019 シザキ・ゼンジは滞留者と闘う
滞留者の眼帯男は、目の前で「柱時計」のナイトメアから夢エネルギーを回収していく。
シザキはそれを複雑な思いで見つめていた。
男の腰のベルトには小型の黒い箱がついている。
それは、発電所から支給されている「夢エネルギー回収装置」だ。
シザキにはオーブという万能球型ドローンが帯同していたが、滞留者たちにはエネルギーの充てん及び武器への補助能力ぐらいしか備わっていない、簡素なものしか与えられていなかった。
男はそれで回収し終わると、改めてシザキの方を向く。
「……また会ったな、じいさん。悪いがこいつは早いもん勝ちだ。早く仕留めた方がエネルギーの回収権を得られる……そういう規則、だったよな?」
「ああ……」
わざわざ確認してくる男に、シザキは迷惑そうに答える。
「フフッ、じいさん。横取りされて悔しいか? だったらもーっと早く動くんだなァ。ああ……さすがに衰えちまって無理か。ハハッ」
「…………」
挑発するが、まるで乗ってこないシザキに、眼帯男はあからさまに気分を害していた。
すぐに貧乏ゆすりをはじめる。
「あー、ったく! つまんねー! そうだ……あの嬢ちゃんはどうした? ホラ、明晰夢の……」
「……白い服を着た、少女のことか」
「そうそう。なァ、じいさん……まさかそいつをまた『パートナー』にしちまったんじゃねえよなあ?」
「…………」
シザキは黙り込んだ。
それがたとえ肯定を示すものだったとしても、事実でないことは告げられなかった。
「クッ、ハハハッ! マジかよ。マジなのか? また過ちを犯したなんて……クク、クククッ」
そう言って、眼帯男はさもおかしそうに笑う。
「ホンットに……ハハッ、クローン人間ってのは……ろくでもねえな! アンタに関わった天使が、アンタ自身がどうなったのか、忘れちまったのかよ? まったく……『あの時』と何も変わってねえなァ!」
あの時――。おそらくこの眼帯男が言っているのは「彼女」との出来事のことだろう。
シザキはそれを思い、さらに押し黙った。
「ちったあ学習しろよ、じいさん。自分の事しか考えねえ……老いぼれのポンコツが! まあいい、俺は『あいつ』以外の明晰夢の天使のことなんて、本当はどーだっていいんだ。アンタが不幸をこれ以上まき散らさなきゃ……っと、おしゃべりはここまでだな」
眼帯男は口を閉じると、ボロの外套をひるがえして身構えた。
視線は今やシザキにではなく左の方を向いている。
「次の獲物も……俺がもらう!」
鋭く目を光らせたかと思うと、男は一直線に走り出し銃を抜いた。その先には馬型のナイトメアが物陰から踊り出ている。
弾を数発、撃ちこむと、当たった馬はドドッと音を立てて倒れ込んだ。すぐさまピンク色の夢エネルギー粒子が放たれる。ナイトメアはそうして、徐々に黒い靄のかたまりと化していった。
男は腰にとりつけていた黒いボックスのスイッチを入れ、エネルギー回収を再開させる。
「悪ぃなじいさん! また俺がいただいちまった。アンタがボヤッとしてんのがいけないんだぜ」
「…………」
挑発と嫌味。それらをいくら浴びせられても、シザキは何の反応も示すことはなかった。
シザキには、もうなぜこのような態度をとられるのかがわかっている。「彼女」に関する因縁……それ以外にはありえなかった。だがもう、全ては過ぎてしまったこと。何度蒸し返されても、どうにもできない問題だ。
シザキは首を振り、頭上のオーブを見上げた。
これ以上ここにいても意味はない。すぐさま、作戦を変える必要がある。
「別の進路をとりたい。オーブ、次のナイトメアの位置を割り出してくれ」
「……了解しましタ」
すぐに解析しはじめたオーブの声を聞いて、眼帯男は我に返る。
「って、おい! 逃げんじゃねーよ!」
「逃げる……? 私は、お互いの状況を鑑みて、同一地点にはいないほうが良いと判断したまでだ。君がこの場を離れてくれるのが一番ありがたいのだが……とてもそうはしなさそうだからな。私が立ち去ったほうが早い」
「だから、逃げんじゃねーって……」
「どうでもいい。私は非効率的なことが嫌いだ。これ以上私の邪魔をしないでくれ」
「ハッ、その邪魔を……これからしてやるって言ってんだよ。だから、もう少し付き合えっ」
歩き出そうとしたシザキの足元に、銃弾が一発撃ちこまれる。
「何を……。君たちは、どうして」
シザキは振り返りながら、ため息を吐く。
「どうしてそこまで、私に関わってこようとする? 私には用はないと言っているのに……君たちは私を追いかけてくる。まったく、不毛だ」
「キミタチ? なんのことだ。まさか俺以外にも……恨みを買ってるやつがいるってのかよ? ハハッ、そりゃあお笑いだぜ!」
眼帯男はさもおかしいと言わんばかりに高笑いをしてきた。
シザキにとってそれは明晰夢の天使、マカベ・トーコのことである。だが、眼帯男はまた別の……他の滞留者にも追われていると思い込んだようだった。この者にあえてそれを指摘する義理はなかったので、シザキは黙っておく。
「恨み……か。君はそうなのだな。何か私にしたいことがあるなら、今、してくれ。少しだけなら相手してやろう」
「相手する、だとぉ? ったく、バカにしやがって……! なら、まずは一発殴らせろよっ!」
言うが早いかぐんと距離を詰められた。
大きな拳が目の前に突き出される。シザキはそれをとっさに左腕で受け止めた。
「オイオイ、じいさん。一方的に殴られてくれるんじゃあ……なかったのかよっ!」
そう言ってさらに左わき腹に蹴りを入れられる。
「そこまで、甘くは……ない!」
シザキはそう言いながら相手の脚を捕え、そのまま前に突進していく。
「うおっ!」
その勢いに押された眼帯男は、後ろに大きく倒れこんだ。けれど、すぐに両手を頭越しに地面につけ、逆立ちをする。左足を上げながら強くシザキの胸を蹴ると、何度かバク転を繰り返しながら後方に下がっていった。
シザキもたたらを踏みながら体勢を立て直す。
「いいか、滞留者……勘違いするな。私は君の気が済むまで相手をしてやっているだけだ。疲れたら……いつ止めてやってもいいのだぞ」
「ホンット、バカにしてやがるな……ったく、なめんじゃねえっ!」
「貴重な時間を君のために割いている。だというのに……まったく。感謝ぐらいは、してほしい、ものだなっ!」
しゃべりながら、シザキは眼帯男からの猛攻を受ける。
それらを一つ一つさばきながら、シザキは冷静に相手の様子を観察していた。
「あーっ! むかつく、むかつく、むかつくっ! 死んじまえっ、じいさん!」
眼帯男は毎度、渾身の一撃を放ってくる。
相手は完全に頭に血が上っているようだった。そうさせたのは自分だが、少しでもこれで相手の気が晴れるならとシザキはダメージを最小限に抑えつつ、相手のしたいようにさせる。
オーブが上空で忙しなく旋回していた。
もうしばらくすると応援を呼ばれてしまうかもしれない。そうなると色々と厄介であった。
「私は……暇人ではっ、ないの、だがな。まだやるか」
シザキはさすがに十分だと思い始めていた。これ以上やると終わりが見えなくなる。だが、シザキのボヤキを聞いた眼帯男は、諦めるどころかさらに過熱してきた。
「ハハッ。何言ってやがる! 自分から提案してきて……。ハッ、なら今すぐ、終わらせてやるよっ!! ハハハーッ!」
眼帯男はさらに連続攻撃を仕掛けてきた。そして同時に笑いはじめる。
この状況で笑うとは非常に不可解なことだった。
怒っているのに「楽しい」と思っている、いうことかと、シザキは興味を引かれる。
自身が笑っていることを、男はあまり意識していないようだった。シザキはその事実に、さらにどういう心境なのかわからなくなり、混乱する。
そうこうしているうちに、ある時シザキも笑いそうになっているのに気付いた。
滞留者相手にこんなやりとりをしているなど……よく考えればかなりおかしなことだった。
滞留者との無意味な戦闘や殺し合いを発電所内ですることは、規約で禁じられている。だから、そもそもこんなことをしてはならなかった。それなのに、今の自分はしている。戦闘というよりは……まるで子供同士の「喧嘩」だ。これはいい大人が仕事を放っぽり出してまでやることではない。
シザキは、同僚とも「喧嘩」をしたことはなかった。
クローン人間は精神が不安定にならないよう、常に薬物コントロールされている。
よって、このような無意味な行いは、あり得ないことだった。
なぜ、喧嘩をしようと思ったのかわからない。
相手をせず、立ち去るだけでよかったのに。この男にはあえて関わってしまった。
意図せず「人間らしい」感覚を得ている、と感じる。
これは「喜び」だ。
己の中のモヤモヤと、相手のモヤモヤを解消する手段を得られたという喜び。
それに気付けたことは収穫だと思った。
「あっ、シザキさん!」
と、そこに急に聞き慣れた声が降ってくる。
眼帯男から離れ周囲を見回すと、空から赤い羽を六枚生やした「少女」が降りてきていた。
基地に置いてきたはずの明晰夢の天使、マカベ・トーコがそこにいた。
「なぜ、ここに……」
思わず声を発すると、敵対していた相手も同じく、驚いたように空を見上げる。
「ありゃあ……そうか。ハハッ、マジで本当だったのかよ……パートナーになったっつーのはよ」
「どうして喧嘩なんかしてるの? やめて!」
ふわりと地上に降り立った少女は、なぜか怒ったようにそう言ってきた。
シザキは苦笑する。
「喧嘩……まあ、そう見えるだろうな」
「え……? 喧嘩、じゃなかったの?」
きょとんとする少女に、眼帯男が笑う。
「ハハッ。やっぱ嬢ちゃん、変わってんなァ。俺は殺す気満々だったんだが……『喧嘩』とはな。たしかに。喧嘩といえば喧嘩にしかなってねえな。ハハハッ、ハハハハーッ!」
「シザキさん……この人、なんなの? 前も会った人……みたいだけど」
少女は冷ややかな視線を眼帯男に向けて、訊いてきた。
「この者は滞留者……だ。発電所内に残っている住民で……」
「それは、この人たちから聞いてたから知ってるわ。そうじゃなくて……シザキさんとその、知り合いなの?」
滞留者であることを知っている、ということに少し驚きはしたが、シザキはそれよりも、知り合いかどうかという質問にしばらく答えを迷っていた。
「ああ……そうだな。私とは……とある因縁がある者、だ」
「因縁?」
「そう。お互い決して切れない因縁だ。なァ、そうだろ、じいさん……?」
シザキがしぶしぶそう説明続けていると、眼帯男がニヤニヤと笑いながら割り込んでくる。
少女は不思議そうに首をかしげた。
「それって何の……?」
「話すと長くなる。それよりマカベ・トーコ、この場に来たのはなぜだ? 私は君をOIGE駅に置いてきたはずだが……」
「なぜって。わたし、シザキさんにまたいろいろ訊きたくって来たのよ。ミズサワさんが、あなたとパートナーになれば、そしてたくさんナイトメアを倒せば早く元の時代に帰れるって、そう……」
それとなく話題を切り替えると、少女はOIGE駅でのことを軽く話し始めた。
「そうか。ミズサワが……」
「ねえ、わたし、あなたとすでに『パートナー契約』ってやつをしているって聞いたけど……なんで? いつそうなったの? あなたは、わたしを避けてたはずなのに……どうして」
理解できないといった表情の少女に、シザキは申し訳なさそうに答える。
「済まない。それは、君を旧小金井公園から移送するために……」
「そうじゃないわ。そうじゃなくて。問題はそこじゃない。パートナー契約をした理由は……ミズサワさんから説明してもらったからわかってる。わたしが訊きたいのはなぜ、そこでわたしを放っておかなかったのかってことよ!」
「なぜ……?」
根本的な理由。
言われてみれば、それが一番、自分の中でも疑問なところだった。
たしかにあの時、本当は少女を捨て置いておけば良かった。それをわざわざ連れて来てしまった。パートナー契約まで交わして――。
それは、いったい何故だったのか。シザキは必死で思い返す。
「それは……」
言葉を吟味しているうちに、眼帯男がまた二人の間に割り込んできた。
「オイオイ、ちょっといいかァ? 状況はよくわからねーが……俺もそいつが訊きてえな。なんでパートナーにしちまったのかってことをよ……」
「滞留者さん……」
「俺にはジョーって名前があんだ、お嬢ちゃん。なァ、シザキのじいさん……アンタが『あの時』から明晰夢の天使を避けてきた、ってのは俺も知ってる。だからこそ、今までアンタを街で見かけても見過ごしてきた。けどな、この嬢ちゃんの言う通り……今の状況はいったいどういう了見なんだ。ええ?」
「…………」
黙し続けるシザキに痺れを切らし、眼帯男は深いため息をついた。
「はあ……もう、わかったよ! じゃあ、こういうのはどうだ? なんだかその嬢ちゃんはシザキのじいさんと組もうとしてるみてえだが……俺と組む、ってのはよ。なあ? いい案だと思うだろ?」
「は? えっ?」
「…………!」
意外な提案をしてきた男に、少女とシザキは耳を疑ったのだった。




