思い出作り 2
トースターのおかげですっかり和やかな雰囲気になった。
「食べようか」
バターを塗ったトーストとアロエの果肉入りヨーグルト、それとブラックコーヒーというシンプルな朝食を取りながら直紀が提案する。
「あと数か月でセンゲツの神子様たちが天界に帰るだろう。きっとこっちの世界に降りてくることは2度とないと思うんだ。だから一緒に思い出を作らないか?」
直紀は、昨夜の彼女の行動によって、碧衣が友情以上のー多分、恋に近いだろうー気持ちを自分に抱いていることを認識した。
自分は神子たちとこの世界から消えるのだから、その想いを「愛」という強い気持ちにまで増幅させることは彼女にとって酷なことだと分かっている。
後に残された彼女の悲しみは少しでも軽いに越したことはない。
それでも自分と過ごした1年弱を忘れないで欲しいと願う程に、自分も碧衣に友情以上の気持ちを抱いてしまっているのだ。
俊介と一緒にエレベーターに乗り込む姿を見た時の不快感。俊介からのプロポーズを断ったと打ち明けられたときの安堵感。
この気持ちに名前をつけるならば「恋」だろう。もう暫くすると離れ離れになるのだから、この気持ちを否定するのは限られた時間を無駄にするだけ馬鹿げている。
ー俺は如月さんに恋している。
素直に認めるとストンと気が楽になる。
自分がいなくなった後、きっともっと素敵な男性と出会って幸せにあるだろう。そのときに「東条直紀という男と恋をした」と懐かしんでくれれば良い。
彼女が幸せな人生を歩くために自分が魂を差し出すのだ。
「はい。私もセンゲツの神子様たちとの思い出を東条さんと作りたいです。神子様たちが帰られた後、東条さんと思い出話ができますもんね」
無邪気に笑う碧衣を愛おしく目を細めて眺め、「すまない。そんな未来は来ないんだ」と心の中で呟いた。
「次の繊月の祈りは水曜日だから君は仕事だよね」
スケジュールを見ながら確認する。
「はい。21時までピアノを弾いていますが、急げば21時15分にはホテルを出られます」
タブレット端末でマップを開き、ウンウンと頷くと「じゃあ、東京タワーに上らない?23時近くまでメインデッキで祈れるだろうから」
今、碧衣が座っているダイニングテーブルからそのタワーが見える。
「素敵だと思います。・・・センゲツの神子様、どうですか?」
碧衣は彼に確認することなく、テーブルに置かれた彼の手に自分の手を重ねるが、その自然な行動が直樹には好ましく、「お前も東京タワーに上ってないから、一緒にどうだろう」と自分の中の神子に尋ねた。
『そうですね。ナオキどのと一緒にここから眺めているだけでしたから、1度は連れて行ってもらえたら、と思っていました。』
『あの塔ですね?アオイとナオキどのに任せますが、違う場所で祈るのも良いと思います』
「じゃあ決まりだな。次のセンゲツの祈りは25日水曜日だから、俺はチケットを買って東京タワーのチケット売り場の前で待ってるよ」
「はい。お仕事が終わり次第駆け付けますね」
碧衣の声が弾む。神聖な祈りの日だと分かっていても、彼と東京タワーで手を繋ぐのだと想像するだけでワクワクする思いを抑えられない。
ーこれはデートじゃない。デートじゃないけど…。
目的は祈りのためであっても、彼女にとってこの約束はデート以外の何物でもなかった。
結局直紀は、昨夜碧衣が打ち明けたプロポーズに関することには一切触れてこなかった。彼女が話したことが全てで、それ以上根掘り葉掘り聞き出す意味がないと判断したのだろう。
そして、気持ちよく自分の家に帰れるよう「東京タワーイベント」を提案してくれたのだと推し量って、その気遣いに感謝した。
オフィスに飾る絵の額装を依頼しているのを受け取りに行くので、碧衣をマンションまで送るという直紀の言葉に甘えて車に乗せてもらった。
自宅に帰った碧衣はシャワーに打たれながら、いろんなことがあり過ぎた昨日1日を振り返る。
今、冷静でいられるのは繊月の巫のおかげだろう。
(昨夜は東条さんに会いに行って良かったです。背中を押してくれてありがとうございました)
俊介を傷つけた直後に別の男性に会いに行くなど、常識では考えられないことだが、あの時はどうしても彼の顔を見たいと思ったのだ。
そして直紀の顔を見れば自分の気持ちがはっきり分かると思い、それを確かめたくもあった。
そんな碧衣の心情を後押しするように「会いに行っても良いのだ」と繊月の巫は言ってくれた。その言葉を直紀への切符として握りしめて形振り構わず走ったのだ。
恐らく碧衣が好意を抱いていることも彼にはバレてしまっただろう。どうか10歳以上若い小娘が大人の男性に憧れているだけだということで、見過ごしてくれますようにと願った。
(私と東条さんの中には神子様がいて、東条さんには環さんもいらっしゃる。だから、どうこうなれるとは思ってないし、期待するだけ無駄だと分かってるの。でも今の気持ちに蓋をするのはもう無理。東条さんに触れることが許されている間は手を繋ぎたい。神子様たちが天界に帰ったら、東条さんと会うことはできても、手を繋ぐなんて…きっとできないでしょうから)
『そうかも知れませんね』
直紀との約束がある限り、それ以上は巫から言うことはできないが「天界に帰る」という話題が出る度に碧衣は「その後」を口にするようになっている。
そこには直紀がいない可能性が高いと知っているのに、それを伝えないままで良いのだろうか、と繊月の巫の心に罪悪感が芽生えた。
神子は嘘をつけない。
あやふやな相槌で誤魔化すのは、嘘をつくこととどれ程の違いがあるのだろう…と首を傾げたのだった。
繊月の祈りの日・・・東京タワーに上ろうと約束している日の3日前、 ERABLE HOTEL で同じようにピアノ演奏している天宮からメールが届いた。
”急な頼みで申し訳ないが、24日と25日の仕事を代わってもらえないだろうか。実は、自宅の給湯器が壊れて湯が出ないんだ。修理を頼んだら最短が24日の15時だと言われた。作業時間がどれだけかかるか分からないから、家に居ようと思う。如月さんの都合が合えばお願いしたいのだけど。”
天宮からの申し訳なさそうな文面だが、碧衣にとってはラッキーな申し出であるため、間髪を容れず”了解しました。24日は私が弾きますから25日はよろしくお願いします”と返した。
”助かる。ありがとう。”
お湯が出ない天宮家は気の毒だと思うが、碧衣はゆっくり東京タワーで直紀と過ごせるので、そのタイミングの良さに顔が綻んだ。
(センゲツの神子様。こんなことってあるんですね)
早速、直紀に今のやり取りをメッセージアプリで送る。
暫くして既読を示す表示が付いて「それじゃあ、18時に東京タワー下で。仕事が終わったら急いで向かう」ときた。
予定変更によって3時間以上も長く一緒にいられる、と心が弾んだところに続けて送られてきたメッセージで目を見開いて硬直してしまった。




