012 シザキ・ゼンジは拒絶する
「とりあえず、これにかけててくれ」
壁面収納の扉を開けて、シザキはそこから折りたたみ椅子を取り出した。
繊維強化プラスチック製の黒い椅子である。
部屋の中で立ち尽くしていた少女は、おとなしくそこに座る。
「あの……ほんとにこんな時間にごめんなさい。寝てたでしょ?」
おずおずと尋ねてくる少女に、シザキはため息をつきながら言う。
「たしかに……普段の起床時間より一時間半ほどは早く起こされたな。だが問題ない。多少の睡眠不足は薬で補える」
「薬。それって、やっぱり無理しちゃうんじゃ……」
「心配するぐらいなら、以後来ないでもらいたい。それで? 用件はなんだ」
にべもなくそう言うと、申し訳なさそうにしていた少女は不満をあらわにした。
「もう、またそうやって……冷たくしないで。わたしは普段の、普通の夢を見たいだけなの。あなたはまたここに来るかわからないって言ってたけど……結局『三回目』はあったわ。わたしはまた、この夢を見た。だったら四回目も、五回目もあるかもしれない。その間、わたしはこのわけのわからない状況に翻弄されたくないのよ。わかる?」
少女はそう言って、鋭いまなざしをシザキに向けてくる。
「だから……この世界のことをもっと教えてほしいの。シザキさん」
彼女の主張はもっともである。
夢見る人、および明晰夢の天使は、強制的にこの時代・この場所へと召喚される。本人の意思とは無関係だ。そして発電所が稼働している限り、ずっとこの現象は続いていく。
彼女はすでにこの世界と『縁』ができてしまった。であれば、そのことについて状況改善を望むのは当然の事だろう。しかし、それがいつ終わりを迎えるのかは……シザキにはわからなかった。
「私は君に、何も教えられない。というか、教える気がない。もとよりあまり関わってほしくないからだ。我々のシステム環境に、巻き込まれてしまったのは同情する。ナイトメアと夢見る人は、発電所の構造上同じように召喚されてしまう。だからきっといつかは元に戻る。それまでは……大人しくこの世界の夢を見ていてほしい」
やんわりと拒絶の意思を示すと、少女は眉根を寄せた。
「まったく……それは、意味がわかんない! 一応確認させてもらうけど、ここって確実に200年後の未来で、巨大な発電所の街……で? あなたはその発電所の人間で、しかもクローン人間だってことよね? で、わたしは……あなたたちが原因でここに来させられた。でしょ? ただの偶然じゃなく。それで関わってほしくない、なんてあなたが言うのはちょっとおかしいんじゃないの」
「…………」
すぐには反論できなかった。
シザキは深く息を吐く。
「それは……私に言われても困る。このシステムを作ったのは上の人間だ。私は末端の、作業員の一人にすぎない。国や政府、発電所の意向と、私の意向とはまた別だ。今は上の指示で仕方なく君の対応をしているが……本当は接触したくはなかった」
「そんな!」
「私には……かつて明晰夢の天使の『友人』がいた」
「えっ? 友人……?」
不意に過去の話を切り出すと、少女は目を見開いた。
「ああ、『彼女』から……私はかなりの影響を受けた。業務に差し障りがあるレベルにまでな。ゆえに、明晰夢の天使とは極力深く関わるまいと決めている。……だから、これ以上関わってこないでほしい」
「なに、それ……。その人の影響って、そんなに悪いことだったの?」
「いや、普通の人間にとっては……いいことだったはずだ。だが私のようなクローン人間にとっては『害』だった。それだけのことだ」
思わずうつむくと、少女は少し声を強めてきた。
「普通の、人間? クローン人間? その二つって、そんなに違いがあるものなの? わたしには……ほぼ同じように見えるけど。怒ったり、困ったり……感情が全くない『ロボット』ってわけじゃないじゃない。その人と……何があったのかは知らないけど、わたしはあなたの害になる気はないわ。迷惑は少し、かけるかもとは思うけど」
「それを、害というのではないか?」
冷静に指摘すると、少女は頬を膨らませた。
「もうっ! 悪意があってやってるんじゃないわよ。わかるでしょ! わたしだって……こんな世界に来たくなかったわ。いつもみたいな平和な夢を見て、ただ大地君と仲良くしていたかった! それを……」
「ああ、その節は済まない。私個人が謝っても、意味のないことかもしれんが……」
「ほんとそうよ! そういうこと聞きたいんじゃないの!」
少女は相変わらず怒り続けていた。
らちが明かないので、シザキはやや違った方向からの質問をする。
「ああ、そうだ。ついでに訊いておくが……そのダイチとやらは君の恋人だったのか?」
「は? へっ?」
「単純な疑問だ。『好きな人』とは聞いていたが、恋人同士だったのか」
「そ、そこの情報いる?」
「必要と判断したからそうしているまでだ。起きたら現実世界で仲よくすればいいだけだろう。なのになぜ、わざわざ夢でまで会おうとする?」
「そ、それは……」
急に言葉尻がしぼんでいく。
シザキは想像以上に変なことを言ったのかと不安になった。
「片……なのよ」
「ん? 今なんと言った」
訊き返せば、少女の顔は真っ赤に染まっている。
「だから! わたしの片思い、なのよ! 現実ではうまくおしゃべりできないの! 今日は、ちょっとだけ話せたけど……現実ではそんな機会はなかなかないから、夢の中では実現させてるの。悪い?」
「いや……。そうか」
シザキがたじろぎながらうなづくと、少女は肩で息をしはじめた。
「はあ、はあ……。あなたたちや、あのタコの化け物に……これ以上邪魔されたくないのよ。わたしだけの夢を見ていたいの。だから……いろいろ知ることで、対策を練れればと思って……」
するとじわりと、少女の瞳に涙がたまっていく。
シザキは急に胸の奥がズキリと痛んだ。
なぜだ。なぜこんな奇妙な感覚になるのだろう。
体の異常を感じていると、少女はちらりとこちらを見上げてきた。
「なんで? なんでこんな意地悪なおじいさんに……わざわざ会いに来てるのよ、わたし。自分で自分がよくわからない。あなたは優しいと思ったけど、違ったみたいだし。ああ、バカみたい!」
はらはらと涙のしずくを落とす。
それは床に落ちると小さなピンク色の発光体を出して消えた。
少女は涙が落ちたあたりを靴の先で踏む。
「これも、変な感じだわ。物に触れたり、触れなかったり。今、わたしの涙はここに落ちて消えた。これってどういうことなの? これについても、あなたは教えてくれないの?」
「…………」
シザキは、ついに黙ったまま少女に一歩近づく。
少女は突然動き出したシザキに驚き固まる。
相している間にひざまずき、シザキは少女の白い長手袋に包まれた手を取る。
「…………え?」
「私は、君の干渉を受けない。以前そう言ったはずだ。それを……憶えているか?」
「あ……え、ええ」
「君はこの世界に『精神体として』一時的に顕現している。この時代の生き物や、無機物には……君が作り出したモノしか間接的に干渉できない」
「ちょっと、それ……よく意味がわからないわ」
「そのつけている手袋をとりたまえ」
「え?」
「そうすればわかる」
少女は怪訝な表情を浮かべていたが、すぐに言う通りにした。
すうっと手袋だけが消え失せていく。
すると、女性らしいたおやかな細腕がその下から現れた。
「それで? これからどうなるっていうの?」
「今、私は君の腕に触れられていない」
「え?」
見ると、シザキの手は少女の細腕の「中に」埋没していた。まるで靄の中に手を突っ込んでいるようである。
「やっぱり……そうなのね。こういうことなんだ。素手では何も触れない。その代わり、服とか靴は、わたしが作り出したものを通せば、わたしにも触れられるし、この世界の……あなたたちにも触れられるってわけ」
「そうだ」
「じゃあ、全身裸だったらもしかして、この世界の壁をすり抜けたりもできるわけ?」
「理論上は……そうなるな」
「へ、へえ。まあ裸にはあまりなりたくないけど……」
少女はシザキと腕を融合させたまま苦笑いをした。
「あのさ、シザキさん……」
「なんだ?」
「わたしは……いつか元のように戻れる、って言ったわよね?」
「ああ」
「それまでは、あの化け物たちに襲われ続けるかもしれないの?」
「おそらくは、そうだな。遭遇したらそういうこともあるかもしれない。だがナイトメアと夢見る人は、お互いに触れ合うことはできない」
「……あ、そういえば」
少女は、以前襲われた時のことを思い出したようだった。
少女はあのとき、タコの触手に服だけを破壊された。
「ナイトメア同士なら接触し合うこともあるだろうが、基本『夢見る人』は、この世界のどの存在にも干渉できない。もちろん私たちにも。だから……君は決して誰からも傷つけられることはない。それは、安心してほしい」
「そう……」
少女は自分の腕を見つめると、シザキと触れ合っている所を離し、また白い長手袋を出現させた。
そして、それを身に着けた状態でシザキの手をとる。
「はい、握手。こうすれば、あなたにも触れられるのよね。よくわかったわ。ありがとう」
「いや……」
にこっと微笑まれる。
シザキは急に手をにぎられて、どうしていいのかわからなくなった。
ぬくもりや肉の感触はほとんどないのに、触れられたところがなぜか熱をもったようになる。さっき自分から触れた時はなんとも思わなかったのに、少女から触れられただけで違和感が発生した。
これは、いったい何なのか。
「じゃあ、あとは……もういいわ。関わってほしくないっていうんだから、これ以上は訊けないわよね。お邪魔したわ」
少女はそう言って立つと、外に出ていこうとする。だが、ふと振り返って座っていた椅子を見下ろした。
「あ……そういえばシザキさん、これ……」
「ん?」
「あ、いや、二回目に会った時に病室で……」
シザキは言われて、病室でのことを思い出した。
あのとき少女は椅子を探していた。だから、シザキは無意識のうちに、この部屋では透子を座らせてあげたいと思っていたらしい。
自らの気遣いを指摘されて、シザキはわずかに動揺した。
「いや。別に……ここにはあったから出したまでだ」
なぜか言い訳めいたことを口走る。
「……そう。ありがとう。やっぱり優しいわ、あなた。意地悪なとこもあるけど、優しいとこもあるのね。やっぱりわたし、あなたのこと……」
また何か言いかけて、少女は消えていく。
続きをいつもなんと言おうとしているのだろう。気になったが、さすがにここまで拒絶したら、次はもう会いに来ることはないだろうと思った。
ようやく安心できる。
会わなくて済むなら、もう惑わされることもないだろう。
消えゆく少女を見つめながらそんなことを思っていると……。
「……ん? なんだ。いったい、どういうことだ……!?」
少女はある一定の薄さで消えかけ、そのまま静止してしまった。
まるで録画の映像を一時停止しているかのようだ。
目を開けたまま、意識を失っているようにも見える。
しばらく待ってみたが、一ミリも変化する様子はみられなかった。
「オーブ、これはいったいどういう状況だ! 解析しろ」
部屋の天井に浮かんでいる黒い球体にそう問いかけると、オーブは青白い光を点滅させて言った。
「現在調査中……。結果報告まで10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、お待たせしましタ。この場にいる明晰夢の天使の名称『マカベ・トウコ』。当天使は、2042年の半ばから約1年半ほど睡眠障害を発症していましタ。原因は、先ほどの元の時代に戻る際、当発電所のシステムに影響され、エラーが発生したため。現在の静止状態は、現実世界で半覚醒時に起きる現象……」
淡々と説明を続けるオーブに、シザキは言い知れぬ不安を覚えていた。
ここで「出会い編」の章は終了です。
次は「発症編」になります。