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009 真壁透子は変化する

「あっ……」


 目覚める。

 白い天井。

 その周囲には、寝ている所を覆うためのカーテン。そしてそのカーテンレール。

 あの夢の中の病室と似ている、と思った。


「よいしょ……」


 透子は体にかけられていた布団をはぐ。

 起き上がれば、その手元に数粒の水滴が落ちる。まさか、と思いながら手をやると、やはり目から涙が流れていた。


「え? 嘘……また?」


 理由はわからない。また会えたことを、良かったと思っているくらいなのに、どうして泣くのか。


 悲しいのだろうか。

 三度目はないかもしれない、とあの老人に言われた。それが、悲しいと感じているのだろうか。

 それとも、会話が途中で終わってしまったことだろうか。


 自分は、なんと続けて言おうとしたのだろう。考えてみる。でも、続きを考えたらダメな気がした。その思いを振り払うように頭を振る。


「真壁さん? 起きたの?」


 急に声がかけられた。カーテンの向こう側から。あれは保健室の先生だ。


「あ、はい。もう、大丈夫です。ご迷惑……おかけしました」

「そう?」


 カーテンがさっと開けられて、斎藤先生という妙齢の女性が入ってくる。


「急に意識を失うなんて……貧血かしらね。吐き気はない?」

「はい」

「朝ごはんは? 食べてきた?」

「ええ、食べてきました」

「頭が痛い、とかはないわね?」

「あの……今、何時限目くらいですか? わたし、いったい……」

「二時限目が……そろそろ終わる頃かしらね。あまり長く眠っているようなら、そろそろ救急に相談しようかと思っていたところなの。あなたは、授業中に突然眠り込むように倒れたのよ。ねえ、本当に頭は痛くない? どこかにぶつけていたってことないかしら」

「それは、たぶん大丈夫です。そんなことなかったと思うし……。あの、ただ、今までとても長い夢を見てて……今も夢か現実か一瞬わからなくなってました」

「長い夢?」


 斎藤先生は不思議そうに尋ねてくる。


「あ、はい。前からよく夢を見る方だったんですけど……今朝からもう、それはそれはとってもリアルな夢を見ていて……さっきもその続きの夢を見ていました。妙なことがあるとすれば、それぐらいですかね」

「それって……。もしかしたら、睡眠障害かもしれないわ」

「睡眠障害?」


 聞き慣れない言葉が出てきたので、透子は首をかしげる。


「そう。こんなふうに急に倒れたりってことは今までにもあった、真壁さん?」

「いえ、はじめて……だと思います」

「そう。じゃあやっぱり一度病院で診てもらった方がいいわね」

「え? わたし……何か病気なんですか?」

「まだこの段階じゃわからないけど……もしかしたら『ナルコレプシー』かもしれないわ」

「なる……こ?」

「ナルコレプシーよ。睡眠障害のひとつで、時と場所を選ばないで急に強い眠気に襲われる症状の事なの。寝ている間はとても浅い睡眠で、夢と現実の境目がないくらいリアルな夢を見るらしいわ。真壁さんの言ってることや様子と照らし合わせてみると、どうもそれっぽいわね。でも……ちょっと寝ている時間が長すぎるのが、少し気にかかるかしら」


 透子は「病気」かもしれないと聞いて、一気に不安になった。


「えっと……それって、治るんですか?」

「そうね……。薬物療法もあるけれど、夜きちんと質のいい睡眠がとるのが一番いいわ。真壁さん、最近夜ぐっすり眠れてる?」

「ええと……」


 透子は「明晰夢をしょっちゅう見ている」とは言い出せなかった。

 そのせいで、こんな状態になっているのだとしたら、結局自分の行いが悪いせいということになる。


「ともかく、もしその病気だったとしたら、今後も急に眠くなったりするかもしれないから、気を付けてね。常に誰かと一緒にいるとかしないと危険よ。わたしの気のせいだったらいいんだけどね……」

「はい……わかりました。一応気をつけてみます」

「親御さんにも一応、今日こういうことがあったって報告しておいてね。そして、また発作が出たらきちんと病院に行ってちょうだい」

「はい。ありがとうございます」


 透子はそう言って、保健室をあとにした。

 キーンコーンとちょうどチャイムが鳴る。

 二時限目が終わったようだ。次の授業は、たしか世界史だった気がする。



 * * *



 教室に戻ると、みんなの視線が一気に透子に集中した。千明が泣きそうな顔で走ってくる。


「透子ーっ! もう、大丈夫なのっ! 心配したんだよー!」

「ごめんごめん。えっと……寝不足がたたったみたい。もう大丈夫だよ」

「そう? もう、夜しっかり寝なきゃだめじゃーん」


 自分の席に戻る途中、座っていた大地君と目が合う。

 後ろから追いかけてきた千明が早口に説明しだした。


「あっ、透子! そういえば大地君にお礼、言っときな。先生と大地君が透子を保健室まで連れて行ってくれたんだから! あ、あたしもだけどね」

「そう、なの……? えっと、ありがとう。その、大地君も……」


 ぼそりと告げると、大地君は心配げな顔で言った。


「突然倒れるから、驚いたよ。でも、大したことなさそうで良かったね、真壁さん」

「え、ええ……ありがとう」


 そう笑顔で言葉を交わして、そそくさと自分の席に戻る。

 あれ以上話をしているのはとても耐えられなかった。今も顔から火が噴き出そうである。


 千明が言うには倒れた自分を、担任のタコ田と大地君が運んでくれたという。でもどうやって? その方法を知るのがとても恐ろしかった。

 黙って席に座っていると、千明がニヤニヤしながら透子を見下ろしてくる。 


「な、何よ……千明」

「ええー? 何が?」

「なんで笑ってるのよ?」

「いやー、役得ですな、透子さん」

「そんな……不可抗力じゃない」

「でも、うらやましいよー。さすがにお姫様抱っこではなかったけどさー、おんぶされるなんて」

「ええっ? わたしそんな……おんぶ?!」


 ぼそぼそと話していたが、そこまで聞いて透子はパッと周囲を見回した。

 クラス中の女子がなんともいえない目で自分たち二人を見ている。


「ねえ千明……先生は? タコ田先生も一緒にわたしを運んでくれたんでしょ?」

「いやー、そっちはあくまで落ちないように付き添い? だっただけ、みたいな……。ほらーセクハラとか今うるさいし、そんなふうに言われたらたまんないでしょ先生も。だから実質、体力ある大地君だけでやったって感じ?」

「ああ、そう……。はあ……」


 大地君の方をもうまともに見られない透子だった。



 * * *



 すべての授業が終わり、放課後の部活動の時間がはじまる。

 体育館の床をモップがけしてから、ちょうど中間をネットカーテンで間仕切りする。こちら側半分は女子で、向こう側半分は男子バスケ部のゾーンだった。


 ボールをそれぞれ手に取り、ドリブルやシュートの練習をする。


 透子はいつも通りの練習メニューをこなしながら、ついつい男子バスケ部の方をチラ見してしまっていた。

 そこには汗をかきながら同じように練習をしている大地君がいる。


「もう、透子ったら見すぎー! ほら、そろそろ練習試合はじまるよっ!」


 あまりにもわかりやすい態度だったせいか、笑いながら千明が注意してくる。


 千明は二年の中でもとくに上手い選手だった。

 三年になったら確実に部長になるだろうとも言われている。

 透子も体を動かすのは好きだったが、千明のレベルには遠く及ばない。


 一年の時に千明と一緒に部活見学に行って、そのままずっとこの部活をやってきた。

 はじめは面白そうと思って始めてみたのだが、透子の方は大地君見たさで続けているところが大きかった。


 こんな不純な動機でいいのだろうか。

 そう思うが、それでもそれが心の大部分を占めている事実は変えようもなかった。


「じゃあ、はじめるよー」

 

 部長の合図で、三年生五人と、二年生五人とで対戦する。

 ボールが高く投げられ、さっそく千明が奪取した。


「透子っ!」


 パスが回ってくる。落ち着いて。敵がいない場所を狙って、ドリブルを進める。

 三年生が二人、ブロックにやってくる。

 後ろの別の味方にパス。

 続いて、いつのまにかゴール下に移動していた千明にパスが回る。


「よっ……と!」


 すぐに華麗なレイアップシュートが決まり、得点が入る。

 他の部員たちから拍手が沸く。

 見ると、休憩中だった男子バスケ部員たちもこちらを見ていた。無論、大地君も観戦している。千明のシュートが入ったことに感心していたようだ。


 自分もいいところを見せたい。

 そんな思いで、またボールが回ってくるのを待つ。


 しかし……何度挑戦してみても、透子は一つも満足なシュートが打てなかった。

 チャンスは回ってくるのだが、毎回上手く入らない。

 大地君や周りの目を意識しすぎてしまったのかもしれない。


 試合が終わると、あとは3on3の練習などになり、やがて終わりの時刻がやってきた。

 次は二日後だ。

 体育館はバレー部や、他の運動部も使うので、使用日はローテーションとなっている。


「おつかれさまでしたっ!!」


 解散して、更衣室へと向かう。

 体育館から校舎へと伸びる渡り廊下を歩いていると、千明が後ろからやってきた。


「おーい透子! どうした? 今日……やっぱ体調悪かったんじゃん。大丈夫?」

「うん。ごめん……」

「いや、謝る事じゃないけどさ」

「そうじゃなくて、寝不足とかじゃなくて……。わたし、大地君の事意識しすぎちゃってたなって、だから……ごめん」

「なんだ、なんだ。そっかー! まあ、今朝あんなことあったしねえ、気にするなっていう方が無理だよ。うちら一応、まだ若い乙女、なんだし?」


 にひひっと千明はいたずらっぽく笑う。

 気を使わせちゃったなと思いながら、透子はさらに罪悪感を抱いた。


 そうじゃないんだ、と。

 前から意識しすぎちゃってるんだ、と。

 今日はより意識する要因ができたかもしれないけど、根本的に変わらなければみんなに迷惑をかけちゃうんだと、そう言いたくて……言えなかった。


 無理だ。

 たとえ男子を意識してたとしても、そんなのは技術の向上とは、努力とはなにも関係がない。

 それを軽々と飛び越えて、上達してしまっている千明には、透子はとても言い出せなかった。



 * * *



「じゃあね、透子ー。気を付けて帰るんだよ!」

「うん、ありがとう。また明日ね、千明」


 校門前で別れる。

 千明と透子の家は、それぞれ正反対の方向だ。

 そのため、帰りがけにどこかに一緒に行くということは、めったにしない。休みの日には一緒に遊びに出かけたりもするが、基本的に毎日の部活帰りはまっすぐに帰る。


 しばらく自転車をこいでいると、後ろから自分を呼ぶ声がした気がした。

 なんとなく振り向くと、そこにはあの大地君がいるではないか。


「えっ、なんで?!」


 透子はハンドル操作を間違えそうになって、あわてて自転車のブレーキをかけた。

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