残したいもの 6
最後の日に碧衣に贈る指輪のデザイン画を描きながら、葛藤する直紀の心を黙って聞いている覡。
彼が悩むのも理解できるし、魂を差し出すことに対して恐怖で震えても仕方ないと思う。そして最後の最後に「やっぱり生き続けていきたい」と言い出すこともあるだろう、と覚悟も出来ている。
多分、繊月の巫も直紀が生きることに執着し、「魂は渡せない」と言う可能性も考えているだろう。
その時に巫が「じゃあ、碧衣の魂を」と言えるかどうか…。恐らく言えないだろう。
自分たちが消滅することになってしまっても、決して直紀を恨むことはない。それほどまでに彼に情が湧いているのだ。
繊月の巫も同じだろうが、自分たちが消滅しても宿主が幸せになれるなら、それはそれで「良いか」と思えるのだ。
ただ、朔様との約束が守れなかったことをどうやって謝るか…恐らく自分の心残りはそれだけだ。
繊月の番に「最後の瞬間まで、自分が神子たちと一緒に消えることは碧衣には言わないで」と頼んであるので、別れを告げるときに自分の想いと指輪を渡そうと決めている。それが彼女のこれからの人生の重荷になるかも知れないが、黙って逝きたくないのだ。
彼女の人生の中で1度くらいは「東条さんは私のことをどう思っていたんだろう」と懐かしんでくれることもあるだろう。
「好きだよ」と伝えるくらいの我が儘は許して欲しい。
* * *
今夜の繊月の祈りは直紀の仕事の都合で、碧衣が自分の部屋にしようと申し出ていた。
彼が得意先であるジュエリーショップの役員たちと浜松町駅前で会食に参加するというのだ。彼女のマンションもちょうど浜松町駅が最寄になる。
「自宅に来て」と誘ったのはそうした理由があったのだが、下心がゼロだったわけではない。雰囲気に流されてキスくらいは…などと考えたことは、巫には聞こえなかったことにしてもらおう。
直紀は何度も碧衣の期待に沿えていないことを気にしていたので、今回の申し出は快く受け入れた。
「せっかく会えたのに、祈りの後ゆっくり話す時間が取れなくて…申し訳ない」
碧衣の家に上がるなりそう謝る。最近は彼の「申し訳ない」を何度聞いただろう。それを埋め合わせるように持って来たケーキの箱を彼女に手渡した。
「あっ、これ!ミルフォボンの白桃タルトですよね。食べたいと思ってたんですけど、いっつも売り切れてて悔しい思いをしてたんですよ」
早速冷蔵庫に入れて「一緒に食べる時間くらいはあります?」と彼の様子を窺いながら尋ねてみる。
「祈り終わったらブラックコーヒーと一緒に食べよう」
洗面所から親指を立てて「OK」のサインを作った彼の腕が見えて、碧衣は「やったぁー!」と満面の笑みで全身ガッツポーズをした。
ほぼ毎日、何らかの方法で連絡を取り合っているが、こうして触れ合えるのは1か月半振りである。そのため、会えた喜びを隠す余裕もなく、感情をまんま態度に出してしまったのだ。
2人掛けのソファに並んで座り、碧衣の右手と直紀の左手をピンクのシュシュで固定した。いつもは利き手である右手は繋がないのだが、今夜は向かい合って座ると、冷静に祈る自信がなかったので、黙って彼の隣に腰掛けて右手を出した。
それに対して彼は特別何も言わない。黙って碧衣の右手を受け取る。
いつも通り対面で手を繋ぐと目の前の男性の顔を見つめ、少し薄い唇を見つめ、呼吸するたびに反応する胸元を見つめてしまう。隣なら気配を感じることはあっても、目に映らないことで祈りに集中できるはず。
(オトコミコ様、どうか私の邪な心を東条さんには伝えないでくださいね)
声に出さない限り、碧衣と直紀の心の声は神子にしか届かない。
覡から返事がないのは承知してくれたからだと理解する。神子の声は碧衣にも直紀にも聞こえるので、不用意に返事をすると相手に疑念を抱かせてしまうのだ。
碧衣は俯いて祈りを捧げているように装っているが、実際は右手に全神経を集中させて、彼から伝わる手の温もりに浸っていた。
次の繊月の日まで会えないかも知れないと思うと、この瞬間をしっかり刻み込みたかったのだ。
そしてそれは直紀も全く同じで、左手から伝わる少し汗ばんだ温もりを心地よく味わっていた。
今、直紀が優先しなければいけないのは、「TO-J」のことだ。ある日突然死んでしまう代表者が、後を継ぐ関係者にかける迷惑と混乱が最小限で済むように手筈を整えておかなければいけない。
それが今まで直紀を慕い、信じてついて来てくれた者たちへのせめてもの感謝と詫びである。
碧衣のことはその次。この順序は変えられない。いくら好きでも、彼女が自分に向ける想いに気付いていても彼女を最優先にすることはできない。
せめて、仕事の引き継ぎの目途が付くまで。彼は繊月の番に「『ジュエリーフェス・イン・ジャパン』の準備を整えてから、というのを認めてくれるのなら一緒に天界に行く」と条件を提示していた。そのフェスは神子たちが下界で存在できる354日ぎりぎりである日の1週間後である。
毎日タスク表にチェックを入れながら滞りなく進んでいることに安心しているが、少しでもトラブルが発生すれば挽回するのに要する時間は…もう残っていない。
彼の焦りを周囲に気取られないよう、それでいて慎重に確実に熟していった。
最後に碧衣と過ごす時間を1日でも、1時間でも長く残すために今は、彼女にも我慢を強いるしかない。
* * *
碧衣と直紀が「6月は一緒に出掛ける時間は作れないだろうね」と予想した通り、その月は会えないままあっという間に過ぎていく。
それでも6月21日の繊月の日だけは一緒に祈れるよう、ふたりともスケジュールは空けてある。毎日のスマホ越しのやり取りで「21日は大丈夫」とか「21日は死守してる」と確かめ合っているが、その日はあいにく日曜日で大安なのだ。
碧衣は「どんなお礼でもするから」と天宮に頼み込んで夜の部の結婚式のピアノ演奏は容赦してもらった。
碧衣にも、神子たちの期限が迫っていること、そして直紀と手を繋ぐ機会はそれと共に終わるであろうと分かっていた。
彼が「神子が天界に帰ったから、俺たちが会う必要はなくなった」と言ったら…その時点でサヨナラなのだ。
21日の夜の部の結婚式は3組入っているが、1組はピアノ演奏を希望していなかったので、天宮が知り合いのピアニストを手配してくれて何とかなった。フリーで演奏活動している知人がいると、こういうとき助けてもらえるのだなぁと改めて痛感した。
おかげで昼の部の結婚式がお開きになってから、プランナーと一緒に挨拶をすれば16時にはホテルを出ることができる。そのまま直紀の家に行けるよう荷物は纏めて更衣室に置いておけば良い。
この忙しい6月さえ乗り切れば7月はまた直紀と会えるかも知れない。
今は21日に向けて頑張るぞ!と気張った。




