募る想い 5
安達家を訪問するのは2度目なので、直紀の後ろを歩くのに緊張はなかった。
彼は呼び鈴を押して、今回は返事を待たずに引き戸を開けてから「直紀です」とやはり声を張って玄関に入っていく。そして碧衣も続いて三和土に入って戸を閉めた。
「いらっしゃい」と言って、片手に忍を抱いた雅孝と、少し遅れてマスク姿の友香里が現れた。友香里のほうは少し体調が悪そうにも見える。
「友香里さん、風邪ですか?」
直紀の問いかけに対して「うん…ちょっとね」と言い淀んで、横に立つ夫と顔を見合わせると「まあ上がってよ。如月さんも」と手招きしてくれた。
「こんにちは。本日は忍くんのお誕生日会にお招きいただき、ありがとうございます」
碧衣は友香里と雅孝に軽くお辞儀をしてから靴を脱いで和室に上がった。
パーティー会場には2間続きの和室のうち奥の広いほうを選んで、大きな座敷机と座布団が用意されていた。机の上にはオードブルや寿司、フルーツなどが大皿に盛られてラップが掛けられている。
それを怪訝な顔つきで直紀が見た。
「やっぱり友香里さん、体調悪いんじゃないですか?料理好きの友香里さんがこんな日に出来合いの物を並べるなんて…」
確かに手作りの物といえば、カットされたフルーツくらいである。
碧衣は自分が参加させてもらうから、体調が優れないのに無理したんじゃないかと申し訳なくなって、直紀に「居させてもらっていいんでしょうか」と聞いた。
「違うの、違うの」
明るい声で友香里が両腕を前に伸ばして手を振って否定する。
「匂いがね……ちょっとキツくて、料理するのが辛いのよ」
その言葉で碧衣と直紀は瞬時に事情を察して目を見開き、「おめでとうございます」と声を揃えて祝福を伝えた。
キッチンから雅孝が今日の主役を抱いたままやって来て、「2日前、病院に行って診てもらってきたんだ」と恥ずかしそうに、そして嬉しそうに言う。
「予定日は?」と直紀。
「7月1日だって」
「友香里さんの体調を見て、仕事をこっちに振ってくれても構わないからちゃんと言ってよね。どんなに忙しくても、友香里さんの身体が1番だからね」
「ありがとう。そのときは遠慮なく甘えさせてもらうけど、忍のときも雅さんはアトリエで仕事をしてくれていたから家事も手伝ってもらえたしね。多分大丈夫よ」
2人目だと余裕が違う。友香里が頼もしく見える。
大人たちが話をしている間中、父に抱っこされている忍は、座敷机に置かれたイチゴが欲しいのだろう、「いいご…いいご」と言いながら身を捩って下ろせと訴えているのだ。それを見兼ねた直紀が1粒、「はい、どうぞ」と忍に手渡すと直ぐに手と口の周りを真っ赤にしてむしゃむしゃ食んだ。
直紀と雅孝がイチゴの汁で赤く染まった忍のスタイを洗濯済みの物に取り換えようとするが、2つ目のイチゴを欲しがる1歳児がじっとしてくれるはずがなく、大の大人2人が悪戦苦闘している様はなかなかに面白い。
「ウチの息子君はイチゴには目がないんだよな」と言って、根負けした父親が2つ目に手を伸ばすと、「あーダメダメ!ご飯食べなくなるから。他であやして」と母親からお叱りの言葉を浴びたのだった。
そう言われてしまうとイチゴは与えられない。直紀と雅孝が愚図る忍を玩具で気を逸らし始めたのを見届けてから、友香里はキッチンに向かった。
そして碧衣も持って来た荷物を部屋の隅に置いて「お手伝いします」と友香里の後を追いかける。
「ごめんね。出来合いを食べてもらうなんて、”自称料理研究家”を名乗っているのに恥ずかしいわ」
「とんでもないです。2重におめでたい席に呼んでいただいて嬉しいです。・・・あ、茶わん蒸し、もう大丈夫ですか?」
大きな鍋に、これも買ってきた茶わん蒸しがプカプカ浮いている。それを1つずつトングで取り出して水気を拭き取ってから、コップと取り皿が乗せられたトレイに置いていく。
「これ、むこうに運びますね」
「ゲストに手伝わせて申し訳ないけど、お願いします」
友香里に重い物を運ばせるわけにはいかないので、出しゃばってでも手伝わせてもらう。
すると、お客である碧衣が料理を運んでいるのを見た直紀も、「俺も運ぶよ」と言って、2人でキッチンと和室を往復することになった。途中、2人の目が合うと、「良かったね」「おめでたいね」と口パクで交わして微笑み合ったりもした。
そうして準備が整い、いよいよ忍の1歳の誕生日会が幕を開けた。
主役の天使をベビーチェアに座らせる。座面がブルーでフワフワのポリウレタン製で、テーブルにはカップホルダーが付いている。忍はこの椅子がお気に入りのようで、愚図らずに座ってくれた。両手で握るタイプのストローマグに牛乳を入れてテーブルに置くと、嬉しそうに早速ゴクゴク飲み始める。
マスク姿の友香里が息子の世話を焼いているが、やはり悪阻の影響だろうか、用意した食事には手を付けようとしない。座敷机に置いた水をたまに飲む程度だ。
直紀と雅孝は年明けに始まるブライダルフェアの話をしながらオードブルを摘まんでいるが、碧衣は食が進まない友香里に申し訳なくて、少ししか食べられないのだ。
やはり気を使うのは仕方ないが、それに気付いた友香里が、「私に遠慮しないで食べてね。この子のときの悪阻のほうが酷かったんだから、これくらい全然平気よ」と、忍の頭を撫でながら言った。
「はい。いただきます」
せっかく招待してもらったのに、これ以上遠慮するのは良くないと思い直して、目の前にあるオードブルを取り皿に乗せていると、雅孝が「これもどう?」と言ってスモークサーモンのマリネやローストビーフを勧めてくれる。碧衣が返事する前に、雅孝が「俺のほうが近いから」と新たな皿に盛って彼女に渡す。
「ドレッシングはイタリアンと和風、コブサラダのどれが良いですか?」とか、「そっちのパスタ、俺にもちょうだい」など、碧衣と直紀の砕けたやり取りが2人の距離を表しているようで、雅孝は環を失った直紀の立ち直りを予感して少し安心したのだった。
結局、友香里は碧衣が手土産として持って来た果汁100%ゼリーを忍と一緒に口にしただけだったが、何日が振りに「美味しい」と実感できたらしく、何度も碧衣に礼を言った。
食事の片付けを友香里以外の3人でやり、友香里は碧衣からもらった誕生日プレゼントの絵本を膝の上に忍を乗せて、読み聞かせている。その声がとても優しくてキッチンで片付けをしている3人も耳を澄ませて聞いていた。
プレゼントした絵本は、幼虫が冒険しながら蛹になり、やがて蝶になるという話で、対象年齢が1歳から2歳のため忍でも十分楽しめるものである。各ページのどこかに、表紙に描かれているボールと同じ絵が隠されていて、それを見つける楽しみも用意されていた。
この絵本に文字は少ない。読み手がアドリブで何とでもセリフを作れるような仕組みなのだ。
友香里はページを捲るたびに「すごいね」と真剣に絵を見ている息子の顔を覗いて語りかけ、最後に「蝶々は青い空に飛んでいきました」で読み終えた。
最後まで「あー」や「とーと」と自分を抱えている母を振り返り、何度も発見したことを伝えるように言う。そして、大好きな母にその発見を教えようと指差しするのだった。
どうやら気に入ってもらえたようで碧衣は胸を撫で下ろした。
ー帰ったらお兄ちゃんに今日のことを伝えてお礼言わなきゃ。
忍のリクエストで2度絵本を読み、最後はお決まりのように寝てしまった。雅孝がむにゃむにゃと口が動いている息子を抱きかかえて寝所に運んでいく。友香里は少し疲れたようで腰を擦っている。
「作家さんのサイン入り絵本だなんて貴重な物をありがとう」
「兄のサインで喜んでもらえるのでしたら、新作ができたらまたお持ちしますよ」
それは碧衣にとっても、可愛い天使と、そしてもうすぐ生まれてくる小さな命に会うための口実になる貴重な約束であった。




