碧衣のキモチ 1
帰国した直紀から、安達雅孝というクラフトマンのアトリエに行ってみないか、とスマホにメッセージが届いた。
クラフトマンというのは、ジュエリーデザイナーが描いたデザイン画を基に加工し完成させる職人のことで、安達雅孝は「TO-J」 の専属クラフトマンだと教えてくれた。
”ぜひ、見学させてください。”
直後に返信する。
当日は碧衣のマンションの最寄り駅である浜松町駅で待ち合わせることにした。マンションまで迎えに行くと言って、巧妙に住所を聞き出そうとしないところが「さすがクールな東条さんだね」と繊月の巫と共に感心したのだ。
事前に、雅孝のアトリエは住居も兼ねていて、妻と10か月になる息子がいると教えてもらったので、半熟カステラを手土産に用意した。そのカステラは米粉からできた無添加のもので、店員から「1歳未満の幼児が口にしても大丈夫」と確認済みである。
碧衣は自分と直紀の関係が説明しにくいものであるために、「自分たちの関係をどう言えばよいか」と尋ねた。
そうしたところ、「ブライダルフェアの打ち合わせのときに隣同士のテーブルになった。そして如月さんが帰り際、立ち上がった拍子に転びそうになったのを自分が助けた。そこで話をしたら、偶然にも同じ事故に遭った者同士だと分かって、連絡を取り合うようになった」と安達夫妻には既に話してあると言うのだ。
「本当はそれだけでなく、1度死んだけど神子に生き返らせてもらって、今も身体の中に神子がいるという同じ状況の間柄」などと言えるはずもなく。
「こういう場合、作り話は極力しないほうが良いんだ。疚しいことは何ひとつないのだから、神子の件以外をそのまま話して大丈夫だから」
「わかりました」
口裏を合わせる必要がないことで、随分気持ちが楽になった。
今日こうしてアトリエに連れて行ってもらっても正直に話せる。
繊月の日の祈りの時、繋いだ直紀の左手薬指に嵌められたプラチナに桜モチーフの結婚指輪を美しいと思って見ていた。あの指輪も直紀がデザインしたであろうと容易に推察できる。
あの指輪を作ったアトリエならば、ぜひ製作工程を見せてもらいたいと思ったので、直紀に誘われた時心が弾んだと言おう。こんな機会は滅多にないのだから。
碧衣はピアニストとしてどのように曲の世界を表現するか常々考えている。楽譜通りに弾いても観客は満足してくれない。
表現者によって与えられる評価の分かれ目は、どれだけ引き出しを持っているかだろう。自分の知らない世界を覗くことは表現する幅を広げるためのエッセンスとなる。
日頃から父と兄のサイン会や講演会の手伝いをするのも、彼らの作品に触れる人たちの表情を見たり感想を聞いたりすことが、曲を表現する糧となるからだ。弾き方によってどう受け取ってもらえるのか、観客はとても敏感である。できる限り多くの観客を魅了させたいと思うのは表現者として当然のことだ。
同じ作品でも、見る人、聞く人によって感想が区々である。
大学時代、友人たちと深夜まで課題曲の解釈の違いで議論したことが、碧衣の追及心を加速させたのだった。
だから雅孝のアトリエに行くことは純粋に感性を養うためのワクワクイベントなのだ。
アトリエには当然高価な宝石や小さなパーツがあることを想像して、スカートではなくパンツスタイルをチョイスした。
待ち合わせ場所である改札出口に約束の5分前に着くと、碧衣の到着を見ていたかのようなタイミングでアルファレッドの高級車が、姿勢良く立つ女性の前にピタリと止まった。車の鼻先には人間を銜えた大蛇のエンブレムがある。
ライトブルーのサングラスをかけた直紀が左側の助手席の窓を下ろして「乗って」と声をかける。
ーううっ。カッコ良!
「こんにちは」
ぺこりと頭を下げて、少し赤くなった顔を見られないように「おじゃまします」と急ぎ足で乗り込む。内装はブラックで統一されていて、車内には「Fly Me To The Moon」が流れている。
碧衣がシートベルトを締めたのを横目で確認すると、EV車特有の滑るような加速で発進させた。
「妻がジャズ好きでね。まだ他のジャンルを流す気になれなくて」
運転する直紀の横顔を見ると、とても穏やかな表情をしている。
こうやってジャズを聴きながら奥様とドライブをした日常を思い出しているのだろう、と気を使って次々と流れる曲を遮らないように、碧衣も聴くことに徹した。
ピアニスト特有の癖で、曲を聴くと勝手に指が動いてしまう。直紀は隣の女性が膝の上で曲に合わせて指を動かしているのを視界に入れていたのだった。
そして何曲か流れた後、「ホテルではジャズも弾くの?」と碧衣に尋ねた。
「はい。ナイトラウンジの雰囲気にジャズやボサノヴァはぴったりなんで、いろんな曲をアレンジして弾いてます。その中でも映画音楽のアレンジは1番喜んでもらえますね」
「そうか…。今週末、11月1日は繊月の祈りの日だよね。土曜日だから君の演奏を聴かせてもらいに行くよ」
「ありがとうございます」
来てくれると言う言葉だけで碧衣の表情が明るくなる。今日は直紀のテリトリーに入れてもらうのだから、今度は自分のテリトリーに来てもらおう、そう思っていたので、彼の申し出は素直に嬉しかった。
「リクエストしてくだされば曲目に入れますよ」
車内のジャズをBGMに会話が続く。
「ジャズでもボサノヴァでも構わない。どちらも好きだからね。俺の中の相棒と祈りの前のひとときを楽しませてもらうよ」
『はい。ワタシも楽しみにしています』
今は2人が接触していないために碧衣には聞こえないが、「直紀の相棒」も楽しみにしてくれるだろうと感じることができた。
「お任せください。最高のリラックスタイムをお約束します」
ピアニストは座ったままお辞儀をして得意げに答える。
アトリエまでの30分は祈りの時間についての話になった。
「これから毎月一緒に祈るのだから、提案とか注意事項とかがあったら初めに決めておいたほうがいいだろう。不満があるまま手を繋ぐのは、如月さんには辛いだろうからね」
そう直紀が言い出したのだ。
碧衣がこの前のスパークリングワインがとても美味しかったと改めて感想を伝えると、「お酒飲めるの?」からの「すぐに顔が真っ赤になって酔っちゃうんですけど、お酒は好き…かな?」となり、次も直紀がノンアルか低アルでお勧めのワインを用意すると約束した。
繋いだ手を固定するのに前回は急遽ということでピンクの可愛らしいシュシュを使ったのだが、後から思い返すと「シュシュ」、おまけに「ピンク」は無かったよな、と碧衣が改善すべきと感じたのだった。それで「次はちゃんとしたものを探して持って行きます」と提案したのだが、「あれは非常に助かった。君が常に使っているものでないのなら、次からもあれで」と言ってくれた。
直紀にしてみれば、シュシュでもピンクでもひらひらピカピカでも全く気にならないのだ。碧衣が気にしていたシュシュの件は、あっさり「祈りの時の品」として認定されたのだった。




