01 青い血
「悪魔だ……!」
少女の腕から滴る青い血を見て、少女の父親であるはずの男は唇を震わせた。
その場にいた誰もが——少女自身も——驚愕に満ちた顔でその血を見つめていた。
言うまでもなく、人間の血は赤だ。
人間以外の動物も、この世に蔓延る魔物と呼ばれる生き物すらも、赤い血を持ってる。
なら、青い血は。
まるで空の色を溶かしたような青い血を持つ少女は、いったいナニモノなのか。
男のつぶやきが、答えのようだった。驚きは恐怖へと変わり、伝播していく。
その瞬間、美しいと褒め讃えられた容姿も、お優しいと感心された性格も、少女への印象が塗り替えられた。人間を誘惑し堕落させる、全ては悪魔の罠だったのだと。
「捕らえよ、あれは私の娘ではない!」
叫ぶ男の言葉に、少女を取り囲む兵達に、少女は“違う”と返せなかった。少女自身が、自分が何者かを知らなかったからだ。生まれてからずっと人間だと、父の子であると疑わずに生きてきた。
世界が音を立てて崩れていく。
「たすけて……」
少女はただ、言葉を零すことしか出来なかった。
誰に助けを求めればいいのかも、分からなかった。
*
私は、殺されるのだろうか。
両手を繋いだ鎖を引かれ歩きながら、少女はぼんやりと思う。
少女を連れて行く兵が呪われぬようにと両の目は潰された。髪には魔力が籠るからと、自慢だった琥珀色の髪も短く切られた。瑞々しかった唇は乾き、割れてしまった。
汚れて擦り切れた布切れのようなワンピースを着せられ、素足で地面を踏む。
足が、まるで砂袋を結ばれたかのように重かった。
「にゃーん」
足下で猫の鳴き声がした。
どうしてこんな所に、猫が。少女は猫を踏み潰さないよう、慌てて足を止めようとして、気づく。
足が動かない。足だけじゃない。体が硬直したように動かない。少女の手を繋いだ鎖が引っ張られることもない。
いったい、なにが起こっているのだろう。
困惑していると、ざり、と地面を擦るような足音がした。
「こいつがなんだか騒がしいと思ってきてみれば、なんだい、こりゃ」
低く、ざらりとした老婆の声だ。風すら止まった世界で、老婆と猫だけが動いている。
「ああ、ひどいね。目も、喉も潰されている。こんな若い娘になんてことを」
少女を覗き込んだ老婆が、嘆くように息を吐く。
「おまえさん、なんてったってこんな目に遭ったんだい?」
「…………」
声を出そうとするが、潰れた喉からヒューヒューと音が鳴るだけだった。
「ああ、ちょいとお待ちね」
老婆の太い、皮膚が厚くなった指が少女の喉に触れた。その指先にほんの少し力が入る。
「いいかい、ここだ。ここに意識を集中させるんだ。体を巡る血液をここに集めるんだ」
血液。皮膚の下を流れる、私の、青い血。ああ、嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ!
忌まわしい。気持ち悪い。こんな血が流れているから、私は————!
「……あ゙、お゙……」
「うん?」
「あおい、ち……ながぇ……る、ぁら……! にんげ、じゃ……あぐま゙、だ……っぇ……!」
酷い声だ。とても自分の声とは思えない。息が乱れて、上手く発生できない。まるで、低級の魔物のような。
目の奥が熱かった。鼻の奥がツンとする。なのに、潰された目からは涙さえ流れない。
「悪魔に青い血が流れているなんて、どこの誰が言ったんだい、まったく。人間はばかだねえ。まあ、生き物なんてものは、どれもたいがいばかだけどね」
やれやれ、とため息をつく。
「それで、おまえさんは」
きらりと光る目と、目があった気がした。潰されていて見えないはずなのに。
「このままでいいのかい? 生きたくはないのかい?」
「……わから、ない」
ぽつり、こぼれた声は、いつもの少女の声だった。
「生きていていいのか。死んだほうがいいのか」
「生きるべきか死ぬべきかを聞いてるんじゃないんだよ、アタシは」
とまっていた風が、頬を撫でた気がした。
「生きたいかって聞いてるんだ」
生きたい?
「……わからない」
青い血を見るまで、地下牢入れられる三日前まで、少女は未来を信じていた。明るい未来。このまま成長して、結婚して、子供を産んで——そんな幸せな未来を疑いもしなかった。
けれど今は、何も見えない。
自分が生きたいのか、死にたいのかさえ分からない。
「じゃあ、質問を変えよう。死ぬのは怖くないかい?」
少女は、はっと息をのむ。
唇が震えた。
「怖い」
ああ、私、ずっとずっと、怖かった。
そうだ。助けてほしかったんだ。
「すごく、怖い」
誰かに「あなたは悪魔じゃない」と言ってほしかった。
「なんて酷いことをするの」と抱きしめてほしかった。
世界に光が差す。
明るく鮮やかな世界で、薄い紫の髪を結わえた老婆がにやと笑った。
「なら、おまえさんに猶予をやろう」




