サヨナラ 2
3日後の土曜日に病院の面会時間に少しだけ友香里と赤ちゃんの顔を見に行くことが決まった。
直紀は「TO-J」のスタッフと共に前日の金曜日にも行くと言っているので、碧衣は自分ために時間を作ってくれたことに礼を伝えた。
繊月の巫も新しい生命を見ることに何らかの思いがあるようで、透き通る声に張りがある。
『天界では命が尽きた光霊しか見ることができませんから、浄化された光霊が新たな身体に入って人生を始める姿を見るのは不思議な気分です。浄化される前の光霊を門に導くのがワタシたち神子の役目。あの長い長いトンネルを抜けたらどうなるのかは知りません』
(トンネルの出口にも神子様が当番制で、浄化された光霊が出てくるのを待ち構えていて、誕生する肉体にポンポン降ろすんじゃないんですか?)
碧衣はトンネルから出てきた真っ白な光の球体を、神子が下界目がけてドッヂボールの球を投げるように勢いよく届ける様子をイメージしてみた。
『神子たちの間でも、門を潜った光霊はどうなるんだろう、と話すことはありますが、朔様ですら知らされていないので真相は分かりません。・・・でも、間違っても天界から下界に向かって、神聖な光霊を投げ降ろすことはないと断言できます』
碧衣も「ポンポン降ろす」などと言ったことは失言だったと反省した。
(では、宛先を書いてシールを光霊に持たせて下界に降ろす、という方法は考えられませんか?)
天界にはもちろん「配達」というシステムは存在しない。下界に降りてから知ったこのシステムを繊月の巫が思い描いて、「それはユニークですね」とクックックと笑う。
まさか、これに近い方法で浄化された光霊が下界に送られているとも知らず。
* * *
友香里が出産する場に選んだのは、長男の忍を出産したときと同じ郊外の緑豊かな産科クリニックだった。
それほど有名でも大きくもないクリニックだが、個室が広く、新生児と共に過ごすことができる。希望すれば家族も泊まることができるよう、大きなソファが備えてあるのも好感が持てたのだ。
入院中、母の姿が見えないことに不安を覚え、忍が夜泣きするだろう。たかが5日間かも知れないが、母の傍にいたいと愚図ったら泊めてやろうと思っていた。
ところが、毎日見舞いに来て妹の顔を見ると満足するようで、帰り際に愚図ることも泣くこともなく、「バイバイ」とご機嫌のまま手を振って父親と家路に就くのだ。
その理由は退院して家に帰ったときに判明する。
出産直後に祖父母連合から忍に届いた、物凄い数のミニカーに夢中になっていたのだ。これは忍に寂しい思いをさせないようにするためだけでなく、出産後、友香里がゆっくり体調を整えられるように、という連合からの心遣いだった。
直紀と碧衣は友香里と赤ん坊の顔を少しだけ見せてもらうと言って見舞いに来たのが、3日前に出産したばかりだとは思えないほど元気なその姿に碧衣は驚かされた。
「だから言っただろう。個室で退屈だから友達が来ると喜ぶって」
彼も昨日、「TO-J」のスタッフと見舞いに来て目を疑ったのだという。
いくら2人目で安産だったとはいえ、出産は大仕事である。体力を限界まで消耗してぐったりしてる友香里を想像して訪ねたのに、扉を開けるとペタペタとペンギン歩きで室内を歩いていたのだ。
部屋に赤ん坊が眠っていなければ、本当に出産したのか疑う程だったらしい。
「無理のない程度に身体を動かすほうが、子宮の収縮が早いんだって」
碧衣もその話は耳にしたことがある。
ヨーロッパの皇族が出産翌日に退院して、メディアの前に嬰児を抱いた姿で現れたのを見て「すごいなぁ」と驚いたことを思い出し、やはり体調に問題がなければ多少動いても大丈夫なのだと納得した。
部屋に入ってすぐ言った台詞を改めて友香里に伝える。
「ご出産おめでとうございます。・・・それからこれ、おむつケーキです」
そう言って出産祝いに用意したおむつケーキー新生児用のおむつが入った袋をフワフワのブランケットで巻いてホールケーキ風にし、上部にピンクのベアのぬいぐるみが乗っかっているーを見せて、「こちらに置いておきますね」とソファに置いた。
「ありがとう!とても可愛いぬいぐるみね。退院したらこの子の枕元に置くわ」
それから、友香里のベッド横に並べて置かれているベビーベッドの小さな小さなエンジェルを見ようと、碧衣が遠慮がちに距離を取って覗き込むと、気持ち良さそうにすやすや眠っているのが見えた。
「もっと近くで見てやって」
母親から許可を得て、静かに寄って行く。
「安達翠です。翡翠の翠という漢字を書きます」
そう教えてくれた友香里に続けて直紀が、「友香里さんが1番好きな宝石が翡翠なんだ。綺麗な字だよな」と言ったことに碧衣も大きく頷いて同意した。
「か、かわいい・・・」
生まれたてでまだ肌は赤く皺くちゃだが、碧衣ですら守ってやりたくなる程に愛しく感じる。
「触れてくれてもいいのよ」と言ってもらったので、厚みのない掛け布団から出ている皺くちゃな小さな手に、アルコール消毒をした人差し指をそっと当ててみた。
「ああ…柔らかい…」
息を吐きながら、羽二重餅のような感触だと感想を伝えると同時に心が洗われる気がした。
『これは…』と碧衣がエンジェルに触れた刹那、繊月の巫がその魂を読んだ。しかしそれ以上の言葉を発することをせず、この巫のひと言は碧衣には聞こえなかったのだった。
碧衣が触れた所為ではないだろうが、そのタイミングで赤ん坊が顔をクシャッとさせたかと思うと、みるみる赤みを増して「今から泣くよ」と言わんばかりの表情になったのだった。
碧衣は慌ててその場から弾かれたように直紀の隣に移動した。
「そろそろ雅さんが忍を連れて来る頃よ」
赤ん坊を泣かせるのではないかと、直紀に助けを求めるようなㇵの字眉の碧衣に対して、何事にも動じない友香里が翠の頭を撫でると、1度は泣きかけた表情が再び穏やかになった。
それはまるで母親が持っている魔法のようだ。
ー凄いな。生まれてすぐでもお母さんが分かるんだ。
碧衣も将来、自分の子が安心して眠れるような母親になりたいと思った。
そしてそれを思い描いた時、隣で微笑む直紀がふと頭に浮かんだ。妄想の光景と同じように彼が隣にいる事態に顔が熱くなる。
幸い直紀は友香里と今月末に開催されるフェスの話をしている最中だったので、赤みが差した碧衣の顔を見られずに済んだ。
友香里との話が一段落した直紀が「雅さんが来るまで、そこのラウンジで待ってるから友香里さんも休んで」とドアを指す。来る途中にあった待合のことだと碧衣も思い出した。
そもそも安達夫妻とのつき合いが浅い碧衣には、産後間もない母子の部屋に長居するのは居心地が悪く、正直、直紀の提案が有り難かった。
「自由に飲めるコーヒーマシンが置いてあるんだけど、なかなか美味しいんだ。行こうか」
昨日も見舞いに来て飲んだのだと言う。友香里が疲れないように気を使うだけでなく、碧衣が緊張していることにも気付いてくれたんじゃないか、と都合よく解釈したのだった。




