014 真壁透子は森を歩く
透子はおそるおそる外へと出てみた。
足元には様々な草が生い茂り、周辺は背の高い木々が密集している。
空は――まだ陽が昇っていないために、濃い紫色をしていた。数多の星がきらめく中、ピンク色の月も昇っている。
「あの空……やっぱりここは未来なのね。いったい何が……」
しばらくすると、シザキと黒いボール「オーブ」も連れ立って部屋の中から出てきた。
先ほどまでは白い寝間着のようなものを着ていたのに、いつのまにかシザキは黒い戦闘服のようなものを着ている。
「私の部屋がまるごと転移させられたようだ」
「え? 何、転移? どういうこと?」
装着した武器をチェックしながら話すシザキに、透子は首をかしげた。
シザキはそれには答えずにオーブに話しかける。
「オーブ。とりあえず、ここがどこかを知りたい。位置検索を頼む」
するとオーブは宙でゆっくりと回転して答えた。
「了解しましタ。ここは、HKGI駅の管轄下……N地区デス。その中の『旧小金井公園』内だと思われマス」
「え? 旧小金井公園って……ここ小金井公園なの? こんなジャングルが!?」
透子はその名を聞くと、思わず目を見開いた。
何度かここには友達と遊びに来たことがあった。
だが、その当時はここまでうっそうとしていなかったように思う。
芝生がきれいに刈り込まれた広場では、たくさんの人々がレクリエーションに興じていた。とても広大で、遊歩道もいたるところに整備されていたのだが……今、その痕跡はどこにも見当たらない。
すべてが植物に覆い隠され、原始の森に還ってしまっていた。
「ええと……あの、あそこにあるのはシザキさんの部屋、よね? 部屋が転移って……まさかあれごとここに移動してきたってわけ?」
森の中にはこつぜんとシザキの部屋だけが建っていた。
正面は普通の壁とドアだったが、隣の部屋とのつなぎ目である壁は、コンクリートや鉄筋がむき出しになっている。
「ふむ。詳しい原理は判らんが、おそらく君がエラーを起こした余波だろうな。時空がなんらかの歪みを形成し、こうなったと思われる。とにかく、私はこれから元の基地に戻らねばならない」
「え? 『元の基地』って?」
「私の部屋があった建物……OIGE駅のことだ。君はどうする?」
「え……そうね。じゃあ、とりあえずわたしもそれ途中まで付いて行くわ! 一応、元の場所に戻りたいし……あ、ねえ、そのなんとかって駅、わたしの時代だと何駅になの?」
透子が訊くと、シザキは一瞬困ったような表情を浮かべた。だが、こめかみに手を当てると何かを思い出すようなそぶりをみせる。
「そうだな。オオイズミ……ガクエン駅、というらしい。知っているか?」
「えっ、ああ、知ってるわ。大泉学園……やっぱりあそこは地元の近くだったのね」
「そうだ。この時代では、過去の駅名を最適なアルファベットに簡略して表記している。とりあえず、そこへ戻るために最寄りの駅、HKGI駅へと向かうぞ。オーブ!」
シザキが声をかけると、オーブはさっそく目的の方角へとナビしはじめた。
* * *
草をかきわけひたすら歩いていく。
しばらく進むと、木立の間から大きな池が現れた。
鏡のような水面は、強い風に吹かれてさざ波が立っている。校庭のトラックを一回りほど大きくしたような池に透子は驚いた。
「こんなに大きな池……この公園にあったかしら?」
暗闇の中、目をこらして見ると、いよいよもって違和感しか覚えない。前を歩くシザキが足元の草を踏みしだきながらそれに返事をした。
「君が不思議に思うのは、当然だろうな。この時代と君の時代では、およそ200年の隔たりがある。その間にできた産物だ」
「へえ……何年も手入れをしないと、こんな風になっちゃうんだ」
無情な時の流れに、透子は一抹の寂しさを抱いた。
かつてはたくさんの人が利用していた公園、それが今では人っ子ひとりいない。
夜だから、という理由もあっただろうが、それ以上に寂しく思うのは、そもそもここがすでに「公園」という体を成していないからだ。明るくなっても、きっと誰一人としてここに訪れる者はいないのだろう。
草木が風に優しくそよいでいる。
他には、透子たちの足音だけがあたりに響いていた。
透子は無言のまま歩いているのに息が詰まりかけていた。
特に話すこともなかったので自然とそうなるのだが、そもそもなぜ自分はシザキについていこうと思ったのか。
おおかたのことはもう訊き終わったはずである。
そのあとはすぐ別行動に移ってもよかった。それなのに、なぜか離れられない……。
理由がわからないことに、若干イライラしはじめてもいた。
自分が好きなのは大地君だ。なのにどうしてこんな老人と行動を共にしているのか。なりゆきとはいえ、流されている自分にひどく腹が立ってくる。
けれど――。
どうしてだろう。目が自然と吸い寄せられる。
がっちりとした大きな背中。
幻想的な長い白髪。
そして低く渋みのある声――。
それは、自分の父親にも、大地君にもない要素だった。
だからだろうか。胸の奥底から湧き上がるのは――。
「い、いやいや! 何考えてるの、わたし!」
途中まで思考したことを必死で頭から追いやる。
ただの、そう。筋肉ムキムキなだけのおじいさん、だ。決してそれ以上でもそれ以下でもない。老人とは、そもそも「助けるべき存在」だ。弱者――それで放っておけないだけだ。うん。きっとそう。それだけ、それだけ。
透子はそう荒っぽく結論付けると、また歩くのを再開した。
「おい、マカベ・トウコ」
「はっ、はいっ?」
急に呼ばれたので、つい裏返った声になってしまった。
上半身だけ振り返っているシザキは、しきりとあたりを見回している。
「ど、どうしたの?」
「ナイトメアが……近づいている。一応、君も気をつけろ」
「え? ナイトメアって……」
そう言ったかと思うと、急に草むらからたくさんの「何か」が音を立てて現れた。
赤い目を光らせているので、あきらかに普通の生き物でないことがわかる。それは、蛇のかたちをしたナイトメアだった。体長はそれぞれ3メートルほど。丸太のように胴体が太い大蛇たちである。
さっと鎌首をもたげ、それらは一斉に透子たちに跳びかかってくる。
「いっ、嫌あーーっ!」
透子が悲鳴をあげる中、シザキだけは冷静に腰から下げていた銃をとっていた。
ニ、三発、命中させると、ナイトメアたちからはピンク色の発光体を出して倒れる。そしてまたオーブがそこへ飛んで行き、発光体を回収していく。
その光景を見た透子は、しばらく呆然と突っ立っていた。
あまりにも鮮やかなお手並みだったからである。
シザキの動きに見惚れていた時間が長かったためか、ハッと気づいた時には透子は一番大きな蛇に足元から這い寄られていた。
「い、いやっ! あああっ、気持ち悪いっ!」
払いのけようともがくが、胴体に巻き付いてきた蛇はなかなか離れない。
徐々に透子は服の上から締め上げられていく。
「うっ……あああっ……!」
喘ぐように声を出すと、蛇はいっそう圧力をかけてきた。
痛みはないが精神的な嫌悪感がすごい。
「おい、大丈夫か?」
戦闘を続けながら、シザキが声をかけてくる。
透子は服を消せばこの拘束から逃れられるのではないか、と一瞬ひらめきかけていた。けれど、それをしたら全裸になってしまう。それはとても恥ずかしい。やりたくない。
けれど、このまま締め付けが続くと死んでしまうかもしれない、と恐怖してもいた。
痛みがないため、あまり危機感を感じられないが、それでも、どうにかなってしまうかもしれないことには変わりはない。一か八か、透子はシザキの視線がそれた瞬間を狙って、行動に移した。
「えいっ!」
服を消すと、とたんに蛇は透子の素肌へさらに絡みつこうしてくる。だがそれは、透子が予想した通り、成功することはなかった。
するりと蛇は透子の体の中を通り抜け、地面へと落ちる。そして透子は悠々と空へと脱出することができた。
「や、やったっ!」
「むっ?」
その声に振り向いたシザキが、透子の下の大蛇を狙撃する。
命中すると、トドメとばかりに近寄ってその頭部を踏み砕いた。周囲にナイトメアが一匹もいなくなったことを確認し、シザキは透子を見上げてくる。
「おい、襲われていたようだが……大丈夫か」
「え……。あっ……きゃあああああっ!」
シザキに見られたとわかるや、透子は大声をあげて赤面した。そしてすぐさま服を再生させる。
はあはあと荒く息を吐きながら透子はシザキに抗議した。
「もうっ、な、何見てるのよっ! わたしの裸、見るなんてっ!」
「ん……? それがなんだ? なぜ裸であることを忌避する」
「なんでって……あ、当たり前でしょう?! むしろあなたがノーリアクションなのがビックリよ。こ、これは蛇から逃げるためにしかたなくやったの! あなたに見られたくてやったわけじゃ……デリカシーがかけらでもあなたにあるなら、裸の時は見ないようにしてよ!」
「デリ、カシー……?」
シザキはこめかみに片手をあてると、物思いにふけるように森の奥を見つめた。
そしてしばらくすると、また透子に向き直る。
「デリカシー、か。なるほど。感情や心配りが繊細なこと……を表す言葉だな。私はクローン人間だ。そのようなことを求められても……困る」
「あっ……そ、そうだったわね……」
事実を告げられて、透子は一瞬で冷静さを取り戻す。
人ではないなら、今のはたしかに無茶なお願いだったかもしれない。ついつい、普通に言ってしまっていた。透子は真面目に反省する。
「あの、ごめんなさい。デリカシーがなかったのは……わたしの方だったわ」
そう謝ると、シザキは意外なことを言ってきた。
「いや。どうしても見られたくないというのなら、私も善処しよう。今後は極力見ないよう、心掛ける」
「え? あ、そう? はは。まあ、そうしてもらえると助かるけど……」
透子は軽くため息をつきながら、頬に手を当てた。
そうしている間にも、シザキはまた目的地へ向かって歩きはじめていく。
透子はその背を眺めながら、ふと思った。
クローン人間だから、ということだったが……もしかして彼らは仲間に対してもこんな風に無頓着なのだろうか。
それが普通なら、ちょっとクローン人間というのは不思議すぎる存在である。
だんだん行く手を妨げる草木が増えてきて、シザキは腰から抜いた短刀でその障害物を叩き斬っていた。
透子は思い切って、尋ねてみる。
「あ、あの!」
「なんだ……?」
シザキは作業を続けながら答える。
「あの、そういえば、ベッドがたくさんあったフロアに……何人か女性がいたわよね?」
「ああ、それがどうした」
「えっと……そ、その人たちもみんな仲間、なんでしょ? 彼女たちには女性らしい扱いを……してなかったの? その……気遣いというか。あ、その人たちと恋愛関係になったことは? ない?」
「恋愛……? なぜそんなことを訊く」
「いや、異性だから、好きになったりすることもあるのかなーって」
「それは……ない」
シザキはすっぱりとそれを否定した。
「あの建物内にいるのはすべてクローン人間だ。我々は、余計な感情に左右されることなく、業務を全うするようコントロールされている。よって我々は……異性も同性も求めることはない。性欲も、薬で抑えられている」
「え、コントロール? 薬って……?」
透子は物騒な単語におもわず眉根を寄せる。
シザキは立ち止まって言った。
「我々は……人間の細胞を使って複製された、限りなく人間に近い、『クローン』だ。ゆえに……薬などで脳を制御・管理されている。そうしないと『人間』のように余計な感情をいだいたり『間違った行動』を起こしてしまうからな。そうなってはこの発電所の業務を遂行できない……」
「えっ、ちょっと待って。あの、あなたそんなによく薬を飲まされているの? 発電所の業務っていったい……」
怪訝な顔で窺うと、シザキは短刀を下ろす。
「我々は……日々ナイトメアを狩り、『人間が生きるための』エネルギーを回収している。怪我をすれば強化手術を施され、それでも治らなければ破棄される……捨て駒のようなものだ。それが我々の存在する理由……」
「そ、そんな……」
薄々勘付いてはいたが、改めてシザキたちの境遇を知ると「ひどい」と感じた。
人権侵害もいいところである。
人権……クローン人間には、そもそも『人』権は存在するのだろうか。透子の時代では、まだそれがあるかないかの議論の真っ最中だった。この200年後の未来では――どうやら存在していないに等しいらしい。
シザキは、無表情のまま言葉を続ける。
「……機械や人間には、この仕事は任せられない。機械の素材も、人間の命も、この時代ではとても『貴重』なものだからだ。それを失うわけにはいかない。無限に複製される我々だけが、ローコストで任務を遂行できる存在だ。クローン人間と『人間』の違いは、使い捨ての『部品』であるかないかだけ……」
「そっ、そんな! 使い捨てだなんて!」
「事実だ。だからそのように……デリカシーなどというものは本来私には不要なものなのだ。それを持つことすら推奨されていない。もし規定を超えてそういった不用な感情をたくさん持つようになったら、私は廃棄されてしまう」
「なに、それ……」
透子は、無表情な中にも哀しそうな色を帯びているシザキの瞳を見て、言いようのない怒りを覚えた。
「それで、いいの? あなたは……それを心から望んでいるわけ? わたしと話してるあなたは……優しかったり、人間らしさみたいなものが感じられてたわ。だから、わたしはあなたのこと……クローン人間だなんて一度も思わなかった。あなたは……わたしにとっては普通の人間と一緒よ!」
思い切って言うと、シザキは目を丸くしたまま固まっていた。
数秒の後、大きく息を吐き出したシザキが、震える声で言葉を発する。
「私、が……普通の人間と同じ……だと?」
わなわなと小刻みに震えている。
「そうよ! 遺伝子上だって同じ……生き物、でしょ? だったら『人間』と何も変わらないはずよ。コントロールされているなんて、哀しいことだわ。だって……それじゃ恋愛もできな……」
透子はそこまで言って口ごもった。
誰かを好きになるのはとても素晴らしいことだ。自分も大地君を想っているときは、天にも昇る幸せを噛みしめている。それを永遠に知ることもなく、またそう思わないように仕向けれてるだなんて。
それがこの時代のクローン人間の定めだとしたら、哀しすぎる。
一陣の風が吹き、透子は空を見上げた。
相変わらず美しいピンク色の月が煌々と輝いている。よく見ると、東の空もようやく明るみはじめてきたところだった。
「朝だ……」
透子はぽつりとつぶやくと、呆然とたたずむシザキを見つめ、いつこのジャングルを抜けられるだろうと考えた。
いっそのことシザキを抱きかかえて飛んで行った方が早いだろうか。
透子がそう思った刹那、何かの機械音が急に遠くから聞こえてきた。
見れば、三両編成の武装化した列車が空の彼方から近づいてきている。
透子は不穏な気持ちでそれを眺めた。