第二十二話 崩れゆく方程式
敗北――。
その二文字を痛感させられたかのように、冷泉が踏み砕いた最高級の魔導デバイスが、埃まみれの床板の上で無残な金属片へと変わる。
「はは……、ははははっ!」
乾いた、どこか狂気を帯びた笑い声が、古びたトレーニングルームの天井に反響した。
冷徹な天才として国内外のメディアを賑わせ、常に優雅な微笑みを崩さなかった冷泉の顔は、今や嫉妬と絶望、そして受け入れがたき現実への拒絶によって見る影もなく歪み切っていた。
(認められるものか。あんな、泥臭いだけの老いぼれのやり方が『最強』だなどと証明されてしまえば、僕が今まで積み上げてきたすべての努力と理論が、ただの道化の笑い話になってしまう……!)
冷泉の心にあるのは、自分が信奉してきた「才能と科学的合理性」という絶対の信仰が音を立てて崩れ去る恐怖だった。
自分のやってきたことのすべてが否定される――その圧倒的な精神的屈辱のなかで、彼の脳裏にはかつて自分がこの部屋を飛び出したときの光景がフラッシュバックしていた。
『先生、こんな無駄な基礎訓練に何の意味があるんですか?』
『意味か。いざというとき、お前の命を繋ぐのは最先端のギアではなく、お前の忍耐力だからな』
あの時、冷泉は鼻で笑ってその言葉を切り捨てた。
時代遅れの老人の戯言だと、一蹴して自分の選んだ道を進んだ。
それなのに、目の前に立つこの男は、あの日の言葉通りの姿で、すべての最先端を無力化してみせている。
「……ふざけるな」
冷泉はワナワナと震える手で懐を探り、次なる起動コードを指先で叩き込んだ。
プライドをズタズタに引き裂かれた彼は、もはや冷静な計算論理など忘れていた。残されたのは、目の前の「許しがたい真実」をねじ伏せるための、歪んだ執着と破壊衝動だけだ。
「まだだ……まだ終わらない。僕の計算が間違っているわけがない。環境が、条件が、この古臭い空間が不確定要素を生んだだけだ……!」
冷泉の叫びとともに、彼が身につけていた特製の魔導コートが激しく明滅する。
空間転送陣のコアが強引に起動し、周囲の空間が不気味に歪み始めた。
「これならどうかな、先生! あなたのその『基礎』とやらが、完全に通用しない極限世界でも同じ口が叩けるのか、試してあげますよ!」
ピキィィン……!
冷泉が展開した違法級の重力転移ポータルが、トレーニングルームの一角を無理やり引き裂く。
そこに広がっていたのは、かつてストライド社が放棄した、魔力圧が乱高下し、あらゆる物質が重力に押しつぶされる荒廃した特務ダンジョンの深層エリアだった。
「さあ、落ちろ! その薄汚い基礎ごと、二度と這い上がれない極限の底で、自分の無力さを絶望しながら味わうといい!」
冷泉は冷酷な笑みを浮かべ、粕谷をその過酷な異空間へと無理やり引きずり込もうと、転送の魔力を一気に最大値へと引き上げる。
ゴーッ……! と空間の裂け目から異界の重圧が吹き荒れ、古びた床板が悲鳴を上げて剥がれていく。
だが、そんな圧倒的な空間吸引力を前にしても、粕谷は慌てるどころか、ふっとやれやれと息を吐き出した。
「お前なぁ……自分の思い通りにならないからって、ダンジョンの空間ごと引っこ抜くとはいい度胸だ。相変わらず、器用だけど短気だな」
「うるさい! その余裕ぶった面が、どう歪むか見せてやるよ!」
冷泉の絶叫とともに、ポータルの引力が限界突破を迎える。
空間が激しく明滅し、粕谷の足元がふわりと浮き上がった――かに見えたその瞬間。
粕谷はむしろ、そのポータルに向かって一歩を踏み出し、なんと、自ら進んでその歪んだ空間の裂け目へと身を投じたのだった。
「なっ……自分から飛び込んだ……!? 抵抗すらしないだと……!?」
冷泉の予測していた「力と力のぶつかり合い」という計算式が、相手の想定外の行動によって完全に狂わされる。
力の均衡が急激に失われ、バランスを崩した冷泉の足元がふらついた瞬間――暴走したポータルが、その隙を逃さず逆流の牙を剥いた。
バリバリバリッ……! と空間が悲鳴を上げる。
「っ……、しまっ……!」
重力制御のバランスが完全に崩壊し、ポータルから噴き出した異界の引力が、今度は操作しているはずの冷泉自身の足元を強烈に捉えた。
「うわっ……あぁっ……!」
最新鋭の魔導コートがパキパキと音を立ててひび割れ、冷泉の身体が重力の奔流に逆らえず、宙へと引きずり上げられる。
自分が作り出した地獄の深層へ、自らもまた呑み込まれていくように。
「ばかな……僕が……僕がこんなところに……!」
絶叫を残し、冷泉の姿もまた空間の裂け目へと吸い込まれていく。
閉じゆくポータルの向こう側――荒廃した特務ダンジョンの深層で、二人の因縁はさらなる極限の舞台へと移ろうとしていた。
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