残したいもの 4
* * *
直紀はタイで開催された「ジュエリーショー・イン・アジア」を無事に終えて帰国の途に就いていた。
4日間の日程で催されたショーは大盛況で、日本のみならず世界各国のメディアから取材を受けて、新規のバイヤーとも交流ができた。新作ジュエリーを発表したので、帰国後はより忙しくなるだろう。結婚情報誌やネットCMの打ち合わせもスケジュールにびっしり入っている。
ひとつひとつを熟しながら少しでも世間に「TO-J」の名を広めなければ、と必死だった。
ーゴールデンウィークが終わるまでに如月さんとネモフィラを見に行くことはできるだろうか。
窮屈なくらい詰め込まれたスケジュール表を眺めて、どこかに時間を割けるところがないかと隙間を探すが、答えは「否」だ。
ー会いたいな。
この心の呟きに繊月の覡は相槌を打つことも応援することもできない。
自分たちが天界に帰る日までに、仕事の整理と碧衣と会うことを両立させることがどれだけ至難の業であるか明々白々だと、半年以上彼の生活を見てきて思った。
この世に思いを遺さないように全てを片付けることは困難を極める。あれも、これもと心残りになりそうなことは尽きない。それに対して覡は何もできないし、何かを言う立場でもないのだ。
天界に帰る期限は決まっている。そして、帰るために直紀の魂を使うと決めた。
どれ程絆が深まり情が湧いても、下界に降りる直前に朔様と「必ず繊月の巫を連れて帰る」と約束したことより重要なものはないのだ。
既にカウントダウンは始まり、直紀がこの世界で過ごせる時間は1日1日確実に減っているのである。
仕事を片付けるだけなら下界で過ごす最終日までスケジュールを組むことは可能だが、日々募る碧衣への想いを整理することは簡単なことではない。どれだけ募らせても、直紀からの一方的な想いなら「思い出」として胸に抱いて天界に昇れば良い。
・・・そうではない。
碧衣もまた彼を想い、この先も会いたいときに会える関係が続くと信じているのである。
そして直紀の彼女に対する気持ちは命を差し出せるほどに強いからこそ、大して迷わずに自分の魂を差し出すことを躊躇わなかったのだ。
繊月の覡は、碧衣と過ごせるあと数か月が直紀を慰めるものであって欲しいと強く願った。
* * *
直紀が帰国したら一緒にネモフィラを見に「国営ひたち海浜公園」に行けると心躍らせながら、デートコースを細かく組んでいた碧衣は、「ごめん。ゴールデンウィーク後までスケジュールが詰まっていて、一緒に出掛けることは無理になってしまった。待たせたのに申し訳ない」というメッセージを受け取って、すっかり意気消沈してしまった。
ベッドにごろんと寝転んで、彼からのメッセージが「その代わり○○に行こう」と追加されないか暫く期待して眺めたが、表示画面は変わらない。
何か返事をしなければ、と気丈に「忙しいのにすみません。またの機会に」とだけ文字を入れたが、やはり切なくてベッドの上を回転しながら往復を繰り返した。
「気にしていない」と受け取ってもらえるようシンプルに返したが、本心では「いつなら会えますか?」「ほんの少しでも会えませんか?」「次の繊月の祈りの日まで会えないのですか?」と送りたかった。
碧衣はどうしてこれ程まで彼のことを好きになってしまったのか戸惑っている。
「環を想う直紀の心を自分に向けるつもりはない」とか「環のポジションを奪うつもりはない」とか綺麗事を並べてきたが、結局彼の特別になりたいと望む気持ちが彼女の心をどんどん侵食しているのだ。
ー会いたい。
ー辛い。
ひたすらピアノを弾くことで昂る気持ちを一旦落ち着かせたところに、追い討ちをかけるように直紀から「申し訳ないが、明日のセンゲツの祈りの日に会えなくなってしまった」と連絡が入った。
「奈良にいる環の父が自宅の階段から落ちて、大学病院に運ばれたらしいんだ。打ちどころが悪かったらしく、意識がないみたいで…すまない。祈りの日だけは何を置いても一緒にいると決めていたのに…」
メッセージではなく、直接電話で申し訳なさそうに謝る直紀に「心配ですね。命に別状ないことを祈ってます。私のことは気にしないでください」と冷静に伝えた。
それ以上の言葉は浮かばない。さすがに愛した妻の父親が意識不明で病院に担ぎ込まれたと聞かされた人間に「一緒に過ごすって約束したじゃない」などという薄情な文言は頭を掠めもしなかった。
それでもやはり「会えなくなった」のは事実で、落胆して悄然としてしまった。
(センゲツの神子様。仕方がないのは分かるのですが、やっぱり寂しいです)
電話を終えたスマホを両手で握りしめて俯いた額に当てる。
(東条さんに会いたい)
ネモフィラを一緒に見に行くという計画が白紙になり、明日の繊月の日を指折り数えた碧衣には酷な話だ。
心の中でポツリと繰り返される「寂しい」「会いたい」という悲痛な声を繊月の巫も胸が張り裂けそうな思いで受け止めるしかない。
ーこの先待ち受けるもっともっと大きな喪失にこの娘は果たして耐えられるのだろうか?カヤトとの別れを経験し、ナオキと出会ったことで悲しみが癒えてからさほど経っていない。今はまだナオキと添い遂げる未来を描く程度まではあの男を愛しているようには思えないが、この数か月でナオキへの想いはどんどん募っている。ワタシたちが天界に帰る日までにどれだけその恋情が募るのか。膨らみ切った恋情を抱えた状態でナオキを失ったら、誰がアオイを支える?シュンスケか?・・・いや、あの男では無理だ。恐らくカヤトを想った気持ちより遥かにナオキに心を奪われているだろう。サヨナラを告げた時点でワタシは既にアオイの中にはいないのだから、アオイがどのような精神状態になっているか知る由もない。
繊月の巫は、直紀の中に残っている佳弥斗の小さな魂のカケラで何とか天界に帰れないものか、何か方法があるのではないか、自分が持っている限りの知識と知恵を漁って考える。
ーああ、朔様に相談できたら…。大御神様、助けてください。
心の底から大御神と朔様に届くはずがない願いをする。
この世界で知恵を出し合える相手は繊月の覡しかいない。
ところが覡は神子になって1年も経っていないのだ。そんな若過ぎる神子を当てにできるはずがない。
繊月の巫は「もっと考えるのです。もっと、もっと…」と自身に喝を入れた。
* * *




