023 真壁透子は想い人に告白される
「――ごめんなさい、ええと……お名前なんて言ったかしら」
「はい。ダイチ……リョウスケ、と言います」
「ダイチ君。一瞬、下の名前かと思ったわ」
「よく言われます」
「この子が起きたら……伝えておくわね。クラスメイトのイケメン君が来てたわよ、って」
「そんな……」
「あら、透子だってきっとそう思うはずよ。透子とわたしの好みって似ているから――」
誰かの声が聞こえる。
聞き慣れた女性の声……はおそらく母親だろう。そしてもう一人は「ダイチ」と呼ばれていた。
ダイチ……って、まさかあの大地君?
透子は信じられないといった思いで聞き耳をたてる。
「――ホントにねぇ、起きてる時だったら透子もとても喜んでたんでしょうけど……今はね、深く寝ているの。トイレと食事時ぐらいしか起きないのよ」
「そうなんですか。変わった病気……なんですか?」
「ええ。クライン・レビン症候群っていうそうよ。重い睡眠障害みたい」
「睡眠障害……学校にはいつ、戻れるようになるんですか?」
「さあ、わからないわ。一週間くらいかもしれないし、もしかしたら何か月もかかるかもしれないって……」
「そんな……」
そこで会話は止まった。
隣の患者がつけたであろうテレビの音だけが、やけにうるさく聞こえる。
透子は目を閉じたまま、今の二人の表情を想像してみた。
きっと母はすごく悲しい顔をしているはずだ。
美しく整えられた眉を下げて、暗い顔をしている。あの人はとても愛情深い人だから……娘のこの有り様を見てひどく落ち込んでいることだろう。
一方、大地君の表情は……どれだけ考えても想像がつかなかった。
なぜわざわざ見舞いに来たのか。
それがそもそも謎である。
少し前まではただのクラスメイトだったのに――。
遠い存在で、直接話をすることもなかった。
でも、透子が教室で倒れて、助けられて。それからなぜか一緒に下校をするまでになった。
それが今でも信じられない。
大地君はたった一人でここに来たようだった。
母親以外は他の見舞い客もいない。
なぜ……?
どうしても、それが気になってしまう。
まず、誰に聞いてここまで来たのだろう。
先生に?
だとしても、どうして病院までわざわざやって来たのかがわからない。
友達になったばかりの、しかも異性のクラスメイトに……。透子だったら申し訳なさ過ぎて、絶対に会いに行けない。だからなぜ……と不思議だった。
思考が、うまくまとまらない。
ひどい眠気で透子は意識が飛びかける。
今日はいったい何日? 何曜日……?
ここに入院してからいったいどのくらいの時間が経ったのだろう。
次々と疑問が浮かんだが、どれもずっと寝ていた透子には知りようもないことだった。
まぶたがどうやっても開かない。
今はただ、ひたすら寝ていたい、と思う。
大地君と話をしたいけど、とてもできそうになかった。
夢の世界の方へまた、戻りたくなる。
夢の世界は――未来の世界。
どういう原理でワープできているのかわからないが、それにしても、あそこでは明晰夢よりもリアルな体験をしていた。
シザキさんは今、一人で戦っているんだろうか。
透子が現実に戻ってきてしまったので、あちらではシザキさんだけになってしまっている。
ああ……。
まずい。
どうして――。
どうして、あの世界のことをこんなにも考えてしまっているのだろう。
側に大地君がいるのに。
わざわざお見舞いにまで来てくれてるっていうのに。
普通なら、片思いしている相手のことばかりを考えるはずだ。
それなのにどうして今、あのおじいさんの方を……。
「…………!?」
突如尿意が襲い、透子はぱちりと目を開けた。
体を起こして布団を跳ねのける。
「透子!?」
「真壁さん?」
驚く二人をスルーして、透子は一目散にトイレへと向かう。
突き飛ばされた母親が尻餅をついたような気もするが、透子はそれを一切構ってられなかった。
* * *
用を足し終え、透子はまた自分のベッドに戻る。
呆気にとられているであろう二人を放って、いそいそと布団をひっかぶった。
母親がため息をついて、枕元でなにかごそごそし始める。
「あ、これ……活けてくるわね。大地君、しばらくの間透子のこと見ていてくれない?」
「え?」
「大丈夫。きっとまた眠るだけだから……。あ、このお花ありがとうね。とても綺麗だわ。じゃあ……よろしくね」
「は、はい……」
そう言って、母親は行ってしまった。
透子は猛烈な眠気から、また意識を手放そうとする。しかし、急に大地君が小さな声で語りはじめた。
「あ、あのさ、真壁さん……急に来てごめん。でも、どうしても気になっちゃってさ、来たんだ」
「…………」
透子はうまく反応ができない。
黙ったまま、耳を傾ける。
「今日、君が学校休んで……しかも入院したって聞いてさ、すげえビックリしたんだ。俺……昨日君を家まで送ったろ? そのせいで真壁さんがこうなったんじゃないかって……そう考えたらいてもたってもいられなくなってさ。あ、もしそうだとしたら本当にごめん。無理させちゃったかなって……反省したよ。ごめん」
その可能性はないと思うが、透子は相変わらず返事ができない。
「ああ、でも……ああでもしないと『きっかけ』なんか作れない、って思ってさ……。だから、やっぱり声をかけちゃってたんだ、俺」
きっかけ?
なんのことだろう。ああ……それよりも、ひどく眠い。
「あのさ。真壁さんは気づいてなかったかもしれないけど……俺、真壁さんの事……前から気になってたんだよ。だから……は、早く病気治してくれよ、な?」
何を?
何を言ったんだろう。今……。
大地君は今、何と言った?
透子は眠気の中でも驚きのあまり覚醒しそうになった。必死で今の言葉を脳内で反芻するが、無駄に終わる。
もう、いろいろな条件が重なりすぎて、頭の中がめちゃくちゃだった。
ありえない。
大地君が……まさか自分を……?
「馬鹿だなぁ俺。真壁さんは今、寝てるってのに……何言ってんだ……」
他の患者さんたちに、今のセリフが聞こえただろうか。
わりと小声だったので平気だったとは思うが……ものすごく恥ずかしい。
まったくとんでもないことを言う人だ。
他人がいるところではおよそできないようなことを、大地君はさらっとやってのける。
愛の告白を、だなんて……。
「ごめん。また君が起きた時に……ちゃんと言う。だからそれまでは……俺の独り言」
なんで。なんでそれをそんな声音で言うのだろう。
寂しそうな、それでいてしっとりとした艶のある声。
そんな言い方をされてしまったら、もっと大地君を好きになってしまう。
透子は今、何も反応できないことが非常に悔しかった。
「あ、お待たせ! ありがとう大地君。透子、起きた?」
「いえ」
「そう……」
戻ってきた母が枕元に何かを置く。
ゴトっと音がしたので、きっと花瓶だろう。
それに思いを馳せたところで、透子の意識はいよいよぷっつりと途切れてしまった。
* * *
「はっ! え……?」
気づけば、目の前にまたシザキがいた。
「また、エラーを起こしていたようだな」
相変わらず鋭い瞳がこっちを見つめている。
「あっ。えっとその……また現実に、戻ってたみたい……」
「そのようだな」
「でも、その、すごく……驚いたわ……」
「驚いた? 何があった」
呼吸を一拍おいて、透子は口にする。
「あの、ね。大地君にね……その、告白されちゃった」
「コクハク? ダイチとは……ああ、例の男か」
シザキは名前から一瞬で、教会で会った者のことを思い出したようだった。
「そ。その、大地君から……『愛の告白』をされちゃったの。わたしのこと『気になってた』って……。やだっ。てことはわたしの事『好き』……両思いだったってことよね? 信じられない……!」
軽く興奮しながら言うと、シザキはひそかに眉を寄せた。
「……待て。その『気になる』というのはイコール『好き』ということになるのか? 『好き』……それは恋愛面でのことか」
「は? 何? もちろん、そうに決まってるじゃない」
「そう……なのか? わからん……」
シザキはそう言うと、くるりと背を向けてしまった。銃を肩にかけ直し、手でオーブを呼び寄せる。
透子はなぜかその態度に妙な違和感を覚えた。
「え? なに、どうしたの?」
「どうもしない」
「どうもしないって……なんだか変よ、あなた」
「『気になる』ということが『好き』……か。ならば君は……」
「……なによ」
何かを考えるような一瞬の沈黙の後、シザキは振り返る。
「ならば君は……。私を、『好き』ということになるのか?」
「へっ?」
いきなり飛んできた剛速の変化球に、透子はボッと顔が熱くなった。
「えっ? とと、突然何言うのっ? ち、違うわよ! なんでそう思ったの!」
「先ほども……」
「え?」
「いや……。君は、いままで何度も私にしつこく付きまとってきた。それは、何らかの理由で君が私に執着……つまり『気になって』いたからではないのか?」
「え、ええっと、それは……」
「その理屈で言えば、つまりそういうことになる。……迷惑なことだ」
「め、迷惑って! ちょ、ちょっと待って」
失礼なことを言われた気がするが、それ以前に、自分でもそれは少し不思議に思っていたことだった。
どうしてシザキを探していたか――。
別に透子は、わざわざシザキを見つけなくてもよかった。
自由に動き回って、あのまま一人でいてもよかったのだ。
それを、あえてそうしなかったのは……彼が単にこの世界で出会った「珍しい人間」だったからだ。
老人なのに屈強な体をしていて。
しかも兵士のような格好をしていて。クローン人間だとも言っていて。
透子にとっては、とても異質で、どうしても気になる存在だった。
だからだ。
理由はそれだけだ。
それとさらに、シザキはこの世界を知る上で唯一の「情報源」でもあった。
この世界の知識を得ようとした……ただそれだけのことなのだ。
だから、不自然な点はない。何も間違っちゃいない。
透子はそう、ゆだる頭で結論付けた。
「たしかにその……最初はね、気にはなったわよ。この人なんなの? ってすごく不思議に思ったから。だけどそれは単なる好奇心……というか……この世界を知るためだったというか……だから別に恋愛面で好きなったわけでは……」
「そうか。では『気になる』という状態がイコール『好き』ということになるわけではないのだな?」
確認されて、透子はぐっと唇を噛む。
「そ、そう……よ。かならずしも『気になる』が、『恋愛対象として好きになる』わけじゃないわ。『友達として好きになる』こともあるんだし……」
「友人として好きになる? それですら……今の私にとっては困るのだが……」
「え、えっと! 別にあなたと友達になりたいとも、わたしは思ってないわよ! だから、安心して。な、なんていうのかな……そのー難しい言葉で言ったら『学術的に』気になった、というか……」
「学術的……?」
今のは少し失礼な言い方だったのではないか……と透子は一瞬気まずく思ったが、シザキは気にしていなさそうだった。
ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、シザキはまた答えに窮するようなことを言う。
「私に対する、君の執着の理由はわかった。しかし……これは参考までに訊いておきたいのだが……『学術的』な場合と『恋愛的』な場合、そして『友情的』……それぞれの『興味』の差は、いったい何なんだ? 人間の君にはわかるのだろうか」
「えっ?」
「良かったら聞かせてほしい」
透子はクローン人間からの意外で率直な質問に、ぐるぐると目が回りそうになった。




