可哀想な病弱令嬢を演じ続けた妹は、もう誰にも愛されない
静かにノックをすると、しばらくの沈黙の後「どうぞ」と返って来た。
恐らく髪でも整えていたのだろう。
そんなことを予想しつつ、イリーナ・シュヴァルツは静かにドアを開けた。
「失礼するわ」
ベッドの上の少女は、イリーナを見て驚いたように目を見開く。そして直後、忌々しそうに眉を顰めた。それは一瞬のことだったが、イリーナは見逃さなかった。
真っすぐなミルクキャラメル色の髪に、淡緑色の大きな瞳。陶器のように白い肌とほっそりとした手足が、今にも消えてしまいそうな儚げな印象に拍車をかけている。
彼女の名はユリアナ・シュヴァルツ。イリーナの妹である。
ユリアナは幼い頃から身体が弱かった。季節の変わり目や気圧の変化ですぐに体調を崩し、ベッドで寝込んでいた。両親はその様子に心配し、心を痛めながらユリアナへの看病や治療に手や財を惜しまなかった。
もちろんイリーナも病弱な妹を心配し、何か自分に出来ることがあれば、と率先して世話を願い出た。幼い頃は本を読み聞かせたり、擦り下ろした果物を手ずから食べさせたりもした。成人してからは自身が見聞きした話を聞かせたり、欲しいとねだられた物をプレゼントしたりもしたが……。
その回想を軽く頭を振ることでやり過ごし、イリーナはベッドの傍らの椅子へと座った。
「ユリアナ。あなた、またミハイルを呼び戻そうとしたそうね?」
ミハイルはイリーナの『弟』にあたる存在。淡い亜麻色のくせ毛に、濃い黄緑色のたれ目がちな瞳を持ち、見た目に違わず穏やかで柔らかな性格の好青年だ。
彼はオフィーリア・クラウゼン伯爵令嬢の婚約者でもある。顔合わせの時から互いに好印象を抱いたようで、今は茶会や逢瀬で少しずつ仲を深めている所なのだが……。
「しかも理由が『体調が悪いから』なんて……。邸にはお父様とお母様がいらっしゃったし、あなた付の使用人だっているじゃない。何故ミハイルを呼ぶ必要性があるの?」
そう尋ねれば、ユリアナは一瞬唇を結んだ。だが、すぐに目を静かに逸らして儚げな表情を作り、口を開く。
「ミハイルお兄様が一緒にいてくださると、安心するの……」
か細く震えた声。
表情と相俟って、なんとも同情を誘うような姿だ。
しかしイリーナの表情は変わらない。
「あら、わたくし達『家族』では力不足なのね、それは申し訳ないわ」
「そ、そんなつもりじゃ……」
さすがにマズイと思ったのか首を弱弱しく振って否定するユリアナ。
だが容赦をするつもりはない。
「それに加えて、体調を崩すのは決まってミハイルがオフィーリア様とのお茶会や逢瀬の時なんて……」
「偶然ですわ」
「3度も続けばそれは必然になるの。偶然だとしたら、なんとも器用な身体ね」
そう切りつけるように言えば、淡緑色の瞳が潤んだ。それは雫となり、ほろり、と白い頬を伝い落ちる。
泣くのにもすっかり慣れてしまって、とイリーナは内心で溜息を吐いた。
「あなたの考えていることなんてお見通しよ。ミハイルに婚約者がいるのが気に入らないんでしょう? この婚約はクラウゼン家が家名を維持するために結ばれたものと説明した筈よ」
「で、でも! そんな理由で婚約をするなんて、ミハイルお兄様が可哀想だわ!」
「可哀想かどうかは、あなたが決めることじゃないわ。それに、2人の仲は順調そのものよ」
「う、うそよ!」
「嘘じゃないわ。あなたの所に来なかったのが何よりの証拠じゃない」
まあ『ユリアナのことはわたくし達に任せておいて。誰が呼びに来ても帰らなくて良いわ』と事前にミハイルに言っておいたせいでもあるのだが、それを口にする気はない。
「ああ、あなたに同情して茶会や逢瀬の『妨害』をした使用人は全員解雇したわ」
「なっ……!」
「主人の顔に泥を塗るような真似をしたのだから当然でしょう?」
貴族の婚約をなんだと思っているのか、とイリーナは目を狭めた。
ユリアナは怒りに燃えた瞳で、わなわなと身体を震わせている。
「どうしてっ……!? わたくしの方がミハイルお兄様のことを」
「お慕いしているのにって? ……それがどうしたの?」
予想外の質問だったのか、ユリアナの目が見開かれる。淡緑の瞳にもう涙はない。
それに構わず、イリーナは告げる。
「あなたは結婚できないわよ」
「……っ! ミハイルお兄様とわたくし達は、血が繋がっていませんわ!」
ユリアナが叫んだ通り、ミハイルとシュヴァルツ家は血の繋がりはない。彼は父の学生時代の親友の息子なのだから。10年程前、その親友夫婦が流行り病で相次いで亡くなり、身よりがなくなったミハイルを父が哀れに思い、養子としてシュヴァルツ家に引き取ったのだ。
そのため、先程は便宜上イリーナの『弟』と表記したが、実際には『義弟』。ユリアナにとっては『義兄』ということになる。
「それがどうしたの? そのようなこと分かり切ったことでしょう」
何を今更、とイリーナは小さく溜息をついた。
「それで? 今度は幼い頃からミハイルお兄様はわたくしのことを気にかけてくださいましたわ、とでも言うつもりかしら? それは『家族』として、そして『恩人の娘』としての情があるからに過ぎないわ」
「そんなことっ! お姉様が勝手にそう思っているだけですわ!」
「では何故ミハイルに婚約者がいるのかしら?」
「それは、家同士の政略で無理やり!」
「違うわ」
叫ぶように言いつのるユリアナの言葉を、イリーナはバッサリと斬り捨てる。
「確かに婚約は政略によるものよ。だけど、ミハイルには『断る』という『選択肢』が用意されていたの」
クラウゼン家は広大な葡萄畑を有しており、ミハイルが婿入りすることによって豊かな領地と醸造事業を継承できる可能性が浮上するだけでなく、縁を結ぶことによってシュヴァルツ家にも箔が付く。
しかし、他家からも充分に好条件の縁談が来ており、無理にクラウゼン家を選ぶ理由はなかった。
それらを噛み砕いて説明してやれば、ユリアナの顔から見る見る内に血の気が引いていく。
「あなたが夢見がちで想像力が豊かなのは結構だけど、これが現実。いくら目を逸らしたところで無駄よ」
「うそ、嘘よ、そんなの……ミハイルお兄様が、わたくしを捨てるなんてありえない……」
呆けた顔でぶつぶつと妄想の世界に逃げようとするユリアナだが、そうはさせない。
「ここからが本題よ。あなたの処遇が決定したわ」
そう言うと、のろのろと淡緑色の目がこちらを見た。
「あなたにはエミール・ラヴェル伯爵の下へ行ってもらうから」
「……っ!」
絶句するユリアナに構わず、イリーナは言葉を続ける。
「そんなに警戒しなくても大丈夫よ。だって」
すう、とイリーナは妹と同じ色の目を細めた。
「今までと同じように過ごせば良いだけよ」
「え……?」
困惑するユリアナに、イリーナは言葉を紡いでいく。
「ベッドの上で寝たまま過ごせば良いとのことよ。衣装も食べる物も最上のものを用意してくださるそうよ。ああ、でも貴方は偏食だから、それだけは心配ね」
「待ってください、お姉様。それは……」
さすがに危機感を抱いたようなので、答えてやることにした。
「ラヴェル伯爵は、儚げで可愛らしい令嬢を『鑑賞』するという『高尚』な趣味がおありなの。ああ、『鑑賞』はガラス越しに行われるそうだから、貴方には指一本触れることはないと聞いているわ。それに他にも同じ境遇の令嬢がいらっしゃるから、寂しい思いをすることはないとのことよ」
まあ、『悪趣味』だとは思うけれど、とイリーナは心の中で付け加える。
「そ、そんな、お姉様は、わたくしをそのようなところに売ったのですか!?」
ユリアナの目からぼろぼろと涙が伝い落ちた。
それが本物だろうとそうでなかろうと、もうどうでもいい。
「売っただなんて人聞きの悪いことを言わないでちょうだい。シュヴァルツ家とラヴェル家とで話し合いを幾度となく行って結んだ『契約』よ」
「『契約』なら、わたくしの意思はどうなるのですか!?」
涙ながらの訴えに、イリーナは微笑んだ。
「家同士の契約に当人の意思は必要ないわ」
ひゅ、と喉が鳴る音が聞こえたが、構わずに続ける。
「虚弱体質で、貴族としての最低限の教育も、淑女教育も受けていない、そんなあなたにまともな縁談が来ると思っているの?」
イリーナと両親は知っている。医師から『身体は問題ないでしょう。あとは本人の気持ち次第でしょうな』と診断されていたことを。
だから言い聞かせた。
食事はバランス良く食べること。
少しずつでも良いから適度な運動をして。
勉強は大切、貴族社会を生き抜いていくための糧に、そして武器にもなるから。
……それらをことごとく『体調が悪い』と儚げに訴えてベッドに潜り込み、拒否したのはユリアナ自身である。
それでも根気よく言い聞かせていたのは、『家族』だったから。
けれど。
「生憎シュヴァルツ家は、『人形』の『世話』をする趣味は持ち合わせていないの」
冷たく見下す淡緑の瞳に、ひっ、とユリアナから引き攣った悲鳴が零れた。
「『なんでわたくしがこんな目に』とでも言いたげね?」
イリーナの口角が、きゅーっと持ち上がる。
正確な日付は覚えていない。
いつものように家庭教師を『体調が悪い』という理由で追い返したユリアナを注意したら。
『わたくしはこんなに苦しくてやりたいことができないのに! おねえさまばかりズルいズルいズルいズルいズルいズルいズルい!!』
憎々し気に歪んだ顔でそう言われ、ぷつん、と何かが切れた音が聞こえた。
今から思えば、それは『家族としての情』が無くなった瞬間だったのだろう。
「なにが『ズルい』のよ?」
イリーナは、淡々とした口調で言葉を紡ぐ。
「わたくしが何の努力もせずに此処にいると言いたいの?」
「ち、ちが……わたくし……そんなつもり、じゃ……」
ユリアナの顔から見る見る内に血の気が引いた。それはもう、イリーナの心を動かすことはない。
「あなたがどういうつもりかなんて、もうどうでも良いわ。一度口に出した言葉は、元に戻らないのよ」
イリーナは静かにそれだけを告げ、椅子から立ち上がった。
震えるユリアナを見下して、口を開く。
「言っておくけれど、あなたを迎えに来る王子様なんて一生現れないわ」
冷たい声が容赦なくユリアナを切りつけた。
「さよなら、ユリアナ嬢」
そう淡々と告げて背を向ければ、ユリアナがこちらに手を伸ばした気配がした。
「待って、待って! イリーナお姉様ぁ!!」
懇願の声を無視してドアを開け、そして静かに閉める。
ドア越しに泣き叫ぶ声を耳に入れつつ、イリーナは控えていた使用人に向かって指示を出した。
「泣き止んだら、『薬湯』を飲ませてちょうだい。眠ったら手筈通り馬車へ運んで。荷物は必要ないわ、向こうが用意してくださるそうだから」
承知いたしました、と使用人が頭を下げるのに頷き、廊下を歩いていく。
胸は少しも痛まなかった。
ただただ、安堵のようなものが胸中を満たしていく。
(安堵、いいえ、これは……)
嬉しい、のだろう。
これは……そう、例えるなら家に蔓延っていた『寄生虫』を処分できた時のような。
(薄情、かしら。でもそうさせたのは……)
イリーナは口元に指を当て、薄らと微笑んだ。
(終)




