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いつかの先に逢えるまで ~神子様との同居は期間限定?【甘く切ない溺愛関係は終わらない】(全104話)  作者: 静林


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残したいもの 5

 4月から碧衣は高校の音楽科を受験したいという4名の少女たちに、ソルフェージュを教える仕事を笹倉鈴子から依頼されて新たに始めた。

 笹倉とは音楽大学時代からの友人で、佳弥斗の49日法要にも一緒に行った間柄だ。中学の音楽教師をしている笹倉だが、本来なら費用が発生するような指導を特定の生徒だけにすることはできない。そのため、碧衣に依頼してきたのだ。

 体調も回復して生活リズムが出来た碧衣も、 ERABLE HOTEL での仕事がない日は他に何かしようと思い始めていたところだったので、とても都合が良かった。 

 ソルフェージュというのは西洋音楽の学習において、楽譜を読む・書く・歌うを通して音楽をより深く理解し、表現するための訓練のことである。


 初見の楽譜を楽器を使わずに正しい音階とリズムで歌うこと。

 音を聴いて正確に楽譜に書くこと。

 楽譜のルールを理解する楽典。


 これらを教えるのである。絶対音感を持つ碧衣はこの訓練が得意だったので、笹倉は迷わず声をかけたのだった。


 新しく始まった仕事のおかげで、直紀に会えない寂しさを幾分紛らわせることができた。

 会えないと言っても、メッセージの交換や電話での短い会話は毎日している。彼女が新しい仕事を始めたことを伝えると「頑張れ」と励ましてくれたし、国内外を飛び回る直紀に「身体を大切にしてください」と伝えることも出来ている。

 文字だけの会話のほうが多いのは間違いないが、声を聞ける日もある。彼の声を聞くとその日の疲れが癒されるのだが、やはり彼の顔を見たいし、手を繋ぎたい。


 そして ERABLE HOTEL のスタッフのからも気を使われる事態になっていた。

 あれ程ロビーラウンジに来ていた男性がぱたっと来なくなったのだから、スタッフも気になるのだ。

 ただ、誰も碧衣に尋ねたりしない。陰で「別れたんだろうか」と噂されていることを承知しているが、そもそもつき合っていないのだから「別れたわけじゃない。仕事が忙しくて来られないんです」と否定するのも違う気がして碧衣からは何も言えなかった。

 他人から見れば、ロビーラウンジで親し気に指を絡めて笑い合っている姿は「恋人同士」以外の何物でもないだろう。触れ合っているのは、もちろん神子たちのためでもある。

 碧衣と直紀にとってその行為は当たり前ではあるが、端からしたら立派な愛情表現だ。それをいい歳の男女が人目を憚らずにするのだから「つき合ってる」と噂されるだろうし、男が来なくなれば「別れたんじゃないか」と噂されても仕方ない。


 繊月の日を寄り添って祈るようになって初めて別々の場所で祈りを捧げることになった日、義父が担ぎ込まれた病院に駆け付けた直紀からメッセージが届いた。


   ”今夜は一緒に祈れなくてごめん。義父の意識はまだ戻らないけど、検査結果は深刻なものではなかったらしいから少し安心している。明日には意識が回復するだろうと医師が言うので、今夜は奈良でもう1泊して、明日夜中に東京に戻る。如月さんとは離れているけど、オトコミコと祈るよ。”


 環の父が回復に向かっているようだと聞かされて碧衣もホッとした。何よりもこうやって彼が丁寧な文章を送ってくれたことが嬉しかった。


   ”お義父様の意識が早く戻るよう祈っています。明日、夜中でも構わないので東京に着いたら連絡してください。待ってます。”


 今夜、碧衣は環の父の意識が回復しますように、と祈った。そして、それを見届けて安心して直紀がこっちに帰ってきますように、とも。

 繊月の巫は神子になって初めて天界にいる光霊の安寧だけではなく、大御神と朔様に「ナオキの魂を下界に留まらせる方法を教えてください」と、碧衣には聞こえないように祈った。

 どうか、どうかこの願いが天界に届きますように。この瞬間に天界へ昇る光霊があるのなら、どうかこの願いを連れて行って、と何度も繰り返し祈ったのだった。


 翌日、医師の見解通り環の父の意識が戻った。義父は直紀が連絡を受けてすぐに東京から飛んできてくれたことに感謝し、自分の不注意で階段から落ちて心配をかけたことを申し訳ないと謝った。

 環の遺骨から作ったダイヤモンドを嵌め込んだ数珠ブレスレットを義両親に見せると、涙を流しながら環に「綺麗だね」と繰り返してダイヤモンドを擦っている。義父の怪我で来県したのだが、こうして環のブレスレットを見せることができたのは良かった。


 もう心配ないと医師から告げられて、直紀は東京行の最終新幹線に乗り、日付けが変わる直前に東京駅に降りた。


ーまだかなぁ。


 新幹線の時刻表で最終列車の到着時刻は調べてある。

 碧衣はスマホを握り締めて画面を見ている。そこに、「今、東京駅に着いた」という連絡が直紀から入った。今すぐにでも会いに行きたい碧衣は気持ちを抑え込んで「お帰りなさい」とだけ返す。

 義父の容態を気遣いながら、病院近くのホテルで待機していただろうから疲れているだろう。それでも碧衣が「会いたい」と言えば、東京駅からその足で彼女のマンションまで来ることは分かっていた。

 彼女が深夜に1人で外出することを嫌がる直紀の言うことを聞いて、おとなしく彼からの連絡を待っていたのだ。忘れずにちゃんと連絡をくれたのだから、今夜はこれ以上を望んではいけない。

 「今夜はゆっくり休んでください」と理解のある女性を演じてメッセージのやり取りを終えたのだった。


          *          *          *


 6月は「ジューンブライド」で11月に匹敵する程ホテルが忙しくなる。

 そしてその忙しさは5月後半から始まり、同時に碧衣も休日返上でピアノ演奏の仕事がびっしり入った。もちろんその間も音楽科を希望する中学生の指導も並行しているため、直紀とはスマホを介してのやり取りしかできなくなっていた。

 その直紀も、結婚情報誌の「ジューンブライド特集」で「TO-J」のジュエリーが大きくページを割いて紹介されたため、実際の式場を使ってのトークイベントが何件か入り、益々碧衣の顔を画面越しでしか見ることができなかった。

 そんな多忙を極める中、直紀は碧衣に渡す指輪の製作を始めたのだった。

 彼女の自分に向ける恋情はもはや疑う余地がない。手を繋いで、あの瞳で見つめられると吸い込まれそうになる。

 それを左手首の環に縋って、砕ける寸前の理性を保つことに集中しているのだ。

 1度あの手を強く引き寄せて華奢な身体を抱きしめたら…1度あの厚みのある柔らかそうな唇に触れてしまったら…間違いなくこの世界から離れられなくなる。

 自分と碧衣の未来のために、繊月の番を消滅するまで放っておくことだってできるのだ。彼が拒めば神子たちだって無理矢理魂を奪ったりしないだろう。それに354日まで碧衣と接触さえしなければ、そもそも神子たちは天界に帰れず、期限が来れば勝手に消滅してくれる。


 番が揃っていること。

 魂を1つ持っていること。

 354日以内であること。


 この条件を1つでも満たさなければ神子たちはこの世界で消えてしまう。その代わり、自分たちが幸せになれる未来が開けるかも知れない。


ー幸せ?・・・・・・それを幸せな未来と呼べるのか?


 1度終わった人生を1年近くおまけのように長引かせてくれた神子たち。少なくとも碧衣はこれから先もこのおまけは続くのだ。

 心を鬼にして、神子たちを見捨てたところで、彼女が今と変わらず自分を想ってくれる保証はない。10歳以上離れた男より、これから出会う若くて魅力的な男のほうが良いに決まっている。そうなったとき、自分の中には「神子たちを裏切った」という罪悪感しか残らないのだ。

 自分が魂を差し出しても、彼女に若い男との未来が待っているのならば、やはり神子たちと共に行こう。

 充実した1年をくれた、そして碧衣に未来をくれた神子たちに恩を返そう。

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