碧衣のキモチ 3
「雅さんは1点1点を手作業で作っていくオーダーメイドを専門にしているんだ。秋元というクラフトマンもいて、そちらでは3D製作機を使って複数作っている。他にも提携している製作所はあるんだけど、ネットで販売しているジュエリーは主に秋元夫妻の工房で作られてるんだ」
直紀がそう説明したのに続いて雅孝が「直紀の指輪、見た?」と碧衣に尋ねた。碧衣が直紀の左手薬指を見て「はい」と頷く。
「その指輪にはちょっと趣向が凝らしてあるんだ」と得意げに人差し指を自分の鼻先に立てた。
「直紀、見せてあげて」
そう言われて、碧衣に良く見えるよう左手を彼女の前に差し出す。
雅孝が説明を続ける。
「リングの土台はプラチナで、桜の花びら4弁を掘って七宝で焼き上げたんだ。直紀のは水色の花弁でタマちゃんのはピンク。あ、タマちゃんって直紀の奥さんね。その中心にダイヤを埋めた。桜の花の両脇に歯を1枚ずつ配置してあるだろう。それも七宝焼き。女性用で花模様は珍しくないけど、男性用は少ないようね。ま、男性にしてみれば恥ずかしい、って言うの分かるし…。だけど直紀がプロポーズしたのが満開の桜の下だったからって、タマちゃんが譲らなかったんだよな」
最後の1文は直紀に向けたものだった。
「素敵だと思います。前にお会いした時に綺麗な指輪を嵌めてらっしゃるなぁ、って思ったんです」
「知り合ったのはホテルで、連絡を取り合うキッカケは、ふたりともあの事故の被害者だと分かったからって直紀から聞いた……」
そう言った刹那、雅孝が両手で自分の口を塞いだ。
「あー。思い出すのは辛いだろうから、事故の話はしないように、って友香里と決めたのに…怒られるな」
これは非常に不味いことを言ったな、とばかりに拳骨で軽く頭を小突く。。
ここに来るまでに直紀と打ち合わせをしていたので、当然聞かれることだろうと思っていた碧衣が「そうなんです」と相槌を打とうとしたら、雅孝がひとりでその話題に終止符を打ってしまった。
その後は先程の作業の続きを見せてもらったり、プラスチックケースに入れられた宝石の説明を聞いたりし、碧衣からの質問にも丁寧に答えてもらえた。何枚か写真も撮らせてもらい、有意義な時間を過ごしたのだった。
改めてぐるりとアトリエを見渡した時、作業台の横に金属の輪がいくつも付いたリングゲージが碧衣の目に留まった。
「これ、宝飾店で見たことがあります」
直紀がリングゲージを手に取って、「自分のサイズ知ってる?」と尋ねる。
「ん…11だったかしら…10,5だったかも…」
碧衣が左手を顔の前で広げて思い出そうと眺めていると、直紀が「ちょっと失礼」と言って、ピアノで鍛えられた手を取ってリングの1つを嵌めた。中指と薬指に3つ、4つのリングを試してから「薬指が9で、中指が11だね」と教えてくれた。
「店頭だと実際に嵌められるからいいんだけど、通販で購入するときのために覚えておくと便利だよ」
ひと通り見学させてもらった後、リビングに場所を移してティータイムとなった。
碧衣があの可愛い天使を探して見渡したがこの場に姿はない。
「忍、お昼寝タイムなのよ」と申し訳なさそうに天使の母が謝る。
「そうですよね。まだ1歳前ですもんね」
残念だが仕方ないと思う。
「子ども好きなの?」と碧衣に尋ねながら「雅さん、そっちのティーセット持って来てちょうだい」とキッチンのほうに声を飛ばす。
テーブルにイチゴのショートケーキとフォークが乗せられた皿が並んでいく。
「はい。兄が絵本を書いていて読み聞かせをする機会があるので、小さな子どもと接することが多いんです」
その話題に興味を持ったようで、次に配るつもりだったスプーンを手に握ったまま質問してくる。
「え、えっと…お兄さんのお名前は?」
「きさらぎあさひ、本名で出版しています」
その名を聞いた瞬間、友香里は目を見張った。
「ウッソォー!きさらぎ先生の妹さんなのぉー!うちにきさらぎ先生の絵本、何冊かあるよ!」
友香里の興奮が治まらない。それどころか、手に持っているスプーンの束をブンブン振って「すごい!」とか「妹さんがうちに来るなんて!」と止まらない。
「えーっ!お兄さんが絵本作家で妹さんがピアニストって芸術家一家じゃない。・・・もしかして、ご両親も何かされてたりして?」
碧衣の顔をワクワク、キラキラした瞳で覗き込まれ、父の正体をバラしたらどうなるか、覚悟して白状した。
「母は父と兄の秘書のようなことをしています。・・・父は『桜小路恭介』というペンネームで作家活動しています」
予想通り「桜小路恭介」の名を出すと途端に大騒ぎになった。友香里だけでなく雅孝や直紀も「本読んだ」とか「映画観た」と言って盛り上がり、碧衣は「ありがとうございます」と何度もペコペコしっ放しだったのである。
安達家を出る頃にはすっかり打ち解けて、碧衣は心の中で「お父さん、お兄ちゃん、ありがとう!」と感謝したのだった。
ただ残念なことに、愛くるしい天使は最後まで起きることがなく、碧衣は「バイバイ」できなかった。
帰りの車内でも話題は彼女の家族のことだった。
「有名人の身内だったんだな。警察からも聞かされなかったから、全然知らなかった」
膝に置いた手を見て「隠すつもりはなかったのですが…」とポツリ。
「事故の時は、橘君の名前だけが表に出てた。あそこで君も生き返らなかったら『桜小路恭介』の娘として世間に晒されたんだろうな」
間違いなくそうなっていただろう。容易に想像できる。
そして佳弥斗と碧衣のロマンスめいた話を勝手に作り上げられていただろう。
思い出まで穢されたかも知れない。
「土足で踏み込まれなくて良かった。お互いに」
彼も同じことを感じたのだろう。
「大切な思い出は私たちだけの宝物ですよね」
隣で彼も「そうだね」と優しく同意した。
「そうだ、11月1日の繊月の祈りはまた南急ホテルでいいかな?」
話題がしんみりしたものから本来の自分たちの関係に戻る。
「前回は東条さんにホテル代を払っていただきましたから、次は私に払わせてくださいね」
ーうん、スムーズに言えたぞ。
前回はチェックアウト時に「お支払いは済んでいます」と言われ、お礼のメッセージを送ったものの、年上の直紀に「自分の部屋代はちゃんと返します」などと言うのは無粋だと思ったので、このタイミングを待っていたのだ。
「それはちょっと…。すまないが、年上の俺にカッコつけさせてもらえないかな?」
信号待ちで碧衣に悪戯っぽく白い歯を見せる。
「ううぅ……。」
子犬が喉を鳴らすような声が出るだけで首肯も頭を振ることもできない。
ここで「わかりました」などと折れてしまうと、この先何回か続く繊月の日の度に払わせてしまうことになるのだ。2度と「払う」と言えない気がする。
碧衣は考えて、考えて、考えて口から出たのは「では…うちで……うちで祈りませんか?」だ。
彼の耳に届くギリギリの声量で言ってみた。
碧衣は顔を正面にむけたまま目線だけを隣の男性にして様子を覗う。




