残したいもの 3
テーブルに並んだ玉子を眺めて直紀が笑う。
「そうは言っても、暫く玉子焼きはいいかな…」
「そうでしょうね。7皿食べましたもんね」
碧衣も人差し指で数えて笑う。
最終的に6皿の碧衣と、10皿の直紀は共にカスタードプリンをデザートにして締めた。
果たしてランチの支払いをどちらにするか、でお互いに譲る気がない。
これくらいの金額なら碧衣が出しても直紀が気にすることはない。碧衣は、似顔絵を描いてもらった礼も兼ねて払わせて欲しいと言ったが、年上男性として格好が悪いと言い張る直紀。
そのやり取りを見ていた繊月の巫の提案が何ともユニークだった。
「センゲツの神子様が、じゃんけんで負けたほうが払うのはどうか、と言ってます」
この方法はテレビのバラエティ番組で、芸人と俳優が高額商品の支払いをどちらがするか、という場面で行われていたものだった。
碧衣も直紀も支払いたいのだから本来なら、勝ったほうが払うのが筋だろう。
ところが、巫が言うには『負けたくないでしょ?』ということだ。
「なるほどな。・・・じゃあ、言い出した神子様たちも巻き込むとしよう」
直紀は悪戯な視線を碧衣に送る。
「じゃんけんで何を出すか。神子様に決めてもらって、それを俺たちが出すんだ」
それを聞いた巫が『うっ』と言葉を詰まらせた。良い提案をしたと悦に入っていたのに、まさか巻き込まれるとは思わなかったのだろう。
「そりゃあ、言い出しっぺが高みの見物を許されるわけないよな」
碧衣も彼の案に乗っかる。
「私はここの支払いをさせてください、って言いましたが、神子様同士のじゃんけん勝負でしたら、絶対に負けたくないです」
今回はお互い「この勝負で負けるわけにはいかない」という神子と宿主のプライドがかかっているので、作戦会議をそれぞれ開く。・・・とは言え、下界に降りてから学んだ遊びで巫も覡も経験値ゼロである。
だから結局、『何を出せばよいでしょう』とか『勝てるのは何ですか』と宿主に聞く始末だ。
それぞれの宿主から『何でも良いから好きなのを1つ選べばよい』と急かされて、頭を抱える神子だった。
いざ、勝負!
パーを出した碧衣と、グーを出した直紀。
「勝った!」と年甲斐もなくはしゃぐ碧衣と握りしめたグーを突き出したまま悔しがる直紀の姿は、端から見ればイチャつくカップルにしか映らなかった。
* * *
「上野公園の桜を見に行かないか」
益々距離が近づき、直紀が ERABLE HOTEL でのピアノ演奏をたびたび聴きに来るようになり、碧衣の仕事後1時間程をロビーでささやかな「デート」を楽しむようになっていた。
指切りのように小指を絡める姿はホテルマンの間でも噂になっていたが、遠巻きに微笑ましく見守られていることには2人とも気付かなかった。
そんなある日、先ほどの提案が直紀からされたのだ。
今年は例年より開花予想が少し早い。冬の寒さが厳しかったので開花は遅れるのではないかとワイドショーで丁寧に解説されていたのだが、3月下旬から気温が急に上がったため、蕾が一気に膨らんだのだ。
もちろん彼女は破顔でオッケーのサインを出した。
既に夜間のライトアップも始まり、すっかりデートスポットと化している。
満開間近のソメイヨシノが通りの両側で枝いっぱいに鈴のように咲いている中、手を繋いで歩く。
並ぶ屋台の美味しそうな匂いに誘われて、ホタテの串焼きや唐揚げ、綿あめの列に加わってしまったのだった。
「こんな時間でもたくさんの人がいるんですね」
夜遅い時間にも拘わらず、右を見ても左を見てもカップルが寄り添っている。
ライトアップされた桜の下で「綺麗ですね」と直紀を見上げると視線がぶつかり、碧衣は彼の唇に触れたいという衝動に駆られた。その刹那、直紀の左手首に巻かれた数珠ブレスレットに繋いだ彼女の手が当たってしまった。
ーいけない。
この雰囲気に吞まれてはいけない。すんでのところで踏み止まることができた。
環に「ホントにいいの?」と冷静さを取り戻すよう諭された気がして、それを誤魔化すように、ニコッと歯を見せて笑って見せる。
一方の直紀もうっとりとした眼差しで見上げられた女性の濡れた唇に釘付けになり、「彼女が瞼を閉じたら唇を重ねてしまうだろう」と半分は覚悟を決めて、またそれを期待してしまった。
碧衣に聞こえるんじゃないかと思う程に鼓動が高まった瞬間、彼女が満面の笑みを見せたことで後悔する事態にならず、胸を撫で下ろしたのだった。
また別の日、今度は彼女のほうから「ネモフィラが綺麗に咲いているそうです」と誘ったのだが、生憎直紀のタイ行きと重なったために帰国後の約束となってしまった。
「見頃が過ぎてしまったら申し訳ない」
碧衣が「国営ひたち海浜公園」のネモフィラ畑を知ったのは、ERABLE HOTEL の宿泊客が「今日見てきた」とホテルの支配人と会話しているのを小耳に挟んだからだ。
ネモフィラで丘一面が青の絨毯を敷き詰めたように美しくなる場所が関東にあることは知っていたが、実際に訪れる機会がなかったため、調べたことがない。
それが今回、直紀を誘う口実にできればと集められる限りの情報を手元に置いて声をかけたのだった。
「ゴールデンウィークまで咲いているそうなので、東条さんのご都合が良ければ行きましょう」
幸い電話だと落胆の表情を晒すことがないので、気持ちを読まれないように明るく爽やかにそう言った。ここのところ顔を見る機会が続いたので、会いたいと思えば会えるのだと妄信していたことに気付かされたのだった。
ー恋人気分で浮かれてたわ。
彼と行動を共にするときは繊月の番のために手を繋ぐことが当たり前になっている。
「浮かれちゃいけない」と言い聞かせてみても、彼らがこちらの世界いる間は堂々と、そして遠慮なく彼と触れ合うことができるのだから、その口実を有効活用したいという気持ちに勝てない。
碧衣の一方的な(実際はそうではないのだが)想いであっても、直紀の手から伝わる温度を感じていたい。
あとどれくらい触れ合うことが許されるのか。
彼女の知る限り、繊月の番の間で天界に帰る日を話し合っているのを聞いたことがないし、そもそも巫が天界に帰る覚悟ができたのかも確かめてない。会話の端々に『天界に帰ったら』と巫が口にはするが、それが本心なのかも分からない。
だからもう暫く猶予があるのだろう、と勝手に思っているのだけれど、354日間という期限が延長されることはないはずだ。
巫に「天界にいつ帰りますか」と尋ねれば即座に知ることができるだろう。ただ、知った時点で砂時計の砂が落ち始める気がして聞くことが怖かった。
当然、碧衣が抱くこの憂いを繊月の巫は受け取っている。
そして、天界に帰る時イコール直紀との永遠の別離になるかも知れないということは、彼との約束事でまだ碧衣に明かすことはできない。だからまだ聞かないで欲しい、と巫は願っているのだった。




