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028 真壁透子はシザキ・ゼンジの髪を乾かす

 二階、三階へと上がっていき、ようやく四階に到着する。

 するとさらにその先へと続く階段があった。


「この上デス」


 オーブがそう言って、さらに上へと上がっていく。

 四階の先は普通「五階」のはずだが……そういった表記は壁のどこにも記されていなかった。上りきって見渡してみると、他の階と同じようにたくさんのドアが廊下の左右に並んでいる。


「ここも、似たような造りなのね……」


 よく見ると、そのドアにはいずれもネームプレートがつけられていなかった。


「えっ? ここって……誰もいないの?」


 シザキの後に続きながら、透子はあたりをキョロキョロと見回す。

 そんな透子にオーブが説明をし始めた。


「ここは予備のフロア、デス。二階は『夢エネルギー回収班』の30名が、三階は『衛生班』の30名が、四階は『施設メンテナンス班』の30名が居住していマス。しかし、火事など、不測の事態によって普段の部屋が使えなくなった場合にこのフロアび使用がされるのデス」

「ああ……なるほど。シザキさんの部屋がまるごとあの小金井公園に移動しちゃったからね……それで、この階の部屋になったんだ」

「はい。それと、本部からの上役や、発電所外の人間などの『客人』が訪れた際にも、こちらのフロアが使われマス」

「え……?」


 オーブの説明を聞いていた透子は、ハッとした。


「ちょっと待って。じゃあ……わたしも、このフロアに通されても良かったんじゃ? だって、その……わたしだって発電所外の人間だし……」


 自分はてっきり「客人」として扱われていると思っていた。だが、どうやら違うらしい。

 この階の部屋を勧められなかったということは……少なくとも「客人」としては歓迎されていないようだ。それはなにかしら理由があるのかもしれないが……だとしても、少し気分は悪かった。


「どうして。どうしてわたしだけ……」


 納得いかない気持ちでいると、オーブがさらに説明をする。


「不満に思われているでしょうが、あなたは仕方ありません。かなり特殊な存在だから、デス。明晰夢の天使は……そもそもこの施設を『単独で』利用することはできません」

「どういうこと?」

「特定のIDを持った者にしか、この施設の使用権がないのデス。どうしても使用したい場合には、そのIDを持った者に使用許可の申請を委任しなければなりません」

「委任……? あ、IDって?」


 よくわからない単語に首をかしげていると、急にシザキが右の手の平をこちらに向けてきた。

 それは一見すると何の変哲もないように見える。


「これが、IDだ。この部分に……生体認証用のICチップが埋め込まれている」


 そう言って、節くれだった指の付け根あたりを指し示す。

 親指と人差し指の間をよく見ると、そこにはうっすらと黒いカプセルのようなものが埋まっていた。

 透子は驚く。


「えっ! こ、これって……わたし、見たことある! わたしのいた時代でも、こういうのを入れていた人たちがいたわ。ニュースでやってた……。でも、この時代ではこれが当たり前のことになっているのね、すごい!」

「ああ。生まれた時に誰にでも、このIDが付与されたICチップを付与される。滞留者たちでさえこのチップが埋め込まれている。そういう法律があるのだ。君は……精神体だからな。こういうものはもともとないだろう」

「…………」


 透子は心底、衝撃を受けた。

 おそらくこれが、この世界の人々を管理するものなのだ。どこの誰が、どのようにして過ごしているか……それらの情報が全部ひとつに集約される。そういう未来を目指していると、自分の時代のニュースも報じていた。


 いったいなぜそんなことをしなければならないのか……透子にはよくわからなかったが、とても息苦しそうな世界だとは感じていた。


 シザキはオーブが移動し始めたので、また歩き出す。

 真っ白な壁に真っ白なドア。それがどこまでも両側に続いていた。廊下の中ほどまでやって来ると、オーブが止まる。シザキはその地点のドアに向き直り、銀色のドアノブに手をかけた。すると、ピピッと音がして鍵の開く気配がする。


「シザキ・ゼンジのIDを確認。使用を許可しマス。入室してクダサイ」


 オーブの声をきっかけに、ドアが開かれる。そこはほぼ前の部屋と造りが変わらぬ所だった。

 シザキがドアを押さえたままだったので、透子は急いで中に入る。


「あ、ありがとう……」


 灰色一色の室内。

 装飾のほとんどない、足が四つ生えただけの寝床。それ以外に特に家具はなかった。見るべきところも特にないので、透子はシザキを振り返る。


 すると、シザキは透子を追い抜いて、ベッドサイドに行った。


「お疲れ様でしタ、シザキ・ゼンジ。夕方のメディカルチェックを行いマス。10秒以内に所定の位置に立ってクダサイ」


 オーブの声がかかると、シザキのすぐ側の床に青白く光る丸が出現する。


「なに、これ」


 透子は疑問に思ったが、構わずシザキはその丸の中に立った。


「では、スキャンを開始しマス」


 オーブの機体が、声を発するたびに丸いランプを点滅させる。だが、その青白い光が急に「3」という数字に変わると、2、1……とカウントダウンしはじめた。

 0になった瞬間、足元の光輪が一瞬で頭の上まで上りつめ、そしてまた一秒とかからぬうちに下へと移動する。


「スキャン完了。身体面に軽微な傷。精神面にやや異常あり……しかし、どちらとも問題のないレベル、デス」

「そうか……」

「最終チェック。あなたはクローン人間ですか?」

「ああ……そうだ」

「OK。では休息をとってクダサイ」


 よくわからない問答を繰り返した後、シザキはすぐさまベッドに横になった。

 オーブも部屋の中央付近の天井に移動し、動かなくなる。


「えっと……あの……」


 ひとりだけ置き去りにされた透子は、おずおずとシザキに声をかけてみた。

 だが、タオルケットもかけずに仰向けになったシザキは、目を閉じたままである。


「し、シザキさん?」


 再度声をかけてみると、面倒くさそうに目を開けた。


「なんだ。私はこれから寝る。その間、君は何をしていてもいい。だが私の睡眠の邪魔はするな」

「え……あ、うん。でも、あの……」

「まだ何かあるのか?」

「えっと、軽微な傷って……どこか怪我したの?」


 すっと近寄って、透子はシザキの体を見下ろす。

 シザキは左腕を上げて、ちらりとひじのところを見せつけてきた。そこには赤い線のような傷痕がある。


「何か所か、あの人型のナイトメアに傷つけられた。だが、かすり傷だ。気にすることは無い」

「あ……そう」

「それよりも……」


 シザキは一瞬、何かを考えるように天井をじっと見つめた。


「いや、なんでもない。君は、ただ静かにしていてくれればいい」


 そう言ってまた目を閉じ、ごろりと背を向けてしまう。

 透子は少し残念に思ったが、ふとその背中を見てびっくりした。濡れた髪が服やベッドのシーツの色を変えている。


「えっ? ちょっと、シザキさん!」

「マカベ・トーコ、さっきも言ったが、静かにと……」

「そうじゃなくて! あの……髪! 濡れたままだわ」

「……ああ、そんなことは些末なことだ。君も別に構わなくていい」

「そ、そのままじゃ風邪ひいちゃうわよ。ちょっと起きて!」

「何を……」


 しぶしぶと言った様子でシザキが起き上がる。

 透子は夢見る力を使って、手元にドライヤーを出現させた。


「後ろ向いて。髪、乾かしてあげる」

「な……」


 言うが早いか、透子はシザキの髪に温風を当てはじめた。

 コードがないのに、夢見る力で作りだしたドライヤーは、透子の思う通りに動くようだ。シザキは複雑な表情を浮かべていたが、やがて言う通りにしはじめた。


「私の髪は……長い。時間がかかるぞ」

「いいわ。それよりこれ、放っておけないもの」


 そう言って、後頭部や背中に風を送る。

 透子は乾かしながら、少し迷っていた。この髪に触れていいものかと。この白い手袋をつけていれば、たしかに触れられる。けれど、それ以上はどうやっても左手を伸ばせなかった。


 ドキドキと、また鼓動が早まる。

 髪を手ですきながらの方が確実にすぐ乾くのだが、どうしてもそうする勇気が出なかった。


 もたもたと、ただ風を送るだけの行為を続けていると、くるりとシザキが振り返る。


「……貸せ。私がやったほうが早いだろう」

「あ、うん……」


 透子はピンク色のドライヤーをシザキに手渡す。

 シザキの手に渡っても、それは変わらず温風を出し続けていた。どうやら透子がそう想像している間は、そのように動き続けるようだった。

 シザキの長い髪がどんどん乾いていく。


「ねえ、シザキさん……」

「なんだ?」


 風の音で聞こえづらいだろうと、透子は少し大きめの声で言う。


「あの……さっきの! 身体面はわかったんだけど、精神面で異常ってどういうこと? あと、あなたはクローン人間ですかって最後の質問……あれも、どういう意味?」

「…………」


 シザキは黙ったまま答えなかった。

 透子はじっとその答えを待つ。

 やがて、髪がすべて乾ききったのか、シザキはドライヤーを透子に返してきた。透子はドライヤーを消し、代わりにシザキの瞳を覗き込む。


「ねえ、教えて。変な質問だったから気になるの。言いたくないなら、別にいいけど……」


 透子の言葉に、シザキはまたため息をついた。


「ドライヤーは、助かった。ありがとう」

「あ、や、別に……」

「それでさっきの質問だが」

「うん」

「あれは……私が人間らしくなると『異常』だと認識されるようになっている」

「え?」

「私は、人間らしくあってはならない『クローン人間』だ。この異常は、寝ることである程度リセットされるが……あまり良くない状態であるといえる。異常度が高まれば、最悪処分されてしまうからな」

「えっ? そ、そんな……。ああでも……ってことはシザキさん? 今日ちょっと人間らしくなってたってこと?」

「そうだ」

「…………」


 それってもしかして、自分と接していたから……なのだろうか。

 透子は少し、そんな風にうぬぼれてしまいそうになる。

 シザキにとってはそれは迷惑以外の何物でもなかっただろう。けれど、彼になんらかの影響が出たのであれば、それは透子にとってはなんとも嬉しいことだった。


 嬉しい?

 また、意図しなかった感情に唖然となる。


 どうして、そう思うのだろうか。

 おかしい。

 おかしい。

 さっきから自分はおかしくなっている。


 なんでこんな、おじいさんの事を……わたしは……別に……。

 ぐるぐると考えてしまうが、嬉しいという気持ちだけはどうしても消えてくれなかった。


「もういいか? 私はそろそろ休む」


 何も言えずにいる間に、シザキはまた横になってしまう。

 眠ったらある程度はリセットされると言っていた。それは……人間らしくなった部分がまた元に戻ってしまう、ということなのだろうか。

 なんだかそれはもったいないなと透子は思った。


 使い捨ての人形のように扱われ、またそのように生きる運命(さだめ)の人。

 透子はそんなクローン人間の彼を哀れだと思った。


 一度は人間の友人ができた。

 ならばもう一度、その感情を取り戻せるかもしれない。

 この人は、そういう「人間」として生きていけるかもしれない人なのだ。


 この人は……わたしの恋愛対象ではない。でも、妙に情が湧く。

 この人が人間らしく、また人間として生きていくことができたなら……どんなにいいだろう。生き生きとした彼の姿を一度でいいから見てみたい。透子はそう強く思った。


「おやすみなさい。シザキさん……」


 すっかり乾いた豊かな白髪が、枕元にさらさらと流れるように広がっている。

 それを撫でたいという欲求に駆られながら、透子はシザキを見下ろしていた。


 己の胸はいまだ妙な高鳴りをし続けている。

 そのうずきを押さえるように、透子はそっとそこに手を重ねた。

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