銀色との出逢い
結局その日の講義はほとんど頭に入らなかった。
無論、朝の忌々しい白昼夢のせいだ。
それだけではないかもしれないが。俺は勉強が大嫌いだし。
将来に夢がないのにがむしゃらに勉強しても……なんて考えてしまう典型的ダメ思考の持ち主だ。
念のため、あくまで念のため、その夢……というか非科学現象の内容は誰にも話していない。というか話せるわけがない。
それは別に真っ二つに斬られるのが怖いからではなく、いよいよ公に危ない子として認知されてしまうのが怖いからに他ならない。
「あぁ……もうすぐ家着いちまう……」
ここ最近俺は家に帰ることが嫌で仕方がない。決まってある話題を出されるからだ。
今日は5限までキッチリある曜日だったから、今は既に19時を回っている。
確実にあの人いるだろうな……。
ガチャッ、ギギギギ……。
なるべく音を立てないように静かに玄関の扉を開けるが、立て付けが悪いのかどうしても音が鳴ってしまう。
「あら、帰ってきたの」
居間から母親が出てきた。
やっぱり帰宅がバレたか。一番バレたくない人に。
「あ、あぁ……ただいま」
「授業どうだった?」
おかえりの一言すらない。
「えーと……」
正直今日の授業への集中力欠如はいつも以上に酷かった。今朝のことのせいで。
「……あのねぇ準」
ため息をしてから母親は続けた。
「去年も16単位ぐらい落としてたわよね。今年もそんな事する気なの?そのペースだと留年確定じゃない。パパになんて言い訳するの?自分で5年目の学費ぐらい出すのかと思ったら、ロクにバイトもしないで」
「それは! ……面接に落ちるからで……」
本当のことだった。7戦7敗という全敗。
割とところかまわず色々なジャンルのバイトの面接に挑んでいるが、どこもやはり本当は経験者の方が欲しいのである。俺だって経営側だったらきっとそうだろう。
しかしそんな会社のエゴのおかげで、俺はいつまで経ってもバイト未経験。完全に負け組スパイラルにハマっていた。
「最後まで聞きなさい! そんなことで一々挫けてどうするのよ!就活なんてもっと大変なのよ? そもそも準の夢は何なのよ!夢がなくちゃ勉強なんて頑張れるわけないじゃないあんなつまんないもの! どうして小学校の頃からの夢をあんな簡単に諦めたのよ!」
「それは……どうでもいいだろ!」
毎晩毎晩この手の話だから俺はいい加減ウンザリしていた。
一日で夢やバイトが見つかるほど『世界』は甘くないっての。
「どうでもよくないわよ! 準だっていつか誰か大好きになった人と結婚するでしょう?その時に仕事を持っていなかったら、どうやって家族にご飯を食べさせるのよ!ヒモにでもなる気なの?そんなの絶対許さなわいよ!」
「……」
恋愛関係の事を話題に出されるだけで、過去の告白玉砕経験が脳裏をよぎる。
母さんは知らないんだ。その度に俺がどんなつらい思いをして枕を濡らしたか。
知らなくて当然だ。思春期真っ盛りだったのだから、告白失敗したなんて親に相談なんて恥ずかしくてできるわけがない。
玉砕の次の日なんて、本当は学校をサボって一日中泣いていたいものだが、それでも俺は無理な作り笑顔を周りにして、何も起きてないように振舞った。
俺の耳には幸いあまり入らなかったが、女子の中では俺が◯◯ちゃんに告白して玉砕したというキモイキモーイ噂は、さぞ美味しい話のネタになってたことだろう。
そんな陰口に苦しいけど耐える……そんな俺の状態変化に気づかない親……。
「……もう、ほっといてくれよ!」
キレてしまった。デリカシーな問題に親だからとズカズカ侵入してこられたことに。
「ほっときますよ!準はもう二十歳なんだから! 自分のことは全部、ぜーんぶ自分で何とかしなさいよ!」
「するよ、してるよ、やってるよ!」
「じゃあ出ていきなさい!」
「は?」
「住むところも自分で何とかしなさいって言ってるの! 出ていきなさい!!」
母親は俺の腕を掴んで玄関の扉を開け、外に俺を放り出して扉を閉め、鍵をかけた。チェーンの音もした。
「……くそっ!!」
一回だけ扉を拳で殴って、家の敷地から出た。
こんな悪態をついたのは、中学の反抗期以来かもしれない。
それでも俺は今までに、「クソババア」とか「死ね」とか親に対して言ったことがない分、他の連中の反抗期よりだいぶ大人しい方だと思っているが。
扉から離れるとき、扉の裏側から母親のすすり泣く声が聞こえた気がしたが、聞こえないふりをした。
「……詰んだな」
家を追い出されて、俺が落ち着くのにそんなに時間はかからなかった。
残金278円。今晩のところはとりあえずナクドナルドの100円ナックで済ませたが、この金欠状態で明日からどうやって生きていけと。バイトもしてないから、通帳やクレジットカードの類の物も持ってない。
そして携帯の電池もついに0になってしまった。泊まれそうな心当たりのある仲の良い友人達への電話で消費したからなのだが、それぞれに事情があって泊まることは不可能だった。
更に寒い。春とはいえまだ4月半ば。昼は暖かいが夜は寒い。中途半端に薄着を着ているせいで夜風が身に染みる。
「ホームレスってこんな気持ちなのかねぇ……」
いや下手するとホームレスより酷い装備なのかもしれない。だって段ボールで寒さを凌いですらいないのだから。
そんな現実逃避してるのかしてないのか分からないバカなことを考えながら歩いていたら、今朝金髪美少女に会ったあの公園に着いた。
この公園は夜、トイレから若い男女のあの独特の声が聞こえるようなそんな公園ではないから、普通に無人だった。
「もう今日はここでいっか……」
寒いし硬いが、俺は公園のベンチに仰向けになることにした。
公園備え付けの時計の方に首だけ向けると、22時48分だった。
「ていうかこれだと、仮に明日から勉強頑張るとしても、教科書家にあるじゃんよ……」
皮肉と嘲笑を込めて自分にぼやく。
「どうしたもんかねぇ……」
とりあえず幸いにも大学までは徒歩で行けるから、それで明日学校の友達にお金を借りるなり泊めてもらえないか聞いてみるなりしてみよう。そうしよう。
方針だけ決めたところで、俺は目を閉じた。
風が吹いた。
「さっむ」
「オマ、エ、ウマソ、ウダ、ナ」
「え」
その言葉の意味を考え始めた瞬間、人間の手のような、でも一切の温もりもないどころか、何とも言えない不快な感触が俺の首を捕らえ、片手で俺を持ち上げた。そして首を絞めてくる。
「っ!!はな、せ……!!」
しかし離すどころか、そいつはどんどん俺を持ち上げ、俺の足は地面から浮いた。
脳に酸素が行かなくてどんどん身体に力が入らなくなってくる。
「ウ、マソウ」
俺は苦しみながらも目を開けてそいつの姿を見た。
今朝、あの金髪美少女が消滅させたあいつらだった。表面真っ黒、体の輪郭がテレビの砂嵐、伸び縮み自在の軟体、目に当たる部分だけ不気味な白い丸。
忘れろってあの金髪美少女に忠告されたのに、まさかそっちから出向いてくるなんて……!
幸い一体しかいないようだが、それでも俺の敵う相手じゃないみたいだ。
俺の首を絞める腕を解くどころか、接触すら敵わない。足をジタバタさせて腹部あたりに蹴りを入れてみるが、まるで感触がない。
絶体絶命。
「イタ、ダ、キ、マス」
黒いモノが口のようなものを開けて俺の足から自分の体内に飲み込もうとする。その中もまた闇。
ああ、たしか生前善い行いをした人は、死んだ時天使が迎えに来てくれるんだっけ。
逆に悪い奴は、黒いサンタクロースに内蔵を剥ぎ取られるんだっけ?
じゃあこいつもそういう類のやつなのかな。
俺、何かしたかな?あ、親不孝か。超親不孝だ。
勉強もろくにしないで、夢も持ってなくて、バイトしてなくて。
これじゃニート一直線だもんな。社畜や底辺会社員どころか、屑だもんな。寄生虫だもんな。
こんな死に方はそれの罰なんだな。むしろ早く死んだ方が、寄生する間もなくて役に立つってか。ならありがたい。
「……母さん、出来の悪い息子で、ごめんな……」
俺はいつの間にか少し涙を流しながら、最後に謝った。
「てやぁっ!」
女の子の声が聞こえると同時に、首を掴んでいた不快感が消え、喉を新鮮な酸素が通り、足から無様に地面に落ちた。
グギッ。
急なことだったので着地失敗、足が痛い。お姉さん座りのように崩れる。立てない。
顔を上げると、黒いモノの姿はそこにはなく、代わりに今朝の金髪……ではなく、別の少女が立っていた。
下から見上げる形だから分かりにくいが、少女といっても俺と身長は大して変わらないように見える。170前後ってところだ。
公園の街灯の光を受けてキラキラと輝く銀髪のロングヘアー。闇夜に爛々と輝く緑の目。
頭にはハンチングを被っており、それに合わせるように服装も全体的にボーイッシュでまとめられているが、肩を片方だらしない感じに出しているし、おヘソをちらつかせているし、ジーンズのホットパンツを履いている所など、無防備というか隙のある格好だ。
足に履いてるオーバーニーソックスが、今朝の金髪美少女と全く同じデザインの、黒地に白の星が散りばめられ左足はそれに流れ星が混じるという珍しいデザインであることに俺は気づいた。
「けほっ。ありがとう。そのニー……」
そう言いながらニーソックスから視線を上に上げ彼女の顔に焦点を合わせると、視界の端にすごく物騒な物が映っていることに気づいた。
彼女は斧を持っていた。それもとてつもなく大きな斧。
柄だけで3mはありそうだ。その先にある刃のある部分は、ファミレスのお二人様用席のテーブルを3つ繋げたぐらいの刃渡りがある。
しかもそれを片腕で、左腕で軽々しく肩に担いでいる。ありえない。
「ひぃっ!ちゃんと親孝行しますから。いつかオレの収入で両親を温泉旅行に行かせますから!!どうかお許し下さい死神様ー!!」
本当は正座して土下座したいところだが、足が使いものにならないので、とりあえず必死に両手を擦り合わせて拝む。
「死神……?あぁこれですね。ごめんなさい」
彼女はそう言うと、斧はたくさんの光の珠になって空気中に消えた。彼女の目も普通の黒い目に戻った。
「……」
俺は今朝に引き続く目の前のいろいろな現象に、開いた口がふさがらない。
「……あー……、それも魔法……なのか?」
もし違った場合、俺は今とんでもなくイタい発言をしてることになると思うとためらわれたが、やっぱり好奇心が勝って聞かざるを得なかった。
「ん? 魔法をご存知ということは、貴方はこっちの人です?」
「……いや、それはよく分からないけど……」
「それより足大丈夫ですか?さっきすごい音がしました……」
「……あ、ああ。大丈夫……っ……!! ……じゃないらしいな。立てん」
「んー、どうしましょう。私は回復術使えないし……お姉ちゃんなら治せるかもしれません。家に来ますか?」
「や、でも、もう夜遅いし、女の子の家に上がり込むのも……。大丈夫だよ、救急車呼ぶから。……あっ!」
「ん?」
「いや、なんでもない……」
そういえば携帯の電池切れているのを忘れていた。
交番まで行ったら救急車呼んでくれるのかな?でも、まずそこまで歩けないわけだが。
そうだ、この女の子に携帯を借りれば……。
「携帯貸してくれる?」
「……ごめんなさい。ちょっと外に出たついでなので、家に置いてきてますです……」
女の子がメアド交換を拒否するときにも似たような言い訳があるが、顔が本当に申し訳なさそうなので、置いてきたことは本当なのだろう、きっと。
「いや大丈夫だよ。あー……明日になったら治ってるって、うん」
「だめですよ! 早めにちゃんと治療しないと、悪化するかもしれません。私が保証します!」
……俺は今何を保証されたんだ。
「治すことはできないけど、ちょっと浮かせることなら私にも出来ますし、足の先が痛いだけですよね?なら膝を伸ばすことは出来ますから、それなら、膝を伸ばしたまま浮いて移動すれば、足の負担もないと思います。どうでしょう?」
「うーん……じゃあ浮かせてくれたらそれで交番に……」
「身体が浮いてるのを見られたら、お化けだと思われますよ?」
「う」
それはまずい。今朝の金髪美少女も俺のことをなんとかかんとかと言っていたが、あくまで俺は一般人!
あの子なりの言い方をすれば外の人!
つまりこの子はあの子の言い方をすればこっちの人……ってあーもう!わけわかんなくなってきたー!
「……じゃあ、お願いします……」
これ以上粘っても逆にかっこ悪くなりそうなので、好意に甘えることにした。
「はい、そうしましょう」
そう言って彼女はどこからか杖みたいなものを取り出した。先に野球ボールほどもある大きな緑色のエメラルドが付いている。
「全知全能なる我らが天の王よ。そなたの浮遊の力を我に貸し与え給え」
何やら呪文のように綺麗な発音で滑らかに唱えて、エメラルドの部分で俺の肩をポンと軽く叩くと、俺が10cmほど地面から浮き上がった。
そのまま立ち上がると彼女の目は俺より約10cm下だった。やっぱり身長は同じくらい、170前後だろう。
「さ、行きましょう。暗いから足元が浮いてるの見えにくくてラッキーとは言っても、バレたら厄介です」
「お、おう……」
結局押しに負けて、彼女の家へ向かうために公園を出た。
「あ、そういえば」
「ん?」
今度こそ聞こう。別の子になっちゃったけど。
「名前なんて言うんだ?あ、俺は高橋準な」
「私はアリフです。よろしくね、高橋さん」