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026 シザキ・ゼンジは手料理をふるまわれる

 基地の食堂に着くと、シザキはいつもの席へと座った。

 三つある長テーブルのうち、ホームへと続く廊下側の一番手前だ。

 周囲には戦闘で疲弊した作業員、総勢30名がおり、誰もかれもが無言で「その時」を待っている……。



 あれから――。

 シザキは開始地点の広場へと戻り、他の作業員と共に装甲列車に乗り込んでいた。

 明晰夢の天使のマカベ・トーコは、なぜかついてくると言って聞かず、そのままこの基地まで同行してきていたのだった。



 テーブルには朝と同じメニューが並べられている。

 三色の完全栄養食のゲルが入った大きな深皿、カプセル型の錠剤が二つ乗った小皿、そして水の入ったコップ、銀の匙……だ。

 右隣りに立つマカベ・トーコが、それを興味深そうに眺めている。


 誰もこの少女に注目していない。

 当たり前だ。

 珍しい事であるとはいえ、過去にもこうした例は幾つかあった。時折、作業員に興味本位でくっついてくる明晰夢の天使が――。だからそう、おかしなことではない。


 シザキがそんなことを考えていると、食堂の奥の、壁かけ時計が5時の鐘を鳴らした。


 食事は、朝と夕の二回。

 それ以外は水分と塩分糖分が絶妙に配合された経口補水液しか配給されない。

 ゲルを載せた匙を口へ運んでいると、少女が「それ美味しいの?」と訊ねてきた。


「…………」


 シザキはそれに無言で応じる。

 質問の答えはあったが、自分たちだけしか言葉を発しないことに少しだけ躊躇いがあったのだ。それに食事時間は決まっている。


「ごちそうさまでした」


 10分後にまた唱和をする。

 そしてすぐ、小皿の上の錠剤を飲み下す。その様子を、少女はただじっと見つめていた。


 シザキは妙に落ち着かない気分になる。

 いたたまれず、皆と同じく食器を食堂奥の回収棚へと持っていった。

 

「え? 食事って……これだけ?」


 少女がまたも不思議そうな顔をして訊いてくる。

 たしかに大昔の、少女が生きていた時代と比べたら質素すぎるメニューかもしれなかった。また「寂しい」とでも評価されるのだろうか。


 シザキはおおかたの作業員が出ていったのを確認してから、口を開いた。


「これが我々にとっての最適な『食事』だ。これ以外のものは……食べない。ちなみに先ほどの質問の答えはYESだ。味は良い」

「そうなの? でも、こういう方が見た目にも美味しいと思うけど?」


 そう言うと、少女は両の掌を上にしてこちらに向けてきた。

 そして一秒もしないうちにその上に「あるもの」を出現させる。


 それは、青い縦線の模様が入った陶器の器だった。

 その中に、湯気の立つ白い米……と思しきものが盛られ、さらにその上に黄色い粘り気のある物体――おそらく生の卵と思われるもの――が乗せられる。最後に、わずかな黒い液体もかけられた。


「これは……?」

「え? 知らないの? 卵かけご飯……だけど」

「卵かけご飯?」

「そう。ええっ? まさかこの時代の人ってこういうの食べないの? みんなあの良くわからない色のブロックを食べるとか……うわー」


 少女はなにかとてつもない衝撃を受けているようだった。

 無理もない、とシザキは思う。

 ただ、ひとつだけ訂正はしておいた。


「みんな……というのは正確ではない。一部の特権階級の人間だけはこうしたものを食べているようだ。自然食品は貴重で高価だからな、我々も含め、多くの者は安価な人工食品しか食べない」

「人工食品?」

「ああ、先ほどの三色のゲルもそうだ。すべて工場で生産されている」

「工場で……」

「どこも環境汚染がひどいからな、工場で生産した方が安全だ。栄養面では何も問題はない。それが、我々の食糧だ」

「そう……」


 少女はなぜか悲しそうな顔をして、両手の上の卵かけご飯とやらを見下ろしていた。


「はい」


 だがすぐにそれをこちらへ差し出してくる。

 シザキは首をかしげた。


「なんだ? どういうつもりだ」

「これ、ちょっと食べてみて」

「何?」

「いいからいいから」


 明晰夢の天使が作り出した食材を食べる。それが可能なことなのかどうかはシザキにはわからなかった。

 とりあえずオーブを見上げてみる。


「オーブ、この食品は……大丈夫か? 危険では……」

「ちょっとなにそれ! 失礼ね!」


 少女はなぜかえらく憤慨してくる。


「安全……であると思われマス。しかし、栄養摂取は不可能。咀嚼した瞬間に夢エネルギーに分解されると予想されるからデス」


 オーブの言葉に、シザキは覚悟を決める。

 少女から器を受け取ると、ごくりとつばを飲み込んだ。


「……よし、いただこう」

「あ、待って。お箸を忘れてたわ。えーと……あっ、いや、ダメか。シザキさんはスプーンしか使えないかもだから……はい、これ!」


 そう言って、さらに匙を出現させ、渡してくる。

 シザキはそれを温かそうな白い山の中腹に差し込んでみた。どろったした状態はゲルと似ているが、芳ばしい香りがふわりと立ち上ってくる。かいだことのない香りに、シザキはえもいわれぬ気分にさせられた。

 そして、黄色い――卵液と思しきものを米と共に掬い上げてみる。


 未知の食材だった。

 だが、なぜか自然と唾液が湧き出してくるのがわかる。


 シザキはごくりと喉を鳴らすと、慎重にそれを口へと運んだ。


「…………っっ!」


 一瞬、味がしたかと思うと、すぐにそれはかき消える。

 代わりに口の端からピンク色の発光体があふれ出してきた。


「これは……」


 オーブがそれをさっそく回収していく。

 痛みはない。

 たしかに、オーブが言ったように「危険」ではないようだ。


 シザキは先ほどの味をもう一度体験したくて、二匙目を口に運んでみた。

 ほんのりと熱い米の触感と、卵のまろやかな甘み。そしてわずかな塩味。それらが一体となって口の中に広がっていく。かと思うとまたすぐに消えていく。


 シザキはもう一匙、と思ってやめた。

 少女は笑顔でこちらを見上げている。


「どう? 美味しかった?」


 シザキはそのきらきらとした瞳を直視できずに、目を閉じた。


「………ああ。うまかった」

「そう、良かった! わたしの時代ではね、そういうのを良く食べてるのよ。一番簡単な……お料理。もっといろいろ出してあげたいけど……シザキさんはもう食事終わった後だしね、お腹もいっぱいだろうし、また違う時に出して……」


 ニコニコと楽しそうにしゃべる少女に、シザキは申し訳ない気持ちになりながら言う。


「済まないが……もう沢山だ」

「えっ……?」

「こんなに美味しいとは、予想外だった。私には贅沢品だ」

「贅沢だなんて……これ、ただの卵かけご飯よ?」

「いや、贅沢だ。この味を知ってしまったら……私はもう今までの食事を物足りなく感じてしまうだろう。君はなんと、酷なことをしてくれた」

「え、えっと……」


 少女は戸惑いを見せた後、ゆっくりと下を向いた。


「ごめんなさい……。そ、そんなつもりじゃ……」

「いや。その……気持ちはありがたかった。だがもう二度としなくていい」

「……そう、ね。わかったわ」


 そう言うと少女はシザキの手から器を消し、黙り込んでしまった。

 シザキも、何と言葉を続けていいかわからなくなる。


 と、そこに、オーブに何かしらの着信があった。

 わずかに機体が青く発光し始めたので、シザキは顔を上げる。


「シザキ・ゼンジ。本部からの伝達デス。メッセージを読み上げマスか?」

「ああ、頼む」

「本部からのメッセージ。『以前の部屋はまだ修復中である。よって今夜は仮の部屋を使用すべし。場所はオーブに案内させる』以上」

「そうか……」


 シザキは少女に壊された自室のことを思い返した。

 少女を見ると、オーブの読み上げた内容にますます委縮しているようだった。

 シザキはふうとため息を吐いて言う。


「君の……せいではない。食事も部屋のことも……。だから何も悪く思う必要はない」

「でも」

「君は、悪くない。悪いのは……この私だ」

「え?」

「あの眼帯をつけた滞留者が言っていたように……私は、君を不幸にする。私も不幸になる……。だから、これはある意味、予測通りの結果だ。嫌な思いをしたくなければもう……」

「そんなことっ、言わないで!」


 少女が急に声を荒げたので、シザキは思わず目を見開いた。


「そんな……不幸にするなんて。言わないで。あなたはクローン人間で……わたしはただの人間で……それから時代も違うし……だから! こういうのはきっと仕方ない、ことなのよ。価値観とか環境だって違うんだし。あなただって悪くないわ。……わたし、もっとあなたのこと知ろうとする。だからそんな悲しいことを言わないで」

「マカベ・トーコ……」

「シザキさんは、わざわざわたしを不幸にしようとしてるの? 違うでしょ? 自分自身も、不幸になりたいわけじゃ……ないでしょう」

「それは、そうだが」

「じゃあ問題ないわ。わたしも不幸になりたいわけじゃないし」

「…………」

「いろいろ、お互い知らないことがあるから……変なこと言ったりやっちゃったり……するんだわ。これからも……そうなっちゃうかもしれない。でもそういうことがあったら許し合いましょう、シザキさん」

「ああ、そうだな。もとより私は……気にしていない」

「そう。じゃあ、わたしも今後気にしないようにするわ、シザキさん」


 少女はそう言って、ようやく柔らかな笑みを見せる。

 シザキは、まるで己の因果を打ち破ってくれそうな笑顔だと感じていた。

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