2.肉(盗賊)を食らい、発声を手に入れる!
「豚鬼は普通このあたりには居ないんですが――もしかしたら“はぐれ”だったかもしれないです。たまに各所を転々と放浪しながら、略奪を続けるような性質の悪い豚鬼がいるんですよ」
「うー」
その豚鬼とやらを食い終わってから、すでに2時間は経っている。
だいぶ歩いて気づいたことがひとつ。この身体はまったく疲れない。ナイスゾンビ。
ところがどっこいゾンビに転生したことで、決定的に変わったことがひとつ。
客観的に考えると、精神構造が明らかに変わっている。前世の人間としての“常識”がどこかに吹き飛んでしまっていて、ゾンビの“常識”――食欲を中心に物を考えるという考え方が、脳味噌に染み付いてしまっていることが分かる。
…点じゃなきゃ、目の前の肉を食おうと思って尾けたりはしねえよな。
「まあ屍人さんも一緒です。この森は基本、そういう怪物はいなくて安全なはずなんですけどね」
「うー」
「だから前衛の方がいなくても大丈夫かな、って思って入ったんですけど。……失敗でしたね。ほんと」
「うー」
「駆け出しの魔法使いと組んでくれる人なんか、全然いないんで……」
「うー」
しかし相槌代わりに呻き声を上げるのも面倒くさくなってきた。
しかも歩けば歩くほど、腹が減ってくる。
あれだけ――100kgないし150kgくらいの肉塊を食ったというのに、こりゃもたないな。
これでたとえ目の前の肉を食ったとしても、大して腹の足しにならないことが証明された。
なんとかこいつを使って、他の肉を釣り出すべきだ。
でも、いよいよ食欲が抑えきれなくなったら、食っちまうんだろうな。
……そんなことを考えていると、腐りかけの五感とゾンビ特有の第六感が、肉の存在を探知した。肉は3体。前方の木陰に潜み、じっとしている――こちらを窺っている。金属が擦れる音、小枝を踏み抜く音。明らかに、非常食の仲間、味方ではない!
「うー! うー!」
「えっ、どうしたんですか。急に騒ぎ出して!?」
のん気な非常食はこちらを振り向いて、きょとんとしている――馬鹿、来るぞ!
俺が騒いだせいかは分からないが、前方の木陰から3体の肉が走り出る。手には短剣や大剣、戦斧。
――盗賊の類か。目論み通りだな、この非常食がまんまと釣り上げてくれたってわけだ!
「こっちは押さえた!」
「よっしゃ、あとは頭を潰して終わりだぜえ!」
3体の肉の内、1体はこっちを向いたまま無防備を晒す非常食を羽交い絞めにし、残る2体はそれぞれ大剣と戦斧を振り上げて、こっちへ突進してくる。
頭を潰す、と言ったか。
ゾンビ映画のお約束だよな。
だがこっちからすれば、頭さえ守れば致命傷にはならない、ってことだ。
「う゛ぉ、う゛ぉおおお゛おぉおおぉお!」
しかし美味そうな肉が、向こうから走ってきてくれるとは。最高のシチュエーションだな! 程よくついた筋肉、興奮状態で早まる脈動。早くその血管をぶち破って、新鮮な血を浴びるように飲みたい!
先頭の肉塊が大剣を振り下ろす――それを上半身を大きく揺らして避けた俺は、渾身の力で彼の喉笛を掴み、引き千切った。鮮血のスプリンクラー。そのまま、どん、と身体を押してやるとそのまま後方へ倒れていく。
「化け物がァ、死ねえ!」
後続の肉は怒鳴りながら、戦斧を振り被る。
こっちだって馬鹿ではない。
この後、横薙ぎで振るわれるであろう戦斧の刃の軌道は、簡単に読める。
……当然の如く、相手は頭狙い!
「えっ!?」
上半身を仰け反らせて戦斧の刃を避けた俺は、一気に屠りに行く。
呆けている肉の顔面を掴み、握力を込める――と、簡単に頬骨が砕け、眼球が飛び出て来た。そのまま首筋を噛み破り、皮膚と肉と血管を一緒くたに食いちぎる。申し訳ないが、後先考えずに大振りの一撃を繰り出してくる方が悪い。
「ちょ、ちょっと待てッ!」
いま倒したばかりの新鮮な肉を味見していると、残る1体の肉が怒声を張り上げた。
見やれば非常食の腰に左腕を回し、右手に持った短剣の切っ先を非常食の喉へと突きつけている。
……? 人質のつもりか?
そう考えていると、やはり肉は「大人しくしてろ、じゃねえと……お前のご主人様の喉を掻っ切るぞ!」などとのたまった。
「うー」
度し難い馬鹿だ。
そいつは非常食であって、俺の主人でも、仲間でもないというのに。
「う゛ぉおおおぉおお――!」
次の瞬間、俺は駆けていた。
人質を取って優位に立った、と勘違いしていた肉。そいつが、「は?」などと呟きながら、呆けた表情をするのが見えた瞬間には、もう至近の距離。
短剣を握る肉の右手首を掴んで握り締めてやると、それだけで骨が砕け、血肉が搾り出される。
「あっ、あぁああぁあああ゛っあ」
意味をなさない悲鳴を上げる肉。その大口へと左腕を突っ込むと、俺は彼の舌を引き摺り出してやった。
うん、おいしい!
獲れたての舌を口の中に放り込むと同時に、ブルって動けなくなっている非常食の胸元を掴み、後方へ放り投げる。
それから俺は、目の前の肉をじっくり解体しはじめた。
やはり先程の豚鬼に比べると量は足りないが、単純に眼球など部位ごとの数は多くなっているので、これはこれで良し。
新鮮な肉は、固くならない内にさっさと食らうべし。
ゾンビの常識から、解体し終えた肉を俺はこの場で食いはじめた。
「また、そのっ……あ、ありがとうございました……」
肉を口に運ぶごとに、全身に力が漲ってくる。脳味噌に栄養が行き渡るのが分かる――そんな最高の食事を摂っていると、またもや非常食が話しかけてきた。
「本当に、どじ、ですよね。ごめんなさい……」
そんなことない。
お前は他の肉を釣りだす“撒き餌”として、すげえ有能だってことが分かったからな。
俺は肉袋から湧き出してくる血で喉を潤すと、頑張れ、というつもりで声を上げた。
「がん、ばえ」
「え?」
ぽかんとする非常食を前に、俺も「え」、と思った。
喉の具合がよくなって――喋れるようになった。もちろん転生前ほどではない。声もかすれ声みたいなもんだ。それでも呻き声オンリーよりはよっぽどマシ。
喋れるようになった原因には、心当たりがある。
血肉をむさぼるごとに、五感の働きが向上している。そんな気がする。
もしかすると喉も食事によって回復したのかも。
「すごいっ、喋れるんですか!? ゾンビなのに!?」
「しゃべ、えう」
頬を紅潮させ、目をキラキラ輝かせて聞いてくる非常食に、俺はなにがそんなに珍しいんだと思いながら、返事をした。