001 シザキ・ゼンジは夢を見ない
短い電子音が三度。
それが三回。
年老いた男はその音と共に目を開ける。
「おはよう。オーブ……」
しわがれた声を喉の奥からひり出す。
そうすると、ああ今日も生きていると感じる。
球形ドローン《オーブ》の鳴らしていたアラームがようやく止まった。
見回した室内は、まだ薄暗い。
歳を取ったせいか、ここ最近は異様に喉が渇くような気がする。
建物内の湿度は完璧に保たれているはずだが、なぜか毎回こうなってしまう。きっとあちこちの粘膜が劣化している。
かといって生体部品を交換する気にはなれない。交換するなら、仕事でへまをやらかした時だけだ。
男は白い髭を押さえ、唇をひと舐めすると上体をすばやく起こした。
「おはようございマス、シザキ・ゼンジ。朝のメディカルチェックを行いマス。10秒以内に所定の位置に立ってクダサイ」
部屋の中央に浮かんでいる球体が、電子的な女性の声でしゃべっている。
これはさきほどアラームを鳴らしていた、球型ドローン《オーブ》と呼ばれるサポートマシンだ。
シザキと呼ばれた男はベッド脇に両足を降ろすと、半径1メートルほどの円が描かれている床の上に立った。蒼白い光を放つその輪の中に入ると、しわだらけの顔を上げる。
濃い影に覆われた天井。
カーテンのかかった窓の端だけが、朝の光でぼんやりと光っている。
20センチほどの大きさのオーブは、微動だにもせず空中に浮いていた。
光沢が乏しい黒い金属の外殻。
継ぎ目はどこにも見あたらない。
丸く青いランプがさらにその中央に灯っており、無機質な声が発せられるたび、それが星のような明滅を繰り返していた。
「では、スキャンを開始しマス」
丸いランプが消え、代わりに「3」という数字が表れる。
2、1、0……。
瞬間、足元の光輪がそのまま上へと移動し、一秒とかからぬ間に頭の先まで上り詰めた。かと思うと、すぐにまた下へと降下する。
「スキャン完了。身体面に異常なし。精神面にも異常なし。……最終チェック。夢は見ましたカ?」
「いや、見ていない」
即答する。
事実、シザキは今まで夢を見たことがなかった。人間なら誰しもが見るという「夢」。だが、シザキは生まれてこの方、ただ目を閉じて休むことしかしていなかった。
このチェックの答えはこれが「正解」だ。
もし夢を見たのなら、脳内では何かしらの異常が起きているということになる。
「OK。では着替えて、食堂に移動してクダサイ」
シザキは使い捨ての白い寝間着を脱ぎ捨てると、壁のダストシュートに放り込んだ。
* * *
長い白髪を後ろで束ね、指定の作業着と武器を装着して食堂へと向かう。
総勢30名が広間の長テーブルに座っていた。
その全員が屈強な男たちである。
彼らの頭上にはそれぞれ同数の黒い球体が浮かんでおり、各テーブルには大きな深皿と小皿、水の入ったコップ、銀の匙、などが並べられている。
そして、きっかり5時に鐘が鳴り、朝食が始まる。
「いただきます」
低い声の唱和。
シザキは匙を取ると、深皿の中の個体をすくった。
これは完全栄養食のゲルだ。緑、茶、白と三色ある。それぞれ野菜、肉、炭水化物を模しているようだ。味は意外といい。甘みもコクもある。固さがほとんどないから噛むストレスもない。
シザキは髭につかないように、それらを慎重に口へと運んだ。
「ごちそうさまでした」
食事が終わると、次は投薬の時間となる。
小皿の上にカプセル型の錠剤が二つ。これは、このあとの作業のための薬だ。水でそれらを嚥下し、所定の棚に食器を下げる。
長い廊下を抜け、外へと向かう。
徐々に、「とある物体」が見えてくる。くすんだ砂のような色をした、三両編成の普通電車――それが朝日の中できらめいている。
駅のホームにずらっと並んだ30名は、その車両の前で各オーブからの指示を待った。
「総員、点呼をとった後、乗車してクダサイ」
10名ずつのチームが、それぞれ指示通りに開いた三つのドアから車内に入る。男たちは皆立ったまま吊り革につかまった。
5時15分。
ホームのベルが鳴り、ドアが閉まる。車両が少しずつ動き出し、高架化した線路を走りはじめる。耳の奥を逆なでするようなモーター音。
300メートルほどを進んだだろうか。ふと車内のオーブたちが、一斉に青く発光しはじめる。
「フォーメーション、チェンジ。夢エネルギー粒子を取り込みマス」
車体も、同じような色で光り出し、すっぽりと全身がそれに呑みこまれる。かと思うと、周囲の空間が陽炎のように歪んでいった。そして、半透明の歯車をモチーフとした装飾が壁面にまとわりつく。
次の瞬間には、もう列車は大砲や銃器が搭載された「装甲列車」へと変形していた。
もう普通の電車ではない。
外観はもとより、室内も様々な計器やモニターを配備した、ものものしい造りへと変わっていた。
各車両の乗組員たちは、車両が変化しきったのを確認すると本来の持ち場へと戻る。
左右5つずつ並んだ操縦席に各自着席する。
「本日は、F地区へと向かいマス。総員、再度武器や測定器のチェックを行ってクダサイ」
乗組員たちはさっそく、装着していた武器を点検し始める。
作業服の上には、幾重にも黒いベルトが巻き付けられており、それらにはさまざまな武器が取り付けられていた。頭には西洋の兜のような厳めしい形の黒いゴーグル……まるでどこぞの兵士のような様相だ。
シザキは、一通り確認し終わると目の前のモニターを見た。
そしてまたオーブの声が車内に響き渡る。
「では、重力反転。および上昇を開始しマス」
そう言い放ち、強い光を発しはじめた。
すると、しばらくして列車はある地点でふわりと空へ浮かび上がる。次いで車輪が90度折りたたまれ、車体下へと格納されていった。
装甲列車は三両とも連結を維持したまま、駅の南の方角へと向きを変える。
その先には、ラベンダー色の空と、広大な廃墟が広がっていた。