別れと決意 2
* * *
俊介と銀の時計広場で待ち合わせ、エレベーターで12階のレストラン街まで昇った。
彼が「都火」という日本料理店に予約を入れてくれている。
会社帰りの俊介はブラックスーツでビシッとキメて現れた。180㎝ほどの背丈で引き締まった体躯には、おつりが出るほどカッコよく映っている。
カジュアルな服装が許される職場だが、今日は高級料理店で食事をするから気を使ってくれたのだろう、と碧衣は推し量った。
その碧衣も、肉桂色ーシナモンの色ーのウールワンピースにチャコールグレーのコート。ワンピースの襟元に黒いビロードのリボンタイで清楚に見えるよう整えてきた。骨折後の影響が無くなったために、7㎝ヒールのスエードブーツで足元を飾った。
青磁色の着物を着た店員が「予約してある」と告げた俊介たちを奥の個室へ案内してくれる。
石畳が敷かれた細い通路の両側には、灯りを仕込んだ灯篭がぽんぽんと間を開けて置かれてある。壁には障子窓が嵌め込まれ、暗い雰囲気は無い。通路を2回曲がって最奥の個室エリアに辿り着いた。
日本料理店と言ってもさすが都内のビル内の店である。
外国人も寛いで食事ができるように和室畳の上にテーブルと椅子のセットが置かれていた。床の間に掛け軸と生け花があって、靴を脱いで上がるところは「日本らしさ」を醸しているのだろう。
6人用のテーブルで碧衣と俊介は向かい合って座った。
部屋を見渡して「素敵なお店だね」と感想を伝える。
「そうだろ。1度先輩に連れてきてもらったんだ。それで、碧衣ちゃんとゆっくり話すならこの店かな、って思って」
暫くすると温かいお茶と手拭きが置かれた。それを合図に食事が運び込まれる。
ホタルイカの酢の物と筍の土佐煮、手毬団子の前菜から始まって、白魚と百合根、筍と木の芽の椀物、お刺身は本鮪と真鯛と車海老。松阪牛の陶板焼きも絶品だ。桜海老の御飯と香の物の頃には満腹になり、最後の甘味がお腹に入るか心配になっていた。
ところが目の前に焼きプリンと果物の盛り合わせを出されると、どこにそんな空間があったのか、自分でも驚くスピードでペロッと平らげてしまったのだった。
「あぁ、美味しかったわ」
満悦至極の表情で俊介を見る。
「碧衣ちゃんの誕生日もクリスマスもアメリカ出張で祝えなかったから、これで罪滅ぼしになれば良いんだけど」
「罪滅ぼしだなんて!ちゃんとお祝い貰ったし、アメリカからメッセージも送ってくれたじゃない。それに、仕事で向こうに行かなきゃいけなかったんだからしょうがないよ」
俊介が何か言いかけたところで、給仕の男性が「失礼します」と言って、空になった甘味の器を下げるために入ってきて、換わりに温かいほうじ茶を置いて静かに退室した。
「実は、アメリカに何度も行っていたのは、俺の会社が向こうのゲーム会社に買収されて子会社化されることになったからなんだよ。ずっと碧衣ちゃんに話したかったんだけど、外部に漏らせなくて。ホラ、インサイダーとか厳しいだろ?漸く今日、広報とIRで発表したから、今夜話そうと思ったんだ」
「そうだったんだね」
俊介は大学の先輩が仲間と立ち上げたゲーム会社に就職し、そこが作ったゲームが大ヒットしたためにアメリカの大手ゲーム会社から買収の話が持ち上がったのだと言う。
その条件は非常に良く、入社1年目の俊介も先輩に可愛がられているので同行させてもらったらしい。
大学生の頃からバイトで先輩の会社に出入りしていて、彼の作曲家としての実力と将来性も見込まれていたことも有利に働いたようだ。
「3月からアメリカで働くことになる」
「もうすぐじゃない。送別会しなきゃ」
碧衣は俊介が認められて、好待遇で渡米するなんて凄いことだと、心から祝って送り出そうと思った。
「おめでとう」
満面の笑みを向ける。
「一緒に行って欲しい」
聞き違えのない程にはっきり言われた。
碧衣の顔から笑みは消え、目を見開いて時が止まる。
いつか言われるだろうと予想していたが、まさか今日がその時だと覚悟してこの場に来ていなかった。
迂闊だった。
準備不足も甚だしい。
彼からのプロポーズを受けることができないと結論は出たが、それをどう伝えるか、まだ答えが出てないのだ
俊介をじっと見て、言葉が出ないまま視線を逸らすことができない。
何秒かの間を置いて、ゆっくり息を吐いて、止まった時を動かす。
「あの…わたし…」
頭が真っ白で、この先の言葉が思い付かない。それでも何か言わなければ、そう思ってとにかく絞り出すように声を出した。
「ごめん。佳弥斗がいなくなって1年も経ってないのに、碧衣ちゃんにプロポーズするなんて、親友として有るまじき行為だと思うよ。それでもむこうに行く前に返事を聞かせて欲しいんだ」
真剣な俊介に何と言おう。
「少し…少し考えさせて」
今返せる精一杯の誠意の言葉がこれだった。
ーいつから私のこと好きだったの?
ー私が佳弥斗くんに告白するとき、どうして協力してくれたの?
こんな当たり前の疑問すら頭を過らない。それは、碧衣の中に浮かぶ顔が佳弥斗ではなく、月に1度手を繋いでいる男性だから。
心では俊介への返事は決まっていても、それは口にはできない。
「2月14日」
ポツリと俊介が言う。
「2月14日。ひと月よく考えて返事を聞かせて欲しい。いいよね」
碧衣は正面の求婚者から目線を逸らさずに頷いた。
* * *
(センゲツの神子様。とても苦しいです)
いつもなら部屋の前まで送るという俊介は、碧衣のマンションの最寄り駅で「じゃあ、次に会うのは2月14日に」と言って帰って行った。
既に碧衣が考えるための時間に入っているのだろう。
外堀を埋めるのではなく、ちゃんと距離を取ってくれる優しさがかえって辛かった。
『シュンスケの求婚に応えられないのは、カヤトではなくナオキのことを想っているからですよね』
碧衣の気持ちは繊月の巫に見透かされている。直紀への想いを隠すことも誤魔化すことも不可能だ。
(はい。でも、東条さんの心の中には今も環さんがいますよね。私は確かに東条さんに友達以上の想いを抱いていますが、それが愛なのかと問われたら「まだわからない」と答えます。でも、一緒にいたいと思うのは俊介くんじゃなくって東条さんなんです)
『シュンスケに返事するまでひと月あります。ゆっくり考えれば良いと思いますよ』
繊月の巫はどうにかして答えを導き出そうと焦る碧衣に、優しく語りかけてくれる。
ただし、直紀への気持ちが「それが愛ではないのですか?」と確信させるようなことは言えないのだ。彼を好きだと認めさせても、幸せな未来が待っている保証はない。
今、俊介のプロポーズを断って、直紀と結ばれたとしても、すぐに別れが訪れるだろう。
碧衣の性格を知った上で、直紀がいなくなった後、俊介を追ってアメリカへ行くことはないと断言できる。
繊月の巫が碧衣の中から消えてからも、碧衣の人生は続くのだから、「取り敢えず今だけでも気持ちが楽になるように、耳障りの良い助言をしてやろう」など無責任なことは言えない。
彼女が幸せでいられるよう祈り、一緒に悩んでやらねば、と思った。
アオイと一緒にいられるのは、長くても6か月しか残っていない。




