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018 真壁透子は決断する

 ぼんやりとした視界。

 二、三瞬きをすると、白い天井が見えてきた。


「あっ、起きた。透子、大丈夫?」


 ここはどこだろう。自宅ではないことだけは判る。

 透子は清潔なシーツの敷かれたベッドに寝かされていた。


 母親の声が聞こえると同時に、ものすごい眠気に襲われる。空腹感もすごい。

 透子は耐え切れなくなって、またまぶたを閉じた。


「ちょっと待って。今誰か呼ぶから……」


 何やら枕元でごそごそする音。

 透子はまた眠りそうになるのを気力でなんとか押し留めながら、願望を口にした。


「ごはん……食べたい。ごはん……」

「え? あ、ごはん、ご飯ね。あなたの目の前にあるわよ。ホラ」


 もう一度目を開けると、言われた通りベッド上のテーブルには食事が用意されていた。


 透子はだるい体を無理やり起こし、手を伸ばす。

 無言で箸らしきものをつかみ、手当たり次第に口に突っ込んだ。もはや「何を食べているか」など、どうでもよくなっていた。食べられるものならなんでもいい。料理らしき物体を、味わうこともなく嚥下する。


 ひとしきり食欲が満たされると、透子は布団から這い出てベッドから降りた。


「ど、どうしたの? どこへ行くの?」


 母親が心配そうな声をかけてくる。


「トイレ……行きたい。どいて……」


 支えてこようとしたその手を振り払い、透子は歩き出す。

 自宅ではない場所……広い部屋だ。見回すと、透子の寝ていたベッド以外にも何床かある。


「どこ……?」


 近くにトイレらしきものは見当たらない。

 仕方なく、透子はその部屋を出ることにした。


「あ、真壁さん! トイレ……ですか? 今、介助しますね」


 白い服をまとった女性がいきなり目の前に現れ、透子はどこかへと連れて行かれる。

 ずっと行きたいと思っていた個室に押しこめられると、ようやくホッとした。


 用を足し終え、手も洗わずにまた来た道を引き返す。

 早く、早くまた寝たい……。


「真壁さん?」


 さっきの女性がまたついてくる。

 この女性はどうやら看護師のようだ。胸元に名札がついている。漢字が二文字あるが……どうもそれを読む気力が沸かない。


 透子は看護師に誘導されながら元のベッドまで戻ると、またすぐ横になった。限界だった。だるさがひどく、まぶたがどんどん落ちてくる。


「……おやすみ」


 数秒もしないうちに透子は意識を手放し、また深い眠りへと落ちていった。



 * * *



 気が付くと、見慣れぬ空間にいた。

 紫色のライトが部屋中を照らしている。自分の他には誰もいない。何もない。ふわふわと、透子の体は空中に浮いていた。これはいったいどういう状況なのか。


「戻ってきたようですね」


 部屋の壁の一部がシュッと音を立てて開き、白衣を着た女性が入ってくる。


「あなたは……」


 それは以前見たことのある女性だった。

 シザキが負傷した時に治療にあたった、救護スタッフである。


「あなたとは、何度かお会いしてますね。改めまして……ミズサワ・レンと申します」

「ミズサワ……レンさん」


 ショートカットに眼鏡をかけた女性だった。たしかに何度か見ているような気がする。

 ほぼ無表情のまま、彼女は透子を見つめていた。


「私はシザキ・ゼンジからあなたのことを任されており、あなたが目覚めるまで、この部屋で保護をさせていただきました。……マカベ・トーコさん、意識を失う前の事は憶えていますか?」

「……意識を失う前?」

「はい。HKGI基地の管轄区域……旧小金井公園にいたことは」

「ああ、そういえば……」

「そこに転送されたのも、また意識を失ったのも、ご自身がエラーを起こしていたせいです。それも……憶えていますか?」

「あっ、はい。シザキさんから……そんなことを説明された……ような。あ、あとわたしがクラ……なんとかって病気を発症してる、って」


 透子は少し前の記憶を思い出す。

 たしか旧小金井公園でその説明を受けた気がする。


「そうです。あなたは……クライン・レビン症候群を発症しています。そして、今はその『傾眠期』という期間に入っています。起きても、眠くて眠くて仕方がなくなっている状態なのです」

「あ……たしかに、そう、だったかも」


 うっすら、現世で起きていた時のことを思い出す。

 眠気に襲われつつも、透子は食事や排せつを無意識のうちに行っていた。


「わたし……ずっとああなのかな……」


 突如としてまた不安になるが、どうも現実感が沸かなかった。

 なにもかもがおぼろげで、夢と現実の区別がつきづらくなっている。

 透子は軽く頭を振った。


「あなた以外の個体も、明晰夢の天使は『エラー』を起こすことが確認されています。エラーを起こすと、対象の体、およびこの世界には様々な影響が出るのです。あなたの場合はクライン・レビン症候群になったようですが……この状況は、まだしばらく続きますね。マカベ・トーコ、これからどうされますか?」


 レンは眼鏡の中央を片手で押し上げながら、真面目な顔つきで訊いてくる。


「えっ……どうする、ですか?」

「はい。今まではシザキ・ゼンジと行動を共になさっていたようですが……これからはどうされますか。その判断によってはまた色々とあなたに説明をしなくてはなりません」

「…………」


 透子は口をつぐんだ。

 たしかに、今まであまり深く考えたことはなかった。

 自分がどうしたいか……。

 もともとは、こんな「思い通りの夢」が見れなくなった世界をどうにかしたいと、それだけだった。


 とりあえず、唯一会話してくれそうなシザキにくっついて回っていたが……その結果は、この世界のことを少しだけ知れた、というものだった。

 状況は根本的にはなんら改善していない。どころか悪化すらしている。

 透子は今までのことを振り返って、長く深いため息を吐いた。


「わたしはただ……前みたいに何でも思い通りになる夢を見たいだけなのよ。でも、ナイトメアとかいう化け物や、あなたたちが邪魔してきて……現実でも、完全に目を覚ますことができない変な病気になってしまった。もう、完全にお手上げ状態。わたし自身、これからどうしたらいいか……わからないわ。むしろあなたたちに教えてほしいくらい」


 そう自嘲交じりに笑うと、レンは少し考えるようにあごに手をやった。


「普通に夢を見ていたい……ですか」

「ええ。もともとは、それだけが望みだったのよ? でも、まさかこんなことにまでなるとはね」

「あと、できたらクライン・レビン症候群も治したい……というところですか。それが望みでよろしいですか?」


 なぜかレンは何度も確認するように訊いてくる。

 透子はいぶかしげに相手を見た。


「そうだけど……何、なんなの? あなたは、元に戻す方法でも知ってるってわけ?」

「……ええ、そうですね。存じています」

「えっ、嘘? それって何、なんなの?! 教えて!」

「それは……この世界でより多くのナイトメアを倒すこと、です。私たちとともに」

「ナイトメア……を?」

「ええ。ナイトメアを倒すときにあなたが力を使うと、あなたはこの世界からの干渉を徐々に受けつけなくなっていきます。そしてあなたの力がゼロになったとき……あなたはこの世界と二度と関われなくなります。そうなってはじめて、明晰夢の天使はこの世界での役目を終えるのです」


 レンはさらに続けた。


「放っておいても、いつかは元に戻れますが……それがいつになるのかは誰にもわかりません。誰か特定の回収班の作業員と「パートナー契約」を結べば、より早く力を使い切ることができますが……そうすれば、この世界との関係性もなくなり、クライン・レビン症候群も治ります。ですから……」


 そこまで聞いて透子は理解した。

 自分には、もうその「戦う道」しか残されていないのだ、と。


 まるで誰かに巧妙に仕組まれた罠のようだ。

 ずっと戦わずに逃げ回っていようと思っていたけれど、それではこの異常な事態は終わらないらしい。例の病気が治らないままでいる可能性も高い。いつまでこのままかはわからなかったが、一刻も早く解決しなくてはならなかった。


 思った以上にややこしい問題に直面していると思った透子は、ここではじめてこの世界に「恐怖」した。出口の見えない世界が、自分に牙を剥いている。


「ど、どうすればいいの……」


 震える口で訊いてみたが、己自身、答えは一つしかないとわかっていた。

 レンは淡々と述べる。


「もし、よろしければ……シザキ・ゼンジをパートナーにお選びください」

「えっ?」

「実は……あなたがここに運び込まれた際、すでにシザキ・ゼンジはあなたの許可なしにパートナー契約を結んでしまっていたのです」

「えっ、なにそれ!」


 いつのまに、そのような「契約」を結ばれたのか。透子はまったく身に覚えがなかった。

 勝手にそうされていたことに透子は腹を立てる。


「すでにシザキさんとパートナー……に!? どうして……」

「申し訳ありません。輸送の関係でそうするしかなかった、とシザキ・ゼンジは申しておりました。あのままあそこに置き去りにすることはできなかったと……シザキ・ゼンジに代わり、私が謝罪いたします。どうぞご容赦ください」

「そんな、あなたに謝られても……」

「今から新しい作業員を選ぶのも、ご面倒でしょう。現状では、あなたが彼をパートナーとするのが適当ではと判断します。すでに何度も彼と行動をともにしているようですし……」

「そ、それは……」


 一緒にいたのは、そもそも成り行きだった。

 別にどうしても彼でなければならないというわけではなかった。ただ、あの時はシザキしかまともな人物がいないと思い込んでいたのだ。だから、もっと優しい、若いクローン人間がいるなら透子はそちらを選んでいた……。


 無論、歳が近い方がいいに決まっている。透子は、枯れ専ではないのだ。

 どうしようかと迷っていると、レンはさらに説明をつけ加えてくる。


「ちなみに彼は、この基地の近くのA区画ですでにエネルギー回収の任務にあたっています。どうされますか? 今から行けば、今日の戦闘に間に合いますが。マカベ・トーコ、ご決断を」


 一刻も早く元の生活に戻りたい。そして、またあの大地君に会って、話の続きをしたい。

 それが、今も変わらぬ透子の望みだった。

 であれば、もう迷っている暇なんかない。


 何も知らないクローン人間に一から話を合わせるのは大変だろうし、だったらレンが言うように、これからもシザキと行動を共にするのが一番楽なのかもしれない。

 他の選択肢は、無いのと一緒だった。


「……わかったわ。あなたの言う通りにしてみる。シザキさんがどこへ行ったのか教えて」

「ありがとうございます、我々に協力してくださって。感謝します」


 レンは「営業スマイル」とはっきりわかる笑顔を浮かべて、深く頭を下げてきた。

 それを見た透子は、なんとなく彼女とだけはパートナー契約を結びたくはないな、と思うのだった。

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