
通称ナイトメア。
もやもやとした黒い影のような体を持ち、目だけが赤く光っている生き物である。
トリや、ウマや、ヒト……車やビル、鉄塔など無機物の体裁をとっていることもある。
精巧な見た目をしていても、じっくりと観察すればどこか違っている。
彼らはこの世界に「必要で」かつ「不必要な」存在だ。それらを狩るためにシザキ達はこの場所へと来ていた。
「F地区に到達しましタ。攻撃を開始してクダサイ」
オーブからの指示があり、シザキは目の前のモニターを注視する。
一見、瓦礫の山しかないようだが、特殊なセンサーで、その陰に隠れるナイトメアたちの位置は正確に捕捉されていた。距離や、最適な弾道角度などの数値も示されている。
シザキは手元のレバーを握ると、その一つに照準を合わせた。
左右の辺が湾曲している、アルファベットのHのような形をしたレバーである。ちなみにこれらもすべて「虚像」だ。そのレバーの感触を確かに感じた後、シザキは左右の親指のあたりのスイッチを同時に押す。
瞬間、強力なエネルギー弾が、車体の前部にある巨大な砲身から発射される。
装甲列車とナイトメアとの間に光の尾が幾筋もたなびき、爆炎が各所であがった。シザキ以外の男たちも砲撃を一斉にしたのだ。周囲にいたナイトメアたちはあっという間に駆逐されていく。
「…………」
誰も歓声をあげない。
しばらくすると、事務的なオーブの声がまた室内に響いた。
「半径1㎞圏内をクリア……夢エネルギーの回収をしに行きマス。作業員はここでしばらく待機していてクダサイ」
天井にある丸いハッチから、オーブたちが続々と飛び立っていく。
あれはこれから、斃れたナイトメアたちの元へと向かうのだ。
オーブは現地に着くと、体を丸いクモの巣のような網の形に変形し、ナイトメアたちの上に浮かんでいたピンク色の発光体を捕まえはじめた。
ナイトメアたちの遺体はそれによって瞬時に霧散していく。
あらかた発光体を回収し終わると、オーブたちはまた元の球形に戻り、装甲列車へと戻ってきた。
「あとは掃討作業となりマス。各自、パートナーのオーブとともに市街地に下りてクダサイ」
天井のハッチが閉まり、機体が着陸態勢に入る。
地表に着くと壁のドアが音を立てて開いた。
シザキをはじめ、他の男たちもぞろぞろと外に出る。それぞれが装着していた武器を構え直し、四方に散らばる。
誰も言葉を交わさない。
交わす必要もない。
シザキは瓦礫の点在する道を黙々と歩いていった。
しばらく行くと、オーブが指示を出してきた。
「シザキ・ゼンジ、あそこのビルを右に曲がってクダサイ」
「……了解」
言う通りに曲がった途端、物陰から小さなネコが数匹、飛び出してくる。
これらも立派なナイトメアだ。半透明の影のような体に、三つの赤い目。子ネコたちはトコトコとユーモラスな動きでこちらへとやってくる。
この街に、まともな生き物などいない――。
それを理解しているシザキは、手にした自動小銃で容赦なくナイトメアたちを撃つ。乾いた音が数度続く。
弾はすべてエネルギー弾である。
額を正確に撃ち抜くと、側にいたオーブがすぐさま飛んでいった。
遺体から放出されるピンク色の発光体を、オーブの網型の捕捉機関が回収していく。
「シザキ・ゼンジ。この先にA級のナイトメアがいマス。注意してクダサイ」
「A級か……」
周囲を警戒していると、突如として警告がされた。
シザキはそっと眉をしかめる。
A級以上のナイトメアは、装甲列車などの大型破壊兵器で倒すことが推奨とされている相手だった。
一介の作業員であるシザキには、A級を単独で破壊するのは骨の折れる作業だった。今のネコサイズはC級。大型のイヌぐらいのサイズならB級。A級は、クマか車サイズのナイトメアである。A級は負傷のリスクが上がるため、できるだけ戦闘は避けたかった。
しかし、遭遇したら戦わないわけにはいかない。
そろりそろりとさらに慎重に歩みを進めていく。
「15m先、注意してクダサイ」
やはり、オーブの言う通り、A級のナイトメアはそこにいた。
乱立する木々の向こう。
ネコの親玉、といったところか。体長は5mはある。巨大なネコは、うずくまりながら5つの赤い瞳をギョロギョロと動かしていた。
「……!」
こちらの接近に気が付いたのか、急にとがった耳をピクリと反応させる。
「オーブ! 夢エネルギーで銃を強化しろ! 急げ」
「了解」
指示をすると、オーブはすぐさま青白い光の輪を吐き出し、それをシザキの構えている銃に当ててくる。
銃身は光に呼応して、急激にその形状を変化させていった。
一回り大きくなったそれは、シザキの右腕と半ば一体化するようにまとわりついていく。そして、様々な歯車をモチーフとした半透明の装飾が現れると、流線的なデザインの銃へと変貌していった。
「消えろ、化け物!」
先手必勝。相手がこちらに向かってくる前に、撃つ。
引き金を引くと、強力なエネルギー弾がその銃口から発射された。
ナイトメアは、当たる直前でそれを回避する。
「外したか!」
野生のカン、というものだろうか。このナイトメアを生み出した人間はよっぽどネコを愛していたらしい。もしかしたら飼っていたのかもしれない。それほどまでに、このナイトメアは本物に近い動きをみせていた。
「やっかいな夢の主だ……」
ナイトメアは、その夢の主がどれほど忠実にイメージするかで、性能が変わってくる。
奥の壁がナイトメアの代わりに爆破されたを見て、シザキは思わず舌打ちした。そして、走って威嚇射撃をしながら、巨大なネコのナイトメアを追い詰めていく。
愚痴を吐いていてもしかたがない。
シザキは改めてグレードアップした銃を構え直し、もう一度照準を合わせた。
何度も何度も攻撃しながら、逃げ回るネコを追う。するとようやく終わりが見えはじめてきた。
ナイトメアの動きが、極端に鈍くなってきたのだ。
長時間の複雑な動きは、やはり負荷がかかるらしい。もって生まれたエネルギーが徐々に枯渇していくのだ。そしてその量はたいてい元に戻ることはない。
頃合いを見計らって、シザキは次に着地するだろう地点を予測し、狙った。
「ここだ!」
タイミングよく引き金を引くと、ナイトメアの太い後ろ足が見事撃ち抜かれた。そこからピンクのエネルギー体が発生し、ナイトメアが大きな音を立てて倒れる。
「オーブ、まだ残党はいるか?」
エネルギー体を回収するオーブを見届けながら、シザキが訊く。
オーブはすばやく元の球体に戻りながら答えた。
「はい。この先に、S級のナイトメアがいマス。それと建物型の……」
「何っ?」
S級。
それはとてもシザキ一人で対応できる相手ではなかった。
クジラほどの大きさのナイトメア、である。
増援を呼んでくるか。それとも明日の戦闘に持ち越すべきか。どちらを選ぶか悩んでいると、ふとオーブの言いかけたことが気になった。
「オーブ。その、建物型……というのはなんだ?」
「S級のナイトメアとは別に、建物型の『明晰夢の空間』が出現していマス」
「明晰夢の空間……だと?」
シザキは口元に左手をやったまま固まった。
指先に、白い口髭が当たっている。
それを乱雑にかき乱しながら、思い切って顔をあげた。
「それは……。S級は明日には回せないのか」
「それでも構いません。しかし『明晰夢の天使』がいれば、それを今日中に倒すことも可能でしょう。明日以降の掃討処理もスムーズにいくはずデス」
「それは、わかっているが……」
「本部AIから指令。天使の位置だけでも把握しておくように、とのことデス」
「……わかった」
ひそかに本部と連絡をとっていたらしいオーブに、シザキは内心苦々しい思いを抱きながら頷く。
――――。
しばらく歩いていくと、やがて広い場所に出た。
瓦礫と砂が堆積しているだけの砂漠のような場所だ。
だが、その彼方には、廃墟の街には似つかわしくない煌びやかな「教会」が聳え立っていた。白い外壁と、ステンドグラスの窓。あそこだけがまっさらな状態で、キラキラとした異様な輝きを放っている。
「あれか、オーブ」
「はい。アレの中に、『明晰夢の天使』がいマス」
「では任務完了だ。帰投する」
くるりと踵を返すと――目の前に大きな「触手」が迫っていた。
とっさに両腕でカバーするが間に合わない。
「……っっ!!」
声にならないうめき声がシザキの口からもれ出る。
それは10mはあろうかという巨大なタコのナイトメアだった。その触手がいつのまにかシザキの体を打ち据えていたのだ。
直に攻撃を喰らったシザキは、例の教会目がけて吹っ飛んでいた。
タコのナイトメアからはどんどん距離が遠ざかっていく。まずい。このままでは「明晰夢の空間」に突入してしまう。そう思うが、空中で体勢を変えられるわけもなく……ついに教会へと激突してしまった。
「ぐはっ!!」
すさまじい衝撃と共に、ステンドグラスの破片もろとも落下する。
シザキは教会の入り口から突入し、祭壇の前方で勢いよくワンバウンドしていた。肩口をしたたかに地面に打ち付け、さらにその反動で祭壇奥の壁にぶち当たる。周囲の装飾が、衝撃で次々とシザキの上へと落ちてきた。パイプオルガンの部品らしき金属パイプが何本も音を立て倒れ、もうもうとあたりに土煙があがる。
視界が不明瞭になる中、突如、少女の絶叫が響き渡った。
「いやああああっ!!」
絹を引き裂くような悲鳴。
わずかばかりの瓦礫の隙間から外をうかがうと、そこには純白のドレスを着た少女がいた。
少女は、祭壇近くの床で倒れ伏している人間のもとへ走り寄っている。
どうやらシザキが吹っ飛ばされた衝撃で、誰かが負傷したらしい。
男性らしいその相手を、少女は必死で揺り起こそうとしていた。だが、その体はだんだんと黒い影のかたまりへと変わっていってしまう。
「えっ? な、なに……これ……」
そこへ、オーブが教会内に入り込んできた。
しめたとシザキは思う。
「オーブ……ここだ!」
息も絶え絶えに呼びかけるが、オーブはあいにくとシザキの元へはやってきてくれなかった。かわりにあの負傷した男性の方へと飛んで行く。男性の体から湧き出る、ピンク色の発光体を回収する方を優先したようだ。
オーブは網状の体に変形して、発光体を黙々と回収していった。すると、しばらくして男性の体は休息に崩れ去っていく。
「いやあああっ!」
またもや少女の絶叫が教会内に響いた。
「や、やめてっ! 何なのよっ!? 何よこれ! こんなの……わたしの夢じゃない。どうしてこうなるのよっ!」
頭を抱えながら、男性から後ずさる少女。
シザキはそれをある程度冷静に見守っていたが、すぐに空いた瓦礫の隙間から目が合ってしまった。
「え? 何……そこにも何か、いるの? 大地君を『壊す』なんて……許さない。許さない。出てきなさいっ!」
少女は怒りとともに片手をシザキの方に向ける。すると、一瞬にしてシザキの上に堆積していた瓦礫が、消えてしまった。
「明晰夢の天使……」
すっかり体を外にさらされてしまったシザキは、後悔するようにそう、つぶやいた。